多くの方々が、この新聞の社説に喧々諤々です。
詳細はお読みください。
一部を切り取って、眺めてみたいと思います。
原爆の日―「しょうがない」の罪深さ
被爆2世である芥川賞作家の青来有一(せいらい・ゆういち)氏は、小説「爆
心」で、長崎の被爆者の心境をこうつづっている。
天災ならまだしも、心のある人間が、これほどの大量殺人を犯すわけがない。
まして、原爆が落とされたのは、長崎市でもキリスト教徒の多い浦上地区だっ
た。自分たちと同じ信仰を持つ米国人が、そんな無慈悲なことをするとは信じ
られない。
この事実は存じ上げませんでした。
色々な軍事上の理由が語られていますが、
結局、「核」が非難されているのは、
その攻撃範囲の広さと、その後の生態系までをも、何年も、
不毛にしてしまう、「無差別兵器」だからということです。
だが、果たして日本の国民は、久間氏の発言を一方的に非難ばかりできるのだ
ろうか。そんな自問もしてみたい。
日本はかつてアジアの国々を侵略し、米国に無謀な戦争を仕掛けた。しかも、
無数の人命を犠牲にして、負け戦をずるずると引き延ばした。その揚げ句に落
とされた原爆なのだ。
ここが、論争になっている箇所です。
「その揚げ句に落とされた原爆なのだ。」
久間氏の発言をもう一度、確かめておこう。
「原爆が落とされて、長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦
争が終わったんだ、という頭の整理で今、しょうがないな、というふうに思っ
ている」
ええ、朝日の社説と、久間氏の言っていること、
どのくらい違うんでしょうか、ということ。
つまり、「相当な理由があれば」原爆を落とされてもしょうがない、
そういう意識は、久間氏も朝日も、どちらからも読み取れるということなんです。
あるところでは、もちろん「火が点いたように」祭りになっています。
それだったら、相当な理由があるんだったら、
欧米列強、スペイン、ポルトガルなどは、何十発もの核を落とされても
「しょうがない」んだなと。
歴史は、大いなる「失敗の積み重ねである」。
なんてことを誰かが言っていたが、
今日の我々が、どう読み取るか、検証できるか、
そのための歴史でもある。
アジアはまさに欧米列強に占領されつくした。
今でこそアジアということで、各国が、その国家と言語と民族を纏め上げているが、
あの当時は、まさに、民衆が、「奈落の底に」落とされていた時代であった。
その民衆の上に、無差別殺人とも言っていい「超破壊兵器」が炸裂する。
これはもはや「戦争」でもなんでもない。
挙句に落とされた、とか、しょうがない、と言っていいレベルのものではない。
断じて、やってはいけないことなんである。
あれほど、国と言う「権力」を俎上に載せておきながら、
民衆の立場、人権をあれほどまでに言っておきながら、
国の指導者の責任を言っておきながら、
こちらに相当の理由があるから落とされてもしょうがないとは、
実は、この兵器に関しては、断じて言ってはならない。
こういうことを突然言い出すから、朝日新聞は、しょうがないんだ。
詳細はお読みください。
一部を切り取って、眺めてみたいと思います。
原爆の日―「しょうがない」の罪深さ
被爆2世である芥川賞作家の青来有一(せいらい・ゆういち)氏は、小説「爆
心」で、長崎の被爆者の心境をこうつづっている。
天災ならまだしも、心のある人間が、これほどの大量殺人を犯すわけがない。
まして、原爆が落とされたのは、長崎市でもキリスト教徒の多い浦上地区だっ
た。自分たちと同じ信仰を持つ米国人が、そんな無慈悲なことをするとは信じ
られない。
この事実は存じ上げませんでした。
色々な軍事上の理由が語られていますが、
結局、「核」が非難されているのは、
その攻撃範囲の広さと、その後の生態系までをも、何年も、
不毛にしてしまう、「無差別兵器」だからということです。
だが、果たして日本の国民は、久間氏の発言を一方的に非難ばかりできるのだ
ろうか。そんな自問もしてみたい。
日本はかつてアジアの国々を侵略し、米国に無謀な戦争を仕掛けた。しかも、
無数の人命を犠牲にして、負け戦をずるずると引き延ばした。その揚げ句に落
とされた原爆なのだ。
ここが、論争になっている箇所です。
「その揚げ句に落とされた原爆なのだ。」
久間氏の発言をもう一度、確かめておこう。
「原爆が落とされて、長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦
争が終わったんだ、という頭の整理で今、しょうがないな、というふうに思っ
ている」
ええ、朝日の社説と、久間氏の言っていること、
どのくらい違うんでしょうか、ということ。
つまり、「相当な理由があれば」原爆を落とされてもしょうがない、
そういう意識は、久間氏も朝日も、どちらからも読み取れるということなんです。
あるところでは、もちろん「火が点いたように」祭りになっています。
それだったら、相当な理由があるんだったら、
欧米列強、スペイン、ポルトガルなどは、何十発もの核を落とされても
「しょうがない」んだなと。
歴史は、大いなる「失敗の積み重ねである」。
なんてことを誰かが言っていたが、
今日の我々が、どう読み取るか、検証できるか、
そのための歴史でもある。
アジアはまさに欧米列強に占領されつくした。
今でこそアジアということで、各国が、その国家と言語と民族を纏め上げているが、
あの当時は、まさに、民衆が、「奈落の底に」落とされていた時代であった。
その民衆の上に、無差別殺人とも言っていい「超破壊兵器」が炸裂する。
これはもはや「戦争」でもなんでもない。
挙句に落とされた、とか、しょうがない、と言っていいレベルのものではない。
断じて、やってはいけないことなんである。
あれほど、国と言う「権力」を俎上に載せておきながら、
民衆の立場、人権をあれほどまでに言っておきながら、
国の指導者の責任を言っておきながら、
こちらに相当の理由があるから落とされてもしょうがないとは、
実は、この兵器に関しては、断じて言ってはならない。
こういうことを突然言い出すから、朝日新聞は、しょうがないんだ。