まなびの途中

色々な仕事をしてまいりました。
色々な出会いがありました。
勘違いもありますが、
学んだことを書いてまいります。

安全管理面、社会福祉の充実なんか、どうしてできるのかしら。

2012年09月18日 | 政治
簡単な話のような気がするのだが、
エネルギーをかけず、縮小する「社会」を既定路線にするのであれば、
すなわち、

今よりさらに「不便」になることを享受する。

のはずなんだが、どうやら世間では全く認識が違うらしい。

安全管理面、社会福祉、行政面
社会、ならずマスコミの論調はどなっているのだろう。

例えば先日、女子高生がホームから転落した件。
ニュースでは、救助した2名の男性に焦点をあてられ、素晴らしい話になっていたが、
コメンテーターは、ホームの安全管理面として、例のホームドア。
なぜ急がないのか。

そういう話にまとめていた。

1駅、普通に2億円弱かかる設備で、それだけでなく、管理ソフトとして運用するために
80億円かかる話だ。

実際どうなのか本当のところわからないのだが、
この国を維持するためにかかる予算。
国債が国内流通している限り、他国のようなデフォルトにはならない、というのではなくて、

すでに借金して、自転車操業してなんぼという現実。

つまり1億2千万人の人口を、上にあげた安全管理面、社会福祉面、行政面で、もちろん
もっとあるわけで、むしろどなたか、詳細を教えていただきたいくらいなんだが、
すでに、まとまりとして維持できない。
そういう現実がある中で、誰も、正面切って具体的な話をしない。

原子力発電がすでに「民意」としても、総意としても立ち行かないという流れ、
個人の家庭の問題として、取り上げるナンセンス。
「新エネルギー」のコスト。さらには、旧資源の活用によってかかるコスト、さらには環境破壊を含めて、
この電力というエネルギーは、家庭の暮らしが云々というはなしではなく、
企業が収益をあげるためのエネルギーとして、考えるべき話だと思うのだが、
どうも、家庭の話が大好きらしい。

企業が収益をあげて、上げていく中で、雇用が充実し、社会資本が充実し、
その後で、ようやく福祉が充実していく中で、
企業が衰退し、雇用が減少していく中で、福祉が、社会資本がさらに充実できるわけが無い。

どう考えても、不便になるに決まっていると思うんだが、
そうなると、ニュース番組なんか、キャスター付のニュース番組なんか、
製作できるわけないか。