まなびの途中

色々な仕事をしてまいりました。
色々な出会いがありました。
勘違いもありますが、
学んだことを書いてまいります。

明日、1日がかりで、車を取りに行ってきます。

2007年10月30日 | 雑感(日記)
車をタダで貰い受ける。
いい響きだ。
明日で車検が切れるという、まさに絶妙のタイミングで車検付きの車が、
タダで手に入るということ。
悲惨な一年の中で、唯一、明るいニュースである。

ただ、個人的に「誇って」もしょうがないが、
まず、頭に「帰巣本能」を司るという「磁石」が多分、人よりは少ない。
よって方向オンチだという事実、
の他に、
寸法どりが「アバウト」という、結果的に悲劇的な、致命的な
欠陥をもっている。

たとえば、引っ越しをした際、新しく購入する家具。
一応、寸法どりをした上で家具の購入を試みるのだが、
「当たった」試しがない。
当たったという表現が、すでに、作業として終わっているのだが、
入れてみると、大概、大きすぎて、まともなレイアウトにならない。

決まって「可笑しいな....」といった、
家族の前で、非常に情けない末路を、なんと、経験的に2度もやっている。
で、はじめにもどるが、
車をタダでもらいうける。
ええ、どんな車か、最近ようやく「集中して」考えてみた。

基本的に、懸案となっていた「エアコン」がちゃんとしていれば
なんでもいい、という絶対命題さえクリアすれば、
聞いてもよく知らない車だって、
もちろんそういう話が鉄板であれば、ありがとう、という話。
集中してみた。
大きい車だった。
ネットで検索してみた。
V6エンジン搭載の、大型車両。

まだこの辺では、本当に理解していなかった。
今乗っている車。ホンダのアスコットというものだが、
2000ccの割には、ちょっと小型。
大型への認識が甘かった。
ええ、致命的な「寸法どり」のアバウトさが、ここにきて発揮。

車庫に入らない。
あはははははは。
明日、納車だというのに、もう、遅い。
多分、大丈夫だろうという、またしてもこのアバウトな「感性」が、
ここにきて致命的な結果を招こうとしている、
が、
今もってしても、たぶん、大丈夫なんじゃないかなぁ、
と考えている自分がいるのだ。

でもね、全幅1700mmまでね、と記載されている車庫のサイズなのに、
全幅1765㎜って書いてある車なの。
昨晩、メジャーもって測ってきたんだけど、
タイヤが乗り上げる感じになるんだよね。
でもさぁ、全幅って、タイや幅じゃないって、人から聞いたもんだから、
少しぐらい大丈夫な気がするんだけど、
多分、明日、軽く祈っている自分がいそうなんですが、
ええ、新潟まで、そういう訳で、車を取りに行ってきます。
1日がかりで。


今更ながら気づかされる時代の潮流

2007年10月27日 | 社会的全般
先日取り上げた「新聞社」という本で指摘されていたが、
広告収入で成り立っているビジネスである以上、
新聞であれ、テレビであれ、その「支援」がなければ、経営は苦しい。
部外者として、「売る収益」よりも「広告収益」に立脚するというモデルは、
本当に構造改革ができるのか、しなければならないのか、
今のままでいけるのか、存じ上げないが、

最近の新聞の過半を占める「広告」の嵐に、
記事と言うよりも、カタログを見ているような錯覚に囚われているのは、
自分だけなんであろうか?

テレビでも、先日、踊る走査線の真下なんとかバージョンを見たが、
飽きれるくらいのCM。
次週に放映予定の柳葉主演の作品が繰り返し流れ、
理解は出来るが、植えつけられた「映像」に、映画の流れがぶち壊しで、
どうにもこうにも、何の作品を見ていたのかも忘れてしまうほどであった。

そういう意味で、DVDを借りてみるとか、
録画してCMをスキップして見るとかは、必然の成り行きで、
生で見るのであれば「冠スポンサー」の番組とか、
CMに配慮を感じられるものしか、興味がわかないのは事実。

現に、大手スポンサーも、対費用効果という見地から、
まぁそれを「専門」に解析するのを仕事にしている、というかそうしなければ
お金がとれないからかもしれないが、広告代理店さんも、
もはや、いつ誰がどのように、この広告を見ているか、
これほど確信をもてなくなっている時代は無いんじゃないか。

スポンサーも、テレビCMは、その何割かは録画なんぞで「飛ばされている」
という実態はご存知のようで、
テレビにしても、理解もしているからか、
「即時性」が高い、ニュースをネタにしたワイドショーとか、
もちろんスポーツ番組とか、
視聴者の「姿」をリアルタイムで見ることが出来る、そういうコンテンツに
命を削っていこうという姿勢が、最近は顕著である。

そういう意味で、TBSの亀田をあそこまで固執してしまったのは、
明らかに、安易な「コンテンツ作り」の顛末で、
確かに商売の方法論としては、実は、正しいあり方でもあった。
ただ、ああいう結末になってしまい、
他局が、ワイドショーネタとして、ああもロングに取り上げ、
視聴率を稼ぐとなると、何をやってんだか、
他人の土俵で相撲を取られる格好となっているわけで、
まさに「地団駄を踏む」とは、こういうことなんだろうなと笑ってしまった。

で、どういう風に書いていいかわからないが、
実は物作りと言う見地から、こういう流れは、それを衰退させていくわけで、
例のアニメにしても、マンガにしても、
こういうネット環境では、もう、昔で言う「回し読み」が、
破壊的なスケールアップで起きている。

驚いたのは、金曜の夕方の時点で、ハンターハンターの連載が
ネット上で見ることが出来る。
これは、いくいらなんでも、ダメだろう。
確かに、週刊誌の売り上げというよりも、「単行本」にて収益を確保する、
そういうモデルに舵取りをしているのは事情として、
それでも、版元にとっては、ただ読みがこれほどまでにイージーに
されてしまうと、こういう「文化」を維持できなくなる危険性はある。

映画もアニメも、違法コピーやら、ネット上の閲覧に関して、
声をあげ始めているが、
ユーザーの「新しいビジネスモデルを考えればいいじゃん」とか
「いい作品だったら買うし」やら「売れない作家が何文句言ってんじゃ」
には、もう太刀打ちできないだろうな。
これでは、到底、母集団を大きくすることは出来なくなるわけで、
突出した「才能者」やら「プロデュースで成功した作家」などが、
一部で儲けるという、いわゆる「格差社会」を出現させてしまう結果となり、
さんざん格差社会をどうのこうの言っている人間が、
その出現に、結果的に「関与」してしまう事実に気づくこともない。

考えてみると、知らずのうちに、我々は案外とんでもない変革の時代に、
生を受けているのかもしれない。
物も、文化も、文明も、さらに人間自身のボディーすらも、
数十年後、100年後に振り返ってみれば、
あの時期はと、語られているのかもしれない。


007の中では、一番面白かったんですが......

2007年10月25日 | 本・映画
007 カジノ・ロワイヤルをたまたまDVDで見た。
リメイクとはいえ、ボンドの1作目という話に、古い時代考証か?
と勘違いしながら、違和感を持ってみていたが、
「新ボンド1作目」という?ことらしく、
ええ、途中で理解しながら見ることができました。

はい、個人的に1番おもしろかったです。
相変わらずのテンポのよさが利いていて、はでな仕掛けとか、
最新鋭のメカとか飛び道具など、そういうのこそありません。
むしろ、綿密な駆け引きとか、絶妙な行動力とか、機転とか、
まぁ、スパイ物の「本領」といった感じで、
多分、無理な流れもあったんでしょうが、
結構な必然性を感じながら、堪能することができました。

一発でカタルシスが起きるような展開よりも、
じわじわと、その結果に至るプロセスを、むしろ無理なく魅せられる快感。
ずばっと大きな流れが展開し、
なんでなんで、という間もなく、事態はあっさりと展開。
その中にも、結構必然的なストーリーが含まれていてとか、
むしろ、みている方が、ボンドになった気がして、
客観的に鑑賞するというよりは、
同時進行できる見方ができました。

セリフも、こんなにボンドって台詞が多かったっけ?
という掛け合いのシーンでは、
インテリ的な人間観察力を見させていただきましたが、
そうだよね、でなければ、スパイなんか勤まらないよね。

すぱんと、結構重要な配役も、振り向いたら殺されてしまうし、
ああ、殺される時って、前口上なんて無いんだよね、って、
そういうもんだってよく理解できたし。

すいません、とても長々と打てる環境ではないので、
こういう内容で、今日はすいません。
でも見た方がいい映画だと思います。


新聞社は、自らの手で、崩壊していくのだろうか?

2007年10月24日 | 本・映画
河内孝氏の「新聞社」新潮新書刊を読ませていただきました。
最近は、いくつかの本を読みながらも、書評など、できる時間もなく、
1冊の本をだらだらと読んでいるような状態でした。

この本、新聞社という「ビジネス」が、とうに破綻しかかっていることを、
長く勤め上げた毎日新聞の実態を表しながら、
真剣に、生産的に書いております。

ネットに新聞は殺されるか、という話に行きがちですが、
著者は、それでも新聞社の「役割」を信じ、
その改革も含め、問題点を指摘し、
新聞社が、結果的に、その「事業の拡大」が、大手メディアの独占を生み、
結果的に「言論」の自由さえも封じ込めることになった。
そこに焦点をあてていきます。

実は日本ほど、その「ニュース」といわれるものを中心にした、
情報産業は、異常なほどの「寡占化」そして「グループ化」が激しい。
例えば、ビジネスが成り立っているのかわかりませんが、
新聞発行数第1位、中国(人の数が違いますから)でさえ、
8865万7千部の中で、発行紙数、1035紙。
日本は第2位とはいえ、7036万4千部で、発行紙数、107紙。
アメリカは、5462万6千部で、発行紙数、1,457紙。

宅配というビジネスモデルがある以上、それ以外のスタイルが、
なかなか通用しない日本では、
産経新聞が、かなり大胆な改革をしていますが、
それでも宅配業者の「壁」やら「歴史」に逆らえず、
本紙を「駅売」することは、結果的に関東、東京でしかできませんでした。

問題になっている再販制度を含め、
実は、そのまんま「構造改革」もできず、ただひたすら「利権」ともいうべき
旧来のスタイルを維持し、
「電波」を手中に収め、広告代理店と「曖昧」な関係を保持し、
実は、言いたいことも、やりたいことも、
その「多くのしがらみ」の中で、何もできずにいるのが
日本の新聞社であるという事実。

情報の「受け取り方」は、事実さえ間違えなければ、
それこそ非常に多様であるはずで、
その多様性を「皮膚感覚」であれ「実感」としてであれ、
理解し始めた人間が、特に、ネットを中心にシフトしていった事実。

「速報性」といった、その昔、新聞が得意にしていた分野も、
そんなもん「共同通信社」とか、せっかくそのタメに作った会社があるんだから
問題を深く掘り下げた、これこそジャーナリズムという紙面を
作ればいいのに、呪縛から解けずにいる。

また問題は、テレビを始めとし、あらゆるメディアの統合を、
結果的に推し進めてしまったのも、ある意味、この国にとっては、
不幸な事態だと思われます。
NHKが、政治の圧力を受けやすいという話も聞きますが、
どのテレビも、結果的に、親会社?の新聞社の「意向」と、
それに絡むスポンサーの意向から、完全にフリーになることはできません。

それは、多極化チャンネルなど、本来であるなら、
ラジオもFMも、テレビも、これだけのインフラが整備されながら、
ちっとも情報の多様化が進んでおりません。
何が、これを「阻害」しているのでしょうか?

もちろん、多様化とはいえ、「好きなもの」しか聞かない、見ない。
極端に言えば、そういう「層」が多くなってきて、
一方で、短絡的な、偏狭な意見をぶちあげる人間がいるのも事実です。
そういう意味でも、「総合紙」というのは、必要なのかもしれません。

ええ、実は、ネットが新聞を殺すかというのは、命題が誤りで、
新聞が新聞を自らの手で殺しているのか?
というのが、本当は正しそうな感じが致します。
色々な見地から、ちょっと多くの考えをいただけた本です。
実は、面白かったです。


現代日本の社会システムと保険のあり方。

2007年10月22日 | 社会的全般
JAFの会員誌。JAFメイト。JAFをジャフと記すると妙な違和感を感じるが、
たまに読んでみる。

海外交通ニュースというコラム。

「GPSを使った自動車保険」

人工衛星を使った情報通信技術が自動車保険にも現れた。
英国のノリッジ・ユニオン社が昨年10月から始めた「ペイ・アズ・ユー・ドライブ」
(走った分だけ払う)がその一つ。
同社が無料で提供するGPS内蔵の小箱をダッシュボードに取り付ける。
この装置はドライバーがいつ、どの道路を、何㎞走ったかを記録し、
データセンターに送る。
会社はこれを基準に車ごとに毎月の保険料を決める。

狙いはサンデードライバー。通勤や業務用の運転は対象とならない。
週末だけ、年に9600㎞以内の運転なら、通常より最高30%保険料が
安くなるという。

考えてみると保険というものは、こういう仕組みであった。
運転をあまりしない人と、かなり走りこむ人と、保険料が同じであっては
いいはずはない。
万が一という「話」を、通常リスクとして計算するのであれば、
車を常用していない人よりは、常用している人の方が、
リスクが高いともいえる。

逆に、サンデードライバーの不用意な運転が、案外事故の素にもなるケース。
むしろリスクは、サンデードライバーの方が高いとの声もある。
ただ、概して「若者」の運転に対して、保険料が高額になるのは一理。
また、最近よく話題にもなっているが、高齢者の保険料も高くなる傾向。

保険は、そういう「事故率」から事故の可能性を含め、算出されるが、
これが国に当てはめると、そうはいかない。
延々と払い続け、年々上昇する社会保険料。
高齢者に安く済む。乳幼児に安く済む。
というのは、本質的に、保険の考え方ではない。

よって、これは「保険」というものではなく、福利厚生料と呼んでもいいのではないか。
また、国というか自治体というか、保健所が行う定期診断。
予防と早期発見が、医療費の削減につながるということで、
むしろ熱心に取り組まれているが、
もう少し、これはちゃんとしたほうがいい。

たとえば、行われる40歳診断とか、乳がんの検診とか、
これを受ける受けないは、市民の勝手かもしれないが、
受けなければ、将来的に「リスクを管理」できない、ということも言える。
だったら、保険料が「高く」設定されてもおかしくない。

逆に、受けた分だけ、保険料が「安く」済むのであれば、
いちいち公報でアピールしなくとも、効果的な感じがするのだが。
まぁ、そんなこと、しないか、できないか。

言いたいことは、実はこんなことではなくて、
この国、規制緩和とか構造改革とか、妙に自由度が高くなったと考えている方が
多いが、実はその逆で、
全て、「公平なルールの中で」ルールに従えば、誰でも参加できる世の中に
なったということ。
というのは、えらく、関連法案なり規制が逆に強化されたということ。

箸の下げ降しからというと語弊があるが、
参加するのなら、こんなにあるルールを順守してくれ。という次第。
だから意外にも、昔よりは自由度が「減っている」。

ということで、その保険は最たるもので、
責任とその所在が、ますますもって「明確」になってしまったのが現代日本。
当然「不慮」の事故やら、過失なんてものはつきものなんだが、
世間は、それを許さなくなった。
すべてにわたって、保険が「適用」される事態となり、
特に日本の保険会社は、その事態に混乱している。

いわゆる「掛けっ放し」で、関所というか消費税みたいな売り文句で長いこと
やってきたが、それが通用しない。
それぞれの事情に、それぞれのリスクがあって、
もう、実は、ハンドメイドにならざるを得ない。
そのくせ、「競争社会」でもあり、収益を確保しなければならない。
商品構成を再構築してみたり、構造改革をやっているのは、
むしろ保険会社だ。

病気も、難病とか指定された解明されてもいない病があるが、
それ以外、10年、一度も保険を使用しない人間と、
よく行く人間とで、同じ保険料だということに、納得がいかない連中が、
そろそろ声を上げ始めるのではないか。
もちろん、簡単にそうモデル化はできないかもしれないが。


バブルは、起きないと思うんだけど。

2007年10月20日 | 社会的全般
実際、バブルがおきてもいいくらい、社会的にお金が余っている。
全然、実感も、予感もないぐらい、あっちの世界の出来事。
確かに、大きな不況が現実あって、
国自体が、まだまだ、不況の真っ只中にあって、
民間では、ようやく不良債権の処理、目処が立った言われているのに、
「国の不良債権」処理が、実は、全く終わっていない。

市場への介入。
政府がどれだけできるのか?
そういう議論は、昔から、そして現在に至るまで、様々に尽くされてきた。
どこかの国で、「今日から値段を半額にしろ、しないと処罰するぞ」
という、笑い話のような「命令」を出した国家元首がいたが、
ご存知の通り、1国で経済は完結していない。
バカな元首のお陰で、その国の経済は崩壊しかかっている。

例の90年代。バブルがあわ立ち、消えていったあの時代。
そのすぐ手前、85年は、結構な不況であった。
フリーターも中途採用も、転職もほとんどありえなかった時代。
ようやく、コンビニだファミレスだ、
そういう「労働者」を吸収できる事業体が出現した時代。
女性の社会進出を、法的に解釈しようとしていた時代。

いきなり経済が活性化してきた。
証券も活性化してきた。
今で言う、ITバブルだとか、商業地バブルだとか、
もうそんな「狭い」感じではない。
全国的に、あわ立つような感じだった。

それこそ、連日、マスコミもテレビも、今思えば、
何の反省もなく、ひたすら全面的に「煽り」をいれていた。
考えてみると、そういう方々なんだよなぁ、マスコミは。

でね、色々な議論があると思うんだが、
なんで、あんなふうに燃え上がってしまったか、そうなってしまったか、
今と比較して考えてみると、
結果的に、すごい「自由度」が高かった。
なんにしても。

規制緩和とか、昔はえらいがんじがらめの風に語られていますが、
今のほうが、かなり、規制が「高度化」している。
責任の所在であったり、そのルールが、
自己責任といわれている今日よりも、変な意味で「自己責任」が、
自由にそこかしこにあったような、そんな時代だった気がする。

つまり「私」が、変にいい加減とも言うが通用した時代で、
その方のルールが、なんでか、面白いように通用した時代。
今ではそんなことはない、何らかの規制に照らし合わせての自己責任であって、
結構、いい加減が通用しない。

よって、格差だとかとかく言われている昨今、
厳格にルールを遵守すれば、結局はもてるものが、そのまま強くなり、
持たざるものは、そのまま、その手段を持たざる、そういうルールが
現在の「再生日本」の姿なんではなかろうか?

というのは、景気の上昇を、一生懸命歌い上げる政府にしても、
そしてマスコミにしても、
今のルールだと、従業員に還元するだとか、
めちゃくちゃな「オレの感だ」みたいな投資だとか、
そういうことがてんで出来ない。

もちろん、ITによる情報の取得のしやすさとか、税の負担率の問題だとか、
社会保障のあり方だとか、細かく言うとキリが無いが、
まず、銀行が、融資できない。
あの誰でも彼でもジャブジャブいただけた資金。
これが、本当に出ない。
もう、地銀クラスで、1000万円程度のお金ですら、
支店長「面談」が実施される始末。
都銀は出さないからね。

おまけに「政治と金」の問題以降、国系のお金が、本当に言うことを聞かない。
例の「ざる」みたいな信用保証協会やら国民金融公庫なんか、
責任の所在を明確にするために、センターの一元管理を始めるは、
銀行にも責任負担率を求めるはで、大変な事になっている。
ええ、昔よく言われた、OO先生の力なんて、
もう全く効かない。

効いたとしても、その事業の「事業計画」やら、収支予定やら、
おまけに使用用途など、その後の領収書など、
いやいや、お前ら、本当に「金融屋さんじゃないか」というくらい、
金融屋さんなんだけど、それくらい、マジが入っている。

マスコミなどが、企業が儲けて、従業員にその金が還流されないなんて、
そうい報道なり、特集を組んでいるが、
そういう「株主」をメインに、ステークホルダーを考慮しない煽りを入れたのも
マスコミさんだし。
結果、今一番深いところで「反省中」なのは、
小泉路線に乗り、その構造改革に乗せられ、あげく、企業会計なり、
資本の論理を得意げに、グローバルスタンダードを連呼し、
給与が下がってしまった、マスコミの方々だったりして。

そういう社会構造の劇的な変化を問わずして、政府の各論の問題点を
槍玉に挙げている方々もいるが、
もう、思い切ったことが、手も打ちようが無いくらい、
「自由度」も「オレの責任」も通用しがたいシステムに「変貌」している。

結果的にバブルは、相当の必然が無い限り、もう、2度と起きない気がするし、
土地バブルも、いけいけなのは、持っているものだけで、
買い手側も仲介者も、ほとんど動きが取れない。

昔は、インフレなど、「素材」「原価」の上昇が引き金になったが、
それでも、経済は離陸ができない。
だって、その値上がりのコストは、人件費で吸収しなければ、
コンプラ問題に抵触するからね。
首都高が、値上がりするみたいだけど、
ああいうことが、まだまだ出来るのは、国系の企業だけかもしんないね。


つい偉そうに言ってみました。CSについて。

2007年10月18日 | スポーツ
2日がかりでPCのリストアが終了いたしました。
メールもお気に入りも、すべて従前通に。
驚いたのは、エクセルもワードもまるで「知らない」ソフトに変貌していたこと。
こんなに変えていいものなのだろうか?
それくらい、ツールバーの仕様の変更に戸惑っております。

昨日、だったかな、長嶋一茂氏がスポーツコーナで、
注目の一戦。巨人対中日。
この書き方からしても、もう、どちらのファンかわかってしまいますが、
解説をいたしております。

もう、短期決戦は、投手力。これにかかってくるのは当然で、
どちらかというと、中日がやや有利なのかな、と思いますが、
一茂氏考えたんでしょうか、それでは面白くないと思ったんでしょうか?
とんでもない「切り口」で解説しておりました。

ホームランとファーボールの数。
これに焦点をあてていた。
もちろん、総ホームラン数は頭抜けて巨人が多い。
引き換え中日は、全球団、下から数えて何番目。
もちろん球場の「違い」もありますが、
そのまま「得点」にもかかるわけで、一発で戦況を変えるという意味では、
恐ろしいチームであることは間違いないです。

で、ファーボールの数。
中日が巨人を100も上回っている。
巨人が意外にも、ファーボールの数が少ない。
ええ、一茂氏は、そこに「中日の強さ」を見出そうとしていました。

が、ちょっと待て。
いくらなんでもファーボールが多いからと言って、
ちゃんと考えないとダメでしょう。
だって、あの時期、直接対決を含んで、ウッズがどれくらい敬遠されたか。
おかげで、「唯一」といってもいい「得点源」が封じ込められると、
あの中日が、どうなってしまうか。

もちろん森野ですとか、あれやこれや、怖いバッターはおります。
が、結局、ここさえ押さえておけば、なんとかなるかもしれない、
そういう戦略を「取ることができる」。
そういう意味で、あの巨人は、逆に、全員勝負にいかないと、
下手に出塁させると、とんでもないことになってしまう。

勝手に、そういうことなんだと思うんですが。

たとえば、あのヤンキースのAロッド。
後ろに、パックマンの異名をとる松井の存在があげられていました。
あんなに恐ろしい4番打者。
ええ、敬遠できない。
勝負にいくしかない。
オーダーによっては、打率4位に位置するポサダ選手がいる。
ええ、ファーボールの数は、
火に油を注いでしまうのか、鎮火させる可能性があるのか、
それこそ、各球団、非常に大変な思考・戦略をとらざるを得ない。

そういうことを踏まえると、逆に、巨人の「凄さ」や破壊力が際立ちます。

今、確認してきました。
よくわからないんですが、ウッズに2ランを打たれています。
巨人、負けています。
あはははは。

ええ、投手力です。
????、ヒットの数は、巨人多いですね......。

ええ、時の運です。
それでは。


再生しました、いやいやPCが壊れたんです。

2007年10月17日 | 雑感(日記)
笑った。
パソコンが壊れたので、悄然とした日を送っていたが、
止む無いことなので、ついにパソコンを購入することにして、買った。
展示品なので、破格に安い。
ああ、ビスタだ。
デュアルコアじゃなくても、別に動画を処理したり、加工したりする訳では
ないんで、メモリーが1Gついて、オフィスパーソナルがあって、
10万円切れば、夏モデル。
安いんじゃないの?

ただ、訳がわかんないのは、いきなり、アップデートが行われたこと。
すげえぞビスタ。
購入したてなんで、なにかが、更新されたみたいだが、
いきなり入った電話に対応していたら、
書きかけの記事が、飛びました。
泣いたよ。ビスタ。
わかんないよ、ストップの仕方。

もう、ビスタに関しての第1印象は最悪。
まぁ、これ以上悪くなることがないと思うんで、
仲良くやっていかないと。

本当はデルで考えていたんだけど、
案外、オフィスが高いんで、市販のプリインストールの方が安い。
ただ、単品のパワーポイント。
高いんだよねぇ。
1万円の攻防している身にしては、
プラマイゼロといったところか。
XPが懐かしい。

これで、ようやく、また書くことができます。
これからもよろしくお願いいたします。




政教の分離とは、政治と神道だけの分離なんですか?

2007年10月13日 | 政治
週刊新潮を読みました。
なんて書き方自体、もう、どうなってるんだか信じられないが、
頭が、マルチタスクしてくれないんで、
もう、500Mのメモリーで、ビスタ動かしている感じ。
ああ、もう嫌な感じ。

「変見自在」というコラムがある。
高山正之氏が執筆。
本当に、切り口と言うか、見方を変えるだけで、
こうも「そうなんだ」という話が出来るのは、刺激になります。
それも、知識を複合的に関連させながら、
問題意識を常にもたなければ、こういう内容は書けないんでしょうね。

もちろん鵜呑みにはできない話はどこにでも転がっているんですが、
この内容に関しては、そうだよねぇ、と自分の問題意識に合点がいきました。

「箕面忠魂碑裁判」というものが2年ほど前にあった。
  「市が忠魂碑の慰霊祭を行ったのは憲法の禁ずる宗教活動になる」と「その筋
  の市民」が訴え出て、大阪地裁の古崎判事がそうだ忠魂碑は神社と同じだ、
  だから違憲だと判決した。

  噴飯ものの判決なのだが、その頃から日本嫌いの朝日新聞は「名判決」と
  大喜びした。敬虔なクリスチャンという古崎判事を持ち上げて神道を目一杯
  腐したうえに「日本人は宗教にだらしない」と批判させた。
  キリスト教はいいが、神道はそれだけでダメみたいな言い方だった。

筆者は、「神道はオウム並の邪教扱い」だが、という観点で書き始め、
そもそも、長崎などで切支丹の「26聖人」が市と耶蘇教の団体で管理されている
ことを取り上げ、まさに「偏狭」なのはどっちだったかを、
歴史事実を取り上げながら推考している。

勝手に合点がいったのは、そうそう、神社にみられる神道。
これ、邪教扱いで報道する、考えようとしている集団がいる。
そういう事実に対して。
確かに、あの時代、その精神的な拠り所として、神道があれに結びついて、
国家が総動員されたという、誠に歯止めもへったくれも無い「時」があった。

ただ、それが、なぜ、そうなってしまったか、という問題よりも、
最近はえらい短絡的に、「これがあったからダメだったんだ」という話に、
持っていかれる場面が多く、
最たるものが、日の丸があるからダメなんだ。
靖国がそれを「増長」させる。
君が代はもってのほかだ、といった具合に、
簡単に思考を停止した、人間の成長も乗り越えさえも期待しない、
単なるレッテル貼りに終始しているように思われる。

筆者は、過去の歴史の中で、例のキリスト教の日本での活動を挙げ、
あの時代、特に秀吉がなぜ、キリスト教を弾圧していったかを書いているが、
  「秀吉がキリスト教をそこまで嫌ったのは、彼らの狭量さの延長にある
  非人道性だった。同じ神を信じていない者は「人に非ず」で、だから奴隷に
  しても構わない」

  追放令の発端は有馬晴信などキリシタン大名が火薬の素の硝石を得るために
  捕らえた敵軍の将兵や領地の女を海外に売っていた。一説には女50人で
  硝石1樽だったというが、それを秀吉が知ったことからだった」

へー、全然知りませんでした。むしろ、教科書的には、キリスト教が「善」で、
それを禁じた国側が、「弾圧」という言葉にも有るように、
むしろ因習めいた古い支配者といった感じを覚えているが、
考えてみたら、あの宗教、イスラムもそうなんだけど、
絶対的なんだよね。

アメリカなんぞで格差社会が、あれほどまでに容認されているのは、
なんかで読みましたが、信仰心が足りなければ、それは本人のせい。
それは神から見放されるということを含めて、その境遇は、準じていく。
という考え方。

さらに拙い頭でめぐらせば、ひょっとすると近代の戦いって、
色々理由はあろうとも、その己の正義を「担保」しているのは神様でした。
ええ、宗教戦争という話。
そう考えれば、植民地であれ、領土拡大であれ、
あれほど「原住民」を、物として扱う彼らの思考回路が理解できません。

だからこそ、なんで憲法に宗教の自由とか、政教の分離とか、
おおよそ日本人には馴染みの無い文言が踊っているのか、
その「恐怖」の歴史を辿ってきたアメリカが解るような気が致します。
日本人なら書けないよね。
わかんないもの。

そういう意味で、神道はだめだけど、キリスト教は歴史的な「遺産」を含め、
問題視しません、といった例のマスコミさんこそ、
過去の事象やら思想を含めた考察を一切行わない、
「宗教にだらしがない」のは、あんたの方だろうといったことが言えます。

だから、筆者が例のマスコミを、「日本嫌い」とレッテル貼りしたのも、
この流れでいえば、わかるような気が致します。


労働者は、守られます

2007年10月11日 | 自分の仕事に絡めて
ちゃんと書けるか不安なんですが、
そもそも、平日のこの時間になって初めてパソコンに向かえた。
ああ、亀田選手が負けました。
びっくり、報道ステーションで、やったの?これニュースになったの?
スポーツコーナーで、やらなかったんだけど。
TBSが独占だから、あえてやらなかったの?
別にいいんだけど。
でも、世界マッチなのに.....。

またどうでもいい話なんだけど、
労務関係で相談を受けました。

そういう相談って、パチンコ店が多いんだけど、
それだけ、アルバイトを含めて社員の数が多いのにも関わらず、
ほとんど「消耗品」扱いで、
まともな「意識」をもって、労務関係をされているところが少ない。

もちろん、監督官庁が「あれ」なんで、
他の、例えば、厚労省とか、言いたいことが一杯あるにもかかわらず、
今、徹底してしまうと、
この業界自体が、大変なことになるんで、
手をつけないだけ。
縄張り意識もある。

例の労働基準局の調査官は、随分前に書いた事もあるんだが、
結構な「執行権力」を持っている。
指導に従わない店舗を、閉めてしまう事だって可能。
でも、基本的には、パチンコ店にはやらない。
だから、この業界の連中は、意外にも、世間がどんなことになっているのかすら、
無頓着なことが多い。

例えば、採用して3ヶ月のアルバイトを「解雇」した。
理由は、お客様の「出玉」を交換する際、
出玉を「勘定」する機械から排出されたレシートを、
他の客に渡してしまう、
2人の客の出玉を、混ぜてしまう、とか、
もう、10回もやってしまうと、不注意を通り越して、向いてないんじゃない?
と誰でも思ってしまう、内容。

当然、明日から出なくていいよ、と、管理者なら思わず言ってしまいたくなる内容。
でも、言うよね。
損失総額が、10万円を越えてしまったら。

ええ、そのアルバイトは、翌日、さっさと労働基準局に行くわけだ。
不当解雇だとして。
しかも、解雇予告通知も受けてないと。

労働者の権利として、解雇前、1ヶ月予告なり、1ヶ月分の給与を支給する。
これで解雇できるんだけど、
もちろん感情的な問題やら、他の従業員の手前、
こんなの支給したくない。
というか、解雇して当然!とすら思っている。

でも、だめでーす。
例えば、従業員が上司を殴りました。
殴られた上司は、入院です。
当然会社側は、その殴った従業員を解雇、します。
もちろん、事前通告無しです。

えーっと、これ、傷害を起こした従業員を解雇できる、という
就業規定がなければ、
加害者、焼け太りできます。
もちろん、被害者に対して、賠償義務が残りますが、
給与は、別物なんです。

ええ、どんな迷惑やら、会社に損害を与えようとも、
解雇は、相当な理由が無いと本人が思えば、
労働基準局が「労働者側に立って」親身に、アドバイスをしてくれます。
まかり間違っても、会社の側には立ちません。

先のパチンコ屋さん。
もし仮に労働基準局と戦う姿勢を見せた時点で、
「労災、雇用保険、入ってますか?」攻撃に転じます。
今ある問題なんて、そっちのけに、見せしめ攻撃、いやいや、
行法の指導ですってば、いやだなぁ、そんな、他意はないですよぉ。

まず、こういうの、入ってませんから。
ここでギブアッ.....。
いやいや、もう、仰せの通り、改善していくことになります。
それでも頑張れば、2年前にさかのぼって、今度は社会保険を巻き込んで...
いや語弊です、正規の指導を行っていきます。
さらに、風営法管轄の場合、採用通知書を提出していなければ、
50万円の罰金がもれなくついてきます。

罰金刑の場合、その場で、パチンコ店は、御取りつぶしです。

これくらい、パチンコ店の多くは、知りません。
労務関係を。
今、雨後の筍のように人材派遣会社が出来ています。
特定免許と言う、すっげー簡単な免許があるせいなんですが、
一応、1000万円の純益、これを保有していないと駄目なんですが、
今、全く、不問に付されております。

一応、不況と言う時代が数年前、今でもそうか、あるんでこういった感じですが、
そろそろ、「行政指導」が入ります。
おそらく、今の数の半分は壊滅してしまいます。
ええ、使い捨てになるんです。
考えて、派遣会社を利用しましょうね。

さらに、民主党が仮にも政権をとった場合、
支持母体が労働組合なんで、さらに、手厚い労働者保護を目的とした
関連法案が目白押しになります。
ええ、どんな問題があろうとも、「公平」に「平等」に、
労働者であれば、だれでも保護してくれる、ありがたい法案です。

とりとめもなく書いてしまいましたが、
成熟した社会、国では、どういうあり方がもっとも生産的で健康的か。
弱肉強食を一方で進め、産業構造を根底から改変させてしまったこの国で、
労働者の「権利」が、これに相対する「権利者」として、
力を持ちすぎるという、それだけの結果につながってしまったら、
例の、社会保険庁の「優雅な」人生を見るまでも無く、
何かがおかしくなってしまわないことを、祈るばかりです。


どんな親なのか、顔が見たい。

2007年10月10日 | 教育、文化、少子化
最近、普通のサラリーマンと同じような1日を過ごしている。
ええ、朝、9時に出勤して、
社内にて複数回の会議、打ち合わせがあって、
皆で昼食に行って、
行ってきます、お帰りなさいがあって、
もうどうにも、自分のスタイルに合いません。

責任の所在を「担保」するために、いくつもの稟議というのがあって、
その際の、プロセスが重視されるのは、
誰もが責任を負いたくないという表れなんであろうが、
その逆で、
成果をあげれば、あげたで、
責任の所在も、逆数として、成果も「関与」させるわけだ。

でないと、バランスがとれないわなぁ。

もちろん、一人で何でもやってしまうというのは、
自分が倒れたら、同時に、そのシステムは破産するわけで、
組織が必要なことは、言うまでも無い事実。

ただ、事情も、理論もわかっているけど、
久しぶりに組織に身を置いてみると、かったるさだけが襲ってくる。
まぁ、3ヶ月の辛抱なんで、
決めたことなんだから、頑張ります。

「たばこダッシュ」、中学生3人逮捕=コンビニから万引き-警視庁

  コンビニエンスストアでたばこ7カートン(販売価格約2万1000円)を万
  引きしたとして、警視庁少年事件課と竹の塚署は9日までに、窃盗容疑で、東
  京都足立区に住む14歳の中学2~3年の男子生徒3人を逮捕した。13歳だ
  った中学2年の男子生徒2人も児童相談所に通告する。

  生徒らは「たばこダッシュ」と称して万引きをしており、容疑を認めているという。

  調べによると、5人は6月24日午前6時40分ごろ、足立区伊興のコンビニ
  「セブン-イレブン足立伊興小西店」で、たばこ7カートンを万引きした疑い。

ごめんなさい、これを取り上げて。
読売新聞では、
  同課は3人が通う中学校から「授業妨害など学校の指導力では手に負えない」
  との上申書の提出を受けたことなどから、逮捕に踏み切った。
という内容も書いている。

ただ、「少年らは「小学生のころからたばこを吸っている。1日1箱くらい吸うの
で金がかかり、万引しようと思った」と供述している。」
というところが、もう、どうでもいいよねって感じ。

いわば、本来であるならば、この年齢。補導が関の山。
が、逮捕という結果において、学校側の「責任問題」にも、昨今つながるので
対応が慎重にもなるんだが、
もういいよね、こういうの。
小学校から喫煙習慣があるって、どんな家庭環境なんだか、
これを学校で教育しようという論議すら、
無効にしてしまうがごときの話題でした。

しかも仲間で分け合った。
いるんかい、同じ学校で、しかも、どういう「勧誘」があったかわからんが
5人も。
家庭が、それに気づかない、止めることが出来ない、
学校側も、何の努力をしたかわからんが、
これを見ても、地域と、または家庭との連携が、
学校側と、出来得ないという「実態」が、
こういう事例からも、伺える。

もちろん、いじめから、自殺にいたる不幸な事例を持ち出すわけではないが、
もちろん、親にいえない、言うことが出来ない、
そして教師も、そのシグナルを察知できない、さらに、
そのままあと1年、いや2年「事態が悪化しなければ」なんてことを
思って過ごしてしまう傾向があるのも事実。

子を「守る」という範疇に、
子を正しい社会ルールに適応させるという、当然の内容も含まれる、
絶対条件のはずなのに、
親の、家庭の協力を得られないという事実の中で、
いや、親連中が、いわば「敵に」回ってしまうという可能性がある中で、
実際、若い教師は、誰に助けを、
そして、誰に教えを、協力を求めることができるのであろうか?

新会社でも、どう考えても、やりにくいシステムを、
むしろこうしたらいいじゃん、って話し合いをしようとしても、
ただ一人、声のでかい奴が、「あなたの考えが間違っているんですよ」
「あなたが、それについて、責任をとるべきですよ」
という一言で、
すげぇ、無力感に陥ることがあって、

今の若い連中は、いきなり、こういう究極のフレーズを、
臆面もなく、言うことができるんだって、これは微妙に感動した。
多分、意識しているのかしないのかは別にして、
こういう究極のフレーズを言い切られたら、
結構な経験を積んでいないと、議論ができない。

起こった犯罪について、やった当事者に「立証責任」があるんでなくて、
やられたほうに、立証責任があるなんて世界、
それと、ほぼ、同じような感覚に襲われます。

ああ、横道にそれましたが、
多分、5人もの、こういうジャンルの親。
いっぱしの「言い訳」と、何かに対しての「文句」だけは、
案外、ご立派だったりするもんで、
ただただ、すげぇなぁ、と、考えてしまいました。


知っていたくせに、今更ながら総括するマスコミ。

2007年10月08日 | ニュースに絡んで
いや、使い慣れていないPCで書いていると、
毎度ながら、本当に、辛い。
書いていた記事を、消去してしまいました。
がっくり。
同じ、テンションで書けないんですが、同じ事をもう一度。
ええ、B5サイズのマイPCと、A4サイズのこのPC。
ピッチが違うのと、変にセンシティブなところがあって、
これで、「操作ミス」、何度目かなぁ.....。

さてさて、買ってはいませんが、アエラ、電車の中吊り広告。
「2007年10月15日号 大相撲は死んだ 崩壊する武士道」
ですって。
もう、本当に、いつもながら、こういう記事。
がっかりします。

もう毎度のことなんで、あえて言いたくないんですが、
最近のマスコミさんの仕事、こういうの、多いです。
だって、先の、高校野球の特待生の問題だとか、裏金の問題だとか、
もっといえば、社会保険庁の問題だとか、年金の問題だとか、
政治家の領収書の問題だとか、

全部、とうの昔から、知っていた問題だったはず。

これだけ、毎日毎日、取材だ、特集だ、なんてそれを仕事にしているはずなのに、
何か、決定的な「事実」が、明るみに出るまで、
まるで、黙っておきましょう、がごときの感じ。
そう、受け取られてもしょうがない、
そんなマスコミの「プロフェッショナル」な「心意気」に、
感動さえ、覚えてしまう、今日この頃です。

散々、社会の公共のご意見番だとか、権力者の監視機構だとか、
知る権利を、言葉の力を、なんていっている割には、
単なる、「事件屋」の集合体です。

年金の問題だって、別に今に端を発した問題では無かろうに、
安倍のリーダシップの無さが、この問題の混乱に拍車をかけ、
自民党の無能力かに拍車をかけたとか、
笑わせないで欲しい。
各地方自治体の年金着服問題を、大事として取り上げなかった、
マスコミの不作為のほうが、よっぽど、問題だ。

政治と金の問題にしたって、特に領収書。
どこかの新聞が報道していたが、
赤字の法人から、資金の提供を2年にわたって受けていたって、
問題の「大事」の種類さえ、理解していないようだ。

赤字の法人なんて、上場してたの?その会社。
毎度毎度、決算書を、資金の提供ごとに、提出させるの?
おいおい、いい加減にやっつけ仕事していないか?
確かに、赤字の企業にとって、献金をすることが、
ひょっとしてメリットになる、そういうケースもあるだろうが、
それを検証して初めて世に出す記事なんじゃないか?

そして大相撲。
こういう特殊な世界において、何をタブーとするのか、
何を特殊とするのか、
まるで政治の世界においても、なんら変わりの無いスタンス。
世間が騒ぎ立てて、まるで、マスコミのほうこそ、
これは「無視できない事態なんだ」と、
我に返る感じ。

ひょっとすると、マスコミ自体が、大相撲化しているんじゃないでしょうね?


日本の携帯電話は、本当に特殊なんでしょうね。

2007年10月05日 | 社会的全般
昨日、報道ステーションにて「携帯電話」の販売価格についてのレポ。
まぁ、この番組だけでなく、どこもここも、話題が皆さんに直結しているんで
取り上げるほうも、それぞれ熱が入ってます。

報道の仕方も、色々な切り口があって、
今回の報道ステーションでは、海外の「シンプル機能」の携帯を取り上げ、
日本の、毎年のようにバージョンアップしては、
購買意欲を煽る?スタイルと対比させています。

もう常識かもしれませんが、
海外では、日本の携帯シェアは、とんでもなく低く。
同じように、日本では、海外製のシェアは、無いに等しい。

街頭インタビューで、簡易機能に焦点を当てた話を「まとめ」ていたが、
日本の高機能型が、どのように簡易型に取って代われるか、
もちろん、価格にも反映されるであろうし、
当然、海外のノキアもそうだし、機器の販売価格で勝負できるので、
2極化は避けられないであろうが、
個人的には、この問題を、こういう切り口で紹介するのは、
いかがなものであろうか?

というのは、世界で標準なスタイル。
電話は電話。そしてスケジュール管理は、パームコンピュータ。
なんてね、日本で、この携帯型小型コンピュータ。
ええパームコンピュータが全く、ブレイクしなかったのは、
実は、この日本の携帯電話のせいだ。

そもそもiモード。
リクルートご出身の方が、開発したというの?、モデル化したもんだと
聞いていますが、
携帯で、インターネットに接続できる、
なんて発想は、当時の世界にはなかった。

最近では、おまけにワンセグとかいって、
なんで、携帯でテレビが「きれい」に見ることが出来るのか、
ちょっと昔の世界では、まさに、007にでも出てくるような、
諜報員の「特殊アイテム」に近い製品だ。

なんだかカメラとしての画素数も、
デジカメなんか買わなくて全然平気、という、
これを「高機能」と呼ぶのか、
それとも、「統合型」と呼んでいいのか、
これはもう、意見が分かれるところだろう。

こういう独特の製品に「慣れている」日本では、当たり前のように
受け取っているが、世界では、まったくそんなことは無い。

最近では、子供のパソコン利用率が、著しく低下している。
パソコンが、売れなくなっているのだ。
なんで?
だって、携帯電話で、ネットもメールも音楽も、検索もできる。
らしい。(自分は、全くそうは思えないので......。)
さらに写真の編集やら、動画の保存、ゲーム。

さらに凄いのは、電話も、これでかけられるっていうから、
もう、奥さん、とんでもなくお買い物ですよ。だ。

ということから、一概に簡易機能型が、日本の「高機能型」に取って代われるか
は、こういう理由で、ちょっと疑問なんだが、
もちろん、自分は、2年で1回程度しか「機種変」しません。
おまけに、12年近くも、ドコモユーザーで、番号を変えたことがありません。

よって、販売奨励金となるもので、
1台あたり、4万円近くも、例の「1円携帯」という販売価格に充てられていて、
通話料に「転嫁」されているのなら、
通話料金が下がるのであれば、今回のauの英断に賛成です。

結局、メーカーが、「儲かっている」なんてことは言いません。
そのおかげで、研究開発費が捻出でき、
こういう、スパイ大作戦か!という携帯電話が出現したわけですから。
これはこれで、よかったんではないでしょうか。


いつも役人は、結果的に少子化に加担してしまう。

2007年10月04日 | 教育、文化、少子化
「夫は外、妻は家庭」に反対、半数超える・内閣府世論調査

  内閣府が29日発表した男女共同参画社会に関する世論調査によると、「夫は外
  で働き、妻は家庭を守るべきだ」との考えに反対する人の割合が52.1%と1992
  年の調査開始以来、初めて半数を超えた。賛成は44.8%。内閣府では「男女の
  役割分担を固定的に考える傾向に変化がみられる」(男女共同参画局)と分析
  している。

  ただ現実の家事分担では、妻の仕事として「食事の支度」を挙げたのが
  85.6%、「掃除」も75.6%と高い。仕事と家庭のどちらを優先するかでも「仕
  事を優先する」は女性の17.3%に対し、男性は40.2%。男女の仕事と家庭に対
  する考え方には依然開きがある。

  一方、結婚観や家庭観では「結婚しても必ずしも子どもを持つ必要はない」と
  の考えに反対の人が59.4%と2004年の前回調査に比べ8.1ポイント上昇。「結
  婚しても相手に満足できないときは離婚すればよい」との考えに反対の人も
  47.5%と同7.4ポイント上昇し、賛成の46.5%(同4.6ポイント低下)を逆転し
  た。

えー、個人的に偏った考え方を持っているようなので、参考にならないと思いますが。
この「家庭を守る」ってなんでしょう。
こういった調査で、必ず項目に入ってくる「家庭を守る」という文言。
この仕事だ、家庭だという「くくり」に、
夫婦間の、人間としての関係が、よく見えてきません。

もう極端なことを言えば、人間観関係は、ある意味大なり小なりの
利害関係で成立していると考えております。
もちろん、純粋な気持ち、例えば好き、愛しているなど、
こういう普遍的な心を否定するつもりはさらさらありません。

ただ、生きていく中で、それぞれのタイミングで、
どうあがいても、大なり小なりの「ミッション」をこなしていくのが人生です。
自分で見つける方もいますし、そして、結果を出せなくて、魂消るような一瞬を
迎える、とほほな私みたいな人間もおりますし、
もちろん、やむなく、降りかかってくる案件を処理しなければならない事も
当然ありますし。

こういうの、一言で言うならば、たった一人では「成立」しない。
全てが、あらゆる人間関係性の中で、起こりうるものだ。
因果関係を含めて。
そういうものだと、理解しております。

で、そういう中で、人それぞれでしょうが、自分は、
人生と言うミッションをこなす上で、パートナーが必要だし、
後出しかもしれないが、
パートナーの存在を、日々、この上なくありがたいものだと、痛感しているわけです。

手近な話で申し訳ないですが、
子を育てるということも、生き物が抱えるミッションですし、
望む、望まないは別に、そういう価値観をここで問わなければ、
夫婦として普通迎える、最初の共同作業であることは間違いないです。

当たり前ですが、その共同作業の中で、
この地域コミュニティーが、ほぼ全壊してしまっている都会エリアでは、
当然、昔よりは、過酷な作業になっているのは自明です。
さらに、様々に紹介されている情報は、
どう考えても、企業マーケティングの一環として、提供される情報が過半で、
経済的な格差を、もろに受けてしまう種類のもが多いことも事実で、
それを「緩衝」してくれる、両隣の「知恵袋」は、
昨今の環境では、死滅している状態です。

なもので、家庭という単語よりは、個人的には、
子育てをする、「共同作業体の場」として考えており、
具体的で、リアリティーのない、イメージできないものを
あえて「家庭」とくくる考え方には、
昨今、どうも「負」のイメージが強くなってきております。

本来であれば、そういうんでなくて、
生産的で、ポジティブなイメージを、せっかくやるんだったら考えるべきで、
家庭というよりは、別の考え方があってしかるべきなんじゃないかなぁ、
と思うようになりました。

当然ですが、男女の役割分担は、時代時代の「要請」にしたがって、
むしろ流動的であるのは、大きな歴史の流れの中で、実証済みで、
何が効率がよいのか、それぞれの事情で、これが効率的なのかが問題であって、
これだけ、「餌場」も「餌」も、複雑で、あらゆる手段が講じれる現在、
むしろ、それぞれが、まさに、計画的に、得意な分野でやればいい話で、
今更、家庭に縛り付けるという考え方が、
何を、どう、縛り付けているのかすら、自分は理解しかねます。

好きだから、愛しているからという、いずれは、多分、一方的な思いに
なってしまいがちな、この感情によって、
それが、パートナーの生産性に「効果的」であるならば、
むしろ、家庭に「いる」ことの重要度が高いという判断でしょうし、

まるで逆に、「私が食べさせてあげる」という世界も、
承認しがたいですが、もちろん、それでその関係性が、
生産的で、効率的であるならば、もちろん可でしょう。

そういうことをとっぱずして、家庭に対する考え方。
こういう発想。
前にも言いましたが、共同作業の場ですから、
これを一般論として、男女の役割分担として、
どうしても、考えたくなる気持ちもわかりますが、
もう、さすがに、古い、マッチィングしていない。

ええ、こういう調査事態が、むしろ、マイナスです。
だって、家庭というより、最近は、ファミリーって言うほうが、
何だか、ぱっと、明るい感じがするでしょ?
こういうところから、システムを支えていかなければ、
少子化を考えすぎて、むしろ、少子化に拍車をかける、
いつもの悪い「役人」のあり方が、露になると思いますが。


おめでとうございます。巨人軍。

2007年10月03日 | スポーツ
巨人軍、久しぶりの優勝です。
恒例のビールかけ。
ただ、高橋ひさのり選手。ビール瓶を両手に持って、テレビカメラの前で
「いえーぃ」を2度ほど。
あの乗りが、今の巨人軍で「浮かない」というのが、
いや、許されるというのが、
いや、受け入れているというのが、
どうだか、知らないが、ビバ巨人軍なんだが、
おめでとうございます。

今回のクライマックスシリーズは、「なべつね」が何を言おうとも、
巨人が優勝すんだったら、やらなきゃよかった、とか言おうとも、
もっと、2位3位と1位に対してハンデつけとけばよかった、
だって優勝すると思わなかったんだもん、て言うおうが、
コンテツとしてみれば、
大成功だと思った。

というのは、おかげさまで、「間延び」した消化試合に付き合わされることが
ないということ。
必ず、どこかで、何かをかけた勝負が、詰め詰めの日程の中で
行われているという事実。
これは、どうあれ、「野球フアン」のモチベーション向上に、
著しく役立ったという感じ。

大リーグのように、あの過密日程。
深夜番組の、おいおい何分コマーシャルやってんだよ、という感覚。
あのストレスが、無い分、昨年とは、大きく異なる感じ。
個人的には、どうあれ、好きです。

さて、原監督のインタビュー。
もう涙をこらえる姿。いつもながら、案外、こういう姿が似合ってます。
どこぞの名誉監督が、「なんで泣くのかなぁ?」と、昔、
言ったことがありましたが、
もういいです、この人には、こらえる涙が似合っています。

小笠原も、あいにく、日ハムが「連覇」してしまい、
こういうのって、すごく辛い心境にもなるんじゃないでしょうか?
人知れないプレッシャーと、プライドと責任感、
計り知れないものがあったんじゃないでしょうか。
いつもいつも、4番打者を採り続け、
取られた方が、なんだか、かえっていい成績をあげてしまう、
昨今の巨人軍の「あり方」だったんですが、
原監督が、その「呪い」を取り払ってくれたようです。

今回は、案外、全員野球のような様相とか、
生え抜きが目立った感じですが、
変わらず、各球団の4番打者を「揃えた」事実は変わりません。
それでも、チームとして「浮いた」選手が見られなかったのは、
素直に、原監督の手腕とみてもいいかもしれません。

えーーーっと、この記事を書き終えるのに、
なんで、この程度のもので、2時間もかかるのか、
信じられないくらい、席にいられませんが、
もう、前半に何を書いたのか、そういうレベルでやっています。
もう、ごめんなさい。