まなびの途中

色々な仕事をしてまいりました。
色々な出会いがありました。
勘違いもありますが、
学んだことを書いてまいります。

闇金融が予想通り、繁栄していく

2007年05月31日 | 社会的全般
早速テレビで特集が組まれることになったのは、
「闇金融」の話し。
例のグレーゾーン金利撤廃によって、審査基準が厳しくなり、
「やりくり」していた個人、のみならず、中小企業までも、
資金繰りが絶たれる。

駆け込むのは、当たり前だが、アウトローの世界。
10万円が、何ヶ月先には、50万円にもなっていたという
「御伽噺」にも近い世界が、現実にある。

相談を受けるのは、例のクレジットサラ金の会?の弁護士の方々。
各自治体は、早急に相談窓口を設けるべきだと主張。
100でもその数を増やすべきだと。ふーん。

各大手銀行も、軒並みクレジットやローンを生業にする関連会社の対応に
追われている。
ジャックスも、オリコも日本信販も、jCBであろうと、DCカードであろうと
セゾンであろうと、所詮、くくりはサラ金なのだ。
言ってみれば、これが全滅。

アイフルやら武富士など、マスコミはサラ金を悪と見立て、
報道を繰り返すが、
いつもながら、何の本質をも見ない、報道でもなんでもない、
興味本位の「野次馬」に過ぎない。

【主張】貸金業規制 冷静に不備見つめるとき

  消費者金融や事業者金融が、貸し倒れリスクも考慮して適用していた灰色金利
  が全廃されれば、融資審査は厳格になる。50万円、100万円という緊急性
  の高い資金を貸金業者から灰色金利で借りて事業を続けていた個人経営の商店
  などは資金繰りがつかなくなるとの危惧(きぐ)はあった。それが早くも現実
  のものとなったのである。

  法案内容が固まると、貸金業者の成約率は急低下した。歩調を合わせるように
  個人事業者の倒産も急増、帝国データバンクによると、今年3月は前年の1・
  6倍、4月は1・8倍だ。この傾向はさらに強まるだろう。

  強引な取り立てや詐欺まがいの融資を行った業者に厳しく臨むのは当然だ。多
  重債務者救済にも意味はある。だが、それが金利規制、貸し出し規制のかたち
  をとり、十分に事業が継続できる個人事業者までも倒産に追いやるようでは本
  末転倒ではないか。

以前、須田 慎一郎氏の下流喰い―消費者金融の実態 という本を読んだが、
多分、多くの読者は、「サラ金って怖い」「こんな風になっちゃうのね」
という恐怖感をもったことであろう。
この日本では、どういうことにせよ、お金を借りるということが、
非常に「いけない」「人として間違っている」という感が強い。

それが故に、日本では、いわゆる「金銭」が絡む事故ということが、
「人の一生を台無し」にしてしまうように語られる。
さらに「人生再チャレンジ」ということが、殊更に叫ばれるのも、
日本には、再チャレンジの要素が、
極めて少ない、という実態の表れでもあろう。

どうも須田氏の本でも紹介されていたが、
これでもかぁという、「悲惨」な庶民の実態。
処方箋がかかれるわけでもなく、これをやったら、こんなに酷いことになります
そういう事例のオンパレード。
そもそも、それは、闇金の部類の話でしょ、というのもある。

多重債務も、当たり前だが、借りたほうも悪いし(もちろん、悪いというのは
語弊があるのは承知、止むに止まれぬ理由がある方もいる)
貸す方も悪い。
そういう意味で、日本には、様々な「救済」のための法が整備されている。

むしろ、民事再生もそう、破産もそう、
こういった金銭に絡む「破綻」をしたものを、
2度と立ち上がらせないような仕組みなり、環境を整備することのほうが、
最も有効な解決法であろうに。

問題になってたのは、世に悪名高い「連帯保証人」という制度であろうに。

貸した側であっても、簡易的な裁判で、債権債務が帳消しになれば、
それは企業側の問題であって、個人に帰す理由が無い。
そこまで貸したんだから、なんらかの「勝算」があったのであろうから、
という理由だけなんである。

最近は、不動産担保という「商品」で、それも「上場」している会社が
かなり元気であるが、
見た目は、金利が低くて(それでも12%とか15%)、一見低水準だが、
その他にかかる、物件調査費用とか保証手数料とか、実行手数料とか、
先取りする金利以外の負担が、多い。

しかも、途中で返済することを、「途中解約」と言い切って、
解約の「違約金」を払わせるところが多い。
こういうのをあわせれば、平気で20%を超えるんだぞ。

国が国で、国の金融機関を使って、融資を実行すれば、
当たり前だが、「踏み倒されて」「やくざ系の懐に」流れ込むお金の元に
なってしまったり。
どれだけ不良債権化していると思っているのかしら?

個人的には金利が低くなるのは嬉しいですが、
長い付き合いのところは、もう、グレーゾーンを下回っています。
とっくに。
かえって、セゾンとか、オリコとか、JCBの方が、
「殿様商売的に」グレーゾーンを「維持」しているんですが。


イギリスとフランスの教育の現場は、凄い。

2007年05月29日 | 教育、文化、少子化
よくテレビやマスコミが好んで取り上げるやり方なんだが、
教育問題にしても、社会福祉の問題にしても、
なんだが、「都合の良い」取り上げ方をしているようだ。

先日取り上げました、薬師院さんの本に書かれていることだが、
(この本、申し訳ないですが、個人的に大好きです)
日本の公共サービス。
究極の「顧客サービス化」が顕著だと指摘します。

商業なりビジネスであれば、そうするべき必然性があって、
究極の顧客サービスがあって当然なんだが、
日本では、この顧客主義が公共サービスにおいて、
当たり前のように求められている。

学校の問題であれば、
例えば、親の生徒のニーズにどれだけ応えていくかが重要視される。
それは、快適な環境を「提供」するということにもなり、
挙句、エアコンを全クラスに設置すべきかどうか、
それによって、生徒の「募集」にどのような効果があるか、

結局、そういう「経済主義的」な観点で、「学校経営」は進めていかざるを得ない。

 「だからこそ、国立大学でさえ法人化され、各大学は自由競争で‘経済的に‘
  生き残れということになるのだ。
  大学の生き残りとは、教育や研究ではなく、商店と同様、経営なのだ。
  大学に与えられた選択肢は、研究・教育機関として絶命するか、商業施設
  として生き残るか....」

 「今日では、多くの受験生や大学生もまた、自分たちがお客様であることを
  当然だと感じているようだ。
  楽しい科目を用意しろ、立派なレクリエーション施設を作れ、就職は大学で
  世話をしろ、それならカネを払ってやるぞ、という次第である。」

面白い、本の指摘は、実はここから。

イギリスやフランスの学校は、日本とは異なって、顧客主義ではない。
というのは、仮に子供が「授業妨害」をしたり、まぁ、秩序を乱したとしよう、
なんと、「子供の非行のかどで両親が禁固1ヶ月の判決を受け、収監される」
というのである。

さらに、フランスでは、ある子供が「村の秩序」を乱したことと、
学校での行状に対して、憤った保護者たちが、学校を封鎖してしまう!
この保護者達は、学校に抗議していたのではなく、
教師に対してさえ身体的な暴力や言葉の暴力を振るうような子供を
「放置」している親に抗議していたのだ。

親権という権利を持つ者こそが、子供の教育に対して「第一義的な義務と責任
を負う」からで、フランスでは、暴力的な生徒がいた場合、
なんと、職場の安全が確保されるまで、
教師が仕事を、拒否!することさえある。

 「フランスでは、禁固刑にまでなるのは極めて珍しいらしいが、毎年100人
  ほどの親が自分の子の教育怠慢で有罪宣告を受けている。
  イギリスはさらに厳しく、有罪の件数も多く、量刑も重いらしい」

日本では、考えられません。
色々な海外の事情を取り上げて、日本に「輸入」しようとしたり、
啓蒙活動を試みようと、世話を焼く方々がいますが、
こんな話し、聞いたことがありません。

ですから、正直、薬師院さんが、「嘘」を言っているのかとすら
思ってしまうほどです。
で、日本には、日本のやり方が当然ありますし、
海外での話を、これが全てだなんて話をするつもりもないのですが、

いじめの問題で、以前にあげた「ゼロトレランス」。
これの導入で、喧々諤々いっている日本て何?というくらい、
ヨーロッパでは「過激」です。
つまり、自由と平等、この平等を推し進めていくと、
当たり前ですが、こういう社会が出現してくる、
そういうケーススタディーを、我々はどのように理解していくか、
そういうことなんだろうと思います。

どうやら日本は、全体的に「自由」を何の制約も無い、自然なものとして
理解し、主張していく方向にありますが、
そこに平等は、どうやら無い。
端的に、教育の場に、その現象が集約されて、
ただただ我々は、おろおろしているだけ、
そういうことでもなろうかと思っております。

ディズニーに、スタンプを押すために出かける。

2007年05月28日 | 雑感(日記)
早朝から、騒然とした1日。
坂井泉水さんの死去に始まって、松岡議員の自殺。
現閣僚の始めての自殺として、多分、誰もが呆然。

どう見ても、何かやっていそうな「印象」で語られ、
マスコミも野党も、存分に「叩ける」対象として、その役割を任じていたが、
対応にしても、語る口調にしても、
線が細そうな感じがしていて、とても、大きな悪事を、「絵をかける」風には
見えなかったし、
大臣と言う役職に、
なんだか、本当に、嬉しそうな感じがしていて、

前にも書きはしましたが、
新しい、社会の環境に、舐めていたのか、本質的についていけなかったのか、
そういう「年齢層」の方々を代表するかのような、
いわゆる旧態依然という感じを受けていました。


昨日、ディズニーランド。
どう見ても、「常連」向けのイベントを「こなし」に出向きました。
今回は、「スティッチたちのオリジナルグッズをもらおう」イベント。

昨年は、オリジナルチャームがプレゼント。
今回も同様、初回は、スタンプの用紙をもらうだけ。
あとはひたすら、1000円の買い物をして、1日1回、スタンプを
もらいにいきます。

しかし、昨年は、毎回、確か12個、(初回を除くと11個)
スタンプを押すごとに、小さい四角のチャームがいただけましたが、
今回は、2回目に「アロハステッカー」。
5回目に「リロフィギュア」(今、ここ)
8回目に「スティッチフィギュア」
そしてラスト12回目、なんと「ウクレレ」?



と言う感じになるそうです。
凄いでしょ?

し か し!
なんだ、この人気の無さは!
昨年の何十分の1程度の参加率だ。
しかも!参加している連中のほとんどが、「年間パスポート」所持者。

昨年は、後半のチャームが品切れで、予測を上回る「破損率」と「参加者」
で、クレームの嵐だった記憶が残っているのだが、
今回は、この「惨状」。
想定内か?

確かに、グッズはすぐれものだが、スタンプをただ押すだけの作業が、
プレゼントの間に3回づつある。
これは、一般客には「不向きな」企画であろう。
確かに、1000円くらいは、食べもし、品物を買いもし、あっという間。
だから、負担に考える連中はいないであろう。
そんなテーマパークだし。

にしても、いつ行っても、交換所が、がらがらだ。
この時期に、こういうイベント。
集客という「テーマ」がそこに横たわっているのは事実だろうが、
言って見れば、年パス所有者の「水増し」来場者数とも言えるか。

なんでこういうイベントに行くか、買うか、もらうか、と言われれば、
そういうテーマパークだからと、繰り返し言おう。
ただ、おかしなことに、イクスピアリの駐車場が、大混雑だ。

1時間、無料ということもあってか、
当たり前だが、常連客のほとんどは、ランドとかシーの駐車場には
入れません。
ここにぶち込んで、1時間という時間内で、さっさと「作業」を完了し、
帰宅するのである。

バスも15分間隔(時間によっては10分間隔)で運行しているし、
しかも無料。
曜日によっては、R6というピアリの無料駐車場も開放してしまう。
これも10分間隔で、無料で巡回しております。

そういえば、ピアリの中央広場で、「ストリートパフォーマー」が
土曜日日曜日に人気を博しております。
いつも思うんですが、ギャラはどうなっているんでしょうか?
最後に、帽子やら、ギターケースのようなものに、
「おひねり」をお願いしておりますが、

どうも、親子連れも、「ああ、終わりそう」というタイミングを見計らうかのように
子供の手をひいて、その場から「離脱」しようといたします。
確かに、こういうの、慣れていません。
最近は、プレゼント付きと称して、1000円という単位をピーアールするもんで
小銭でも、という観客が、「引きまくって」いるのも事実です。

ええ、ポケットの437円という小銭を、せめて、おひねりでお渡ししようと、
ちょっと行きかけましたが、
「DVDと風船付きで1000円」という「声」に、
たじろいで、いけなくなってしまったのは、私です。

まぁ、悲惨な平日とは、対照的に、何をやっているのか、
言い訳も出来ない、週末でございました。


「自由と平等」という言葉について

2007年05月26日 | 社会的全般
お財布携帯とかいうのがある。
お財布スイカもあって、東京では、携帯が定期にもなり、便利。
ところが、友人は、その携帯を、水にダイブさせてしまった。
アドレスなどの記録も消滅し、当たり前だが、定期の記録も消えた。

怖くない?これ。

今、読みかけ中の本があるんだが、
考え方、そして単語の用法など、しっかりと「定義」されていると
非常にわかりやすくて、勉強になります。

もちろん、そもそも論として、その定義なり用法が「変」だと、
思いっきり大変なことになるんですが、
「日本とフランス、2つの民主主義」という本は、
色々な示唆を与えてくれて、わくわくしながら読んでおります。

まぁ、私のことですから、うん蓄じみた内容に、また浮かれているのは事実。
ここで勉強になったのは、
「自由と平等」の考え方。

先に、リバタリアンとかリベラルという話を書きましたが、
極力、政府が干渉せず、人間の活動の自由を最大限にみていくのが
リバタリアン。
リベラルは、簡単に言いますと、
いわゆる格差を解消し、再配分をもって、社会福祉を推し進め、
ある意味平等な社会を実現していこうといった感じ。
(※すいません、リベラルという意味、勘違いしております。ごめんなさい。
  一応、このままにして、後日、ちゃんと書きます) 

作者は言います。
日本は、まるで、論理的にでたらめだと。

日本には、政党的にも「左派」と言われる集団がいます。
今は、平和に関して、かなり突っ込んだ主張で存在を示していますが、
そもそも、海外で言われている左派とは、
あの「ソ連」とか共産主義とは異なって、
平等を主眼とした考え方、政策に立脚している。

その平等とは?
とかく日本では、何かあると、差別のない、平等な社会なんていわれ方が
されますが、
そのくせ、個人の活動の自由を最大限「保障」しなくてはならない。
そうもあわせて言われるのが常です。

思想なり信教なり学問なりの自由は、憲法でも保障されているように
何処の国でも、グローバルスタンダードです。

ところが、これほどあからさまに、自由を保障している日本。
フランスでは、保障しているものが違います。
自分も、言われるまで、そこまで考えが及びませんでした。
あの国では、「平等」が、法の下で、保障されているのです。

で、さらに、その平等の下では、人間の活動において、
自由は、制限されるもの、という考えをきっちりもっている。
プライベートな世界は別にして、
社会全体に関わる領域においては、
個人や民間の自由は制限されるべきもの、という考え方になる。

ところが、日本の「革新政党」とかいうところは、
平等は、当たり前だが、個人の自由が制限されることはあってはならない。
そんな「中途半端」が目立つ。

さらにイデオロギー的に、富裕層に対して、企業に対して、
もっと再配分を高めろと、ことさらな市民・大衆的な運動を仕掛ける。
ところが、ヨーロッパで取り入れられている、
税的な「哲学」。
いわゆる消費税。
これも、弱者へ抑圧的な効果しかないと、否定的。
さらに、政府が「大きく」なることも望まない。

言ってみれば、平等をうたいながら、高福祉を望みながら、
一方で、高負担を極力避け、
さらに平等を達成するために必要な「大きな政府」という仕組みを否定し、
自由主義陣営が唱える、小さな政府をうたう。

また、税の方でも、高額所得者の「税額」に関して、
上げろ下げろと、言う割りに、
本当の富裕層が、勤労所得で稼いでいるわけはないのに、
それだけを議論する。
その影で、株式でいくら儲けようとも、その税額は10%にしかならない。

結局、いわゆるサラリーマンという「源泉所得者」が、
その収入のみに拠って生きている労働者が、
一番、高負担になり、
真の富裕層が、源泉税の「埒外」で、生き生きと生活している実態。

よって、毎月100万円使う人間が、毎月20万円しか使えない人間より、
「税を多く負担する」という間接税の根拠がそこにある、というのだ。

確かに、そういう議論の展開をされると、ごもっとも、と深く考えてしまいます。
昔、左派といわれる集団が、単なるばら撒き型の福祉を叫んで、
実は、資本主義の拡大に、自由主義の拡大に「依存」しすぎ、
不況とともに、「砕け散った」という歴史がありました。

実は、そこに、社会党とか共産党とかが、不況に「弱い」原因がある。
その、どこに行こうとしているのかが、論理的に「崩壊」していることに、
今の自民党の「躍進」につながっている。
案外、平等を標榜している民主党が、いまいち弱いのは、
高福祉をうたいながら、高負担を言い始める自民党の政策に、
いちいち抵抗するという、しっちゃかめっちゃかな、八方美人的な政策を
言っているからだ、という考え方ができる。

我々国民も、もう、福祉大好き、一方で、自由を制限される、
高負担を義務として考えるなんてことは、極力、やだ!という集団です。
もう、考えてみれば、自由も、平等も大好き、なんて、
こんな「わがままに」に育ってしまった感じなのです。

この本の書き出しにもありましたが、
「われわれは、どこに向かっているのか」
まさに、この2つのキーワードを通して、最低限の考え方を、
勉強させられます。
今のところ、本当に、刺激的です。


内閣の仕組みがよくわかりました。

2007年05月24日 | 本・映画
「構造改革の真実 竹中平蔵大臣日誌」

本当は、亡くなった橋本さんが作り上げようとしたシステム。
内閣を強化して、政策を強力に推進する。
財政諮問会議もそうなんだが、
単なる「御用聞き」そして、省庁の「代弁者」に堕してしまった政治家。
橋本さんは、どのような結果があるにせよ、
政策を講じてこその内閣を目指されたんであろう。

というのは、この本を読んで、小泉さんがどうのこうの、
構造改革がどうより、
今までと異なって、どのように、政策が論議され、法案化されていったか、
よくわかります。

我々が目にした政治といいますか、国会は、
起きた問題に関して、与野党入り混じっての「つるし上げ」大会。
なぜ、それが起こってしまうのか、なんて検証し、
建設的な法案を目指すのではなく、
ひたすら、「説明」しろ。
「説明になっていない」
のオンパレード。

どういうわけか、その最中に、予算も、大事な法案も可決されてしまう。
まぁ、予算委員会のみ、バラエティーに富んだ質問をしていいコーナーなんで、
そう見えてしまうのかもしれませんが。

とにかく、政治家を指して、「彼はOO族だから」という言われ方をされますが、
それは決まって、政策通という話ではなく、
その省庁の「利害関係者」であり、陳情団の「団長」。
いかにその省庁のテリトリーを拡大させるかを腐心する感じ。

よって、大臣なんて、所詮、飾り物で、
週刊誌などには、省庁が気に食わないと、ワンマン大臣と呼び、
省庁の利害を代弁する者には、「良く解かっている方」なんて感じで、
関係のバランスが描かれたりする。

ところがあの内閣では、様相が異なる。
大臣が一堂に集まって、ベースになる方針をめぐって、
まずは、省庁のピーアールをする。

当然、省庁の事務方のペーパーを読むだけの人間もいたらしいが、
かなりやり込められたらしい。
この日本において、政策と言うものが、総合的に、大臣と言われる方々が、
議論を通して関わっていくと言う、この光景。
初めてだったんじゃないだろうか。
ある大臣は、「こんなに議論したの始めて」
と時間も内容に関しても驚いていたという記述もある。

年功序列で、特段、勉強もしてこなさそうな政治家が、
次こそ、俺が大臣だなんて、今までは、「名誉職」みたいな感じだったが、
あの時は、かなり大変だったんではなかろうか。

もちろん、リーダーは、あの小泉さんだ。
海外では、当時の混乱した日本において、
「何を先にやるか」という順番を明確にし、実行した人間として
評価が今でも高いと言われている。

で、とにかく、自分もそうなんだが、
彼がやったこと、やろうとしたこと、疑問も異論もあるのだが、
ある意味、「後に検証」できる政策を講じた、
初めての内閣ではなかったか。

とにかく今までは、あれが悪いといわれれば、
その為の方策を講じ、あれがまだまだと言われれば、
それだけを治しにかかる。

そうではなくて、予算にしても、数値目標を取り入れたり、
政策にしても、数値目標の上、年次計画を発表したり、
とかく、省庁が、一番嫌がることをやったのは事実。

主従関係というのか、なんだか初めて、省庁の足かせを排除した内閣。
そういうものが、この本によって理解できる。
もちろん、凄まじい「抵抗」「妨害」「姦計」などあったようだし、
後にどのような評価がされるのかわからないが、
竹中さんの奮闘振りが、非常によくわかり、

さらには、今までの、内閣の運営って、
大臣の仕事って、
どうやってたの?何やってたの?

こういう風にできたのも、あの橋本さんが仕掛けたシステムあってのこと。
悔しがってんじゃないかなぁ、
橋本さんは。


久々に、うっかり、涙腺がゆるんでしまいました映像。

2007年05月23日 | 本・映画
いつも「小太郎ぶろぐ」、お世話になっております。

動物の映像をこよなく愛している自分として、
読みもしない「ナショナルジオグラフィック」。
これ、動物だけではありませんが、全部購入いたしておりますが、
どうでもいいですね、
今回の、
「待ち受けるライオンに気づかないバッファロー」



8分ほどの映像です。

Battle at Kruger


集団で移動をしているバッファロー。
先頭を歩く、これはリーダー的な個体なんだろうが、
先方に待ち構えるライオンに向かって、一本道を進む。

いやーん、まるで、今の自分みたい。

そんな感想をもちながら、いやーな気持ちで見ていました。
あとは、見てください。
久々に、うっかり、涙腺がゆるんでしまいました。

多分、見た方も多いかと思いますが、
どうぞ。


茶髪と店の方針に関して。

2007年05月22日 | 社会的全般
相変わらず、手持ちのパソコンも自分の環境もクライシスな状況なんだが、
頭が回らないのは、今日に限ってではない。

最近拝見した記事の中で、
不遇な環境の中で、頑張って働く少女(16)の話が出ていた。
ファミレスで1年間、働いている。
最近になって、新店長から髪の毛の色を理由に、
簡単に言うと、クビを宣告されることになる。

彼女は、こう言う。

 「1年間、一生懸命働いて時給も20円あげてもらった。それが髪の色だけで否
  定されることが悔しかった」

そして、個人加盟できる労働組合(ユニオン)に入り会社と交渉、撤回させた。
という。
  週5日、朝8時から夕方5時まで牛丼チェーン店で働く。さらに週2、3日は
  午後6時から9時半までファミリーレストランで、ダブルワーク。

このファミレスで「ダメだし」をされたわけである。
茶髪というものが、今現在、社会的にどういう位置づけをされているか、
つまり受け入れられているのか、いやいや難しいのか、
そういう観点で、これは、採用基準には入らないだろうなんて、
そういう意見が多いのも確か。

10年前に比べると、明らかにファッションなんだが、
まるで、生来のもののように受け取る雰囲気があるのも事実。
今時は、中学生でも、高校生でも、特別、珍しいことではなくなってきた。

そして、最近は特に、サービス業。特に飲食店での接客サービス。
都内では、本当に、人が不足している。
もう、応募があれば、シフトの関係上、まずは採用!ということが実態です。
繰り返しますが、10年前?20年前であれば、言語道断。
採用はされなかったでしょう。

というのは、接客は、当たり前ですが、お客様が主体です。
従業員は、まず「黒子」としての役割が立ち位置です。
とにかく「目立たない」「飾らない」「自然である」「清潔である」
が何点セットかわかりませんが、
普通のこととして、考えてきました。

つまり、そういう「コンセプト」で、店作りをしているところが、
今でも、当たり前のようにあるわけです。

もちろん、あまたの数が飲食業界ににはございます。
逆に、従業員が目立つことによって、それをコンセプトにして、
むしろ頑張っているところもあるわけです。

別に、社会常識とか、そういうことを言うつもりは、さらさらありません。
お店は、チェーン店であっても、その店のスタンダードを
主張したり、売りにしたりすることが、
当たり前なんだということです。

ところが、こういう記事を見ると、
個人のスタンダードは、こと、働く人権の問題が絡むと、
なぜか、店のスタンダードよりも優先される。
というか、こういうことが、全く、議論の余地がないくらい、スルーされる。

実は、働き手は、ものすごく、法的に守られています。
もう、どんな勤務態度であろうと、採用した時点で、
全責任を、店なり会社が負ってしまうのは事実です。

個人的には、彼女が、そのような趣味で、どのようなセンスがあろうとも、
それに関しては、その自由も理解し、問題にすらいたしません。
茶髪に関しても、特段、関わりがない限り、気にもなりません。

ただ、店のコンセプトなり方針が、何ら問題にされず、
雇用の問題として、処理されてしまった。
これは、本当に、それでいいことなのか?
ついつい、そう思ってしまい、取り上げた次第です。

すいません、雑感です。

2007年05月21日 | 雑感(日記)
昨日の朝の番組で、フジテレビの「ボクらの時代」で、
言語学者一族、金田一秀穂氏が登場。
又聞きなんですが、お人柄も含めて、楽しい番組だったと言うことです。

特に、聞いた話の中で、
「敬語」の乱れに関するテーマ。
一番酷かったのは、なんと、「団塊」と呼ばれる世代。
敬語の「使い方」が、一番なっていなかった世代と言うこと。

比べ、まともなのは、今40代の世代。
TPOをよくわきまえているものの、本当に敬っているのかは別にして
ということでしょうが。
そして、若い世代。
ため口とか距離感が喪失した関係とか言われていますが、
団塊の世代よりは、わきまえているらしい。

わざと、やっている気がしてしょうがありません。
あの世代は(笑)。

その言葉遣いが最も乱れている世代の「ご子息」が、
団塊ジュニアと、残念ながら、そう呼称され、
ニート、フリーター問題のみならず、さらに、暗黒の10年を過ごされた方々。

最近、関東では、神奈川県の人口が、大阪を僅少で抜いたと言うことです。
あの埼玉県も、大阪に肉迫化してきたそうです。
一極化してくるんでしょうか?
別に、関連付けて、言い回したくはないんですが、
バリアフリーと、セイフティーを考えて、
定年退職後、子供を連れて、マンションへの買い替えが集中しているという話。

確かに、ニートも一つの生き方。
ただ、国への参加意識が、「具体的」に乏しいのが、ちょっとね。



良くも悪くも、この、今の日本の原型を、強力に方向付けた「世代」。
それが、団塊の世代ということなんでしょう。
ただ、こういう言われ方や、まとめてどうだ、という考え方に、
一番同調したくない、そういう気概のある集団なんで、
ご反論も一番あるんでしょうが。

ただ、美しい国の創生。
今の子供の教育との関連もありますが、
この大きな「集団の世代」が、腹を括っていただかないと、
下からなんとかしようというのは、多分、無理。

消費社会の主人公として、素晴らしき定年ライフを、
さらにわが道を突き進むばかりみたいな感じでは、
どうにも、あの浅野史郎さんをイメージしてしまって、
いけません。
(ちょっと、落選のコメントが、あんまりにも、「ご自分を棚に上げた」発言で
 がっかりしたもんですから)

ただ、そう書いている自分だって、呑気なことばかり言ってないで、
しっかりとしなければいけないのは、わかっているんですが。
申し訳ない。


どんよりと曇った日に。

2007年05月19日 | 雑感(日記)
年金の口座を持っているご老人が、朝から銀行に列を成している。
プレゼントが無料で配布されるらしい。
地域に密着した、信金の営業戦略。
明らかに老人。いやいや、全然、現役だろう。
列を乱さず、並んでいた。
本当に、数が多い。

裏口から、プレゼントと広告のチラシが入った袋をさげた方々が出てくる。
袋の厚みがそれぞれ違うこともあって、
多分、何らかの「抽選」みたいな話。

80歳をとおに過ぎた老婆が、出てくるなり、袋を路上に捨てる。
プレゼントというかありゃ、お土産なんだろうが、
それだけを手提げ袋にしっかり入れて。
ありゃありゃ。

話題が一気に飛びますが、TOTO BIG たまたま駅の近くで待ち合わせ。
マークシートに書き込むのかと思いきや、窓口で、勝手に印字されたものを
買うだけなんですね。
サッカーとは、何の関係もないクジなんですか?。
誰も並んでいなかったので、1口300円。
3口。当たり前だが購入。
でも、どうやって当たりを確認するのかな?。
ましてや、何等まであるのすら、知りません。
高額配当の場合、どこで換金するのかも知りません。

先日の凄惨な母親殺害事件。
色々なコメンテーター、識者、学者、専門家が散々議論を尽くしていました。
最近の傾向を示しながら、
いずれにしても、このような「特殊」な事件を、一般化しようとしています。

社会の問題、家庭の問題、学歴格差の問題、親の過度の期待、格差社会への言及。
それを通して、「最近の凶悪化する子供の犯罪」やら
「肉親への殺害の傾向」など、
うーーん、これを今の子供達の傾向なりと分析して、どうするんだろう。
分析しても、しょうがない、かなり特殊な事件であっても
いいんじゃないであろうか?

ある調査で、小学生。
死んだら生き返ると思っている子供。大体を含めて7割くらいいた。
死と言うものをリアルに体験もできない、そういう社会。
ゲームであれ、テレビであれ、
そういえば、やたら「頑丈」なヒーローが多いのも事実。

今じゃ、刀傷くらいで「痛々しさ」を表現している主人公は流行らない。
ゲームでも、死んでしまったら、教会で生き返らせるための「ゴールド」の方が
心配といっちゃ心配だ。

別に、わずらわしい人間関係を学んだり、苦労なんかせずとも、
たいていの事は、小額のお金を出せば、解決できる。
ちょっと頑張れば、勝手に掃除してくれる便器やエアコンも登場。
何か、人に依頼をする、そういう関係性の根源的な部分が、
駆逐されていく。

もちつもたれつも、ありがたみも、そういうことさえも、
サービス業は、考えつくして商品化していく。
そして、今やもっとも、商品化できないのが、人間の個性、ともいえる。
違いがありすぎると、面倒だし、できれば、等価値でいてほしいよね。

多分、こうして単純化が進むのは、言ってみれば、グローバルスタンダード的。
人間の「モノ化」が極まっていく。
あらゆる関係性が、「価値基準」なり商品化されていく今日で、
実は、もっとも大変なのが、関係性を人間的にもてなくなった我々だ。

容赦ない現実に、多分、色々な「歪」が出てくるのであろう。
本当は、そういう局面で、昔を知った、ご老人達が、
不条理な人間関係を、非現実的な世界観を、そのままフルパワーで表現しながら、
子供達を巻き込んで、コミュニティー化してくれれば、
案外、救われる子供達も出てくるであろうに。

そうとはいえ、一攫千金を目指して、
取り立てて欲しいものが見つからない世の中で、
100人も200人も、宝くじに並ぶ人たちが、ニュースで映し出される。


過剰な報道は差し控えたほうがいいと思う。

2007年05月18日 | ニュースに絡んで
愛知・立てこもり事件の経過

  事件が起きたのは午後4時近く。110番通報で駆けつけた木本巡査部長と、
  大林容疑者の長男、健人さん(25)、次女の里紗さん(21)が撃たれた。
  大林容疑者は内縁の妻とみられる女性を人質に捜査員らとにらみあった。



指定暴力団、通称やくざは、警察の認可団体として監視されている。
もちろん、紋章もあわせて登録されている。
もちろん、暴対法の強化に伴って、いわゆる連座制の決定版が導入されたこともあって
組員の起こした事件は、そのまま、組長の管理責任が問われる。

結果的に、コントロールの効かない組員を、排除したり破門することにもなり、
「危険」な人間が、野に出る現象を引き起こしたことは否めない。

昨夜から、それこそ、どの番組もこの事件を追っていたが、
最近のマスコミ報道の「滅茶苦茶」加減が極まりない様子が伺えた。
貼り付けた写真でもそうなんだが、
どういう「観点」で、この写真なり、
さらにテレビでも、警察官の「配置」が一目瞭然となる空撮映像を、
流しているのであろうか?

また、おそらくは、「流れ弾」に近い銃弾で命を落とした若い巡査部長。
防弾チョッキの方紐のマジックテープに近い部分に、弾が着弾した。
さらに、先に撃たれた警察官。
「身内」を助けにいけない、その心境をも含めて、
いらだちをコメントする解説者も、いた。

おそらく、日本では、こういう事件は、慣れていない。
例えば、こういう犯罪を想定した「訓練」ですらも、
嫌悪感を、はっきりと表明する「識者」がいる国だ。

助けようとして、さらに被害が拡大すればしたで、大いに叩くであろうし、
そのまま打つ手がなく、今回の様相を見せたら見せたで、
弱腰、策が無い、SATとは飾り物の無駄喰らいの長物かといわれるしで、
何の配慮も欠片も無い、映像を、興味本位で垂れ流している。

この事件が「長期化」したらしたで、
付近住民は、その長期化したことをもって、「生活権」阻害されたとして
国や、警察に、損害賠償さえも起こしかねない今日。

そうはいえ、このことによって、「大いなる敵」を想定した、
システムの導入を、なんて、自分は言うつもりも無い。
ただ、諸外国の人間が見たら、
この日本の対応と、民衆の考え方など、
ものすごく、興味深く考えることであろう。

そういうことを踏まえて、警察も国も、首脳陣は、大いに苦悶しているはず。
ただ、あまりにも、ヒステリックに、我々が反応すると、
「これを基準」としたスキームが構築されかねない。
それが、どういうことになるのか、
数年後に、多分、明らかになってくるであろう。

ご遺族の方には、故人のご冥福を祈りたい。


国民投票法案を巡る、平和を訴える人々の姿。

2007年05月16日 | 政治
国民投票法案が成立した。
その当夜、報道ステーションで古舘キャスターが、
自民党の保岡議員を呼んで、話を聞いていた。

保岡氏が淡々と話をする傍らで、相変わらず、
古館のトークは痛さばかりが募って、本当に、今回だけは、辛かった。
文学的な修辞を加えようとしているのか、いちいちフレーズに重さを
つけるかのような「語り口」。
もう少し、「ご自分の意見」はいいから、
せめて「解説」をしていただけないかと、なんだか思ってしまう。

今回のこの法案。
この報道ステーションは、この法案が成立すれば、
間違いなく、平和憲法改正なり、国民にとって、危険な社会が出現してしまう。
そういう「前のめり」な雰囲気がありあり。

特に、公務員に関する規定。
パネルを用意して、特に教員の「立場」について解説をしたくだりで、
例えば、法学部の教授が、理学部で自分の立場から、
勧誘なり説得をすることができる、これは○。
勤務時間外、私用で、集会に出かけたり、運動に参加することも○。

実に理に適った、まさに国民として、当たり前の環境ではないか。

ところが、自分のクラスで、成績をたてにして、参加なり意見を集約する作業。
これは×。
PTAなどで、父兄に運動をしかけるのも×。

議論の余地が無いくらい、国家公務員として以前の問題として、
当然すぎるくらい、当たり前の考え方。

ところが、何を血迷ったか、古舘氏は、
教員も国民である以上、どういう運動なり問題意識をもって望もうが、
国民投票に限っては、全部、フリーでいいんじゃないか、
で、パネルで×がついている、これら(先に書いた×の項目)も、
全部、OKでいいんじゃないですか?
と保岡議員に振った。

さすがに、あきれたような顔をして、保岡議員は淡々と、議論は尽くすが、
さすがにクラスという前で、公務員という立場の中で、この成績をつけるという
立場ですることはいかがなものかと、そんな感じで、
まさに正論。

ところが、古館氏、
ええつ?いいじゃないですか、この際、無くしても。

本当に、この人は、あの古舘氏なんだろうか?
遠い、以前に知っていた、あの古舘氏なんだろうか?
いやいや、全然親しくも、顔見知りでもないが。

確かに、国旗、国歌に関しての、教育現場での騒動。
もう、テレ朝というか朝日新聞系列というか、報道ステーションの
立ち位置は、わかりすぎるくらい、わかりやすいんだが、

「いくらでも議論を深める時間はある。
 国民が、本当に、国というものに参加をして、大事な作業をしていただく。
 そういう法案であって、大いに議論を尽くしていただきたい」
という保岡氏の話しに対して、

どうにも、古館氏のコメントは、これをやられたら、
憲法9条はもとより、恐れていた戦争をも視野に入れた大変な社会が
到来するとでも、ええ、鉄板で思っている。

  戦争や暴動、テロ、環境破壊、自然災害など日本だけでなく世界中の悲劇や事
  件を取り上げ、「言葉」の前に立ちふさがる大きな事象に対しても、朝日新聞
  は言葉のチカラを信じて報道していくことを宣言しました。

が、朝日新聞のテーマ。
そんなに「慌てるほど」この社会を構成する人々は、
言葉も届かず、まっしぐらに、「暗黒」の社会に突き進んでしまうとでも、
思っているのかしら。
もうすでに、こういう反応を、彼らが示している時点で、
思いっきり「敗北宣言」をしている感じじゃないですか。

ニュースで、国民投票法案粉砕!とシュプレーコールをあげている団体の
映像が流れていたが、(かくかくした赤い文字の横断幕)
あわせて思うことがある。
いずれにしても、この「左翼」というか、平和をシンボライズして
闘おうとする連中。

思いっきり、下手糞だぞ。
これで、普通の人間が、どう考え、思うのか、
どうみたって「効果的」でないことくらい、どうしてわからないのか。
平和を主張する団体こそ、危ない、思想系の宗教団体とか、
武闘派のOO系団体としか、見えなくなっているぞ。

報道ステーションのような、あからさまな断固否定なり、
とある集団のシュプレーコールにしても、
彼らは、とっくに、言葉の力を信じなくなっているように思える。
それが、見ていて、残念。
そんなに、一般の市民は、貴方達が恐れるくらい、バカで、声のでかい方へ
流れていくとでも、思っているのだろうか?


陪審員制度。初めて知りました、こんな内容だという事を。

2007年05月14日 | 政治
先日の本からの引用で申し訳ないんだが、
例の陪審員制度。
これも、スルーしておりました。

いまだ、何の実感も無い。
死亡に至る被害者が発生している「事件」を取り扱う。
アメリカなどで、主流になっている、企業間の争いを判じる、
民事関係には適用しない。
など、本当は、ものすごく突っ込みどころが満載なシステムなのに、
実は、あまり積極的に理解しようとしていない。

多分、選出されないだろうという、漠然とした気分があるからであろうか?

ところがこの本を読んでみて、ちょっと驚いた。
以前、それでも僕はやっていない、とかいう映画で話題になったが、
犯罪として検挙された事件の9割以上が、そのまま有罪になる。
警察の捜査力が、正当に反映されているのか、
それとも、冤罪が隠されているのか、
捕まったら、多分、有罪。

そういう、意識は、実は、誰でも持っている。そんな国だ。
だから、白黒の車を見ると、どうしても「ドキドキ」してしまったり、
ブルーの服を着た人間が、白のメットを装着し、バイクにまたがっていれば
即座にブレーキに、足を、踏みかえるのも......。

えへつ。

その陪審員制度。
当然、有罪、無罪の判決をしなければならないんだが、
その「多数」の中に、必ず、裁判官が含まれていなければならない。
これは、知りませんでした。

裁判員が、全員、例えば「無罪」と評定しても、
その中に、裁判官がいなければ、やり直しなんですか?
だとすれば、意味ないじゃん。

おまけに、アメリカなどでは、裁判員が多数決の末、
無罪 と判決した場合、検察など「上告」?は、できない。
なのに、日本では、できます。

先日の、日歯献金問題で、1審「無罪」になった松岡さん。
2審で有罪になりましたが、
日本では、1審無罪判決が、2審有罪判決に覆る確率、
なんと7割だそうです。
それもすごいことなんだが.......。

こう考えると、この陪審員制度。
はなから、何のためにやるのかわからない。
新聞に、ちゃんと書いてあったのかなぁ?
大部分は、国民が、どのように選出されるか、その問題ばかりに
焦点がいっているかのような報道が多かったような。

確かに、目的意識も、国民として、問題意識も参加意識もない、
まぁ、自分のような人間がいる以上、
外野にいて、あーだこーだ、と言うより、当事者意識をもたなければならない、
それは間違いないんだが、

にしても、何か、1線は超えさせないよ、という「お上」の意識。
これをどうにもこうにも感じてしまうのは、
私だけでしょうか?


かくいう私も、マスコミ報道を鉄板で信じていました。

2007年05月12日 | 本・映画
本が少しでも読めるようになったことは、前進かもしれない。
「官僚とメディア」 魚住昭著 

最初、お勤めになられた共同通信社と私、みたいな回想録かと思いましたが、
中盤から、後半にかけて、いやいや、ちゃんとした構成になっていたんですね、
御見それいたしました。
何の気なしに手にした本ですが、ラッキーでした。

個人的に、関心があった「耐震偽装建築」のこと、
思いがけずも書いてありましたが、
えっつ?
結局、こういうことだったんだと、
ちょっと読んで見て、ショックでした。

というのは、あの「事件」。
さんざん、マスコミだ、ブロガーだ、政治家だ、専門家だ、司法だと、
多くの人間を巻き込みながら、
結局、印象に残ったのは、ヒューザーの小嶋社長と、イーホームズの藤田氏。
そして、堂々巡りする行政と、被害にあった消費者。

ところが、この本を読むと、なんのことはない、
姉歯一人でやったことで、
あの「事件」に登場した誰もが、誰一人として、この事件に「加担」していなかった。
これが、裁判の過程で、明確になっていったのだ。

おいおいおい。
どういうことなんだよ。これ。

著者は、その過程なりを調査した上で、こういう推論を下す。
  国交省は必要以上に偽装物件の危険さを強調し、偽装を見逃したイーホームズ
  やゼネコン、デベロッパーらを悪役に仕立てることで自らの責任を逃れようと
  したのではないかと思わざるを得ない。

あの国会で、一躍有名になった民主党の議員さんも然り。
さらに煽るだけ煽って、悪役を仕立て上げたマスコミもしかり、
誰もが、無能と呼ばわった、官僚なり行政の連中の「操作」に、
まんまと「踊らされて」しまったわけである。

情けない。

  今回の事件は、勉強不足のあほな建築士がきちんと検討されている合理的な
  設計の結果を真似しただけです。
  なぜそうなるのかの技術的な裏づけをせずに形だけ真似した(所謂偽造ですが)
  だけのことです。

笑ってしまうのは、例の、偽装の元になった、「計算プログラム」。
これって、大臣認定ソフトだけでもなんと106種類。
なんでこんなにあるんだ?
ということで、
こっちでやると、0.4。こっちでやると、0.9。
という風に、すでに行政側が、退去命令を撤回した物件もある。

  事件があらわにしたのは、建物の安全を支えるはずの建築確認システムが
  完全に形骸化し、機能しなくなっていたということだった。
  国交省の官僚達はおそらくそのことに薄々気づきながら、何の手も打たずに
  放置してきたのだろう。

  この事件で問われるべきは国交省の官僚たちの責任だった。

  それを問う声はあまりに細かく、官僚達はほとんど無傷のまま生き残った。
  その代わりに生贄として差し出されたのが小嶋であり、木村、篠塚であり、
  藤田たちだったというわけだ。

国交省の官僚達は、その五ヶ月間、どういう風に逃げ回っていったか。
その情報の大半は国交省を発信源としている。
国交省の「担当記者」たちは、それと気づかぬまま、
官僚達の生き残り戦略に「加担」させられたのだ。

記者クラブで、もう、客観報道と言う大名分をかかげ、
その情報の大部分を、もちろん、タダで、もらいうけながら、
5W1Hという、その定形的なスタイルに則って、
検証もせず、1人称で語ることもせず、
ひたすら、何かに「加担」させられていく、マスコミ。

どうやら、本当に、新聞、テレビなどは、この先、慎重に考えていかないと、
思いも寄らないことを、見せられるに違いない。
やばいなぁ。
この本を読むまで、小嶋社長のこと、本当に、意図的にやったと、
思っていました。やっていなかったんですね。はぁ~。
被害者だったようです。はぁ~。

他にも、色々な事件を、丹念に調べた記録が残っております。
いい、時事研究になります。


ただいま、大掛かりなリセット中。パチンコ業界。

2007年05月11日 | 自分の仕事に絡めて
前にも書きましたが、
ご興味の無い方は、飛ばしてください。

パチンコ業界。
大荒れに荒れています。
どんどん、倒産しています。
先ごろ、業界6位。売上2000億円を超えると言われている法人が、
いわゆる倒産をいたしました。

昨日も、関東にある、法人が倒産をいたしました。
ええ、でてきますね、たくさん。
ニュースになるのは、いずれも、20店舗とか30店舗とか、
規模のある、チェーン店です。

ところが、これ、業界の中とか、金融機関の中では、
恐れていた、5号機問題に端を発する連鎖倒産だといわれていますが、
確かに、そういう1面もあります。
が、簡単に言うと、「駆け込み倒産」としか思えない。

数年前、「外資」と言われるファンドが、結構、大盤振る舞いな投資なり
融資を、この業界にいたしました。
これがすごくて、店舗の売上を「担保」にするという、
まぁ、キャッシュフロー担保とかいわれるやつですが、
簡単に言うと、毎日の「売上」を管理されてしまう。

ええ、売上を自由に使うことが、原則できない契約になっているのです。
使いたい時、例えば、稟議を、わざわざ出したり、計画書を作成したり、
どう考えても、何のために融資をしてもらったのか、わかりません。
どちらかというと、「乗っ取り」に近い融資を受けてしまっている。

まぁ、何に目がくらんだのか、わかりませんが、これが多かった。

で、大型チェーン店の場合、全店舗の7割も、「差し押さえられている」。
ということで、赤字の営業をやったりとか、
例の5号機を大量に購入するにしても、
以前ならば、さくっと、借金を抱えていても「出せた」のに、
お金はあるのに、出せない。

で、出した結論。
「潰そう」ということなんです。

金融機関も、相変わらず、土地とかの担保評価に「戻って」いるし、
半島系の経営者が多いこともあって、
金融制裁に近い「仕打ち」を受けているし、
リースなんか、会計基準が変更になる「予定」なもんで、
超お得意さんであるこの業界にですら、お金をつけるどころではありません。

そこで、この国が何を考えているかと言うと、
「現経営者」の、ゆるやかな「追い出し」です。

ですから、多分、この数ヶ月間、全部、民事再生になります。
更正法で、ぶっ潰すことはしません。
実際に、金融機関に、「民事で」というお達しが出ているとすら、
まことしやかに言われています。

というわけで、悲惨なのは、同じように、半島系が多い、
この業界を支えている「業者」なんです。
民事再生の場合、営業はできますが、「債権」をいわばチャラにして、
再生を図ろうと言う、とっても「素敵な」仕組みなのです。

ですから、関東より上に位置する、とある会社は、
後釜を、ちゃんとこしらえて、お店を「買いまくって」います。
ある程度の規模にしておかないと、民事再生がおこなえないという、
まことに「戦略的な」発想です。

雇用問題という、そういう視点もありますが、
これは、大掛かりな、リセットにすぎません。
今まで、メーカーなり業者が「貯めこんでいた」とされる利益を
存分に「債権放棄」という方法で、吐き出させ、
この業界事態をリニューアル(人的に)させているとしか思えないくらい。

何を持って、市場規模30兆円と言われているのか、
自分にはまったくわかりませんが、
単に、バブルが弾けただけ、という見方もできるかもしれません。
が、台あたり、適正な商圏人口で行っている会社は、
今でも、どこ吹く風で、健全に経営をしております。

1つの駅に、13店舗だとか、15店舗もあるほうが、
可笑しい、というだけで、個人的には、業界の危機とは、
特段、考えもしません。
本当に悲惨なのは、それに巻き込まれた、零細な業者だけということに
なるだけです。

大人が食い物にしたってことでしょ?

2007年05月09日 | スポーツ
すでに議論が尽くされている内容なんだが、
特待生制度で緩和措置検討 日本高野連が10日に臨時会

  日本高校野球連盟は7日、日本学生野球憲章に違反する「野球部員であること
  を理由にした特待生制度」を設けていた高校の野球部長と当該部員に対する処
  分の緩和を検討する方針を明らかにした。10日に緊急の全国理事会を開いて
  話し合う。

領収書から、稟議書まで、なんでか今の国会議員に見習わせたい「西武」なんだが
一通り正規に処理されていたことが、どうやら発端だった。
結局、多くの学校で、特待生制度があったという事実。

もう、当たり前だが、みんな、ジュラ紀の頃から知っていた内容だ。

ただ、高野連の言い分も理解できる。
過去に、選手をめぐって、多くの金銭的な問題やら、人身売買のような事件も
あって、出されていた通達と言うか憲章なんだが、

もう、恥ずかしくなるくらい、
野球は、いい、「金づる」なんだと公言したようなもの。
今でも、実態は、なんら変わっていないことが、公になっただけである。

プロ野球が、ひょっとすると、芸能プロダクションと、
構造的なものが、なんら変わりないんじゃないかという事実。
金をかけたんだから、一生この球団に骨をうずめろ、に近い発言を、
未だに憚らず言う大人もいるくらい。

さらに、「人気高校球児」を入団させれば、
球団経営に「寄与」するに違いないと、
球団を育てる「工夫」の欠片も無いところが目に付くわけで、
こういうところが、フリーエージェントと完全ウエーバー制を拒んでいる。

だって、球団側に自信も、努力もへったくれもないから、
時期が来たら、人気球団に「根こそぎ」持っていかれると、
普通に考えているからだ。
もう、芸能プロダクションレベルの考え方だ。

結局、大人の「食い物」になっているのは事実で、
子供たちは、ある意味、全然、悪くない。
勉強が出来ての特待生は、やたらにあるし、
他のスポーツが出来る子が、何かを免除されているのも普通。

「違反した高校の大部分は私立高校」という見出しも躍ったが、
こういう書き方自体、なんと言う、頭の悪い見出しなんだと思ってしまう。
他の「局面」では、さんざん、様々な「特典」を活用して、
いい実績をあげて、学校経営に積極的な学校と、
賞賛的な取り上げ方をしているくせに、

この件だけは、突然、知らなかった振りを決め込んで、
「何てことを」みたいな取り上げ方。
だめだろう、大人たち。

当たり前だが、野球の最終出口と言われている、
プロ野球が、真摯に考えねばだめな案件で、
せっかく、なんだか真面目な対応と調査をした西武を
批判やら非難をする前に、過去の問題なんか取り上げる前に、
これからをどうしたらいいか、そういう方向に、
マスコミも報道すればいいのに。

でも、ちゃんとシステムつくったら、本当にプロ野球の球団。
半分になってしまうかもしれない。
それだけ、甘くも長い時期があったってことなのかしら。