まなびの途中

色々な仕事をしてまいりました。
色々な出会いがありました。
勘違いもありますが、
学んだことを書いてまいります。

2006年 ディズニーハローウインパーティー。

2006年10月31日 | 雑感(日記)
昨年に引き続いて、この時期にディズニーランドに行くと、
ハローウインにちなんで、目にする人間、
コスプレの嵐だ。

家族全員で、「何かの」集合だったり、
着ぐるみをかぶった、「完全体」だったり、
そもそも、その生き物の名前が出てこないんだが、だったり、
年を追うごとに、「華やか」 いや、「ヒートアップ」 いや、
そろそろ、規制が入る日も近いんではないんじゃないかな。 くすっ。

昨年、これは完璧!と思えた
アースラとジャファーのコンビ。
多分、いた。
昨年は、あまりの存在感に、記念写真をお願いしたくらいだ。

しかし、今年のアースラ。
しおれている。やつれている。もう、すっごく楽しみにしていたのに......。

それにしても、「素材」がアースラは、たくさん歩いていたのに。
ああ、デリカシーのないことを。
とはいっても、いました、喫煙所に、タバコをくゆらす、
完全体のアースラが。
完璧だぁ!

ほとんど全員、足を止めてみていました。
いやー、紫系の8本の足が、ちょどいい感じの座布団に見えてしまうのは、
その存在感もさることながら、
つくづく、日本の「和風」おばちゃんにやらせたら、
案外、最強かも!という偏見があるからかもしれない。

でも、時折かける携帯電話。
せめて、今日一日は、明るく笑いながら話さないでほしかった。
底冷えのする「笑い」を通していただきたかった、です。

で、横に座ったり、たったりしていた、いよっ!トリトン。
金色の「武器」もしっかり作っていて、
上半身が「裸」という厳しい条件を、ものの見事に「実現」いや「表現」!
着ている?着ていない?もう、その根性に、似ているかどうか、
見るのを忘れてしまいました。

最近は、ちょっと穴場の「コーナー」で、撮影会をやっている集団もいて、
アイスクリームを家族で食べている、その横で、
設定はなんだ、今のはどういうアクションなんだ、
と、陰ツッコミをいれられるほど、家族の会話が弾んだ一日でした。

さて11月からは、また恒例のクリスマスイベント。
イクスピアリでも、ミラコスタでも、食い物屋は、こぞって、イベントだ。
ランチにディナーに、ピンバッチを「餌」に、6個集めると、
素敵な「額」をプレゼント!
行くのか?行かなくては、ならないのか?他にカードはないのか?

というくらい、「底冷え」のするシーズン、突入です。

増税は、無能な証拠?危機を煽りすぎる政府。

2006年10月31日 | 本・映画
この日本は、本当に「増税」しか、手をうつことができないのだろうか?
実感としては、バブルが弾けて以降、長い不況が続いた。
物の値段も下がり、リストラを打ち出す、大手企業の報道、社会保障の破綻など、
国の「経済」状態の悪化が、これでもか、というくらい、
連日報道された。

国の「債務」が、ほとんど壊滅的で、何世代にも渡って、苦しめることになる、
そういうマスコミやテレビの報道に、
明るくなれって言っても、そりゃ、無理。
将来に希望を、と言っても、そりゃ、無理。
そういう閉塞感。

そういうときに、なんだかこういう本を読みたくなるんです。
「増税が日本を破壊する」 菊池英博著 ダイヤモンド社

サブタイトルが、本当は「財政危機ではない」これだけの理由。
いま日本経済に必要なのは、積極的な投資減税と公共投資。
借金795兆円にはカラクリがある。

この本を読んでいて、参考になったのは、
あの15年間で、効果が見られないとされていた「公共事業」。
金だけ突っ込んで、日本の経済に何の効果もなかった、物笑いだよ、
とされていたやつ。

過去のデータをみていると、案外、そうでもなかった。
以前読んだウエクサレポートでもそうなんだが、
この財政危機は、どうやら、橋本、小泉氏によって引き起こされた
「政策危機」と呼んでも差支えがないらしく、
結果、今、論議されている「増税」は、

「もう、ぼくには財政的な政策を考える自信がないので、安易に増税させて
 いただきます」に等しい、ということらしい。

まず、企業会計として取り入れた、時価会計(減損会計含む)。
僕は、あれほどグローバルスタンダードだって、聞いていたんですが、
あのアメリカですらも、
景気がよくなったんで、「つい最近から始めました」。
という代物だったなんて、聞いたことがありませんでした。

おまけに、「時価会計ってさぁ、景気が悪いときにやって、得すること一つも無いよ
 このアメリカだって、あの1933年の大恐慌以来、60年間、時価会計を
 停止!していたんだよ。」
ということだ。

さらにペイオフ制度。
銀行に預けている「預金」1000万円までは、保護され、あとは、自己責任だよ。
という制度。
これは、もともと、欧米の中小の銀行の「貸し出し」を円滑に行うように、
支援を目的とした、プログラムらしく、
安心して、お金を預けなさい。
そのお金を「原資」として、銀行は「投資」「貸し出し」をするからね、
ということだったらしい。

聞いてないよ。そんなこと。

簡単に言うと、時価会計によって、所有する土地・株が下がった場合、
その都度、決算にて、「損金」を確定しなければならない。
特に銀行は、その影響が「大きい」。
なにしろ、自己資本率というのがあって、毎年、どれもこれも下がったら、
損金の関係で、自己資本率が「危険」なことになってしまう。

結果、どうなるかというと、「貸し出し」ができなくなる。

またペイオフが散々言われまくってしまい、銀行に「安定」して預金されていた
お金が、「流動」することになる。
もともと、それを原資として、お金を貸し出すという機能の銀行は、
方向転換を余儀なくされる。
そうです、貸し出しよりも、「手数料収入」に活路を求め始めたんです。

さらにさらに、金融庁は、時価会計とディスカウントキャッシュフローをもって、
銀行に「乗り込みます」。
ディスカウントなんたらは、来年、1億で売れていた商品は、多分、8000万円
になるよね。
予想としては、今のまんまだと、損がでるよね、損金処理を「今からしといて」、
という作業です。

これをやられてふっとんだのは、ちゃんと納税していた中小企業レベルです。
銀行が、そういう「査定」で望みますから、
貸し出し枠が、ふっとぶ!
さらに地価、株価がさがると、所有していた企業から、金を「はがし」に
行かざるをえない。
これでふっとんだのは、UFJだったらしい。

さらに、銀行が多いとする考え。オーバーバンキング。
やってみたら、「銀行の寡占化」が進み、地方に銀行がない。
地方の銀行には、金融庁から、1件あたりの上限融資額が、きっちり通達。

貸し渋りといわれている環境を作ったのは、実は、「政府」でした。

案外、そういう流れから、中小企業の社長の自殺、リストラなどで
「痛み」を分かち合った方々の自殺は、
後世の歴史家から、暗黒の平成と、名指しして、ご指名を受ける人がでるかもしれない。

今回の
松下電器9月中間決算、大幅な増益 新社長、順調な船出
記事だけ貼りましたが、この2年で、連結諸表で明らかですが、
本体は変わっていませんが、連結ベースで3000人、人が減っています。
株価を中心に企業をやっていくと、こういう世界が繰り広げられます。
あの松下でもです。

日本のサラリーマンの、実に80%は、課税所得300万円未満に入っております。
これは衝撃的な数字です。
この先、増税は、明らかに、このグループを狙い撃ちにしてくるものと思われます。
なんたって、20兆円、税収をあげるのが「目標」らしい。

公共事業が役に立たないっていう論理も、
どこかが、中間にいて、紛れも無い「搾取」をしている構造が見て取れるから、
破綻をきたしているんであって、
減税と、公共投資をを増やした時期は、確かにGDPも税収も上がっていました。

これも一つの見解なんであろうが、
デフレの「余地」が残っている時期に、増税をする国は、
必ず、無能呼ばわりされることを、政治家の肝に銘じていただきたい。
ゲームでも、増税のメニューは、あらゆることをして、最後にやる。
関心を持てる、本でございました。


学校が淘汰される論議がある中で、建前を通せるか?

2006年10月30日 | 教育、文化、少子化
世界史の履修問題が、全国的な規模で連日報道されている。
あるテレビでは、高校に何を望むか、という調査結果を発表していたが、
いくつかの結果は、
「人間関係」「人間の成長」という回答が、全体の半分を超えていた。

進学という回答が、案外思ったよりも少ない。
また社会に出るための技能の習得、というのも皆無であった。
コメンテーターも、「調査」には本音がでにくい、みたいな話をしていたが、
そういう統計で、何かを今まで語ってきたわけで、
この「事件」にだけ、本音が見えませんねぇ、というのは、何事なんでしょうか。

さてさて、高校は、義務教育ではない。
のはず。というくらい、ほぼ全員が進学する昨今のこと、しかも公立学校が
非常に多く、近い将来、あの大学ですらも、
えっつ?義務教育ではなかったの?
と、言われる時代がくるのかもしれない。

そもそも、高校に入ってからのこと、
「普通科」という名称に直面する。
考えてみたら、なんなんでしょうか?

商業科、工業科など専門科というのが、どうやら対のシステム。
自分の認識としては、職業教育というイメージがある。
ところが、このシステム、ぶっちゃけ言うと、ちゃんと語られたためしが無い。

マンガでも、小説でも、あるいは当事者が「自嘲気味」に言うことも含めて、
生産的に語られた場面に出会うことは「稀」だ。

学校教育法には、
「社会において果さなければならない使命の自覚に基き、個性に応じて将来の進路
 を決定させ、一般的な教養を高め、専門的な技能に習熟させること。」
とうのが、高校での目標が掲げられているが、
簡単に言うと、「進路」を決定させるというのが、
一般的に、いい大学に入学し、いい会社に入社する、
オーソドックスな理解ができているはずだ。

本来であるならば、専門科という「枠組み」で可能な内容というのは、
弁護士、医者、また学者、研究者もこれに該当する。
だが一般的に考えられているのは、「職業教育」として、工業や農業、商業といった
イメージが強い。

要するに、高校は、己の「進路」を決めるために「利用」する機関であると言っていい。

ただ、専門教育に比べ、一般教育というのが、一段低く見られる「風土上」の問題
もあって、旧文部省は、一般教養をきっちりと入れてきたという経緯がある。

その中で、「学年制」「単位制」ということが学校によって設定可能となり、
次第に「単位制」を取り入れる学校が増えてきた。
もちろん、後押ししたのは「飛び級」と言われる、才能がある生徒の処遇。
単位制を導入することで、これが可能になった。

これは、最近の「中高一貫」と呼ばれる学校に「最大の恩恵」を与える。
要するに、単位を取得すれば、高校2年生までに、高校で指定された3年分の
教科を履修することが、可能だからだ。
もちろん、後は、受験へまっしぐらである。

当然ながら、今、論議されている「バウチャー制」。
これまた、「いい学校」というのが、非常に曖昧に論議されている。
学校側には「結果」を出せ。
評価は「親」に出させる。そういうことが、マスコミも含めて、
結構、正当的に言われ始めているが、
これでは、学校側を、無理やり、目に見える「結果」に走らせる可能性を
誰も指摘しない。

多分、こういった、様々な歴史的、そして「識者」「マスコミ」「専門家」「親」
が、その時々において、ぶちあげた「問題点」が、
現在の「病巣」「病理」というんであれば、そういうもんだろうが、
学校を作り上げてきたわけで、
本音がどこにあるのか分からないが、

今の時代の雰囲気は、「人間を成長」させるための教育を、
どうやら全国規模で望んでいるらしい。

さあ、どうでる、学校関係者。
結果を出すことと、理念理想とルールをどう割って、回答をだせるのか。
本音を通して、親の期待に応えないと、潰される学校がでてくることを踏まえて。


うちのバイオ君とカウントダウンが当たったこと。

2006年10月29日 | 雑感(日記)
私事ですいません。
ついに、ソニーのバイオ君が「壊れました」。
デスクトップ1号についで、ノートパソコン1号と、
どちらにしても、1号なんですが、立て続けに「引退」となりました。

デスクトップは、CD DVDのコンボドライブが、認識されなくなるという
症状の上で、2年ほどで引退をいたしました。
ノートは、キーボードの不具合をきっかけに、修理に出したところ、
ハードディスクに傷がついているとのこと、交換修理の費用を考えると、
これも引退させることになりそうです。
まだ、1年半の出来事です。

個人的には、ソニーは大好きなブランドなんですが、
業績不振だった、数年前の「大リストラ」の影響で、
生産ラインの、熟練労働者、しかも組み合わされる、部品の「相性」などを
チェックできる方々の退職が、ここにきて、大きく影響を及ぼしていると
聞いています。

リチオムイオンバッテリーの不具合も、急速充電しなければ「大丈夫」と、
高をくくっていたようですが、これも、ブランドを揺るがしかねない問題でした。

多分、しばらくは手を出さないメーカーになってしまいそうです。
そういえば、私のような素人には、どうしても「理解に苦しむ」ハードディズクの
「パーテーション」。
どうして、一つのハードディスクを、AとBにわけるんでしょうか。

引退を勧告したノート君ですが、プログラム用としてなんでしょうか、
Aの方は、10Gしかございませんでした。
デフォルトで、マイドキュメントも全部、Aに行ってしまうので、
あっという間に、Aが90%を超えてしまって、慌てたことを思い出しました。

そういえば、デジタルビデオカメラもソニー製でしたが、
残念なことに、2年で、「壊しました」。
これは、壊しました。
テープを取り出そうとしたところ、もともと、安定が悪い、「底だし」カートリッジ。
でんぐり返して取り出そうとしたところ、しっかり手で固定しなかったことも
あるんですが、当然のように、転がってしまって、

だって、上の部分は、装置がたくさんついていて、でこぼこしているから、
「立つ」わけないんだよね。
ええ、自分が悪いんですぅ。
もう、ぐしゃっ、でした。

電化製品で残っているのは、プレステ2だけになってしまいました。

そういえば、なんと、個人的には「超嬉しい」ことがございました。
年末のディズニーリゾート。
年越しの「カウントダウンパーティー」に当選いたしました。
行けるのは、ディズニーシー。

お土産がもらえる。
いやー、毎年、応募していたんだが、ついに、念願かなって、当たりました。
これで、年末年始のスケジュールが「確定」。
もう、悩むことがなくなりました。

すいませんでした、こんなことを書いて.......。

パリーグの4年連続日本一に思う。

2006年10月28日 | スポーツ
不思議なくらい「盛り上がりを見せた」今年の日本シリーズ。
日本ハムが、日本一となった。
新庄選手が、一番最初に胴上げされたようで、
また、日本一はパリーグの制覇となった。

監督のヒルマン監督は、選手としては、マイナーで3年間プレーしただけ。
その後、スカウト、翌年にはヤンキースのマイナーコーチ。
そして翌年には3年間、1Aから3Aの球団監督を務めた。
02年にレンジャーズの選手育成部長。
03年に日本ハムの監督となった。

日本ハムという球団も、現場と親会社の制服組が、明確な責任分担を通して、
地道な営業やら宣伝、サービスを行い、
千葉のロッテ、北海道の日本ハム、そしてどうだかわからないが、仙台の楽天、
と、地方をフランチャイズ作戦は、今のところ、「成果」をあげている。

「外国人」の監督。そして、しがらみのない地域。
余計な「玄人」の後援会やOBに、あれやこれやと気を使うことがない、
ということも指摘されている。

それにしても、オリックスも来年より、「外国人」の監督を招聘。
サッカーもオシムだしって、違うな、
流行というか、監督の「力量」は、何かについて、見方が出来つつありそうだ。

どう考えても、監督は「専門職」だし、選手として一流であっても
監督としては疑問符、ていうことは、もう本当によく言われていることで、
野村監督にしても、幾多の球団を渡り歩いたりの現役が長く、
選手をしながらの監督もやったりと、
マネージメントの勉強の期間が、あった、といわれれば、確かにあった。

長らく、日本のプロ野球は、あの巨人の「監督哲学」の影響もあって、
「客を呼べる監督」ということが、案外真面目に論議されていた。
今でも、スポーツ新聞やら、夕刊紙には、
「落合では客を呼べない」なんてことが、堂々と書かれている。

客を呼ぶのは、フロントの仕事だろうが、と、日本ハムやら千葉を見て、
そう思うんだが、日によって、書く事が違っているんで、
スポーツ新聞は、いつまでたっても、いわゆる「大衆紙」なんで、
節分の日には「鬼の面」。バレンタインデーには「チョコの数」とか、
プロ野球が「地盤沈下」していく下地に「参加」している。

さてさて、あの新庄選手も言っていたが、大リーグでの経験は大きかったらしい。
試合前、午前中にはどこどこへ「慰問」。
昼には、どこどこの学校を訪問。
ボランティアを含め、地域社会に貢献するということが、どういうことか、
ファンを大事にするということが、そのまま、自分たちの「プライド」を
つくることにもなり、意識が高まった、
ということらしい。

当たり前だが、こういう作業も、現在、大リーグで活躍中の「監督」は、
経験しているのであって、
球団特別広報とやらで、いきなり引っ張られた、「長島一茂」とは、
雲泥の差があるんである。
もう、巨人たら、こういうのを見るにつけても、安易なんだよなぁ、
中身がないんだよなぁ、と、いつも、嘆いてしまう。

そういえば、野球を見に、東京ドームに行ったことがあるんだが、
なにやらグッズをプレゼントという。
でも、スポンサーとのタイアップで、「タダ」と言う訳じゃないんだよね。
せこいんだ。

そういう訳で、プロ野球が、それぞれの「企業」のメセナとか広報活動で
よかった時代は、そろそろ完全終了しそうだ。
巨人のホームページみたいな、どこぞの芸能プロダクションみたいなものも、
多分、今後は淘汰されていくだろう。

監督も、現場から「育てていく」という長期戦略にのっとった、考え方が
そろそろ出てもおかしくない。
そして選手も、フロントが戦略をもって、球団ごと育てていくということ。
それが、今、現実的に成果となって表れているのが、
どうやら、パリーグということなのかもしれない。



行政の自浄システムは、無いと思う。

2006年10月27日 | ニュースに絡んで
最長年87日も療養休暇宝塚市職員、長時間休憩

勤務時間中に長時間の休憩を繰り返していたとして、全職員のほぼ半数に当たる
三十六人が、減給六カ月(六十分の一)の懲戒処分を受けた宝塚市のごみ処理施
設「宝塚市クリーンセンター」で、職員三十七人が、医者の診断書が必要な「療
養休暇」を取得、最長で年間八十七日も休んでいたことが二十六日、新たに分か
った。

これに対し、同市の谷本政博総務部長は「産業医の診断書を取っており、適正だ
と考える」としている。

開業医「言いなりに診断書」 奈良市の長期病欠職員

奈良市内の開業医が27日、「言いなりに診断書を書かざるをえなかった。利用
された」と朝日新聞記者に証言した。この職員は記録の残る00年12月から現
在まで、過敏性大腸炎や大脳酸素欠乏症など14の病名で計34回、休暇・休職
を取得した。そのたびに診断書を市に提出し、多くを開業医が作成していた。

まったく別の「事件」の記事を意図的につないで見ました。
公務員は、ご存知のことですが、「雇用保険」つまり、失業手当がでる、
あの保険に加入義務がございません。

要するに、「身分が保障」されているわけです。
もちろん、今では本当に「死語」になりつつあるんですが、ストもできません。
ストは、唯一の、「資本家」「権力者」に対して、「搾取される側」の
抵抗手段。そういうことが、本気(まじ)で、論議もされ、通用していた時期が
ありました。

いや、今も、正当な けんり だよ。
そういうことを踏まえ、あらゆる現場では、懲戒・解雇が、非常にしにくい。
さらに言うと、こういった、不埒な職員が「いる」というだけで、
その上司の「管理・監督責任」が、発生し、しかも、案外、「重い」。
昇進に「響く」。

地方公務員の「処分量定一覧」みたいなものが、出回っておりますが、
個人の量定は、細かく規定されている、が、
監督責任関係は、たった一つ。
戒告・減給・停職・免職とございますが、監督責任は、停職まであります。

そういうことで、宝塚市の総務部長の発言につながってきます。
自分に非は無い、というのは、読み替えると、
「監督者として、非は無かった」としなければなりません。

さらにいうと、人事委員とか公平委員とかが、各都道府県におかれていますが、
条文には「試験」による採用とか、書かれております。
(奈良市の例のある団体への採用枠は、特例だね)
採用した「職員」の、任命権どころか、戒告、懲戒処分も、扱っているようです。
何が言いたいかといいますと、
人を採用したら最後、何かあったら、すんごく複雑で、面倒くさい。

で、教員もそうです。
最近は、「体罰」。これ、意外に一発「解雇」に近いです。
知りませんでした。
そして、任命権者は、「教育委員会」です。
読み間違いかもしれませんが、校長にはありません。

監督責任者が校長です。
で、あの盛岡一高の単位偽装事件
岩手県教育委員会の熊谷英範教育担当課長。
「驚いている。卒業を控えた生徒などへの影響は大きい。各高校の実態を速やかに
 把握、対応を指導したい」。と言っていますが、
この方は、今年の春まで、盛岡一高の「教頭」そのものでした。

ということで、一連の「行政」の自浄化は、かなり難しいそうだ、
ということが理解できます。
じゃぁ、誰がちゃんとやらせるか、させるかというと、
「議員の立法」にかけるしか、ございません。
政治家の登場になるわけですが。

一方、奈良県で、利権者集団として「脚光」を浴びてしまった、組織。
採用から始まって、運転免許書の支給など、これも、政治家の立法です。
こういう特別な「規定」を、全廃したのが、今は一応一般人の、
元長野知事、田中康夫氏でした。

そういうことで、大阪市とか宝塚市とか盛岡市とか、確かに、マスコミは
大攻撃をかけておりますが、
行政レベルでは、動きようがございません。
ただ、盛岡市というか、単位偽装は、教育委員会に頑張ってもらいましょう。
ああ、これも案外、政治家がらみか。

高校1年生を持つ親の相談にからんで。

2006年10月26日 | 教育、文化、少子化
読売新聞のオンライン。
そのなかのコーナーにおいて、「教育」という項目の中。
最近のメディアでは、案外、こういうところ、充実し始めている。

その中の「教育相談」にて。
外国を侮辱する暴言を吐く息子

  高校1年生の息子のことでご相談します。テレビで北朝鮮や中国などの外国の
  報道をみては、両国をはじめ外国を酷評し、最後には「あんな国なんか無くな
  っちまえ」などと暴言を吐き、聞くに耐えません。「他人を悪く言うのはよく
  ないよ」と親の気持ちは伝えてきましたが、これに関しては反抗的態度を取る
  ばかりです。先日父親が厳しく指摘したら、激しく反抗し取っ組み合いになり
  そうでした。外でおおっぴらにこのような発言はしていないと思いますが、こ
  のような狭い了見では、とても人様とは上手くやっていけないだろうと心配で
  す。息子の言動をどのように考え、どのように接して行けばよいでしょうか。

大阪学院大学助教授 加茂 英司 さんが回答をいたします。

  ひとつ息子さんに確認していただきたいのですが、息子さん自身、もしくは親
  しい友人などが直接に北朝鮮や中国の方と、これまでに何らかのトラブルがあ
  ったのでしょうか。そうであれば話はわかりやすいのですが、息子さんが北朝
  鮮や中国のことを悪く言っているのは単にそれらを批判しやすいからに過ぎな
  いのであって、とりたてて北朝鮮や中国とはなんら関係がないでしょう。

トピックス的に、朝日新聞ではないので、そこまで「こじつけた」内容には
しないだろうと、読んでおりました。

  むしろ息子さんが荒れている原因は何か別のことでストレスを感じているから
  だと思われます。学校の勉強についていけないという問題も考えられますが、
  最も一般的なケースは、新しく進学した高校で友達が出来にくいという人間関
  係のつまづきです。おっしゃっているような「このような狭い了見では、とて
  も人様とは上手くやっていけないだろう」ではなく、「人様と上手くやってい
  けないから、このような狭い了見になる」のです。順序が逆です。

この表現は、気がつきませんでした。もう、「座布団1枚」。
このフレーズは、「真理」です。いただきます。

  ただ学校内での人間関係といっても複雑です。単純に友達がいないのか、それ
  とも親しい友達がいたけれども何かの際にうまくいかなくなったのか、あるい
  は異性問題なのか。そのあたりはきわめてプライベートな問題で、聞いても正
  直に答えてくれないのが普通です。学校の先生に聞いてもわからないと言われ
  ます。多くの場合、息子さんが一人で悩んで一人で解決していくのを、周りの
  大人達はただ遠巻きに見守るしかありません。

自宅では、ええ、簡単に聞いてしまいます。
「仲間はずれになってんの?」とか、「いじめられてんの?」など。
平気です。
「浮いちゃったの?」など、ずかずか聞きます。
一瞬、小学校のとき、親を頼りにせず、心を閉ざしかけたり、もろ、反抗的に
なったりしたことがありましたが、

相手は子供なんで、話題をあっちこっちに振ると、簡単に、話し始めます。
これも、日ごろから、あらゆることを、本当に、幼い頃から、解ろうが解るまいが
話しかけていた「成果」なんだろうと、思っていますが。
ええ、自分は参加しているだけで、もっぱら、奥さんの力ですが。

  これでは相談の回答にならないので私なりに提言できることを申し上げますと、
  「お母さんはそのことを心配しているのよ」というシグナルを送ってあげるこ
  とで息子さんの気持ちはずいぶんと楽になると思います。答えてくれなくて
  も、友達のことを聞いてあげてください。息子さんがお母さんのシグナルを受
  け止めた時、北朝鮮や中国など外国のことはどうでもよくなると思います。

今でも、当然ながら、家族で遊びに出かけます。
泊まりはいたしませんが。
こなしていくうちに、家族の中でも役割分担が結構できることがあって、
それぞれが、失敗もありますが、「役に立つ」ということと、
「必要とされている」という実体験は、つくようですね。

ええ、子供にとって、学校は確かに中心でしょうが、家族もあるんで、
家族も、色々、日常、抜き差しならぬスケジュールがあって、
子供といえども、参加を強いられ、必要とされているわけで、
いじけたり、すねている暇なんて、無いわけなんですよ。

さらに言うと、地域で参加型のプロジェクトがあれば、
勝手に「突っ込んで」おくわけで、もちろん、安い、3日間預けられる、
という親にとっても「特典」があったりするんですが。

そうやって、異なる集団で、異なる「目的」をもった、「構成員」と、
数多く過ごしていくと、
本人、結構、「わきまえた」フィーリングをもてるようで、
たくさん、人間観察、大人観察もしてくるようで、

「あの子は、こういうんだけど、その前に、こういうことがあって、
 いつも、こういう風にしているから、こうとられちゃってさぁ、
 なんだか、みんな引いちゃってるだけなんだよね」
って、見事な解説ができるようになってきました。

自分にも、この解説を「適用」できているようで。
ここまできたら、少しは、大丈夫なのかなぁ、と、考えておりますが。
えーと、自分の高校1年生のとき。
振り返ってみると、まるまる、1年間弱、「朝刊、夕刊」の新聞配達をしていました。
なんででしょうねぇ、なぜ、やる気になったんでしょうか?

朝、4時半に起床。母親には、本当に、迷惑な子供だったでしょう。
夕方、4時半には夕刊です。
で、夕刊時、学校の行事の関係で、「配達」が遅れたときがあって、
お客さんから怒られたことがありましたね。

「すいません、学校の用事で遅れました」
といって、この言い訳は、通用するだろうと、みるからに「苦学生」。
これは、最強だろうと。
ところが、そのお客様、
「そんなこと、俺には関係ねぇ。新聞変えるぞ!」
怒鳴られました。
考えてみると、当たり前ですよね。その時の自分も、そう思いました。
「仰るとおりです」って。

まぁ、そんなことやらあって、学校生活なんて、飛んでいましたね。
今年参加した、高校1年の「同窓会」で、自分を記憶していた人間が、
少なかったのを、思い出しました。ははははは。

すいません、「おち」は、無いです。


自宅で最期を看取ってください、という国の方針

2006年10月25日 | 社会的全般
未だに、頭の回転がもどりません。
まとまりの無い文章になるのが、辛い。

「週刊 東洋経済」が、医療について特集を組む。
特別価格。670円だ。
現在の医療の問題、病巣に目を当てる、というのが主眼だが、
「稼ぐ病院ランキング ベスト100法人」というキャッチも踊っていて、
何を特集しているのか、問題意識を疑うが、
売らなくてはならない雑誌の使命なんだろうな、と思うことにした。

それぞれのテーマに沿った記事が組まれているが、
サブキャッチをあげただけでも、深刻さがうかがわれる。
「深刻な医師不足 手術室は鉄火場」
「急性期、慢性期とも在院日数短縮の狂想曲」
「働き詰めでヘトヘト 勤務医の過半は危険水域」
「看護婦 引抜が横行 支度金100万円の噂も」
「看護婦 激務と責任の板ばさみ 新人の離職率は2ケタ目前」
「夜勤加算の廃止の落とし穴 小規模病院はいらない?」
「厚労省の削減方針で2000病院が淘汰も」
「膨らむ赤字、医師不足 八方塞がりの自治体病院」

「医療から介護へ民族大移動 待つのは天国か地獄か」

1961年にスタートした「国民皆保険制度」。
73年に老人医療費が無料になった時点で、国民所得に対する割合は、
4.12% 約4兆円であった。

現在は、所得に対して、8.89% 32兆1111億円。
2025年には、その額、56兆円に膨れると見ている。

まず大鉈を振るわれたのは、患者の「在院日数」。
国としては、病後初期に集中的な看護を施すことで、「入院日数」を減らす。
ために、患者1.4人に対して看護師1人に、最大限の「点数」をつけた。
(算出ルールの変更により、今は「7対1」と呼び、患者7人に対して1人)。
現在、看護師に対する需要131.4万人に対して、供給は127.2万人。
4.2万人が不足。

何が問題化というと、この改正によって、病床を持つ病院の経営が、
破綻に追い込まれる可能性が出てきた。ということである。
看護師の獲得が間に合わない場合、同じ治療でも1.5倍の格差がつく。

開設主体別医療機関。
総数は、107.419機関。
そのうち、病院(20床以上が病院)は、9014。
有床診療所は、13.719。
入院が可能な「施設」は、2割。

繰り返すが、「医師会」側の「圧力」も歴史的にある。
病床を持たない「診療所」は、同じ病気で通院した場合、
病院に比べて、約3.5倍もの「医療費格差」を享受している。
200床以上の病院では、患者負担が(再診の場合)420円に対し、
診療所では(再診の場合)1450円。
これを推し進めたのは、医師会だ。

医療職が隅々まで機能分化しているアメリカと違い、日本の医師は
診察し、注射し、手術し、呼ばれれば救急医療もする。さらに回診もする。
バーンアウトした「勤務医」は、開業に向かう。
町の診療所が年に「900ヶ所」も増えているのは、このせいだ。

そして安倍首相の「美しい国へ」や「厚生労働白書2006年版」に書かれている
昭和30年代に下町の暮らし。
「温かな近所付き合いが息づく古きよき時代」を解説。
どうやら、政府は本気で、
「公的医療・介護費・生活保護費を削減しつつ、福祉サービスを地域コミュニティー
 に肩代わりしてもらおう」
と考えているらしい。

現に、長期リハビリ、生命の危機が去った患者を、直ちに「退院」させ、
自宅療養させなければ、病院の収入が減じる。
介護型療養病床は2012年の廃止。
全38万床を2012年には15万床にすることが決まっている。
さらに、「在宅で最期を看取った医療機関に、破格の1万点」を与える!

現行の国民健康保険は、「相互扶助」の助け合いの制度ではなく、
「社会保障」として、国がすべての国民に医療を保証するための制度である。
それを「自立支援」とか「相互扶助」とか、きれいな文言で言うこと自体、
社会保障の「放棄」ととられても、不思議ではない。

最近、保険証を取り上げられる方が多くなってきた。
いわゆる「資格証明書」の交付を持って、保険未払い者を排除するシステム。
厚労省は資格証明書の交付に当たり、保険証を取り上げてはいけない
「特別の事情」を自ら規定している。

「世帯主またはその者と生計を一にする親族が病気にかかり、または負傷したこと」
「世帯主がその事業を廃止し、または休止したこと」

年齢別1人当たりの医療費をみても、
「世帯がある家族」が、国に高負担をかけているとは思わない。
この層を、機械的に見捨てる意味が、よくわからない。
たとえ、滞納していたとしても、「元気」になることを、なって、支払いが
再開できることのほうが、本来の国にとって、望ましい姿のではないか。

最期にGDPに占める医療費全体の割合は(2003年)
アメリカ 15.3%
ドイツ  10.9%
フランス 10.4%
日本    8.0%
イギリス  7.9%

人口1000人当たりの医師数(2004年)
フランス 3.4人
ドイツ  3.4人
アメリカ 2.4人
イギリス 2.3人
日本   2.0人






格差は社会保障、教育にもっとも現れる。

2006年10月24日 | 本・映画
「格差社会―何が問題なのか」 橘木俊詔著 岩波新書

ラゾーナ川崎で慌てて手に入れた1冊。
しつこく、色々と読んでおりますが、この本は非常にデータが多く、
色々な意味で、入門書ということができます。

ただ、様々なデータを使いながら、結局は「対処療法的」な結論を言われる
傾向があって、もどかしさを感じます。

また、現代のマーケットの状況も、何かステレオタイプな論評が散見され、
とまどいます。
例えば、会社の経営者という件で、彼はサラリーマン的な経営者と労働者の経験が
無い経営者という分け方をして、
前者はトヨタを始めとした、日本に昔からある企業をあげ、
「彼らは労働者としての経験があるので、ある程度労働者の気持ちが理解できます」

後者はITなどで御馴染みの企業。
「労働者の経験がないので、自分の企業で働く労働者の気分や感情などを、
 理解できない場合も少なくありません」

なんて、椅子から転げそうなことを言ったりします。
すいません、リストラを大々的にやったのは、労働者あがりの創業者の連中でしたが。

また、格差が進行する中で、というところで、
「今日の高額所得経営者が従事する産業には、パチンコ店経営者、消費者金融と
 いったものがあります。こうした産業が、高額所得産業として位置づけられる
 ことが、はたして健全な社会と言えるのでしょうか」

こういう産業に「儲かる」として優秀な人材が流れるのは、人材配置として
問題を感じずにはいられません。と言っているが、
本当に、人材が流れているって、調べたんでしょうか?
かなり疑問です。知る限りでは、そういう人材が流れているとは、とても思えません。
エモショーナルな論議が、ちょっと、多いような気が致します。

確かに、格差が固定されてきた、という議論に「疑問」はございません。
2世、3世といった、政治家や医者に見られる固定化は確かに事実です。
IT産業で華々しくサクセスストーリーを飾った人々は、押しなべて、
東大生でした。

ただ、そういう人々を援助してきたのは、紛れも無く、「旧世代」が作り上げた
金融システムの賜物です。
出が東大、というだけで、信用を付与してきたのは、何も今の新しい感覚ではなく
どれほど昔から、資金を含めて、有利な状況にしてきたか。

たまたま、サービス産業、中でもIT関連は、すこぶる新時代を担う産業ですが、
もてはやされているのは、単に、上場基準を緩め、ブームを作った側の人間で、
あれは「情報産業」ベースで充分なジャンルではないでしょうか?

ちょっと脱線しましたが、
貧困ということについても述べておりますが、
年齢別に見ていく中で、18~25歳。そして76歳以上の貧困率の高さを挙げ、
若者の貧困率が「深刻」だと、結論付けますが、
もっとも、低所得労働層を考えたいようで、最低賃金が生活保護の金額よりも
低い、とやや強引に、話をつなげていきます。

フリーターの平均年収が140万円という数字をあげては、「独立して一人で
生活していけるのでしょうか?一人で生活していくのでさえ難しい若者の
貧困層が増え、結婚は困難と言えます」
なんてことを言われていますが、フリーターとニートの説明が、
まったく別段で論議されているのは、なぜでしょうか?
貧困をこの層に語らせる「必然が」いまいちわかりません。

ただ、再三語るGDPから見て、日本の再配分、つまり社会保障システムを見ると
とっくに「小さな政府」は実現しているということ。
これ以上、小さくしてどうするのか!には、最近、私、同調傾向があります。

ただ、日本の税負担率が先進諸国の中で、最低というのには、生活レベルの実感
からいってどうなんでしょうか?

そして最大の疑問なんですが、この国、日本は、いくらの「税収」があれば、
いくらの「予算」があれば、望む、「再配分」が適正にできるんでしょうか?
年収300万円での生活という本もありましたが、
モデル年収は、どこに位置するのでしょうか?

例えば、生活保護は3人家族、東京在住で「16万3970円」です。
年収で200万円弱。
これが目安ということで、政府は、この国の規模を考えているんでしょうか?
貧困は無いとしている根拠は、どこにあるんでしょうか?

個人的には、「格差」自体、普通にある現象だと思っておりますが、
老後、いつまでも住んでいたい、そういう国にしていこう、とは決して思えない、
むしろ、邪魔な連中だと、考えているような、施政に思えるんですが。

格差は、社会保障に対して、実はもっとも大きく表れる。
教育の予算についてもそうです。減らしているのは、日本だけじゃないですか。
これさえ、充分な取り組みができていれば、何も、ここまで、
大きな問題には、ならないと思うんですが。

 

新聞広告と週刊エジプトと茶髪と、熱があるもんで......

2006年10月23日 | ニュースに絡んで
季節の変わり目には、皆様、ご注意下さい。
そういう本人が、うなされております。

なんだかんだと、好ましくない新聞と言ってはばからない、朝日新聞を、
読んでおりますが、先日の週刊新潮では、広告費の「激減り」で苦悩する
朝日新聞という記事が踊っていました。

随分前に、創価学会の池田大作氏のなんと200もの名誉学位受賞の記事が、
朝日新聞に載っておりました。
  中国・北京師範大学より「名誉教授」の学術称号が贈られた。
これが、200個目の受賞です。

相手が中国ということもあってか、何なのか、ちょっと意味がわからなかったんですが
どうやら、今の新聞の広告売上。
金融(消費者金融も含めます)、自動車、保険。
これでしか、全面広告を望めない。言ってみれば、最大のスポンサーです。

そして、なんと、朝日新聞に全面広告をうったところがあった。
しかも値引きもせず。5日間くらい。
それが創価学会だったという内容でした。

消費者金融は、当然ながら、ああいう問題で自粛中ですし、なんだか、
広告、がた減りらしんです。
そういえば、今日の朝日新聞も、薄い......。
広告が少ない。
そういう意味で、先の池田大作氏の受賞の記事を出したんだなと、妙に納得。

今日のコラム欄で、早稲田の考古学の教授、吉村作治先生が書いておられます。
全面的に、大好きです。
彼が?エジプトが?考古学が?
全てです。

そういえば、先生が監修している、「週刊エジプト」
郵便局で書類の送付をしていたときに、カタログとともに展示されていました。
もう、見た瞬間に、「欲しい!」。絶叫型に近い興奮を覚えましたが、
帰社して、ネットで検索してみたら、サンリオ系の会社が取りまとめている。

ところが、詳細が載っていない。
ようやくエジプトと吉村さんの名前で探しましたが、
全部、通信販売なんですね。
しかも、今後100号まで出すそうなんですが、申し込みをした時点から、
時の流れはともかく、本人に向けて、1号が発送されます。

ですから、多分、Aさんは、すでに、7号を受け取っていても、本日、私が
申し込めば、私向けに1号が始まります。
で、いいの?
HPもリニューアルされていて、読みやすく、内容も充実していましたが、
9月の時点では、100まで大丈夫?できるの?という貧相な感じでした。
ですから、実は、通信配本マニアの私、購入していません。

さて、コラムなんですが、今の大学での学生の環境について述べています。
昔に比べて、授業の風景は、大きく変わったと言っております。
飲食は禁止、だったはずなんだが、今では、「健康」のために、持込が自由。
ペットボトルをがぶがぶ飲んでいる学生を前に、教える私は、面食らってしまう。
とか、
教室の出入りも、トイレとかを理由に自由。
健康のためだそうです。帰りに喫煙をしてきても、OKということに
昔は考えられなかったことだと、嘆いています。

そういえば、秋田経済法科大学の「茶髪報奨金?」という記事が論争を
引き起こしました。
あるテレビでは、多分、殊更なんでしょうが、そういう風体の若者をカメラに
収めておりましたが、あはははは、コメントしようがありません。

その昔、子供の人権を考えると称した団体が、ユネスコに、頭髪の問題とか、
服装の問題を、学校側が強制することは、人権に抵触するとして訴えに行った
ことを思い出しました。
ユネスコで問題になっていたのは、貧困や紛争で、エンピツ1本ももてない、
そういった子供の人権を検討している時にです。

学校が、企業の為に、人材を送り出すことを主眼に考えることは、最近、
どこの国でもとられている方法です。
ニート、未就学児の問題に取組むことをしているアメリカやヨーロッパでは、
まさに、成果を上げています。

大学がそういう旗手を鮮明にして、徹底することは、私学である以上、
何の問題もないと、思っております。
かく言う私も、手に技術も無ければ、専門とする分野もありません。

だったら、働くために、都合の良い「大学」を選んで入学することは、
当たり前のことです。
どのように、自分の人生を生きていくかなんて、19、20歳のレベルで、
私は、まったく、自覚もしておりませんでした。
31歳くらいですか、自覚が出始めたのは。
ええ、初めての会社が、倒産したときです。

そうはいえ、黒髪にする、そういうことで、報奨金を与えるみたいにとられたのは
学校側が、あまりにも世間知らず。
逆に、何か、切羽詰ったものを感じますが。
都道府県が、各自治体ごとに、複数校大学を設立するらしいんで、というより
開校もしているので、いいんじゃないですか、私学として、何かをピーアール
することは。



銀行の営業時間、そういえば謎でした。

2006年10月22日 | 社会的全般
銀行はなぜ「3時」に、シャッターを下ろすのか。

  全ての流通の元となる、金融を扱う大切な役目のある、消費者との生活の媒体
  となる銀行が、なぜ、早終いするのだろう。
  コンピュータが導入されて一番便利で楽になったのは、銀行業務ではないだろ
  うか。

  振込手数料も高いし、最近は銀行によりまちまちだ。そして、奇妙な事に3時
  を過ぎると、その日付の振り込みが出来なくなるのだ。翌日になってしまう。
  何故だ。金曜日の3時すぎると、月曜に振り込みが回されるのだ。何で。行員
  が扱ってるのでなく、ATMマシンが扱ってるのだ、それなのに、ブレーキ
  が、かけられているのだ。

その土曜日の夜に、面白い記事を見つけました。
考えてみれば、本当にそう思います。
たまに、とある会社で、不本意なんですが、本当にたまにやるんですが、
電話料金の支払いを「うっかり」してしまって、
業者から、携帯電話に「止まってますよ」と、情けないご注意をいただく
ことがあったりするんだが、

支払票があれば、コンビニのバーコード処理が、一番早く「機能」する。
たまに、郵便局で払い込みをすることがあるんだが、
これがまた、バーコードの機械がないものだから、いちいち、コピーみたいなものを
とって、多分、「電信」とかいうものも、
FAXなんかで、送信するから「電信」なんだろうというくらい、アナクロ。

銀行も、このあたりは、似たようなもの。
昨年、知人が、土曜日に自分の口座からお金を引き出した際、
手数料が105円、引かれていたことに「激怒」し、
翌週、月曜日に、全ての残高を引き出して、手仕舞いした、
いつの時代の人間なんだ、というやからがおりましたが、

すでに銀行は、「手数料」商売に特化しているのは事実です。
リスクが、全く無い、ということで、アメリカなんぞもそうですが、
売上というか利益の相当数は、この手数料によっている。

ただし、確かに3時に閉まるというのは、解せない。
当座による、小切手など、「不渡り」「決済」を確定する時間は、
その3時。
これを過ぎると、入金さえできない。
昔、そのせめぎあいで、何度、銀行員にお世話になったことか。

そう言えば、各種会費、水道光熱費やらローンの引き落とし。
クレジットもそうなんですが、請求書には、前日の入金をお願いしていますが、
これ、コンビニが登場し、24時まで出入金ができるようになって、
銀行も、トラブルは嫌なんでしょうか、
かっちり、24時あたりに「一斉引き落とし」をかけています。

それ以前は、朝一番に1回。そして18時あたりに最終の引き落としを
かけていました。
が、請求書には、引き落とし日として、例えば10日とか27日しか記入がない。
時間は書いてございません。
そうなると、入金の記帳は、必ず、機械が受け付けていれば、
その日付で処理されるわけですから、「客」の側の勝ちです。

ただ、振込みに関しては、長々と、本日の受付は終了しました。
○○日の振込みになりますが、と表示されます。

そうは言っても、銀行業務。
一応、労働者がおりますから、17時半あたりが、終業時間。
15時に店頭業務を終了することは、以降を残務処理に充てる、そういう意味も
あったんでしょう。

昔は、全部、手書きの紙でしたから。
ただ、記事の指摘のように、ATMの普及によって、随分、人件費が「浮いた」
のは、歴然たる事実です。
さらに、キャッシュカードの普及によって、
個人情報の保護からいっても、「届け印」の照合すらも、しなくなりました。
昔は、本当に、手垢がつくくらい、キャビネットから冊子を出しては、
照合していましたから。

そうそう、土日が完全に休業なのは、
貸し出したお金の「金利」。
これを、稼ぐためです。
この2日間。本当に、客は「返すことが」できません。
枕を高くして眠る。これは、この2日間の銀行のためにある言葉なんです。

嘘です。
でも、本気で、そう思うことがあります。




言葉のプロだからなぁ。お互いに。

2006年10月21日 | ニュースに絡んで
少々懐かしい思いでがございまして、
本来ならば、そこまで気にかかることもなかったんでしょうが、

盗作騒動、槙原も松本氏も譲らず

  漫画家の松本零士さん(68)がシンガー・ソングライター槙原敬之(37)
  が作詞した「約束の場所」の歌詞が「銀河鉄道999」のセリフを無断使用し
  たと主張している問題で、発売元のレコード会社が松本さんに和解案を持ち掛
  けていたことが20日、分かった。同曲が両者が了解した上で制作されたこと
  をホームページ上で発表する案で、松本さんは受け入れなかった。槙原も盗作
  ではないと主張しており、解決点にはほど遠かった。

3年か4年ほど前、宇宙戦艦ヤマトの21世紀版?。
アニメで製作している人間が、知り合いにおりました。
プロデューサーに近い筋の方で、要は資金集めがお仕事でした。

知るきっかけになったのは、とある、不動産関係の方が多く参加する、
月1回の「飲み会」。
異業種懇談会とかが、昔流行ましたが、初対面が苦手で、知らない人間に
目的も無く合うことができなかった自分を、
強引に連れて行った税理士の先生。

約1年ほど、その会に出席いたしました。
決まった場所で、場所は居酒屋。大座敷に座っては、ランダムに紹介されては
訪れる、様々な業種のメンバーと酒を飲む。
そんな会でしたが、途中で、参加者の業務内容の紹介やら、
仕事のお願いなど、いくつかあって、
それにしても、本当に、苦手な「時間」だったことを記憶しております。

その際、どなたかの紹介でこられた方が、先のヤマト製作関係者。
すでに何話かを作って、放映時間帯も、目処がついた。
残る問題は、西崎と松本さんの「裁判」だけだ。
というのが彼の話でした。

自分としては、てっきり、ヤマトは松本零士さんのオリジナルだと思っていました。
だもので、西崎さんもプロデューサーというお立場なのに、随分大きく出た、
なんて驚いて、聞いてみると、もう、ご存知の方もいらっしゃるとおり、
原作は豊田有恒さん。もうSFで30年ほど昔からお世話になっていた方。
お懐かしゅうございました。

図案とか設定など、松本さんが大きく関わったことなど、色々経緯を聞きましたが
確かに、あれって、総合力で作られた作品だったんですね。西崎さんを中心に。
結局、西崎さんの個人的な「崩壊現象」もあって、現在、服役中。
裁判も、色々と形がついたようで、
近いうちに、新・宇宙戦艦ヤマト 復活編として世に出るそうですが。

本当に、別の話をしてしまいましたが、そういう話が「脇」にあったもので、
今回の報道に関して、松本さんは、裁判が好きなんだなぁ、
なんて不謹慎なことを考えてしまったのも事実です。
もちろん、まだ、訴訟はしていませんが。

まぁ、考えようによっては、それだけ誰もが心に残る「詩」を
誰よりも先にお書きになった松本零士さん。
そういう才能に、またスポットが当たる、そういう感じでいけばよかったんでしょうが、
槇原さんに、盗作をする経済的な理由がみつからない、メリットが見つからない
以上、ある弁護士さんからは、松本さんに勝つ見込みはない、との意見も
寄せられていました。

「999」も「ヤマト」も、単行本は全てございました。
ヤマトはガンダムより、前の作品だったんですね。知らなかった。
何度も、伊武雅刀さんのデスラー総統のセリフを「まね」したものです。
「ヤマトの諸君。また会えて嬉しいよ」というあれです。

そういえば、松本零士さんに、久々に画面でお会いしたような気がします。
また会えて嬉しい?という気分には、なれない感じでしたが。
にしても、言葉のプロといえば、どちらも、そうなんで、
ある意味、譲れないですよね。

ボランティアから始めよう。

2006年10月20日 | 教育、文化、少子化
マンガを題材にして、テレビ番組や映画制作される。
最近、話題になっている番組、ドラマに、その傾向が高い。
「ノダメ」とか、あれっつ?出てこない.....。ごめんなさい。

ええっと、そういう中で、コラボなのかどうかわからないが、
「県庁の星」というマンガ。織田裕二が主演した「県庁の星」という映画で
有名ですが、あれは、今でも、スペリオールという雑誌で展開中です。

映画を見たことがないので、どういう構成になっているのかわからないんですが、
あの作品の「妙味」は、どう考えても、「世間を知らない」「高飛車」な
「勘違いしたエリート意識」などなどで、
主人公は、なぜか、「社会という現場」に派遣され、様々なトラブルを乗り越え?
様々な「人間関係」を通して、
つまり、「人間」に目覚めていく。

そういう感じだったと思います。

公務員。しかも上級職になっていけば行くほど、試験というものがあって、
その難易度もさることながら、ある意味、「試験さえ通れば」という
通念的には、社会性も人間関係も、無知であってもOKが
まかり通っている。

特にこの主人公は、純粋な「意気込み」に燃える若者で、
理想は高く、されど、現実を知らず、履き違える、そんな「ステレオタイプ」に
書かれており、やることなすこと、果てしなく滑りまくっていく。

「俺の指導が」ということに、恐ろしく「意味」を感じ、
来てやったんだ、という初期の「志」が、単なる「無能者」扱いを通じ、
崩壊していく様が、主要な部分。

でね、多分、これって、多くの人間が、共感していたり、納得しているはず。
警察署内でも、よくドラマになっているが、
キャリアと称される人間たち。
いきなり自分の子供と同じくらいの「若者」が、所長として赴任。
そういうのありますよね。

前からちょっと書いてきましたが、
この「社会性」が欠落している。現実社会のことを知らなすぎる。
他業種の人間との「交わり」が、多く取れない。
そして、社会的規範を体現するものとして、むちゃなことができない。
さらに言うと、人に頭を下げることよりも、下げられることが多い。
社会で当たり前である、「金を稼ぐ」ということから、最も遠い。

そして、「先生」と、いきなり呼ばれまくる。

くどいくらい書いてまいりましたが、
申し上げている職種は、「教師」のことです。

もちろん、極端に書いたのは事実です。
多くの立派で、尊敬できる先生がいらっしゃるのも事実ですし、
365日24時間体制で、骨身を削ってでも、職に殉じようとする方々も
いらっしゃいます。

そのことを踏まえた上で、県庁の星に出てくる、ああいう勘違いもした人間が
いるのも事実でしょう。
2年前女性教諭も暴言 中2自殺の三輪中 女生徒不登校に 「ばか」「頭おかしい」

  女性によると、2年前の7月、清掃の時間に女性が友人数人と私語を交わしな
  がらほうきで床を掃いていた際、見回りに来た女性教諭が「話をせずに掃除し
  なさい」と注意。直後に女性の顔を見ながら「あんた、ばかじゃないの」「頭
  がおかしい」とののしった。

  女性は「なぜ、先生からさげすまされないといけないのか」と衝撃を受けた。
  納得できず女性教諭の自宅に電話した際、女性教諭は「転校してくる前の学校
  でも頭が悪かったらしいね」「茶髪に染めていたんでしょ」などと発言。抗議
  すると「本当のことを言っただけでしょ」と話したという。

せめて、人間としての「付き合い」の作法から学ぶべき人間がいるのは、
事実だと思いますが、これは、これは、とても酷過ぎる。

児童・生徒に「ボランティア」を(これもくどい位言ってますが)
と検討されているようですが、
どうか、まず手始めに、世間に教師を「混ぜる」という作業を、
ボランティアを通してさせることから、始めてほしい。

それと同時に、保護者も、おんなじ。
ボランティアをしましょう。
大人ができもしない、やりもしないことは、すべて、子供は「偽善」と見抜くまで
時間はかかりません。

もう、地域社会の崩壊とか、そっちの論は有効性が高くないから、
できることからはじめないと、危険なのは、子供たちです。

プロ野球の順位予想は、大外れでした。

2006年10月19日 | スポーツ
結局、全然、予想がはずれてしまった。
プロ野球の順位予想が、である。

1位 巨人
2位 阪神
3位 中日
4位 ヤクルト
5位 横浜
6位 広島

微妙に、雰囲気が出ている感じがするんですが、
まぁ、「大はずれ」でございました。

し慣れないことを、するもんではない、ということなんだが、
何しろ、巨人が、ああ、巨人が、すんごく、情けなかった。
思い余って、巨人軍のHPを見たんだが、
安部が、笑っている。浮かれている。
とりあえず、結婚、おめでとうございます。

原監督の昨日の「映像」をニュースで見たんだが、例の、公式戦後のオーナー
報告らしんだが、相変わらず、話が長い。最後まで聞かないと、
何を言っているのかわからない。
抽象的な単語が多い。

本当は、どうなんだ、と思って、先のHPを見ていくと、
HARAスピリッツと称して、単独のコーナーがあった。
1戦、1戦、コメントをするコーナーがあると思えば、
月に何度か、思いをまとめた文章を書くページもあって、
本当に、「原スピリッツ」を堪能できる。

いや、スピリッツというところが、すでに彼のワールドなんだけど、
10月4日、負ければ横浜に負け越す!という状況でのミーティングで、彼は、
「優勝を目指してやってきたチームにおいては、Aクラス入りも対戦成績の勝ち越
 しも、小さいことかもしれない。でも、小さなことすらできないチームに、大輪
 の花は咲かせられない。監督して歯がゆさを感じている」

すごいよ。すごいセンスだよ。ここで、大輪の花だよ。言えないよ。
もう、モチベーションを上げなくてはいけない、この瞬間に、言える単語じゃ
ないよ。すごいよ。

さらに彼は、続けます。
1球1球集中できる、そういう試合ができていない。させることができなかった。
春先はできていたんだそうですが、
「その結果がけが人続出という事態に繋がりました。控え組で同じような戦いをし
 ようとしましたが、そこまでのレベルに達していません。けが人が復帰し、ケガ
 をしないようにある程度、自主性に任せてやらせたのですが、結果には結びつき
 ませんでした。」

えっつ?そういうことなんですか?

そして彼は腹を固めます。
「何かをやれば、何かが欠け、何かを和らげれば、結果がついてこない。それを補
 う底力も、チーム力もありません。今の選手は自主性を尊重してやらなければと
 思い、少々甘やかしすぎたのかもしれません。
 愛するチームの勝利のためにといった、自己犠牲精神も足りません。昔のように
 鉄拳制裁でムチを振るってもダメならば、ビジネスとしてドライに考えていかな
 ければいけないのかもしれません。」

監督って、こういう仕事なんですか?
やらせる、しつける、など、高校野球の監督のコメントと紹介したら、
多分、誰もが、ありえる内容だと考えるかもしれませんが、
プロ野球で、こういったコメントに出会えるとは、思っても見ませんでした。

以前、苦しくなったときに、原監督のコメントが暴発しないことを祈る、
みたいなことを書いてしまいましたが、
まったく、選手に対してのリスペクトの欠片も無い、ちょっと勘違いした
自己責任からくる、「管理能力者」としてのコメントを危惧していましたが、
がんがん、やっているようです。

「愛」がキーワードだったんですが、リスペクトをどう勘違いすると、
甘やかしという単語になるのか、僕は、現場に立ったことが無いのでわかりません。
王監督も、案外「甘い」という単語を使用されますが、
「自分に甘い」ということに対して、納得がいかない。
そんな文脈で使用されております。
ここまでできる力をもちながら、そう見えるのに、できないのは、
自分に甘いのが原因だと、聞いているこっちも、そう受け取れるんですが。

原監督は、「個々のレベルを上げることは言うまでもありませんが、年齢的にも伸
びない部分や持たない部分、能力的にも厳しい部分があります。」
言っちゃってます。ファイナルアンサーを。
いいのかなぁ、こんなこと言っちゃって。

こういうのは、編成の人間が言うんだったらわかるけど、
二岡もよしのぶも、年齢的にも「伸びない」人なの?安部も。

前から思っているんだけど、どうも話すことに「ナルシスト」入っているのか、
一般人に、なんだか理解されない事をよく仰る。
あげく、我慢がならないことが多いのも事実なんでしょうが、
野村監督のレベルまで「グチ」も、「芸」に昇華していればいいんだが、
原監督の場合、愚痴になってないし、エスプリにもユーモアにもなっていない。

何か、戦争映画の「上官」の役をあてたら、ピッタリと収まるんじゃないかと
そういう風に思ってしまうのは、だめだよね。

世界が、北朝鮮の核よりも気にかかる事といったら。

2006年10月18日 | ニュースに絡んで
思ったよりも、歴史って、突拍子も無いことがおきるらしい。

今週の「ニューズウイーク日本版」は、「北朝鮮崩壊のシナリオ」だ。
まだ、ちょい読みの段階なのだが、
のっけから読ませてくれる。

「歴史上の重大事件は、ほんの小さな侮辱から始まることもある。
 かってドイツ皇帝ウィルヘルム2世は、自分の歓迎パレードをやってくれなかった
 というだけの理由で、フランス人を決して許さなかった」

が、後に1914年の第1次世界大戦につながったのは、世界史に疎い自分でも、
多少聞いたことがあった。

「北朝鮮の金正日も侮辱には敏感なたちらしい。
 身長158センチの彼は、背の低さを気にかけている。
 もっと痛々しいのは、自分が国民や同盟国の目に、偉大な父に遠く及ばない
 存在と映っている事実を自覚していることだ(父の身長は約180センチ)。」

「7月に中国がミサイル発射実験を思いとどまるよう説得したとき、
 『大国は私たちに、あれをするな、これをするな、と言ってくる。だが、
  われわれは子供ではない。立派な核大国なのだ』と外務次官は金の気持ちを
 そのように代弁した」

そういう金正日に、ブッシュは彼を憎むべき「小人」と呼び、「食卓で暴れる
駄々っ子」同然だと評したわけで、先の金桂寛外務次官は、たびたび、
アメリカの指導者はわが国にまったく敬意を示さない。まともな外交ができる
はずはない、と愚痴をこぼしたという。

ニューズウイークは、仮説:制裁後の5つのシナリオと称して、予測をしているが
①武力行使 言ってみれば、最短のスケジュールが提示されている。
       もちろん甚大な被害を韓国・日本・そしてアメリカ兵が受け、
       来年の11月には、国連維持平和軍の駐留としている。
②核ボタン 2年後に核開発が成功、打ち上げるも「迎撃」され、多国籍軍の
       進攻となる。
③体制維持 これによって、悪の枢軸国は、完全な枢軸国となり、これによって
       韓国・台湾・日本の核保有が始まり、拡散防止条約は崩壊する。
④経済改革 リビアで成功したと言われる「取引」を踏襲。
       全面支援の上、経済協力によって、北朝鮮が開放されるという
       ニューズウイークならではのシナリオ。
⑤内部崩壊 よく言われている金正日の暗殺から始まる内乱。
       内戦を通して、最終的には、韓国が悲願の南北統一を実現。

総じてベースに流れているのは、金正日では「持たない」であろう、ということ。
どのシナリオにおいても、金正日が「当事者」ではない。
単なる、「代表者」としてしか見ていないことが、実は、大きな問題なのかも
しれない。

一方でファイナンシャルタイムズがコラムで述べているが、
「【FT】「核保有国・北朝鮮」の脅威は中国にも 2006年10月12日初出」

  何でもかんでもアメリカのせいにするわけにはいかない。ジョージ・W・ブッ
  シュとトニー・ブレアがイラクを侵攻しなかったら、全てが違っていた──と、
  BBCは信じているようだが。イラク戦争さえなければ、世界中の独裁政権は、
  愛すべき平和な国家に、勝手に変身していたはず……かもしれない。北朝鮮の
  金正日は飢える人民を救うために、ミサイルを鋤(すき)や鍬(くわ)に鍛え
  なおしたのかもしれない。……私はそうは思わないが。

とはいえ、ブッシュの度重なる失政によって、アメリカはすでに、
「世界の平和を守る」という超大国の役割を果たすことができなくなった。

  金総書記を失墜させる力が、中国にはある。中国が、食糧や燃料の支給を打ち
  切ってしまえばそれで済む──ということはよく言われる。
  しかし逆に、中朝国境を閉鎖するよりも、開いてしまえばいい。飢えた北朝鮮
  の人々は何百万単位で中国に逃げ込むだろう。
  1989年にハンガリーが国境を開放した後の東ドイツのように、金正日体制は自
  己崩壊する。

  中国は新しく手に入れた経済力を、国家としての戦略目標にうまくリンクさせ
  ていかなくてはならない。
  そのためには中国は、世界をどういう視点から見るか、世界における自分たち
  の役割をどう見るか、考え直す必要がある。
  責任あるプレイヤーとして国際システムに参加するよう中国に求めるには、米
  国にも同様、きちんと責任をもって国際システムに関わるよう要求しなくては
  ならない。

  つまり米国と中国は、まさに大合意とも呼べる取引を成立させなくてはならな
  いわけだが。

  43年前、当時は5つしかなかった核保有国は最初の部分的核実験禁止条約を締
  結した。
  その時、ジョン・F・ケネディ米大統領は、10年以内に最大25ヵ国が核兵器を
  保有するだろうと予言した。
  ケネディ大統領の予言が外れたのは、核拡散防止条約を作り出した国際社会の
  協力のたまものだ。その条約が今、破壊されそうだ。

結局、「日本と韓国と台湾の出方だ。米国の核の傘にこれ以上頼ってはいられない
──彼らがそう言い出すまでに、どのくらいかかるのだろう。」
というのが、世界が、いや、アメリカと中国が、最も気にかかる部分らしい。

結局は、ロシアが中国に変わっただけで、また、大枠組みの「冷戦構造」が
あらゆるところに、歪をもたらしているのかも、しれない。