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まなびの途中

色々な仕事をしてまいりました。
色々な出会いがありました。
勘違いもありますが、
学んだことを書いてまいります。

おめでとう、20歳前後の若者たちよ。

2012年01月21日 | 教育、文化、少子化
大卒予定者の就職内定率59.9% 過去2番目の低さ

来春卒業予定の大学生の就職内定率(10月1日時点)は59.9%と、文部科学省と厚生労働省が18日発表した。
過去最低だった前年同期(57.6%)を上回ったものの、過去2番目の低さ。
前年度は、最終的な就職率も過去最低の91.0%だった。文科省は「わずかに光が差したが、依然厳しい状況」としている。

だって。

マーケティングデーターベース

によると、
1990年の卒業予定者数は、約40万人。
2005年の卒業予定者数は、約55万人。

当たり前なんですが、1990年において、大学進学率30%未満。
2009年には、50%を超えました。

とはいっても、1990年の20歳前後の人口は、ちょうど70年前後の生まれ。
いわゆる第2次ベビーブーム。今で言う、団塊ジュニアの世代である。
なんと、200万人近く単年で出生している。

2005年において、卒業を迎える世代は、逆算して1985年前後の生まれとすると、
この世代は単年で、150万人前後。

何が言いたいかって言うと、
ここ数年、純粋に就職ができた大卒予定人間の数は、33万人前後。

1990年、資料が探せないんだが、仮に90%内定とした場合、36万人。

えーーと、「前年度は、最終的な就職率も過去最低の91.0%だった」
50万人?
50万人? 繰り返しちゃうんだけど、、、、。

増えてなくね?

おめでとう。最高ジャン!今の子供たち。
企業の数が、がた減りしてんのに、バブルの頃より、ちゃんと就職できているジャン。
心配ないね、大学卒業予定者の方々。

ひょっとしたら、過去最高なんじゃない?数で言えば。


押上地区で、えー、スカイツリーが5月22日に開業いたします。
が、これ、その下に広がるのは、大型ショッピングモールです。
従業員、大募集しております。
延べ人数でいうと、目標募集人数は、4000人です。

一方、4月26日、渋谷では「渋谷ヒカリエ」が誕生。旧東急文化会館跡地。
さらにお台場にはガンダムがそそり立つ「ダイバーシティ東京」が4月19日にオープン。

この3箇所で、合計12000人、採用予定が予定されているんだそうだ。

おめでとう、東京地域にお住まいの方々。
腐るほど、働く現場はあるぞ。
まぁ、35歳くらいまでって、感じかもしれないけど。
警備とか、そのくらいまで広げると、18万前後の収入かもしれないが、最初はね。

働き口が見当たらないっていう現実は、多分、見当たらないよ。

おめでとう、若者よ。
40歳前後以上は、依然、苦しいだろうけど。

人が足り無すぎて、大変だよ。多分。


ええ、自分も数学は、、はい、逃げた口ですが

2011年04月12日 | 教育、文化、少子化
こんな内容を書いていい立場でもないんだが。

先日、「togetter」にて、
ついつい拝見してしまった「まとめ」があった。

「今数学を勉強する意味がわからない」という高校2年生のつぶやき

本人的には、気軽につぶやいたつもりでいたんだろうが、
そんなのは、この世の中では通用しない。
第三者が、「勝手に」まとめあげて、記録的な「見学者」と意見を言う方々が大集合した。

こういうものは、そういう「ツール」なんだけど、
「勝手にまとめあげるのは、良くない」なんていうのは、
あまりにも、世間知らずと言う他無い。

この時期にはよく起こりがちな「考え方」で、
今まで、存在理由を問い詰められるくらいな「結果」から
免罪されている、ご年齢なり、お立場な方が、
よくご発言されるむきがおありですが、

「勉強する意味がわからない」

この文章の前に、どうも好きになれない学科をいれたり、
どうも点数がとれない科目をいれたり、
どうやら気に食わない教師の科目を入れたりと、
そこは、それぞれ、自由で、諸事情があるんだろうが

そんな意味が、あらかじめわかっているなら、
この国を含めて、どんな人間も、もっと効率よく、困ることなんか
ありません。

何が、この先、どういう風に、なっていくかが、
どうにもこうにもわからないから、
ありとあらゆる「可能性」を信じて、勉強するわけで、

この20年もご経験されていない、この時期に、
腹くくって、それは、不必要だ!
というのは、それはそれで、数十年後のあなたに
期待を寄せたいものだ。

もちろん、ご家庭環境の条件によっては、
社会に出ずしても、本当に、末永く「食べて」いける方々もいる。
全然、OKです。
そういう方は、なかなか、こういう発言はしないのも常なんですけどね(笑)。

世の中が、そこで経済活動をされる方々含め、全世界的に、
むちゃくちゃ複雑になっている中で、
なにがどういう風に、シナジーして、クラスタして、うにゃうにゃしていくか
たかだか、学校でやっている勉強などは、ぜひ、軽く「済ませて」いただきたい。

あれが、どの程度、内容的に、時間的に無駄かなんて、
もう、進むべき路なり、手につける技術なり、
手段も、方法も、「まずはこれをやろう!」と、決めた人間が吐く言葉であって、

「将来、起業して、人を使って、アイデアで儲けていきたい」
というのは、
とりあえず、大人になって、結婚して、子供は1人でいいかな

くらいの何も決まってもいない、誰も振り向きもしない、普通の「いいお天気ですね」
くらいの内容だと、
思わないと、恥ずかしいと思うんだけど。

ええ、数学を意味がない みたいな格好のいい風ではなく、
単純に、とってもやりたくなかったので、
僕は「文系」です、とエスケープしたという自覚のある自分ですが、
数学のスキルは、いまさらながら、とても欲しい「アイテム」です。




どんな親なのか、顔が見たい。

2007年10月10日 | 教育、文化、少子化
最近、普通のサラリーマンと同じような1日を過ごしている。
ええ、朝、9時に出勤して、
社内にて複数回の会議、打ち合わせがあって、
皆で昼食に行って、
行ってきます、お帰りなさいがあって、
もうどうにも、自分のスタイルに合いません。

責任の所在を「担保」するために、いくつもの稟議というのがあって、
その際の、プロセスが重視されるのは、
誰もが責任を負いたくないという表れなんであろうが、
その逆で、
成果をあげれば、あげたで、
責任の所在も、逆数として、成果も「関与」させるわけだ。

でないと、バランスがとれないわなぁ。

もちろん、一人で何でもやってしまうというのは、
自分が倒れたら、同時に、そのシステムは破産するわけで、
組織が必要なことは、言うまでも無い事実。

ただ、事情も、理論もわかっているけど、
久しぶりに組織に身を置いてみると、かったるさだけが襲ってくる。
まぁ、3ヶ月の辛抱なんで、
決めたことなんだから、頑張ります。

「たばこダッシュ」、中学生3人逮捕=コンビニから万引き-警視庁

  コンビニエンスストアでたばこ7カートン(販売価格約2万1000円)を万
  引きしたとして、警視庁少年事件課と竹の塚署は9日までに、窃盗容疑で、東
  京都足立区に住む14歳の中学2~3年の男子生徒3人を逮捕した。13歳だ
  った中学2年の男子生徒2人も児童相談所に通告する。

  生徒らは「たばこダッシュ」と称して万引きをしており、容疑を認めているという。

  調べによると、5人は6月24日午前6時40分ごろ、足立区伊興のコンビニ
  「セブン-イレブン足立伊興小西店」で、たばこ7カートンを万引きした疑い。

ごめんなさい、これを取り上げて。
読売新聞では、
  同課は3人が通う中学校から「授業妨害など学校の指導力では手に負えない」
  との上申書の提出を受けたことなどから、逮捕に踏み切った。
という内容も書いている。

ただ、「少年らは「小学生のころからたばこを吸っている。1日1箱くらい吸うの
で金がかかり、万引しようと思った」と供述している。」
というところが、もう、どうでもいいよねって感じ。

いわば、本来であるならば、この年齢。補導が関の山。
が、逮捕という結果において、学校側の「責任問題」にも、昨今つながるので
対応が慎重にもなるんだが、
もういいよね、こういうの。
小学校から喫煙習慣があるって、どんな家庭環境なんだか、
これを学校で教育しようという論議すら、
無効にしてしまうがごときの話題でした。

しかも仲間で分け合った。
いるんかい、同じ学校で、しかも、どういう「勧誘」があったかわからんが
5人も。
家庭が、それに気づかない、止めることが出来ない、
学校側も、何の努力をしたかわからんが、
これを見ても、地域と、または家庭との連携が、
学校側と、出来得ないという「実態」が、
こういう事例からも、伺える。

もちろん、いじめから、自殺にいたる不幸な事例を持ち出すわけではないが、
もちろん、親にいえない、言うことが出来ない、
そして教師も、そのシグナルを察知できない、さらに、
そのままあと1年、いや2年「事態が悪化しなければ」なんてことを
思って過ごしてしまう傾向があるのも事実。

子を「守る」という範疇に、
子を正しい社会ルールに適応させるという、当然の内容も含まれる、
絶対条件のはずなのに、
親の、家庭の協力を得られないという事実の中で、
いや、親連中が、いわば「敵に」回ってしまうという可能性がある中で、
実際、若い教師は、誰に助けを、
そして、誰に教えを、協力を求めることができるのであろうか?

新会社でも、どう考えても、やりにくいシステムを、
むしろこうしたらいいじゃん、って話し合いをしようとしても、
ただ一人、声のでかい奴が、「あなたの考えが間違っているんですよ」
「あなたが、それについて、責任をとるべきですよ」
という一言で、
すげぇ、無力感に陥ることがあって、

今の若い連中は、いきなり、こういう究極のフレーズを、
臆面もなく、言うことができるんだって、これは微妙に感動した。
多分、意識しているのかしないのかは別にして、
こういう究極のフレーズを言い切られたら、
結構な経験を積んでいないと、議論ができない。

起こった犯罪について、やった当事者に「立証責任」があるんでなくて、
やられたほうに、立証責任があるなんて世界、
それと、ほぼ、同じような感覚に襲われます。

ああ、横道にそれましたが、
多分、5人もの、こういうジャンルの親。
いっぱしの「言い訳」と、何かに対しての「文句」だけは、
案外、ご立派だったりするもんで、
ただただ、すげぇなぁ、と、考えてしまいました。


いつも役人は、結果的に少子化に加担してしまう。

2007年10月04日 | 教育、文化、少子化
「夫は外、妻は家庭」に反対、半数超える・内閣府世論調査

  内閣府が29日発表した男女共同参画社会に関する世論調査によると、「夫は外
  で働き、妻は家庭を守るべきだ」との考えに反対する人の割合が52.1%と1992
  年の調査開始以来、初めて半数を超えた。賛成は44.8%。内閣府では「男女の
  役割分担を固定的に考える傾向に変化がみられる」(男女共同参画局)と分析
  している。

  ただ現実の家事分担では、妻の仕事として「食事の支度」を挙げたのが
  85.6%、「掃除」も75.6%と高い。仕事と家庭のどちらを優先するかでも「仕
  事を優先する」は女性の17.3%に対し、男性は40.2%。男女の仕事と家庭に対
  する考え方には依然開きがある。

  一方、結婚観や家庭観では「結婚しても必ずしも子どもを持つ必要はない」と
  の考えに反対の人が59.4%と2004年の前回調査に比べ8.1ポイント上昇。「結
  婚しても相手に満足できないときは離婚すればよい」との考えに反対の人も
  47.5%と同7.4ポイント上昇し、賛成の46.5%(同4.6ポイント低下)を逆転し
  た。

えー、個人的に偏った考え方を持っているようなので、参考にならないと思いますが。
この「家庭を守る」ってなんでしょう。
こういった調査で、必ず項目に入ってくる「家庭を守る」という文言。
この仕事だ、家庭だという「くくり」に、
夫婦間の、人間としての関係が、よく見えてきません。

もう極端なことを言えば、人間観関係は、ある意味大なり小なりの
利害関係で成立していると考えております。
もちろん、純粋な気持ち、例えば好き、愛しているなど、
こういう普遍的な心を否定するつもりはさらさらありません。

ただ、生きていく中で、それぞれのタイミングで、
どうあがいても、大なり小なりの「ミッション」をこなしていくのが人生です。
自分で見つける方もいますし、そして、結果を出せなくて、魂消るような一瞬を
迎える、とほほな私みたいな人間もおりますし、
もちろん、やむなく、降りかかってくる案件を処理しなければならない事も
当然ありますし。

こういうの、一言で言うならば、たった一人では「成立」しない。
全てが、あらゆる人間関係性の中で、起こりうるものだ。
因果関係を含めて。
そういうものだと、理解しております。

で、そういう中で、人それぞれでしょうが、自分は、
人生と言うミッションをこなす上で、パートナーが必要だし、
後出しかもしれないが、
パートナーの存在を、日々、この上なくありがたいものだと、痛感しているわけです。

手近な話で申し訳ないですが、
子を育てるということも、生き物が抱えるミッションですし、
望む、望まないは別に、そういう価値観をここで問わなければ、
夫婦として普通迎える、最初の共同作業であることは間違いないです。

当たり前ですが、その共同作業の中で、
この地域コミュニティーが、ほぼ全壊してしまっている都会エリアでは、
当然、昔よりは、過酷な作業になっているのは自明です。
さらに、様々に紹介されている情報は、
どう考えても、企業マーケティングの一環として、提供される情報が過半で、
経済的な格差を、もろに受けてしまう種類のもが多いことも事実で、
それを「緩衝」してくれる、両隣の「知恵袋」は、
昨今の環境では、死滅している状態です。

なもので、家庭という単語よりは、個人的には、
子育てをする、「共同作業体の場」として考えており、
具体的で、リアリティーのない、イメージできないものを
あえて「家庭」とくくる考え方には、
昨今、どうも「負」のイメージが強くなってきております。

本来であれば、そういうんでなくて、
生産的で、ポジティブなイメージを、せっかくやるんだったら考えるべきで、
家庭というよりは、別の考え方があってしかるべきなんじゃないかなぁ、
と思うようになりました。

当然ですが、男女の役割分担は、時代時代の「要請」にしたがって、
むしろ流動的であるのは、大きな歴史の流れの中で、実証済みで、
何が効率がよいのか、それぞれの事情で、これが効率的なのかが問題であって、
これだけ、「餌場」も「餌」も、複雑で、あらゆる手段が講じれる現在、
むしろ、それぞれが、まさに、計画的に、得意な分野でやればいい話で、
今更、家庭に縛り付けるという考え方が、
何を、どう、縛り付けているのかすら、自分は理解しかねます。

好きだから、愛しているからという、いずれは、多分、一方的な思いに
なってしまいがちな、この感情によって、
それが、パートナーの生産性に「効果的」であるならば、
むしろ、家庭に「いる」ことの重要度が高いという判断でしょうし、

まるで逆に、「私が食べさせてあげる」という世界も、
承認しがたいですが、もちろん、それでその関係性が、
生産的で、効率的であるならば、もちろん可でしょう。

そういうことをとっぱずして、家庭に対する考え方。
こういう発想。
前にも言いましたが、共同作業の場ですから、
これを一般論として、男女の役割分担として、
どうしても、考えたくなる気持ちもわかりますが、
もう、さすがに、古い、マッチィングしていない。

ええ、こういう調査事態が、むしろ、マイナスです。
だって、家庭というより、最近は、ファミリーって言うほうが、
何だか、ぱっと、明るい感じがするでしょ?
こういうところから、システムを支えていかなければ、
少子化を考えすぎて、むしろ、少子化に拍車をかける、
いつもの悪い「役人」のあり方が、露になると思いますが。


比べてどうか、という問題ではないかも。

2007年09月25日 | 教育、文化、少子化
ごめんなさい、これがニュースになってしまう意味がわからないんですが。

大学受験料と通信教育費を負担 水戸葵陵高

  水戸市の私立水戸葵陵(きりょう)高校が、一部の生徒の大学受験料を肩代わ
  りしたほか、通信教育の「Z会」の受講料も負担していたことが25日、分か
  った。受験料の肩代わりは進路指導に利用するデータ集めのためで、合格実績
  づくりが目的ではないとしている。

これは、学校の実績において「虚偽」であるから、ダメ?
虚偽を、学校側が「自作」しているから、ダメっていうこと?
なんて、まぁ、真剣に食いつく話題ではないかもしれませんが。
どちらの学校でも、
卒業生より、合格実績の人数が多いのは、当たり前の話しで、
そういうんだったら、「予備校」の合格実績の人数を足すと、
この国には、「少子化」の問題など、無い。

むしろ、問題なのは、こっち。

「全入」目前、意欲低下 5人に1人、勉強せず大学へ

  大学進学者の5人に1人が高校3年の時に家でほとんど勉強せず、2人に1人
  は勉強時間が2時間以下-。
  「大学全入時代」が目前に迫る中、高校生の深刻な勉強不足の実態が22日、
  平成17年度時点で高校3年だった生徒を対象に、東大の研究グループが実施
  した全国的な追跡調査で分かった。

  少子化や大学定員の増加に加え、推薦入試、アドミッション・オフィス(A
  O)入試の拡大などで受験競争の激しさが緩和されたことが、高校生の学習意
  欲の低下に影響しているとみられる。

よく、学校の勉強を、競争化とか、詰め込みとか、
そういう言い方でまとめようとする方がいますが、
子供の頃、何か目標を立てて、それに向かってプランニングをし、
達成するという、アチーブメント。
なかなか、経験できない。

もちろん集団経験として、文化祭とか、体育祭とか、
共同作業で、何かを作り上げる作業、こういうのはあります。
これも一つの「経験」。
実は、この作業こそ、何はおいても、真剣に「取組ます」ことが肝心。
意味を理解させることも重要。

のはずなんだけど、安っぽい学園モノにも登場する、よくあるプロット。
必ず、ひと騒動が持ち上がる。
これを乗り越えた集団が、絆を深め....、という世界は、
茶化されるようだが、とっても重要。

自分をコントロールするのにも、何らのオプションもなければ、
単純な思考回路、いわば、一つか二つの目線しかもっていないから、
「他人の理不尽」を飲み込めるなんて、
当然、ありえない。
文句も出るだろうし、懸命に努力する人間が「ババ」を引くのは当たり前、
出来上がったものに、カタルシスが来るかどうかなんて、
ほとんど無い。

できなければ、損害賠償も、品質保証もない世界だけに、
緩みっぱなしの世界なんだけど、
でも、こういう作業は、絶対に必要。

おためごかしはともかく、こういう人間関係は、知っておいたほうが良い。
ただ、目標なり、ミッションを集団で持つことは、
そして、曲がりなりにも完成させることは、
その本人が、何かを経験するということ、
この「プロセス」と「関わり」と「結果」に関して、
後々の意味、理解させておくこと、
これは、全然、無駄でない。

一方で、受験なんて、他人を巻き込む作業ではないから、
さらに、純粋に、結果が評価される。
唯一、学生の時期に、ストイックに結果を求められるジャンル。
だから、あらゆる言い訳、言い換え、自虐的な解説、自己防衛、正当化、
これで、子供たちは、必死にボキャブラリーが増えてくる。

もちろん、ご家庭様々。
様々な事情があって、短絡的な言い方はできないかもしれないが、
どういう事情があっても、社会では、一応、
この「結果出し」が、自分自身の大きな財産になるのは、自明。
社会的な評価を、さらに受ければ、非常に良いのだろうが、
叶わなくても、「検証できる」という経験が積めればOK。

それを学校側が、どのような目的で、操作、介入しようが、
100人いても、結果を出せるのは、何人いるのか?
まさに、子供を誉めたい気分です。
たいしたもんです。
そういう子には、Z会どころか、色々とサポートしてあげたいものです。

ええ、達成力をつけずに、大学という「施設」に、入ってくる。
もちろん、日々の成績がモノをいうわけで、
ある意味、それも、たいしたものですが、
「全入」できるという時代。
ぶらりと、チケットを買えば入れるという感覚。
これに近くなると、大変なことで、

なんで、ここまで、大学作っちゃうんだろうと、
不思議な国なんだなぁ日本は、と、感慨深く思ってしまいます。


まったくどの時代にもなかった、親と子をとりまく環境。

2007年09月11日 | 教育、文化、少子化
研究所の「不具合」が原因で、本日は中止。
帰ってまいりました。
自宅から、なんだか、2時間もかかるところにありまして、
日程が延びれば、伸びるほど、毎日、とりあえず「遠足」です。

「失敗犯す」でも「少年犯罪には厳罰を」矛盾する子供観

  「子供は失敗するもの」「しかるときは言葉で納得させる」としている一方で
  「少年犯罪が増加した」「犯罪少年への厳罰化には賛成」-。大人の子供を見
  る目がゆらいでいることが、民間の教育研究機関「臨床教育研究所 虹」(所
  長・尾木直樹法政大教授)の調査で明らかになった。尾木氏は「大人自身がゆ
  とりをなくしている反映ではないか」とみている。

尾木さんは、テレビなどで拝見したことがあります。
わかりやすい説明をされていて、話を聞くことが出来る方だと記憶しています。

  結果によると、大人が思う「よい子」は「あいさつができる」(56・5%)
  「ルールやマナーを守る」(48・6%)「ハンディのある人に優しい」(4
  4・4%)が多い一方、「勉強ができる」は3・4%に過ぎず、内面を重視し
  ている傾向にある。

尾木さんの講演に参加した、「意識の高い」保護者さんの回答です。
もっと、ざっくばらんな状況下でのアンケートだったらと思うんですが、
案外、尾木さんの公演内容に流されてしまう、
そういうのって、ありますよね。

ただ、この結果は、どうなんでしょう、模範的で、いつの時代でも、
変わらないと思うんですが?
確かに、高度経済成長時期には、勉強ができる子供、という時代が
ありましたが、なんか、この回答は、どうなんでしょう、
「よい回答」を狙っているような感じがします。

  「しかる方法」(複数回答)としては「言葉で納得させる」が85・1%で最
  も多く、「大声で怒鳴る」(38・8%)や「手で軽くたたく」(23・
  4%)を大きく上回った。

  文部科学省が提唱した、細部まで罰則を決め、違反した場合は猶予なく処分す
  る「ゼロトレランス」には「少し反対」「まったく反対」を合わせて55・
  2%で「大いに賛成」「少し賛成」の計33・3%を上回った。

  自由回答で聞いた子供とは「宝物」「かけがえにないもの」「夢」「希望」な
  ど前向きな存在であると答えている。

模範的だなぁ。
子供って言っても、年齢によって、随分対応が異なると思うんですが、
このアンケートは、実戦向きというよりは、
なんか、「考え方」を聞いている様な気がします。
どういう「社会」を望みますか?みたいな感じで。

親として、随分、他人行儀的な、腹を括った「生き様」を感じることができません。
こういう回答を寄せながら、「これでいいんだよね」という、
テストを受けているみたいな、
最大集約グループに入らなくては、という
回答者の「意気込み」が感じられるような感じです。

思うに、「子」をいくら論じても、
ダメなのは、親のほうですから、
前から、個人的に、こういう内容のも、好きでありません。
ただ面白かったのは、このアンケート。
やっぱり、テレビとか、そういうのの影響力って強いんだなぁと、
感じました。

  「少年犯罪が増加した」との質問には「かなり増えた」(59・0%)「少し
  増えた」(21・2%)で計80・2%が増えたと感じている。実際の少年犯
  罪、特に凶悪犯罪の検挙数は昭和35年の約7500件(犯罪白書)をピーク
  に減少しており、平成18年は1170件に減少している(警察庁統計)。
  にもかかわらず、少年犯罪が増えたと感じているのは「普通の子の初犯が殺人
  というような特異な犯罪が増えているからではないか」と尾木氏はみている。

一時期、あらゆる番組では、検証をすることもなく、
「少年犯罪の増加」を、どいつもこいつも言っていました。
確かに、凶悪犯罪という現象が影響を与えている感じがしますが、
いえいえ、過去には、凄惨な事例もございます。
ただ、メディアへのアピール効果を狙った、
決して「バカでは考え付かない」ような、凶悪犯罪が出現している。

そういう意味では、「特異」な犯罪が目に付く、という感じです。

  「少年犯罪の厳罰化」には「大いに賛成」(3・7%)「少し賛成」(10・
  9%)だが、「成人と同じにすべき」が31・1%あり、これは現在より厳し
  くすることを意味しており、事実上賛成が45・7%となった。「少し反対」
  「まったく反対」の計34・6%を11・1ポイント上回った。

これも、マスコミ、メディアに翻弄されている内容ではないでしょうか。

あえていいますが、最近、「自分の子」と、「他人の子」。
分けて考えるのは、当然とはいえ、随分、あっさりと「違う」という意識、
持っているような気がしてしょうがありません。
以前と比べて、一層、「核化が進行した」。
自分のファミリーが中心で、できれば、被害に遭遇したくない。
そういう「関係性」が、際立っている気がします。

  弱者である子供に対し、寛大な精神が失われつつあるからではないかと分析。
  その理由として社会が余裕をなくし、大人の生活が苦しくなっているからでは
  ないかとしている。

と分析されていますが、一応賛成ですが、もっと言えば、
ひ弱で、社会性が脆弱で、しっかりとしていない、へなちょこ「親」が、
こういうこと、言うんだよな、とも思いました。
さらに言うと、歴史的に、
子育てを終わった「世代」が、こんなにも多く、社会の中心にいらっしゃる時代も、
そうなかったんじゃないかと、
それも、ある傾向に拍車をかけているんじゃないかと、
そう感じてもしまいました。


この報道の仕方も、自分は嫌いです。

2007年09月07日 | 教育、文化、少子化
昨日、話題に取り上げた「高校生殴打事件」。
その後、高校生の母親が、事実は違うと抗議。
すでに、駅員から注意を受け、「バッグにしまっていた」、
その後、「難癖を付けられるように、引っ張られ、殴られた」と。

ええ、どうでもいいです。
こんな「バカ息子」のために、何日も紙面を割くこと事態、
おかしいです。

妊婦救急受け入れ、大阪の19病院が「満床」理由に拒否

  大阪市で昨年7月、市消防局に救急搬送を依頼した30代の妊婦が「満床」な
  どを理由に19病院で受け入れを断られ、病院が見つからないまま自宅で出産
  していたことがわかった。

  市消防局によると、昨年7月24日午後8時ごろ、臨月を迎えた大阪市内の女
  性が腹痛を訴え、自宅から119番通報。救急車は自宅近くで女性を収容した
  が、かかりつけの産科医がいなかったため、救急隊員が大阪府救急医療情報シ
  ステムのパソコン端末で病院を探すなどして、車内から電話で病院に受け入れ
  を要請した。

あっさり読んでしまわないように。

ええ、「かかりつけの産科医」がいなかった。
なんでしょう?
どういうことでしょうか?
かかりつけの産科医が、無くなってしまったのでしょうか?
まさか、一度も、通院していなかったんでしょうか?

もちろん経済的な事情も考慮しなくてはいけません。
一人で?
この辺の事情は、どうなんでしょうか?

今でも、簡単に「子を産む」という話を話題にしますが、
毎年、3000もの新生児(22週以降)が死産も含めて、亡くなっている。
この数値は、アメリカ、ドイツ、イギリスに比べると、
多分、半分の数値。
いかに、日本の医療システムが機能しているかの顕れ。

さて、その数値を支えているのは、
経産婦の方であるならご存知の通り、保健所からも医院、病院であれ、
その都度の診察を通して、経過をチェックしております。
当たり前ですが、「母体」の検診を通して、
出産に対するリスクを、それぞれにチェックする。

既往症というのもあります。
今まで、どういう病気にかかったか。
生活習慣はどうであるか。
その他、体の健康状態はどうであるか。
常備服用薬があるのかないのか。

こういうものが、前もってわかっていないと、
何かの事態が起こったとき、
最善の手を尽くすことが出来ない。

もし、最悪の事態になってしまったら、
ええ、問題になるのは、病院の対応です。
「過失」という事態になってしまうのです。
前回、取り上げたこともありますが、
奈良県では、産科の病院。全滅しました。

決して、軽く見てはいけない出産。
そして、何かが起こった時、その衝撃は、計り知れないものがあります。
機能がマヒしたまま生まれてきた子供。
自分には、想像すらできません。

あらゆる事態を考えると、
この「かかりつけの産科医がない」というご婦人。
残念ながら、今の日本では、一層、受け入れ先を見つけるのは困難でしょう。

もちろん、医療側に「改善」の努力を要求するのは当たり前ですが、
こと医療に関しては、「国の方針」が最も強い分野です。
保険制度で成り立っているからです。
そして、国民は、月々保険料を徴収されている側として、
受益者として、やっぱり、いいたいことは山ほどある。
さらに、「命」の問題として、
できれば、自分が向き合う事態は避けたい。

これほど、ギリギリの局面が、当たり前といえば当たり前なんですが、
それが医療現場。
すでにあらゆる現場で、それぞれが不幸の連鎖に見舞われています。
結果、病院は、限りなく「保身に走らざるを得ない」。
だから、これにしても、こういう
満床を理由に「拒否」という表現を使っての報道は止めていただきたかった。


いじめ報道の事後談。

2007年08月15日 | 教育、文化、少子化
反「道徳」教育論 という本を読みました。
作者である山口氏は、現場に長く、具体的な内容を取り混ぜての話しは、
論点がどうあれ、参考になる。

冒頭で取り上げられた、例の福岡の中学校での「事件」。
世間では、いじめに加担した教師と、
遺書を残して自殺した生徒。
そういう報道で、かなり、いじめという問題をクローズアップした問題として、
衆目を集めた。

その事件。
作者は、その学校に2年間、道徳研修会の講師として赴任した経験を持つ。
さらにいうと、この学校は、平成17年に福岡県から「道徳推進中学校」に
指定されていた。

その道徳に、ここでは、詳しく触れる勇気は無いが、
現場では、例の「愛国心」とか、そういうイージーな話題ではなく、
教師も、生徒も、等しく、何々をしなさい、といった
押し付けではない、自主性を持った、道徳を、
苦悩もし、熱心に取組んでいたという事実。

その最中でおきた事件であったらしい。

報道はもちろん、映像で流れる教師、校長を長時間にわたって詰問する
遺族、ご両親の映像と、
いじめに加担しましたという、その教師の肉声テープ。
校長の、教師を庇うかのような態度と、
全国より、非難の嵐を受けた事件は、まだ記憶に新しい。

ところが、その自殺した生徒。
一番、信頼し、頼っていたのが、その問題教師といわれていた教師であった。
亡くなる直前でも、会話をし、
まさか、自分が接する、その言葉、態度が、
かくもの悲劇を生んだということに、
当初は、その本人はもとより、同僚も、クラスメイトも、
信じられない事態であったという。

ネット上では、もちろん、写真から、あることないことまで、
全部が「曝され」、当たり前だが、
かみそりが入った封書から、連日連夜に渡る非難の電話。
生徒も含め、教師も、死をも考えた状況が出現する。

第三者委員会が、その事件の究明に乗り出すことになる。
結果として、その報告書には、
  男子生徒への「からかい」や「冷やかし」が長期に渡ってなされていたこと、
  男子生徒はこうした「からかい」「冷やかし」を受け流しているように見えて
  実際には相当な精神的な苦痛を受けていたこと、
  それは「いじめ」に相当するもの。

  他方で、特定の個人・特定の集団による「いじめ」が存在したという事実は
  ないこと、また旧担任が自殺した生徒を恒常的にからかいの標的として
  「いじめ」を煽ったという事実は無いこと。

  しかし、旧担任の不適切な発言が「からかい」や「冷やかし」につながる
  一要因になったことは否定できず、そうした発言に対する責任は免れないが
  そのことが直ちに自殺を惹起したものと判断することはできないこと。

その後、PTA、並びに、遺族も嘆願書を教育委員会に提出。
「厳しい処分を望まない」と訴えているという。

正直、このケーススタディーで、何が理解できるかと言うと、
確かに、問題教師は多く、校長を始めとして、特に「性犯罪」の部分で、
メディアを賑わしているが、
街頭のインタビューから含めて、
遺族の方からの話を、「仰々しく」「検証もせず」に取り上げるやり方。

政治の話しだとか、ナーバスな問題については、
できるだけ、「話を」聞く場合、偏向しないように、誘導しないようにと、
繊細なインタビューをしかけるのに、
事件では、どうなんだ、ということ。

もしかして、本当の部分を明らかにすることなく、
混乱させ、衆愚的に世間を誘導させてしまっているのは、
実は、マスコミなんではないか?

もちろん、いじめに関して、問題を惹起し、注目を集め、
それなりの貢献を否定するつもりは無いが、
あげく、大臣への手紙に始まって、ちくりの連絡、
教育委員会への駆け込み、相談など、
一斉に、そのとば口を開けてしまった責任は、もしかしてあるかもしれない。

それによって、本当に苦しんでいる子供たちが、
本当に救出できるのかというと、
この一連の報道を、がっちり受け止めてしまった教育機関。
さらに、いくつかの方法論を取得してしまった、子供たち、親達。

いじめとは、実は「暗数」なのが問題で、
決して、数字化できず、表面化しずらいのが現状なんである。
昨今、親の、家庭環境の問題がクローズアップされると、
突然、関連性も、究明もせずに、
取り上げなくなったマスコミ。
そして、問題教員をあぶりだすために考案された免許の更新。

ヒステリックで、投げっぱなしの報道が、
我々の、思考にとって、どのように影響があるのか、
必ずしも、明確な「原因」ばかりがある世の中ではない。
そのための、冷静な思考回路を、
マスコミは、多分、思いっきり、ぶち壊してくれるんだろうな、
これからも。


今、どうなってんのかしら、教員資格って。

2007年08月14日 | 教育、文化、少子化
小太郎ブログに掲載されていた、アイテム探しにはまってしまって、

画面内に隠されたアイテムの中から指定されたものを見つけ出すゲームだよ!

面白いので、ぜひ、どうぞ。

そういえば、教員資格をとるために、ボランティアが義務付けられたとか。
本当?
介護施設だとか、聞こえはいいが、ボランティアという「義務」が、
どのような現場の混乱を招く元になるのか。

このボランティアというのも、
なんだか、ボランティアをしたことを「証明」する書類というのも
あるらしく、
夏休みのラジオ体操のスタンプではないけれど、
いちいち、証明書を発行しなければならない、
そういうボランティアって、どうなのよ。

教育実習という制度も、現場の教員にとって、
指導の邪魔になるのは当たり前で、
自分のときも、「本当に迷惑だ」と面前で言われたこともあるが、
言われたものの、
一人だけ、2週間、20コマ以上を担当し、
他の実習生が、ほんの2コマとかよくて10コマの中で、
なかなか、得られない体験をさせていただいた。

そもそも、教えるというのも「スキル」であって、
実習の時、初めて、教壇なるものに立ち、大勢の前で、話すということ自体
これまた初めて、という方々、
指導教員も頭が痛くなるのは当然かもしれない。

今では、団塊の世代の大量退職を目前として、
教員の不足が問題になっているが、
本の少し前まで、えらい、採用試験は難しかった。

このまま、また、何の社会経験も無い連中が、
人前で、ろくに話しもしたこともなく、
毎日、同じ連中と、色々な問題を抱えながら、
まさに「他人事」の嵐の中で、
どのように、この世の不条理を嘆くのかと思うと、
担当させられた子供たちが、不憫で不憫で。

教員のための実習センターみたいなものが、各自治体でもたれているようだが、
そもそも、教員資格。
何度も書いてごめんなさいだが、
教育実習以外、何か、ちゃんとしたカリキュラムがあるのかどうか
疑問。

小学校とかの教員に関しては、国公立の大学で、
専門に行っているところがあるが、
中高の教員資格に関して、専用のカリキュラムを聞いたことが無い。
もう20年以上も前なんで、
今は、そうでもないのかもしれないが、
自分に関して言えば、
一般教養の延長で、気がついたら、「単位」を取得していた。

これで、採用試験なるものを頑張って合格するとすれば、
いやー、本当に、えらい、楽な資格だと、
当時は、そういう認識をしていた。
ええ、皆、そういう風に、思っていたからこそ、
「時間に余裕があれば」
とりあえず、とっておけ、という資格だったように思う。

よって、小手先の、ボランティアだとか、
悪いけど、個人的には、全然、有効なシステムだとは思わない。
受験の延長線上で、
科目の試験さえ、また、がっちり勉強すれば、
上級公務員試験よりは、易しい、という、
全く、専門性の認識も、自覚も、欠片も無い連中が、
とりあえず、就職しておけ、という感じになる。

本当に、取組むのであれば、
「更新制」とかいうのは、まあ、問題教員に、辞めて頂くシステムとして
まぁいいかだが、
根本的には、何の解決にもなっていないと考える。

ええ、さらに2年くらい、
専門課程を、がっちり組んだほうが、
さらに言うと、専門学校を作ったほうが、
今、問題にしようというテーマを解決するんだったら、
入り口をしっかりとしたほうが、いいと、思う。

昔だったら、そうは、考えなかったけどね。


そんなことでは、天下泰平が守れないよ、朝青龍

2007年08月08日 | 教育、文化、少子化
この話題に食いついては、だめだだめだだめだ、と思っていたんですが、
うっかり書いてしまいます。

朝青龍。
ああ、いいのかなぁ、専門外のことを書いてしまって。
長いこと、本当に一人横綱をはってこられて、
当たり前だが、彼がいなかったら、ひょっとすると、
1人か2人くらいは、横綱になっていた人がいたかもしれない。
それくらい、強い。

しかしながら、この「相撲」というものは、
国技というからではないのだが、単純なスポーツではない。
何しろ、本来の最高位は「大関」であり、
横綱は、ある意味、現役の「神」として、地位を承認される、
そういう過程を経るもの。

だもんで、横綱という綱をしめて、その都度、「奉納」に赴き、
天下泰平を含んだ、祈りをも体現する。
という風に理解している。

もちろん、最近は、日本人だけでなく、あらゆる国からの参加者が多く、
天下泰平といっても、日本だけでなく、
グローバルな泰平を祈願するのも理に適っているが、
本来の意味は、その強さから、
災いを「駆逐」する、そういう願いが、彼らに期待されている。

これが、文化であり、伝統なんである。

その「使者」が、巡業といえども、今となっては、
お客様へのサービスかもしれないが、
あれも、各地を「奉納」する意味もある。
それを、休んでしまうのは、はっきり言って、いただけない。

さらに、本来、怪我も病も、横綱をはる以上、許されない。
正直、負けが許されないのだ。
ということを、もっと、歴史的に知っておくことも必要だと思う。

よって、一部で、今回の処置は民族差別だとか、色々言っているが、
「強い」という、本来の使命からすれば、
ある意味、どこの国の人間が横綱をはっても、いい。
問題は、神がすっぽかす、遊んでしまっているように見える、
本来の「役目」をないがしろにしている、
ということで、
当たり前だが、他のことはどうであっても、
こういうことが「露見」してしまっては、

天下泰平に「支障」がでるのも当然。
蟄居してもらわざるを得ない。

あれだけ、儀式も由縁も仕来りも、細かくある世界。
古来より、独特の合理的な意味を持たせている。
そこには、今で言う、アスリートのぶつかりあいと言った、
スポーツのものとは異なる、次元の違う世界観があって、
それが、いわゆる「相撲」なんである。

もとより、隠れたところで、
横綱は、あらゆる「災い」を、身をもって防いでいる、
防いでくれているという、そういう、信仰にも近い、期待感が込められている。

だから、突然、病気だとしていた「神」が、
生気を養っていると思われていたときに、
ある所で、切れのある身体で、正確にゼロ度の角度からシュートを決めてしまっては
相撲協会としては、信者に対して、申し開きすらできない。

さらに言うと、土俵上で、「格下」を投げ飛ばした時に、
ガッツポーズをしてしまうのも、
本来であれば、あれは、「災い」ではないから、
意味の無いことなんである。

例えば、タイガースが「勝つ」と、
景気が、思いっきりあがる!
なんてことよりも、「経常的」に、使命をはたさなければならない、
そういう「地位」であることを、
朝青龍には、理解してもらったほうがいいと、
素人ながら、そう思ってしまうのである。


居酒屋に幼児を連れて行くことへの考え。

2007年07月17日 | 教育、文化、少子化
いつもお邪魔しているブログに掲載されていた記事。

朝日新聞記者の子育て日記:子連れの外食、どう思う?(男性編)

  今年2月、朝日新聞朝刊・声欄のある投書が印象に残りました。「居酒屋に子
  ども連れの客が見られるようになった。店側が入店を断ってはどうか」という
  趣旨でした。

  私も居酒屋に子連れで来ている人を見たことがあります。息子「みぃ」の育児
  を始める前なら、私もその投稿に賛同していたかもしれません。

  でも、今は違います。投稿の数日後、同じ声欄で子育て中の女性から反論があ
  ったように、最低限のマナーを守っている限り、優しく見守って欲しいと思い
  ます。

以前、団塊世代の高齢者(と言っても、本人的には若いらしんだが)、
近頃、電車にて、騒ぎまわる子供たちが目に付くと。
「あれは、親の躾がなってないんだな。全く今の連中ときたら」
なんてことを毎度言っておりました。

この方は、某銀行の支店長を経験され、今、いくつかの会社の顧問をされている。
履歴的に、非常に「よろしい」方なんですが、
ええ、彼が、今、どの「路線」を使って、通勤しているか存じ上げませんが、
「俺たちが子供の頃は」
なんて話を振られると、個人的には、「無視」を決め込みます。

だって、当時の子供が、電車で「出かける」ことなんて、
当然、無かったはずですから。

子供にとって、この時代は、ある意味「受難」の時代です。
生活的に、「核家族」は当たり前。
おまけに、両親共働き。
地域のコミュニティーも、3軒両隣なんて言葉も死語になっております。

交通事情が、何十年も前に比べて、格段に、都会では便利になってきました。
そういう意味で、どこまでが、「地域コミュニティー」なんだと、
昔であれば、神輿が回れるくらいの「範囲」が、
その共同体であったかと思いますが、
今では、「住と勤」が、ほぼ連続しない。

また、親が関われる集団も、経済活動がその拠り所になっておりますから、
近所さんとの付き合いが、断絶化しても、不便ではない。
メリットが無い。
歴史的、文化的な連続すらない、その住居エリア、全員が、
言ってみれば「よそ者」という事態に陥っております。

そうなってくると、自分の子育てもそうだったんですが、
子供と共に、電車に乗って、または一人で電車に乗せて、
学校だとか、お出かけのように、
昔であれば、信じられないくらい、行動範囲が広がっております。

よく大人が、「社会性を身に付けさせるために、公共施設なり、
そういう世界に連れて行くことは、必要だ」
なんてことを聞きますが、
いえいえ、子供にとって、どの年齢まで、ということもありますが、
好奇心旺盛で、少ない単語しかまだ使用できない、
落ち着ける時間が、極めて「短時間」の子供。

逆に、躾にもなんにもならないと思っております。
その時代の子供って、
大騒ぎして、さんざん暴れたあげく、がっくりと眠ってしまう。
そういう「生き物」のはずだからです。

そして、大人が生活する「場」は、
当然、子供が入ってくることを「想定」して作っておりません。
むしろ、それが普通だと思っておりました。
ある意味、そうでなくてはいけない、そうとすら思っております。

子供にとって、そういう「異空間」の存在こそ、
見せ付けてやるべきで、
ほいほい、子供も一緒に過ごせる空間が、あらゆるところに
あるべきではないと、そう今でも思っております。

ましてや、居酒屋。
地域によっては、住宅近隣に出店しているところもあろうかと思いますが、
我々の感覚からしての居酒屋。
これは、大人の「空間」です。
なんで、子供づれを気遣って、過ごせというのでしょうか?

こういう「何でもあり」の感覚が、
多分、全ての世代間、文化的、ルールを崩壊させてしまう一歩だと。
大人が見せていい「場面」と、見せてはいけない「場面」。
曖昧にする、どこもここも一緒くたにしてしまう。
これを子供が過ごせる「繁華街」も含めて、
一挙に、大人を「去勢」させてしまう根源ではないかと。

個人的には、「外食」など、
年に1回連れてってもらえば、良いほうでした。
そういう大人の「場」。
結果的に、自分は、「わきまえさせられていた」ということになり、
随分になるまで、一人で喫茶店ですら入ったことがありませんでした。

今では、こういう意見は、何の参考にもなりませんが、
そもそも、両親のどちらかが、必ず家にいる。
そういうご家庭も少なくなってきましたから、
あえて、外食を否定することは、最近ではありません。

ただ、少しでも、子供にとって長い目で考えた場合、
この記者のように、どこでも子供と一緒にというのは、
年齢によっては、よく、熟考されたほうがいいんじゃないかと、
思ってしまうのですが。


もはや再生ではなく、再構築な感じの教育問題。

2007年07月14日 | 教育、文化、少子化
高校生に到達度検定 大学入試に活用も 文科省検討

  文部科学省は、高校での学習状況を評価するため在学中に検定試験を実施する
  ことの検討に入った。大学入試の合否判定資料としても活用することで、全国
  で昨年相次いで発覚した必修科目の未履修問題のような、大学入試を過度に意
  識した一部の高校のあり方を是正することを期待する。その一方、大学側が検
  定をどう活用するのか未知数の部分もあり、同省は幅広く意見を聞いて実現の
  可能性を探る方針だ。

  文科省は、13日に開かれた中央教育審議会(文科相の諮問機関)の教育課程
  部会に提案。導入を検討すべき理由として(1)高校卒業までの到達度評価は
  結果的に、大学入試の合否で決まってしまっている(2)高校や第三者機関が
  学習成果を客観的に評価し、大学が選抜に活用する仕組みが考えられる――こ
  とを挙げた。

賛否両論となるだろうな。
学校教育というものが、どういう目的で語られるのか。
人間教育であったり、もちろん知識であったり、そもそもの能力の向上。
社会に出るための、最低限の常識を取り込むためのもの。
希望、要望なり、言ってみれば、極限まで言おうと思えば、何でも言える。

繰り返して言うようだが、
この国の教師への要望は、恐ろしいくらい「高い」。
教育再生会議といっても、
システム論として話題にするのか、現場での「あり方」を話題にするのか、
そもそも、マスメディアも混乱している。

分業分担を掛け声にしておきながら、
じゃぁ学校では、知識を習得しましょうと言えば、
知識偏重と叫ばれ、詰め込み教育と非難され、終着地点といわれる
大学入試への「暗黒の受験戦争」をイメージされる。

かといって、技能習得ということになると、
将来的に、その受け皿が少なく、親がその「特化」を望まない。
かといって、精神修養とか道徳的なことを言えば、
もう、喧々諤々、一つ一つ、その内容に我慢ならない人たちが溢れてくる。

集団生活、人間関係、個人の尊重など、
恐ろしく手間が掛かる、それでいて今の大人ができているか、
ということを棚に上げて、
そもそも、何の社会経験もない教員に、コンセサスもとれていない
高レベルな次元を望んだりもする。

昔から、通知表ぐらい、いったい何の役に立って、何を表しているのか、
皆目検討がつかないシステムがあること自体不思議に思っている自分としては、
地域的なコミュニティーとしての「核」として、
機能すらできていない学校になってしまった以上、

学校教育というものを、少し、シンプルに「定義づけ」したほうが、
良いんじゃないかと、思ってしまう。

それから溢れてしまった内容は、
社会教育システムとして、政治家が大好きな「ボランティア」など、
高齢者の方々にご参加いただいて、
地域コミュニティーの再生と、介護を含めた、
まさに「予算」がかからない、生産的なプロジェクトを
組み立てて見るのも一興ではないだろうか。

  高校までの教育で重視する思考力や表現力などを含めた「総合的な学力」と、
  大学入試で測ろうとする学力との整合性をとる必要があると提案。これについ
  ても、「2、3日のペーパーテストでは限界がある。高校での学習状況や面接
  も考えないといけない」(木村孟・大学評価・学位授与機構長)、「入試で
  は、高校での指導履歴が提示されるべきだ。今は何を学んだのかブラックボッ
  クス」(天笠茂・千葉大教授)など、前向きな意見が出された。

もう、学者さんが、あれやこれやと言い出すと、
ほらね、今の学校は、全然信用していません。
という議論に見えるでしょ?

これでまた、文科省は、新しい組織をゲットできるわけで、
どうせ、役人が続々と入り込める組織が、都道府県に出現するわけだ。
これはこれで、また、とても日本的な風景といえるのかもしれない。


イギリスとフランスの教育の現場は、凄い。

2007年05月29日 | 教育、文化、少子化
よくテレビやマスコミが好んで取り上げるやり方なんだが、
教育問題にしても、社会福祉の問題にしても、
なんだが、「都合の良い」取り上げ方をしているようだ。

先日取り上げました、薬師院さんの本に書かれていることだが、
(この本、申し訳ないですが、個人的に大好きです)
日本の公共サービス。
究極の「顧客サービス化」が顕著だと指摘します。

商業なりビジネスであれば、そうするべき必然性があって、
究極の顧客サービスがあって当然なんだが、
日本では、この顧客主義が公共サービスにおいて、
当たり前のように求められている。

学校の問題であれば、
例えば、親の生徒のニーズにどれだけ応えていくかが重要視される。
それは、快適な環境を「提供」するということにもなり、
挙句、エアコンを全クラスに設置すべきかどうか、
それによって、生徒の「募集」にどのような効果があるか、

結局、そういう「経済主義的」な観点で、「学校経営」は進めていかざるを得ない。

 「だからこそ、国立大学でさえ法人化され、各大学は自由競争で‘経済的に‘
  生き残れということになるのだ。
  大学の生き残りとは、教育や研究ではなく、商店と同様、経営なのだ。
  大学に与えられた選択肢は、研究・教育機関として絶命するか、商業施設
  として生き残るか....」

 「今日では、多くの受験生や大学生もまた、自分たちがお客様であることを
  当然だと感じているようだ。
  楽しい科目を用意しろ、立派なレクリエーション施設を作れ、就職は大学で
  世話をしろ、それならカネを払ってやるぞ、という次第である。」

面白い、本の指摘は、実はここから。

イギリスやフランスの学校は、日本とは異なって、顧客主義ではない。
というのは、仮に子供が「授業妨害」をしたり、まぁ、秩序を乱したとしよう、
なんと、「子供の非行のかどで両親が禁固1ヶ月の判決を受け、収監される」
というのである。

さらに、フランスでは、ある子供が「村の秩序」を乱したことと、
学校での行状に対して、憤った保護者たちが、学校を封鎖してしまう!
この保護者達は、学校に抗議していたのではなく、
教師に対してさえ身体的な暴力や言葉の暴力を振るうような子供を
「放置」している親に抗議していたのだ。

親権という権利を持つ者こそが、子供の教育に対して「第一義的な義務と責任
を負う」からで、フランスでは、暴力的な生徒がいた場合、
なんと、職場の安全が確保されるまで、
教師が仕事を、拒否!することさえある。

 「フランスでは、禁固刑にまでなるのは極めて珍しいらしいが、毎年100人
  ほどの親が自分の子の教育怠慢で有罪宣告を受けている。
  イギリスはさらに厳しく、有罪の件数も多く、量刑も重いらしい」

日本では、考えられません。
色々な海外の事情を取り上げて、日本に「輸入」しようとしたり、
啓蒙活動を試みようと、世話を焼く方々がいますが、
こんな話し、聞いたことがありません。

ですから、正直、薬師院さんが、「嘘」を言っているのかとすら
思ってしまうほどです。
で、日本には、日本のやり方が当然ありますし、
海外での話を、これが全てだなんて話をするつもりもないのですが、

いじめの問題で、以前にあげた「ゼロトレランス」。
これの導入で、喧々諤々いっている日本て何?というくらい、
ヨーロッパでは「過激」です。
つまり、自由と平等、この平等を推し進めていくと、
当たり前ですが、こういう社会が出現してくる、
そういうケーススタディーを、我々はどのように理解していくか、
そういうことなんだろうと思います。

どうやら日本は、全体的に「自由」を何の制約も無い、自然なものとして
理解し、主張していく方向にありますが、
そこに平等は、どうやら無い。
端的に、教育の場に、その現象が集約されて、
ただただ我々は、おろおろしているだけ、
そういうことでもなろうかと思っております。

児童相談所が崩壊しかかっている。

2007年05月07日 | 教育、文化、少子化
虐待親、福祉司にも加害 燃え尽き児相職員続出、職場の約4割で配転・休職

  全国の児童相談所の約4割で、児童虐待への対応にともなうストレスなどで職
  員が精神的不調・不安を訴えていることが、日本子ども家庭総合研究所(東京
  都港区)の調査で分かった。
  同研究所は「職員のバーンアウト(燃え尽き)防止のため、増員や心の健康へ
  の配慮が必要だ」としている。

  児童福祉司1人当たりの担当案件(未処理、在宅指導、施設入所措置・里親委
  託)数は平均107件にのぼり、欧米諸国の5倍にのぼった。

  また、虐待事案への対応にともない保護者から加害・妨害を受けたケースは、
  18年4~11月の8カ月間で140件あり、その91%は児童福祉司が対象
  になっていた。

なぜ、もっと、行政側は、踏み込まなかったんだ。
という「声」を、テレビでも、新聞メディアにおいても、
その事件のやるせなさにともなって、
どうにもしようもない「怒り」「嘆き」の矛先を向けがちであるが、
役人として、この職は、どう考えても、無理があるのではなかろうか?

素人考えなんだが、
諸外国には、宗教があって、
西原理恵子氏の本と言うかまんがでも書かれていたが、
ヒジュラという「層」が、親がいない子を育てる仕組みとして、
永らくセーフティーネットになっているようだし、

よそ様の「家」のことは、口を出してはならないような、
そういう慣習を、家長制度と関連付けたらいいのか、悪いのか、
すでに、現在では、歴史的な背景をともかく言ったところで、
どうしょうもない事態になっているのかもしれない。

  調査は昨年12月、全国の児童相談所191カ所を対象に実施し、137カ所
  から回答を得た。

全国に191ヶ所。
1人あたりの「案件数」が100を超える異常事態。
学校の先生が30人学級をと言っていることからも、
比較するだけで、空恐ろしい実態が明らかになっている。

時間やら精神的なゆとりがなくて、書きっぱなしになってしまい、
本来なら実数値を参照するんだが、
申し訳ない。

児童が何歳からで、その下の乳幼児に至っては、どうなのか。
行政を排除しようとする親に、強制執行など、
この国では、もともと、無理がある。
どんだけ、手をつけなければならない法律、もしかすると憲法もそうか?
やり過ごすには、あまりにも深い内容である。


老成化した社会が生み出した、子供達の姿。

2007年05月05日 | 教育、文化、少子化
スターウォーズⅢのDVDを見たが、
本当に、監督にはご苦労様と言ってあげたい。
すごい映画だった。
もう、どれだけの映像を撮って、編集してと、
短いカットの中でも、これでもかと、情報がリアルに盛り込まれていて、
なんだか、人間の限界を見るがごときのような、作品であった。

面白いかどうかは、別にして、これは歴史映像と言っても過言ではないでしょう。

最近は、突然眠れなくなる「病」に冒されていて、
深夜3時なんだが、眠くない。
まぁ、しょうがない状況なんで、これもまたしょうがない。

ちょっと古い内容で申し訳ないんだが、
日本の高校生、出世より安定志向 日米中韓調査

  「末は博士か大臣か」という言葉は今や死語?。「偉くなりたい」と強く思う
  高校生は8%しかおらず、米中韓の3、4分の1にとどまっていることが、財
  団法人「日本青少年研究所」がまとめた調査で分かった。同研究所では「平等
  社会のなかで現状満足志向が強い。このままでは社会全体の活力が失われる。
  将来の目標を持ってほしい」としている。

  高校生を中心に夏季合宿を毎年開いている「日本の次世代リーダー養成塾」
  (御手洗冨士夫塾長)の加藤暁子事務局長長(47)は「出る杭(くい)を打
  つ平等教育を進めてきた結果ではないか。豊かになって親が過保護になり、子
  どもの独立心が薄れた影響もある。親は子離れしたほうがよい」と話している。

高校生の意欲に関する調査

簡単に目を通しました。
色々なところで、おそらく、議論も尽くされていることだろうと思いますが、
最近、満足に、情報に目を通せないもので、
人様のご意見などを参考にできていません。
勝手な感想を書いてしまいます。

簡単に言うと、なんだか、日本て、大成功。
子供達、全然、満足しきっている。
危機感とか、これをしないと明日がないぞ、という緊迫感がまるでありません。

もう、この日本に、爛熟した、中世のような文化が育たないのが不思議なくらい。
結構、最近のマスコミなんかは、暴走気味に世情の不安定やら、
政治上の暴走を声高に叫んでいますが、
多分、子供達、まるで他人事状態。

漠然とした将来への不安はあるものの、
それは、自分が努力もせずに、なんだか、大きく寄りかかれるところが
不安定に見えるから、不安なんだよという、
誠に他人任せな精神状態に見えるのは私だけでしょうか?

社会の為に何かをしたい、なんて最低の回答をみても、
もう、社会はそこにあるものとして、普遍のものとして考えているようです。
もう、戦後の教育、グッジョブて感じです。

結果平等主義の弊害がでているという論評もありましたが、
他人との差異性なんか、この社会では、どうやら根本的に考える必然性が、
見当たらないようです。
違うからと言って、大して、特段、生きていくうえで、
なんら、効果的でない。

それは、お金を稼ぐ上で、全然、効果的でない。
というより、お金ですら、生きていくうえで、
正直、必要なものかどうかすらも、本当に理解しているとは思えない。

これは、まるで、日本の子供達が全般的に、
「ニート化」しているように思えてなりません。
回答を見ていると、得体の知れない「あせり」はあるものの、
だからと言って、見聞を広めたり、海外へ出かけ、違うシステムを学んだり、
インターネットで情報を集めたりするわけでもない。

良く、大人が夢も希望もない社会を作り出してきたからだ、
と言う意見なりを聞きますが、
いえいえ、そもそも、そういう夢も希望も目標もある社会と言うのは、
まさに「これから」という成長過程にこそ、出現するわけで、

それだけ、根本的に「困った」ことが見当たらないくらい、
老成化した社会の有り様が、この回答からも伺えます。
何とかしたい、何とか抜け出したい、何かをやらなくてはダメだ、
そういう飢餓感みたいな精神状況は、
もはやこの国には、この国の子供達には、ほとんどないと、
そう見ても、考えてもよさそうです。

こういう見立ては、僕の、勘違いなんでしょうか?