まなびの途中

色々な仕事をしてまいりました。
色々な出会いがありました。
勘違いもありますが、
学んだことを書いてまいります。

妻の死亡リスクは2倍?

2007年01月31日 | ニュースに絡んで
こんな記事を見つけてしまいました。
で、どんな根拠なり検証がされているのわかりませんが。

老後に夫と同居→妻の死亡確率2倍

  老後に夫と暮らすと、妻の死亡リスクが約2倍に高まる――。そんな調査結果
  を発表した愛媛県総合保健協会の藤本弘一郎医長が愛媛医学会賞に選ばれ、2
  8日に松山市で授賞式があった。
  
  藤本医長は「夫が日常生活の多くを妻に依存している高齢者が多く、肉体的に
  も精神的にも妻には夫の存在が負担になっている」と指摘している。

  藤本医長は「夫の依存が妻に負担をかけている一方で、妻に先立たれると夫は
  身の回りのことを助けてくれる存在を失い、逆に死ぬ危険性が高まる。夫が家
  事などを覚えて自立することが大切だ」と話す。

医学会賞に選出されたわけで、奇妙な研究ではないことは確か。
にしても、「リスク」という言葉を使うこと自体、
個人的に違和感を感じるんだが。

  調査では、96~98年に松山市に隣接する旧重信町(現・東温市)で、60
  ~84歳の男女約3100人に配偶者の有無や喫煙習慣、糖尿病や高血圧の治
  療歴など17項目を答えてもらった。

  約5年後の01~02年に対象者の生死を確認。調査中に死亡した男女計約2
  00人と生存していた約2900人を比べ、配偶者の有無などが死亡に与えた
  影響を60~74歳と75~84歳(いずれも96~98年当時)で分析した。

で、「その結果、75~84歳では、女性は夫がいる方が、いない場合に比べて死
亡リスクが2.02倍に高まった。一方、男性は妻がいる場合、いない場合に比べ
て0.46倍に下がっていた。60~74歳でも同様の傾向が見られたという。」

リスクというと、我々は「危険性」という意味を感じやすいんだが、
あちらの国では、可能性という感じで使うことも多い。
つまり、今日雨が降る確立は、という程度でも、リスクみたいな感じで使う。

にしても、あまりにもテンプレート的な結果だったんで、
おいおい、日本全国的に「再現性」のある、科学的な結果なのか、
悩んでしまうんだが。

というのは、確かに、高齢者のご夫婦で、始終、旦那に怒鳴られながら
後をついてくる奥さんの姿を、駅のホームや、デパートなんぞで
見かけることがあったが、
また逆に、始終、奥さんの「口撃」を受けながら、
うんうん頷いている旦那さんの姿も、また、最近、多く見かける。

「夫の依存」という単語では、普通、身の回りの世話、という受け取り方を
してしまうが、
夫は、家事を覚えて自立することが大切だ、なんて説明が、
なんだやっぱり、身の回りの「世話」が、負担をかけているって説明か、
になりますやん。

精神的な問題ではない?ストレス?
でも、随分前に、とある老人ホームの実例で、
全員、仲良しチームと、その集団に、気に入られていない分子を入れたチーム。
で、どっちがアベレージで長生きするかっていうと、
反対分子を入れたチームだった、という報告が出ていた。

いやね、この調査で、身の回りのことを、仲良く分担していた「夫婦」の
検証結果が、傍証であるんだったら、理解が早いんだが、
考えてみたら、この年代は、最後の「男子に生まれれば、厨房に立つべからず」
の世代だから、これは、比較例がないか。

ということは、なんだか、サンプルが、あまりにも極端な検証結果?
と考えてもしまうことなんだが、
5年で、サンプルの6%が、お亡くなりになった。
それも、すごい結果。

柳沢さんちは、大丈夫なのかしら?
妻より長生きしたら、これはもう、愛媛医学会の推奨研究を、
もの凄く後押しできる、かも。

「秩序を乱す」という理由って、何?

2007年01月30日 | ニュースに絡んで
あの頭痛はなんだったんだろうか。随分、正気に戻った気がする。
というわけで、少しは、論理的に考えられそうです。

今回も、日本の会社の常識ということで。

職場の酒席で上司を批判 「4階級降格は妥当」 逆転敗訴で上告 札幌高裁判決

  職場の懇親会での発言を理由に、管理職の部長から四階級降格の処分を受けた
  のは違法だとして、空知土地改良区(滝川)の総務部長だった男性(58)が
  地位確認を求めた訴訟で、札幌高裁(末永進裁判長)は、男性の請求を認めた
  一審判決を取り消し、

  「管理職は酒席でも節度ある言動が必要」として、男性の請求を棄却した。

  男性は高裁判決を不服として二十九日、上告した。

  男性は「酒席での役員批判を理由に四階級も降格させるのは裁量権の逸脱で
  違法」などと主張。
  改良区は「発言は職場秩序を乱すもので、総務部長の素質に欠ける」と反論した。

  高裁判決は「懇親会の費用は改良区が負担しており、職務に関連がないとは言
  い難い」とした上で、「総務部長には酒席でも節度ある言動が求められる」と
  した。

ホワイトカラーエグゼンプションに関する議論が白熱している中で、
日本という国で常態化している、「業務」の考え。
えーっと、懇親会も、業務の一環というお答えでした。
すんごく、毎度、日本的。

確かに、どのような人物なのか、どういう業務なのか、これでは判断しかねますが
最近の政府の考える、
自分の判断で、業務をコントロールしなさい。
休日も、残業も、個人が個人の裁量で行う。
そのための一つの方法として、ホワイトなんたらを推進しています。

ところが、実際はどうなのかわかりませんが、この判決。
「発言は職場秩序を乱す」という。
20年も前に、同じ理由で、降格処分を受けた前歴がある職員ということですが、

秩序を乱す。
この「考え」が、いかに日本の会社に蔓延しているか、
これがために、勤務時間を、個人でマネージメントすると、
どうしても「勝手な行動」ととられかねない。
こういう声が、いかに多いか。

年齢給を捨て取り入れた成果主義で、年俸制というものが、
どうして「破綻」するのか、
繰り返し指摘される中で、
また、同じ理由で、その議論なのか喧嘩なのか、酒席での暴言なのか
その何が不適当なのか「理由」も示さずに、
個々のやり取りの「内容」を開示することなく、
「秩序を乱す」ということを最大の理由にしてしまっている。

少子化の問題として、「一家団欒」の時間を増やそう。
そういう声も閣僚から聞こえてきますが、
先にあげた商社の社長さんは、
残業をしてでも、スキルアップしたいと考える若者に、
残業をさせてはいけないという制度の為に、叶える事ができない、
なんて「とんでも発言」しておりました。

要するに、個人の成果を何かしら期待する、
業績は、個人の力量と作業内容に反映されるものである。
それだったら、そういうことを前提に、
司法も、そういう「判決」を出してほしかった。

例え準公務員という今回の方であったにしても、
秩序に重きを置くこの社会では、特に、公務員の世界が如実に表すように、
「個人の裁量権」の逸脱とは、いったいどこまでなのか、
明確に判断がつかなければ、
管理職まで、その能力を認められて登用された人間でも、
簡単に、秩序の中で、降格されてしまう。

色々議論があろうかと思うし、ある意味、ホワイトカラーエグゼンプションは
適用できる所もあるとは思う。
が、いまだ、日本的な会社観が残るこの国で、
アメリカなんか、当然のことだなんて理由で導入しようとする発想。
あまりにお手軽すぎて、またか、なんて思ってしまうんですが。

なんて、くどく、連日に渡りましたが、
頭が、まだまだ、ちゃんとしていません。
はぁぁぁぁ。悲しい。

人口減少は、生物の本能か、目標喪失なのか?

2007年01月29日 | 本・映画
柳沢厚労相が、また、とんでもない発言をして、日本中の顰蹙を買っている。

この先、少子化は、年平均80万人ともいえる「人口減」、
毎年、佐賀県やら福井県が、丸ごと消し飛ぶ世界がやってくる。

65歳から年金受給者。
この世代は、総じて200万人という人数が、毎年、繰り上がってくる。
なのに、15歳からを就業人口に繰り入れる統計もおかしなもんだが、
簡単に言うと、100万人強の人数が、単年齢で見ると、
支える人数ということになる。

すでに、2人で1人を支える年金というのは、かなり現実のもになってきている。

そういう意味で、出生率が、この先、1.3に上がろうが、1.5にあがろうが、
2.02まで上がらないことには、
数万人、子供が増えようが、
根本的な解決にならない。

要するに、我々が、集団として、この国というまとまりを、維持するために、
どうしたらよいのか、
そういうことが、まさに問われているのが、この時代なんである。

税金が、社会保障費を含めて、負担率が40%近く、過去最高になった今日、
一方では、経済の伸びを最優先にとする声があり、
そこであがる収益の「再配分」を、維持しようとする。

一方では、コンパクトに、衣食住にかかるコストの低減をいい、
世界的に、総生産の過激な上昇は、むしろ過去のもので、
縮小する日本にあったスタイルを模索しようとしている。

少子高齢化でゴミが増える。
こういう謎解きにも似た分析結果が環境省より出される。
同省が最近5年で人口が減った都道府県を調べたところ、64%でゴミの量が
増えていた。
原因は「高齢化」。
1人が出すゴミの量は年齢が上がるほど膨らむ。

大阪では、あいりん地区の3000人にものぼる、ホームレスの住民票問題。
「釜ヶ崎解放会館」に、約3300人の住民登録がなされている。
仕事を得るためにも、何をするためにも、住民票が必要という、
その中で、仕方なくとられる方法でもあったんであろうが、
実は65歳になると、自動的に、生活保護の「資格」が得られるという。

最低でも12万円の支給が、その住民票を持ちえる人間に支払われる。
インタビューによって、あと、何年、そういう月日を待つ「労働者」が、
テレビの映像に写し出される。

実は、こういう連綿としたレポートが、
この国で、将来、本当に幸せに生きていけるか、という暗然とした指標を
示している。

何のために、仕事をし、家庭を持つのか。
虫のいい話をするわけではないが、
「ここまで頑張れば、ここから先は、ゆっくりできるよ」
という目標が、今までは、確かにあった。

そういう父の姿や、世間の姿を知っている。
そういう、日本の仕組みを、感じていたのは、紛れもない事実である。

なんでも自由に、最後を決めるのは、あなたです。
という「精神的な構造改革」が、どうやら行われているようだが、
結果的に、お金を稼いで何が悪い!
という集団を生み出したに過ぎない。

どうやら、人間は、集団で共有できる「目標」なりゴールがないと、
どうも、不安定やら、精神的な不安感を感じるようにできているらしい。

そういう諸々が、どの国においても、「少子化」の大きな原因であるらしいのに、
先の柳沢大臣のように、
まさに、国の政策を「委託」されている、政治家の端くれの癖に、
すっ飛ばして、こういう発言をするなどとは、
この世代が、総じて、女は黙って子供を生んで育てるもの、
という感覚から離れられない、本心と見るべき。

とはいえ、この方も、何も考えずにやってきたら、どうやら、世界で一流の
生産性を誇る国に所属できたが、
えっつ?この先?どうするって?

.........愛国心じゃないっすか、ボランティアさせるしかないんじゃないっすか
程度の方法論しか持ち合わせていないんだろう。

「人口減少 新しい日本をつくる」 日本経済新聞社刊 参考

結局、老後は自由で、楽していいよ!っていうことでしか、
将来を語れないと思うんですが、誰も、それを怖くって、言いえてないのが、
笑えました。
にしても、非常に参考になりました。

エジプト ミイラを3Dで見ました。

2007年01月28日 | 雑感(日記)
昨日、思い立って「大英博物館 ミイラと古代エジプト展」に行ってきた。
東京、上野の国立科学博物館。
子供の頃から、ここだけは一押しの「箱物」で、
一日中、いようと思えばいれる、大好きな所。

新年の番組で、エジプトの特番を見たこともあって、
なんだか、3000年近くも歴史がある、途方もない時代。
その長きに渡るスケールに。我々の紀元でさえも追いついていない。
どれくらいの数の人間が、生きては絶え、そして繰り返し、
様々な陰影をかたどって行ったか。
あきれるほど想像も出来ないのである。

にしても大英博物館。
100体?200体?よくも「ミイラ」を集めたものだ。
よくは存じ上げないが、世界各国から、よくもあれだけのものを.....。
確かに、この存在がなければ、
歴史も、何も、散逸し、朽ち果てたであろう「代物」。

立派な偉業でもあり、歴史への貢献だが、
学術などという言葉を語っての、立派な「どろうぼう」さんなのは間違いない。
積み上げられた、ミイラの数をフィルムで見て、
不謹慎にも、そう思ってしまった。

今回の目玉は、飛び出す、3D映像。
ミイラの「包帯」を剥がすことなく、CTスキャンで撮影した画像を処理して、
内部を探っていく。

昔は、発掘してきたミイラを、ワイングラス片手に見守る「出資者」の
目の前で、解体していたそうで、
剥がせば、それっきり、まさに包帯とともに、ばらばらの解体ショー。
なんの学術的な成果もあがっていず、
よくある過去の惜しまれる「事象」だ。

今もって、どういう方のミイラなのか、ははは、存じ上げていないんだが、
棺が、2重のマトリョーシカになっていて、
ツタンカーメンは、4重のマトリョーシカ状態。
それが、なんでか、とっても気になる。

とはいえ、科学的なメスを入れられたそのミイラ。
歯の部分に膿瘍が確認でき、歯茎の骨がきれいに「溶けて」いたり、
背骨が湾曲していたり、なんだかんだと、痛々しい人生をも透けて見通せるんだが
変わらないよね、人間って、という感慨。

それにしても、神と共存している世界。
死後、魂を「ある」ものとして、完全に成立している世界。
死者の文書にしても、恐るべき魂の完全なる消滅を防ぐ手立てとして、
こう問われたら、こう言いなさい、なんてことを呪文にしたてた「作業書」。

スカラベも、糞転がしで、今は有名な昆虫だが、
あれも、死者の国で、生前の行いを問われたとき、思わず心臓がどきどきしたとき
それを防いでくれる。
そんな、細かな「グッズ」もてんこもり。

そりゃ、3000年もの歴史。
異民族、異文化の交流も、戦闘もあったであろうが、
この世界をまとめあげていた、幾多の神々。
頭に「太陽」をいつも携えている、ラー神。他。
残る様々な偶像。

灌漑設備も、排水溝も、風呂も、劇場も、結構取り揃えてあったエジプト文明。
ミイラの造りも、仕様も、手続きも、
外科の手術も、手当ても含めて、
神の所在の変遷の中で、
遠い昔の出来事になってしまったことが、
なんだか、いつも、個人的に、気になること。

にしても、今回の展示会。
3D以外、すいません、ちょっと物足りませんでしたが、
面白かったです。




盛り上がっている話題。「残業を厭わない」発言。

2007年01月26日 | 政治
未だに、ホワイトカラーエグゼンプション。
法案化を目指そうと、頑張っているらしいが、
まずは、「検証」のために、公務員から始めてみてはいかがだろう。

例のコミュニティーでは、経済財政諮問会議議事要旨を引っ張り出し、
丹羽宇一郎伊藤忠商事株式会社取締役会長の言葉で盛り上がっている。

  大手企業の大部分がそうだが、若い人でも、残業代は要らないから仕事をもっ
  と早くスキルを身につけてやりたい、土日でも残業代は要らないから出社した
  いという人がたくさんいる。
  しかし、経営者がしてもらっては困ると言っている。
  なぜなら出社されると残業代を全部払わなければいけない。

  家で仕事をするよりも、会社に来て色々な資料もあるし、これで自分が人より
  も早く仕事を覚えて仕事をしたいんだと。

  それを今は仕事をするなと言っている。ホワイトカラーエグゼンプションの制
  度がないからだ。

  だから、少なくとも土日だけはホワイトカラーエグゼンプションで、残業代は
  要らないから仕事をさせてくださいという人に、仕事をするなという経済の仕
  組みというのは実におかしい。これを何とかしてあげたい。

あははは、もうここで本音が出てしまっている。
「若い人」がスキルを身につけるために、土日も残業代もいらないからって、
上場企業は、残業してでも、土日を通してでも、
やらなければならないほど、「未消化」の内容が残る、システムらしい。

なんだか、初期にやっている研修でさえも、
彼らの「欲求」に応えることが、難しいんで、ということを
堂々と述べておられる。

というか、管理職など、そういう高給者用のシステムとか説明があったが、
実は、とにかく、「残業代が増えるから、仕事をさせてくない」
というのが、どうやら本音で、
人件費が「流動化」するコストになっては、困る、というのが、
なんだかんだと理由を言っているが、これにつきる。

  ホワイトカラーエグゼンプションの導入で過労死など色々な問題が起きては困る。
  それは内部告発制度、禁固刑を含む罰則をつくることで対応する。制度には光
  と影が両方あるわけだが、影の部分だけを取り上げて、これはけしからんとい
  う議論はいかがなものか。

偽装請負などの「解釈」、そして、請負会社の「責任」にしておくことで、
便利にシステムを使い切るのは、「影」の部分であるらしい。

では、上場企業から、お始めになって見たらどうだろう。
もちろん、しっかりとした「組合」が機能しているところでね。

年長フリーター、定年後再就職支援…求人の年齢制限禁止へ

  自民、公明両党は24日、企業が従業員を募集・採用する際、年齢制限を原則
  禁止とする方針で一致、通常国会に提出予定の雇用対策法改正案に盛り込むよ
  う厚生労働省に求めた。若者や退職した団塊の世代の就職支援が狙い。

  ただ、経済界の反発は必至で、実効性のある規定を具体化できるかが焦点とな
  りそうだ。

で、これは、反対ですか。
で、車が売れない、消費が向上しない、なんてことを言って、
「生産性が高まらないと、世界競争に立ち遅れる」
ということなんて、

とっくに、日本を「見捨て始めた」ようにしか、思えないんですが。
でも、エルピーダにも見て取れるように、
海外移転も、現実化しておりますし、
政府も舵取りが難しいですね。


教育再生って、再生って何よ。あったの?元が。

2007年01月25日 | 教育、文化、少子化
教育再生会議、という文言自体、再生?って何?と思ってしまう自分がいる。
じゃぁ、昔は良かったんかい!
とか、元にはしっかりとした「哲学」「方針」「目標」があって、
逸脱、疲弊、劣化したんで、再生なんかい!
などと、そういう意味だろうと、思ってしまうのである。

「学力」、という言葉でさえ、れっきとした「日本の特殊語」だと、
何かで読んだが、諸外国では、
「達成力」という単語が、どうやら使われているらしい。
そもそもが、そもそもなんである。

学力が低下した。って、その学力って、簡単に言えば、
到達度、習熟度、ってことが意味合いとして適当で、
それは、テストにおいて、検証できるものであろう。

しかしながら、それは、この40年間、「やらなかった」。
例の70年代、受験戦争という、「暗黒」の時代があってのことで、
不登校生徒が大きな問題にもなり、
ゆとり教育の、まさに走りとなった、時代でもある。

いまでこそ、各メディア、一丸となって、ゆとり教育への攻撃をしているが、
そもそも、そのシステムを後押ししたのは、紛れも無く、メディアだった。
そして、個性の埋没やら、自主性を前面に押し出しては、
子供への人権を盾に、あたかも、詰め込み教育を「悪」と断罪し、
テストの点で、「差別」が起こってはならない、
手をつないで、徒競争も全員が一番よ、なんてことをしでかしたのも、
この時代から、のことである。

例の日垣隆氏の頭は必ず良くなる、という本で、和田秀樹氏が登場していたが、
この短い対談で、引用し、解かった気でいること自体、申し訳ないんだが、
「92年に日本が何をやったかというと、ゆとり に加えて 新学力観 を
 提唱し始めました。点数で競争するというのではなく、学習に取り組む姿勢を
 重視するというものです」

「2002年からゆとり教育にともなって導入された絶対評価システムでは
 一般科目でもペーパーテスト学力は四分の一しか評価されずに、
 他の主観的なものが四分の三になりました。」

    つまり、先生に気に入られることが、最も評価の基準になる。

これって、どうして、問題にならないの?
誰が考えたって、これ、いじめの温床じゃん。
演技に長けている子が、良い子と、先生がそう評価してしまうに間違いなくて、
それに不器用な子が、感覚的に、バランスを崩すものとして、
周りから、排斥されるの、目に見えてるじゃん。

確かにテストの点が悪くて、劣等感を持つ子もいるかもしれないが、
ある意味、その結果は、結果として独立しているわけで、
取り組む姿勢とか、授業態度なんか、
どうみたって、全体に波及する、バランス的なもんで、
一人の作業で、どうにかなるもんじゃないじゃん。

あいつと、俺、そういう比較の中で、当然、日々、先生に「魅せる」
アクションがあろうし、
「えっつ、なんであいつ、あんなに成績がいいの?」とか
「先生、何で、うちの子がこういう評価なの?」って、
親としても、突っ込みどころ、満載なシステムなんですけど。

そして、まさに「受験戦争」と言われていた時代。
和田氏は、是非議論してほしいという前提で、一つの統計をあげた。
日垣「65~77年には、文字どおり受験戦争がありました。
   ところがこの時期、実は少年犯罪が激減しています」
和田「受験が厳しかった日本は先進国の中で唯一、15~19歳の自殺率が
   3割程度も下がっているのです」

アメリカやイギリスでは、まさに学校でのルールをゆるくした、
子供を自由にしようという試みが、結果的に犯罪と、自殺者を増加させたと、
「検証」しているのだ。

「何が正しいのかわかりません。ですから統計的な相関関係を調べることは
 とても重要な役割を果たします」

教育再生会議では、7つの提言が出ていたが、
何の統計的な報告も見られない。
総がかりで、とか、魅力のある先生をとか、すべての子供に規範を教え
社会人としての基本を徹底する、とか、 父母を愛し、兄弟姉妹を愛し、
友を愛そう、とか、ぜーーーんぶ、観念的。

政府も、文科省も、誰に「気に入られたいの」?
 

ゆらゆら揺れるだけでいい、マシーン。

2007年01月24日 | 雑感(日記)
先日、NASAの研究者が書いた本で知ったんだが、
宇宙から帰還した飛行士に、「リハビリ」が必要とのこと。
それだけ、無重力という環境は、人間の体に「負荷」ではなく、
変容を強いるものらしい。

骨量も筋肉の量も、何十パーセントも「減る」という事実。
三半規管、つまり平衡感覚も、帰還した後、元に戻るまで、
随分時間がかかるという。

で、なんですか、テレホンショッピングなんかで紹介されていた、
中周波のEMS?
ベルトを、お腹に巻いて、電気のパッドがピリッとくる、例のやつ。
これを巻くだけで、「痩せます」。
腹筋をしたと同じ効果!

なんて文句が踊りますが、
ちゃんと、NASAで、使われているんだそうですね。
飛行士のリハビリで。

さらに今、筋力をカバーするための器具として、
立った状態で、ただ、足元がゆらゆら動くだけの機械。
これ、手すり上のバーがついているものらしいんですが、
骨量の「回復」に最適なんだそうです。

ご老人、または、病後、寝ていた状態が長かった人に、
同じ意味で、これに、1日数分乗っているだけで、
「重力」効果で、筋肉量も骨量も、存分に回復する。
ええ、ゆらゆら揺れているだけで、です。

でも、これ、日本でも販売されているんですね。
振動フィットネスマシーンという商品名で。
ちゃんと、骨密度増加の効果もうたっていました。

1式、100万円近い感じですが、本当に、ご老人にも、病後のリハビリにも
効果があるらしいんですが、
なんでか、テレビショッピングなんかで見ると、
「怪しい」なんて思ってしまう。

でも、こういうのって、NASAとか、そういう最先端の「科学」「技術」
そういうものから、出現する。
有酸素マシーンで、足踏みの器具、買ったことがありますが、
これ、つらい。

ゆらゆら揺れているだけの機械、実は、ほしいなって、思ってしまったんで、
すいません、ちょっと、回らない頭で、書いてしまいました。
本日は、すいません。
こんなんで。



ケータイジャーナリストコンテストですって。

2007年01月23日 | 政治
総務省の予算である。

参議院議員通常選挙関係経費 617.9億円
・平成19年7月28日の参議院議員の任期満了に伴う参議院議員通常選挙に必要
 な経費

物凄い経費がかかるんだ、あれ。
その関連に、ちょっとした項目が。

明るい選挙推進費 8.2億円
・選挙が選挙人の自由な意思によって明るくかつ適正に行われるように、あらゆる
 機会を通じ選挙人の政治意識の向上に努めるとともに、選挙をきれいにする国民
 運動、政治倫理の確立の推進、投票参加の呼びかけ及び政治改革の周知等

めいすい君で、「お馴染み」の財団法人 明るい選挙推進協会である。

  明るい選挙推進協会は、①選挙違反のないきれいな選挙が行われること、
  ②有権者がこぞって投票に参加すること、③有権者が普段から政治と選挙に関
  心を持ち、候補者の人物や政見、政党の政策などを見る目を養うことを目標
  に、全国約10万人のボランティアの方々とともに活動している団体です

この予算は、多分、多分、ここが全部使うわけではないと思うが、
それでも、「啓発」やらの運動のために、小冊子やラジオのスポンサーやら
「調査」など、案外、お金をかけたこともやっている。

そこで、電車の社内広告で発見したこれ。

身のまわりの「伝えたいこと」、ケータイで撮る、書く、送る。
ケータイ・ジャーナリスト・コンテスト

  環境問題、福祉問題、少子化問題など、ふだん何気なく見過ごしてしまってい
  る身近な風景のなかに潜むさまざまな社会問題を発見し、それを写真に撮っ
  て、あなたのメッセージを添えて、ご応募ください。

えーと、これ、明るい選挙推進協会がやっていることです。
グランプリは、デジタルハイビジョンビデオカメラ ソニー Handycam HDR-HC3
が賞品となります。

が、どうなんでしょうか。これは、その運動目標の③。
「有権者が普段から政治と選挙に関心を持ち、候補者の人物や政見、
政党の政策などを見る目を養うことを目標」ということに、合致するんでしょうか?
随分、大仰で、立ち入った目標ではありませんか。
見る目を養っていかないと、でないと、投票率も低いし、不正も多いと。

ふーん。

この団体、歴史は長く、昭和27年「公明選挙連盟」が始まり。
いつもながら、昭和40年「明るく正しい選挙推進全国協議会(略称 全推協)」
というものが、運動をより効果的に推進するためにと、2つ目、つくる。
で、昭和51年に、合併となったわけです。

その通り、ずーーーーと、見る目を養い続けていたわけです。

で、彼らは、国政選挙、統一地方選挙直後に、有権者3,000人を対象にして、
その選挙に関する実態調査を行っています。
「第44回衆議院議員総選挙の実態」が公表されております。

これによると、なんとか54%回収できて、有効回答票は1621件。
にしても、3000件のサンプルと公表としています。
「統計」の謎がここでも明らかなんですが、
頑張れ......。

この調査で、申し訳ないことなんだが、とても大笑いしてしまった。
なんと、「昭和55年には、47.5%の有権者が明るい選挙推進協会のことを
認知、参加していたが、今回の調査では25.8%まで低下し、74.2%が知らない
と回答している」という事実。
年々、知らない人が増えている。悲しい。

結局、「投票参加」に促す、意識を向上させるものは、
やはりテレビスポットが第一位。そして新聞広告。
この事実は動かしがたいようで、にしても、明るい選挙って......。

最後のほうに、「明るい選挙推進活動との接触と投票率」というのがあって、
まさに、この協会の「存在意義」を質問項目!
明推協の活動に参加したことがある、知ってはいたが参加したことが無い、という
方々の投票意識調査。
「棄権率」が、明推協を知らなかったグループより、9ポイント高い!

「前回11.1ポイント、前々回の13.3ポイントと比べると低くなっているが、 
投票率向上における明推協活動の重要性は否定できない」
という結論でした。  頑張れっ!!!!!!
この結論に至るまでに、調査項目42!14ページにも渡る、大量の冊子です。
正直、こんなに盛りだくさんで、回答にはえらい時間がかかりそう。

もちろん、ここでする質問か?というものもあれば、質問項目の「水増し」?
みたいなものもありますが、
そこかしこに、「不正」の根につながりかねない、際どそうな質問もございます。
案外、面白い。

で、ケータイジャーナリストコンテストです。
ネットを自由に選挙活動に「使わせたくない」勢力が、頑なに拒絶しているツール。
なのに、明推協は、このツールに着眼したそうです。
ええ、選挙なんて、自分は、テレビとか新聞よりは、ネットが一番。
にしても、携帯ですか。

まぁ、もちろん、検証すると、明らかに「役に立っていない」団体になりかかって
いることは避けられない事実なんでしょうが、
何かの存在意義を「賭けて」、今日も頑張っているみたいです。
YAHOO!みんなの政治、頑張れ!
って違いますね。

線路内に人が立ち入ったという遅れに関して。

2007年01月22日 | 社会的全般
朝、東急線のホームにて、電車を待っていた。
JRとは違って、2駅の間隔が非常に近く、眺めれば手前の駅が見える。
住宅地の中を通り過ぎることもあって、踏み切りも、道々に数が多い。
ただ、3両編成。
踏み切りで、痺れを切らすことも無い。

朝のラッシュを少し過ぎたホーム。
それでも電車を待つ客でにぎわう。
思い思いのあり方で、多分、間もなく来るであろう電車を待っている。
そんないつもの刹那な時間が流れている。

定刻が近づき、すぐ近くの踏切が警報を鳴らし始める。
自分たちが待つ電車の侵入を、見る間でもなく、その音で、確認する。
ホームで待つ乗客も、やおら、白線の位置を確認して、少し移動が始まる。

まさにそんな時。
思いがけない「瞬間」に、電車の警報が轟きわたる。
続いて、金属的なブレーキ音が、短く、鳴る。

何が起こったか、
ホームにいる乗客は、誰彼と無く、音の出るほうを見やる。
本来であれば、空気の塊を、投げるように入ってくる電車が
そこにあるはずなのに。

身を乗り出すように、音の出る方向を、それぞれが見始める。
小走りで、ホームの先に集まる乗客。
そして、慌てて駆けつける車掌の姿。
さらに、2人の、駆けつける駅員の姿。

電車が、踏み切りに、差し掛かった状態で、停車している。
駆け出せば、数十歩で、到達できるその間近な距離である。

警報の音が、間段なく止まぬ踏切の中で、
そう、老人が、手押し車に体を預ける格好で、踏み切りの中に、立ち往生?
生きている?
立っている?

えっつ?

閉じた踏切のバー。
本来なら、「外側」で、電車の通過を待つ。
が、その老人は、踏み切りの「中」で、線路を背にして、
きちんと、バーの手前で、「待っていた」。
まさに、電車が、バーと、わずかな空間を作り出している、その隙間に。

駆けつけた駅員。車掌。
身振り手振りで、何かを説明しているかのよう。
老人は、ただ淡々と、うなずいているかのようだ。

「渡り切れなかったの?」
「いや、いたみたい」
「なんでなんで」
「踏み切り、上がるの、中で待ってたみたい」
「嘘!」

切れ切れに、ホームの客が、説明をし始める。
さらに、我々の後方を、2人の駅員が走って、現場に向かおうとする。
多分、社内連絡で、相当な「案件」のように一報が入ったのかもしれない。

そうこうしている内に、駅員に促されるように、
老人は、踏み切りのバーをくぐる様に、外に、出される。
「外」まで体を支えるように、2人の駅員がついていく。

間もなく、電車は、ゆるやかに動き始め、ホームに入ってくる。
一瞬のざわめきも、何事も無かったように、
一部始終を見納めた乗客は、また、いつものように無口に乗り込む。

その電車に乗っていた乗客も、変わらずに、変わらない雰囲気で、
いつものように、後からの客の為に、位置を変える。
そして、車内放送も、何も無く、いつものように、扉が閉まり、
そして、そんな我々を乗せたまま、走り出していく。


たまに、JRで、「線路内に人が入り込んだという情報がありましたため、
現在、安全確認作業をしております。御急ぎのところ、大変ご迷惑様ですが、
いましばらく、お待ち下さい」という放送がある。
人身事故が、実は、どこかしこで、毎日、起きているかのような日々が続く。

我々は、すでに、列車の遅れに対して、いくつもの覚悟と処方を覚え始めている。
ただ、線路内に立ち入った、という放送には、まだ、我慢が効かない。
行き場の無いストレスやら、文句を言う客も、これには、まだいる。
が、自分は、これを見てしまった。

悪意がある、ない、に関わらず、こういうことが「現実」に起きていることを
知ってしまった。
人身事故に対する覚悟と処方とともに、
線路内立ち入りに関しても、自分は、相応の覚悟と処方を、持ったことになる。

そういう時代になったんだなぁ、という感慨と共に....。

記憶と語彙とコミュニケーションスキルと。

2007年01月20日 | 本・映画
持ち歩きの本を忘れてしまったので、たまたま購入。
全ては読んでいないのだが、

「頭は必ず良くなる」 日垣隆著 WAC刊

身も蓋も無い、出来れば手に取りたくないようなタイトル。
ただ、対談集ということで、池谷さん、岸本さんなど、話を聞きたい方が
登場していたので、よしとする。

池谷さんは、糸井さんとの「海馬」という本で、存じ上げていて、
今もって、一番好きな「脳科学者」です。
岸本さんは、もっといい写真がなかったのかなぁ、という写真が使われていますが
「見える学力、見えない学力」の本の著作者。
どちらにしても、「こういう言い方で言われると、納得がいきます」
の内容を、惜しげもなく、語ってくれます。

神経細胞は、生まれたときをピークにして、どんどん数を減らしていきますが、
細胞間の「神経ネットワーク」は、逆に、どんどん強化されていく。
1つの神経細胞からでている「枝葉」は、平均すると1万。
小脳では、1つの神経細胞につき、最大10万まで枝葉が伸びるそうです。

10万だよ。
あの小っこいのから。凄くない?
その神経細胞が「級数的」に結びついて、いわゆる記憶を「作り上げていく」。
そのため、コップという物体に関しても、
ジュースが入った、冷たい、気持ちのいい、黄色い、硬い陶製で、食卓にあって、
食事の時で、なんたらかんたら.....。

こんな風に、コップひとつとっても、「連合記憶」は、
人によって、千差万別に、持っている感覚が違う。という話。
それだけ、あらゆる情報が、補完しあって、「記憶」というものが
作り上げられていく。

そういうことなんで、人間は、経験をしていくということが、何より大事で、
勉強にしても、覚える、というのは、脳的に経験をしているわけで、
徳川家康ひとつとっても、いくつもの神経細胞のネットワークが、
あたかも立体的に手を組んで、記憶を形作っている。
むしろ、そういう記憶は、定着している。

頭の回転が速い人は、1つの事を聞くと色々なことをすぐに連想できる。
連合された記憶をたくさん蓄え、その記憶を「移転」することができる。
というのは、そういうことであるらしい。

で、岸本さんが仰るには、
見えない学力、ということなんだが、これは置いておいて、
一応、辞書的には、世の中には10万語がある。これをベースにすると、

大人の会話が成立するためには、最低3万語の語彙がなければ難しいとの事。
ちょっと学力が高い人は、5~8万語も知っている。
「6~7万語まで語彙を伸ばそうと思ったら、親との会話だけでは難しい。
 読書を通じてしか身につきません」

というのは、語彙が貧弱であると、どうしてもコミュニケーションが雑になる。
「親が普段どんな話し方をしているのかが、子供の語彙に影響を及ぼす。
 最近の親の話し方には主語と述語がありません。それで、だから、しかし、
 けれども、だが、といった順接や逆接の言葉が使われません。
 粘土を投げるように、ダメよ、そんなこと!とか、やめときなさい、
 またこんなことをして、はっきりとした文脈でモノを言わなくなっています」

で、池谷さんの話なんですが、
人間、記憶をするためには、必然として、言葉が重要です。
もちろん、イメージも大切ですし、言葉に置き換えることができないものも
ありますが、神経細胞がネットワークを構築していくためには、
当たり前ですが、言葉が必要です。

もちろん、独立して言葉はありません。
あらゆる連合的な関連があって、初めて成立するものです。
単純化はできないことなんですが、
語彙が足りない、ということは、もっというと、ひょっとすると、
人間同士の「機微」すらわからない可能性もおこるわけで、

どうしてこういう雰囲気なんだろう、ということ一つとっても、
普段から、知らない、関係ない、つまらない、なんて投げっぱなしの状態だと、
それを理解する、言葉も経験できなければ、
独善的なコミュニケーションしか、取れなくなってしまう可能性があることです。

先日、書いたことを持ち出しますが、
最近、なぜ、自分が怒られているのか分からない子供が増えている。
決定的に価値観自体が、変容している。
それも、短絡的で、独善的な発想で、なおかつ、自分の気持ち自体、
ちゃんと伝えることができない。

どうして、そういう行動をとるのか。
自分でも、不明瞭なまま、そういう気分だからしているのだ、と。
そういう人間が多くなっているらしい。

ということで、自分のことすらわからないので、
ましてや、相手のことなんて、理解すらしようとしないし、
独善的にしか「判断」できない。

確かに、映像的なテレビやゲーム浸された生活環境では、
はっきり言って、コミュニケーション自体、経験できていない、
相手と、感応しあって育てていく「言葉」も獲得できない。経験できない。

言ってみれば、案外、言葉がもつ、重要性に気づかされます。
記憶というもの自体、神経細胞のネットワークで成立する。
それは、経験やら言葉やらで、あのちっこい神経細胞が、何万本、
枝葉を出すことができるか。

大きな「木」は、どれだけ、深く、広い根を持つか。
そういう比喩の中で、自分の脳は、どういう「木」に育っているのか。
例えですが、勝手ながら、その一つの尺度として、語彙、というものに
置き換えて見ました。

頭が良くなるなんてタイトルの本ではありますが、
本来的に、人間がベースとして、獲得していかなければならない、
そういう基本的なことを、学ばさせてくれる内容でした。
今の、教育環境、学校教育に関しても、ストンと理解できる話もありますが、
岸本さんの、父親像、父権に関しては、多分、論議を呼びそうですが、
言っている意味は、非常に理解できます。

完全に終わったなぁ、不二家。

2007年01月19日 | ニュースに絡んで
これは、もう、完全に止めのニュースであろう。

不二家のチョコレート箱にガの幼虫、卵 昨年10月、旭川でも

 【旭川】旭川市内のスーパーで昨年十月に販売された大手菓子メーカー「不二
  家」のチョコレート製品にガの卵と幼虫が混入していたことが十八日、分かっ
  た。不二家は「工場の製造ラインで混入したと思われる」として同月中に購入
  者に謝罪したが、同一製品の回収は行わず、保健所にも届け出ていなかった。

  同市内の男性(53)が昨年十月十八日、不二家のチョコレート菓子「B(ビ
  ィ)」を購入。菓子箱の中から体長約一センチの生きている虫一匹と数十個の
  粒、綿毛のような白い糸が見つかり、スーパーに通報。翌日、同店が不二家に
  連絡し、一週間後に同社の社員が男性に調査報告書を持参した。

                      2007年1月19日(金)09:00  北海道新聞

いやーーーーーー!



案外、古いんですね、どこのお菓子メーカーも、工場が。
名前は出しませんが、知人が、パートで数ヶ月働いておりましたが、
つきに1回程度、社内販売があって、特別価格でメーカーの商品が買える。
これが一番の楽しみ。

でもね、工場が古いの。
確かに衛生面とか、非常に気を使っているのは事実だし、
雇用関係も、優れて良好。
なんだけど、配管やら、機械がきちんと配置されていなくて、
「くぐりぬけ注意」の札がべたべた。

もちろん、たまに流血がおこったりするが、ちゃんと、労災も含めて
処理はしてくれる。
が、よほど、しっかりとマネージメントしないと、
虫、虫を完全に防ぎこむことなんて、不可能な感じ。

アメリカの農水省にあたる、USDAの食品基準なんか、
何パーセントまでは、虫の混在を認めているし、
むしろ、体に悪いことが証明されなければ、「食べろ」というくらい。
そんなことで、流通自体を止めることのほうが、問題があるという方針。

でもね、日本では、致命的なんです。
これは、終わったなぁ、不二家。
もう、堰を切ったように、あることあること、だらだら出てくるな。

子供が幼少の頃、不二家のレストランで、バースデーパーティーを開いた。
ケーキの形をした、ぺこちゃんが乗っているものに、花火状のローソク。
ぐるぐる回って、ハッピバースデーの音楽が流れる。
それを正面にして、喜ぶ子供と家族の記念撮影。

そのレストランも、今は、無い。

そうこうする内に、不二家自体、完全消滅してしまうのだろうか。
どうやら、決定的な感じがする。
不二家のケーキ、好きだったのに。
マドレーヌ、好きだったのに。
エクレア、自分は好きでなかったけど、好きな奴がいたのに。

残念だなぁ。

いざなぎ景気越えというより「プラシボー効果景気」

2007年01月18日 | 政治
「いざなぎ景気越え」。
政府は、様々な「構造改革」の成果を、そうやって、アナウンスしたがるし、
その片方で、いやもっと、安定させるためには、
企業の、さらなる躍進が、税収回復の手段になると、
経団連の「意向」が、存分に、政策に盛り込まれたりする。

ところが、日銀が、金利を上げようかなぁ、なんてことになると、
途端に、「まだまだ体力がついていない」など、情けないコメントの
オンパレードにもなったりする。

日銀、利上げ見送り決定…消費改善「不十分」

  日本銀行は18日開いた金融政策決定会合で、短期金利の誘導目標である無担
  保コール翌日物金利を年0・25%とする現行の金融政策の維持を賛成6人、
  反対3人の賛成多数で決めた。

  金融政策の決定で、3人が反対に回るのは、極めて異例だ。日銀は2月中旬に
  発表される昨年10~12月期の国内総生産(GDP)統計や、個人消費の改
  善などを見た上で、2月以降、利上げを目指すとみられる。市場では、3人も
  の反対票が出たことで、2月に利上げする可能性が高まったとの見方が広がっ
  ている。

専門ではないので、理解が薄くて申し訳ないが、
一方では、インフレがやって来た時、一気に駆け上がるものなので、
小手先の政策では、なかなか収まらない。
2度も3度も、同じ、金融政策に失敗した国、なんてことにもなりかねない。

一方では、ただ同然で、お金を持っていかれて、海外で利殖された「お金」が、
日本に還流されると、「ハゲタカ」に変わる。
これって、自分で自分の首を絞めているってこと?
との意見もある。

考えてみれば、ゼロ金利にしても、量的緩和政策にしても、
とにかく、金で済むことは、限りなく行ってきたことは事実で、
いわゆるこの「英断」的な政策は、長いこともあって、歴史的なことは間違いない。

しかしながら、過去の「景気」事例を見るにつけても、
今回の「??景気」は、平均成長率、わずか2.5%(GDP)。
本家のいざなぎさんの時は、11.6%。57ヶ月で、GDPは、2.23倍!
実感としては、給与が倍になった感じです。

あのバブル景気の時でも、52ヶ月で、1.33倍。
この「??景気」。なんと1.04倍!
大きい文字を使ってみました。
まるで、「現状維持景気」「変わらない景気」と言ったところでしょうか。

いや、「悪くなってないっすよ景気」、と呼んでも過言ではないでしょう。
しかも政府は、58ヶ月の景気拡大と発表する一方で、
「7期連続のプラス成長」と発表しております。

えーっと、1期が3ヶ月のことですから、3ヶ月かける7期で、えーと、
あれっつ?58ヶ月ですね?
いやー、掛け算ができなくなっちゃった。

22ヶ月前は、マイナス成長だって、言ってしまっているのです。
つまり、58ヶ月「連続」ではなく、
「不連続だけど、1年で見たら、どうやらいざなぎ景気越え」という、
まぁ、なんて強引な!

マスコミも、よくもまぁ、「大本営発表」を、惜しげもなく、
1面にでかでかと載せるもんですね。
まあ、雰囲気作りというのもあるでしょう。プラシボー効果景気!!!
と言いたくなる位、スポンサーやら、広告会社の後押し、やらせ、
含めて、大変なお気遣い様でありますね。

なんだけど、ちっとも、消費が回復しない。
車が売れない。
当たり前でした。景気なんて、統計上、ちっとも回復していなかったんです。
この1.04倍と言っても、原油価格の上昇やら、中国景気の後押し、
鉄鋼などの設備投資など含んだもので、
我々の財布が「ゆるんだ」結果でもなんでもないんですね。

でも、金利が上がったり下がったりしても、家を買うなんてこと以外、
庶民には、全然、関係なくて、だって、貯金も無いもの。
それより、金利があがったら、政府の借金。
1%で、6兆円増えるんですって。
まじっすかぁ!
金利、上げちゃダメだな。


そういうことです。校長、処分。

2007年01月17日 | 教育、文化、少子化
昨日、ゼロトレランスの件について書かせていただいたが、
同じ日に、毎日新聞配信のニュースがあった。

体罰:「子どもの心…」の小学校長を処分 奈良県教委

  奈良県教委は15日、児童に体罰を加えたとして同県三郷町立三郷北小の岡本
  喜代治校長(59)を同日付で戒告処分にしたと発表した。岡本校長は教育困
  難校立て直しの実績で知られ、「子どもの心と教師の心」(日本教育研究セン
  ター)の著作がある。県教委は「過剰な指導で体罰に当たるうえ、校長が行っ
  たのは重大」と説明。岡本校長は「多大な迷惑をかけた」と反省しているという。

  県教委によると、昨年11月13日の給食時、4年生男児がご飯を団子状にし
  て教室の天井に投げた。岡本校長は翌朝、校門前で男児のほおをつかんで引き
  寄せ、尻を7、8回たたいた。男児は足をすりむき、学校を約1週間休んだ。

小学児童が、生物学的に、どのような「時期」なのか、
詳しくはわかりかねるが、子供に社会生活を「教える」というテーマも、
方法論しだいでは、ご法度になるんであろう。
教えるという言葉でさえも、「いけない」表現なんであろうか。

すでに、「体罰」は、いかなる理由があろうとも、
処分の対象になる。

(1) 免 職 
(2) 停 職
(3) 減 給
(4) 戒 告
(5) 文書訓告
(6) 口頭厳重注意

といったレベル分けがされているが、過去の処分歴も加算対象になり、
2度目は、原則、(1)か(2)の処分につながる。

さらに、
所属教職員の非違行為を知得したにもかかわらず、その事実を黙認し、又は報告義
務を怠った場合等
も(5)(6)の処分に該当するわけで、同僚ならびに上司?も、
現場を目撃していながらの、「黙認」は許されない。

さてさて、あまりにもの簡素な記事なんで、実際のことがよくわからない。
いかにも毎日系が好きな内容だし、最初に、これを取り上げたのも毎日。
しっかりとトレースしていたわけなんですね。

確かに、いい体罰、悪い体罰なんて、判断なんかつくわけもないし、
教員が「権力機構」に位置する以上、「弱者」である子供は、
どんな状況であれ、被害者ということなんであろう。

こういう「事件」に限って、事件の概要を簡素に書き記すのは、新聞の常套。
別の事件であれば、これでもか、と、「主張」を織り交ぜるのに比べれば、
放りっぱなしの記事である。
が、タイトルを見れば、

こんな立派な本を書いているのに、やっていることといったら.....。
見たいなキャッチなんで、どちらの立場に組しているかは一目瞭然。

ただ、簡単なことを言えば、
「食べ物を粗末にする」こと自体、普段、どういう生活をしているか、
たまたまなのか、ということを抜きにして、
根本的に、「論外」でしょう。
ご家庭のあり方が「偲ばれます」。(語句の用法は違っておりますが)

えーっと。
で、こういうご家庭環境化で、お育ちになられるご子息が、
ご大量に「発生」している、いやいや、お生まれになっている今日、
フルパワーで、正当化を、自省も無くはかる、強力な親がかりがあって、
非武装化、いやいや、対話だけを武器、いやいや、方法論として
唯一認められている学校側として、
紛争解決、いやいや、国連のバックアップが、いやいや、
教育委員会の世論迎合的な、無節操な、哲学もビジョンもない対応が、
ますます、アメリカ軍による、ホルムズ海峡の閉鎖を呼んで、
イラン人による港湾労働者のストライキがはじまって、
タンカーが2週間足止めをくらって......。

ゼロトレランス、でも、やるしかないよなぁ。
いまのところ。
あっつ、原油、あがるかも。

学校を追い込むと、結果、こういうことになる。

2007年01月16日 | 教育、文化、少子化
大人になると、案外、自分の過去のことを忘れてしまうものだ。
特に自分は、それが甚だしい。
もう、ところてんの様に「落ちて」いく。

小学校、中学校時代のことなんて、何を思い出せばいいのか、
と、話題にかみ合わせないと出てこない。

規律厳守の生徒指導、違反たまると退学も 高校で試み

  規律を厳しく守らせる「ゼロトレランス」(寛容度ゼロ指導)という米国の生
  徒指導法が全国の高校に広がり始めている。違反が一定回数に達すると出席停
  止などの罰を定め、必ず守らせる「ぶれない指導」が特徴だ。厳しい指導が日
  本の教育風土にどこまでなじむのか。現場を訪ねた。

昨年から良く聞くようになったゼロトレランス。
賛否両論であろうが、規則を守らせることができない、
そのための「用法」なんであろうが、
その規則自体、集団生活を営む上での規則自体、
かなり「個人の裁量」が大手を振ったが故に、形骸化が著しくなっている。

思い出せば、30年前あたり、制服がどうのこうのとか、髪の長さは個性だとか、
スカートの丈がなんやらだとか、
生徒手帳の規則集は、かなりの「実効」性をもって、
規律を補完していたように思える。

靴下でさえ、「白」一色。
放課後のクラブ活動。当時バスケット部に所属していた関係で、
試合用のユニフォームを着用し、顧問の教師を呼び出しに職員室にうかがうと、
「生活指導」の教員が自分を呼び止める。

靴下が「長い」。ラインが「入っている」。
そのまま、いくら説明をしても規則をたてに、解放してくれなかった。
試合用の、ストッキングであって、全員、同じものを着用しているというのに。
今考えると、速攻、「教育委員会」ものの話しだが、
尋常ではない、いじめにも似た生活指導があったのも事実。

とはいえ、校門でのチェックに始まり、授業に不必要なグッズのチェック、
これは持ち物検査とかいうやつで、現在では「悪名」が高い、
過去の遺物といったところか。

いずれにしても、それを生きがいにしているかのような、
「名物教師」を存在ならしめる、ハードな干渉があった時代。
生徒の自主だ、個性の尊重だ、オンリーワンだとか、
ひっくるめて、わがままだとか、金を稼げるようになってから言えとか、
はなはだ「シンプル」な、大人の言い分が通用していた時代であった。

  静岡県立御殿場高校(生徒数約620人)では毎朝、教師が校門に立って、生
  徒の服装を点検している。違反を見つけると、チケットを渡して注意する。こ
  の枚数に応じて、段階的な指導をする。8枚たまると、3日間の謹慎だ。

  チケット制を始めた当初、「うちの子だけなぜ」「どうしてこの学校だけこん
  なに厳しくするんだ」といった苦情が保護者から相次いだ。
  チケット制の対象は服装や化粧など外見だけだ。ところが、指導を繰り返すう
  ちに、遅刻や欠席も減ってきた。前年度比で、欠席者数が延べ約200人減っ
  た月もあった。

結果論だろうが、いい悪いにしても、教師が生徒を放っておけない。
毎日、必ず、生徒に「注視」する習慣が、このシステムによって、
スムーズになった、という面があろう。

時代の傾向として、「それぞれの事情」が最優先され、
無目的な子供の世界に、「誇張」して流入し定着した、その傾向は、
親の「うちの子供だけなぜ」という、反省も自省も無い、
投げっぱなしジャーマンのような関与が、
マスコミの「一部報道によると」という教師の非道をあげるニュースの
後押しを受けて、

教師は、表出する様々な「色々な事情」をもった「親」含んだ、
「個性」豊なそれぞれに、
限りなく「奉仕」する、サービス装置として、存在を許されてきたかのようだ。

となると、こういうゼロトレランスというシステムも、
そういう社会の現象として、
学校側に「腹を括らせて」しまった結果といえよう。
つまり、我々が生んでしまった、ともいえるのである。

確かに、過去の記憶にある「理不尽な教師」もいたが、
もともと、そこまで望んでいいものか、学校は?と思うくらい、
一方的で、過度な思が最近とても多いように思われる。

サービス受益者として、税を払っている「雇用者」として、
我々は、最近、あまりにも「埒外」で、
責め立てて、元を取るような発言を、してこなかっただろうか?
なんてことを、このシステムに「暗然」たる思いを抱きながら、
そう思ってしまうのであった。


ちょっと振り回された一日

2007年01月15日 | 雑感(日記)
いつのまにか、冬が本腰を入れてきた。
寒い。東京、今日一日、最高気温が2桁いかないらしい。
暖冬と言えないかもしれないが、昨年までの「タミフル」大需要とは
打って変わって、穏やかな様相をみせていたが、
そろそろ、本番かもしれない。

昨年末。初めてディズニーシーのカウントダウンに行って来たが、
開園同時に、大掛かりなお出迎え。
コーラス隊やらマーチィングバンド。
照明が温かいせいもあるのか、活気がそうさせているのか、
寒さを感じる事はなかった。

開場まで列をつくる人々。
手際よくコースを作って並ばせているが、
前列を占める、早くから並んでいる「集団」は、手馴れたもので、
完全防備、完全仕様。集団で座り込む者、寝ている者。
なんだか、それぞれ3畳一間の生活空間が、出現していて、
片付けも、あっという間で、これはもう、スペシャリストさん達だ。

一気になだれ込む園内。
カウントダウンイベントの場所取りが、最初に訪れる「戦場」だが、
我々は、のん気に、空いているレストランにGO。
11時をまわって、そろそろという頃に、
なんとかポジションをとって、イベントの観賞。

花火が、これでもかと、打ち上げられる中、最高の盛り上がりの中、
最後はミーシャがスペシャルゲストで歌い上げ、
まさしくカウントダウン。
あけましておめでとう、という感じであった。

新年からディズニーは「閑散期」に入る。
終了時間も、夜の7時とか8時とか、うっかりしていると、閉園していることも。
そのくせ、ピンやバッジをプレゼントするイベントが目白押し。
「常連」さんの囲い込み期間となる。

そういえば、ディズニーシーのショップで、ビームスとコラボしている店。
今回の目玉は「ライトブルーのマッキーマウス」!だ。
2500円以上の商品1点につき、1本プレゼント。

そもそも破壊的な金額の店。
ティーシャツ1枚が、平均5000円。
2500円以下のものが、基本的に無い、そういう店だ。
当たり前だが、売れるわけが無い。
ところが、このマッキーマウス。
目当てに大集団が押し寄せる。

狙いの商品は、男性「トランクス」。
お値段、2570円也。
全くの普通の「木綿生地」に、笑うミッキーがでかでかとプリント。
買わねえよ、こんなもの、なんて商品が、飛ぶように売れる。
あっという間にM、Lサイズが「完売」。

さらに、在庫一掃なのかスペシャルプライスと値をうったティーシャツから、
ダウンジャケットが、「赤札」で登場。
一気に3000円台。ダウンジャケットは1万円の値引き。

どうなんだか、どういうつもりか、新作ティーシャツが3000円ちょっとで
登場。
下々の人間である自分にとって、ユニクロの素材に慣れている自分にとって、
なんだか、毛玉が最初っからついているかのような「これが」、
3000円でも高い。

当然、何かしらの商品をゲットして「マッキーマウス」を手に入れるわけだが、
この1万円も値引きがしてあるダウンジャケット。
てかてか調の最近またカンバックしてきたかのような素材。
裏生地にはもちろん、ミッキーが大集合。色合いもいい。

買ったわけだ。清水(きよみず)だ。気分は。
そこにマッキーマウスのマジック目当てなど、微塵の欠片も無い、
単なる「商品購入」者として、下々と一線を画した訳なんだが、

このダウンジャケット。
冬の斜めに当たる光の加減もあるのかどうか、
やたらに「ほこり」の付着が目に付く。
黒の生地なんだが、まさに、うっすらと白色に染まってくる。
後に並んだおばさんも、「白くなってますよ」と声をかけるくらいだ。

問い合わせだ。
ディズニー側も、それ担当の部署があって、直接店舗と話すわけではないが、
とにかく静電気のせいであると一点張り。
「こちらも、もちろんそれはわかっているんだが、すれ違う方々から、
 白くなっていますよと。
 長い人生の中で、ダウンを色々着用したが、こんなのは初めてなんだが」

そうすると、一度店舗にお持ち下さいとのこと。
行くわけだが、出荷時の汚れだとか、梱包の際の付着だとか、
店舗は、それなりの言い訳をしているが、
すでに「返品」が、同じ理由で、過去にあったことを証言。

一応、新しい製品を受け取り、しばらく様子を見るということで決着。
しかし、解決するはずも無い。
じゃんじゃん、そこいらの粉塵から、よそ様のダウンが、ピタ ピタと吸着。
なんだかなぁ、せっかく清水(きよみず)状態で買ったのに、返品です。

再度、店に行くと。
「マッキーマウス」を同時に返却いただかないと、返品はできないとの宣言。
ええ、久しぶりに、久しぶりに、切れ掛かりました。
値段からしても、商品からしても、そのマジック目当てで買ったもんじゃない!
過去に返品もあって、そちらも応じた「実績」のある商品。
ということは、結果的に、不良品、一歩手前と言っていい。

なのに、マッキーマウスを返せが、なんと、一番最初に出たトーク。
驚きました。
当たり前ですが、コートとともに、ロッカーに預けております。
手元にありません。

ちょっとすったもんだの上、マジックはロッカー近くのフロントに預けることで、
返品処理を済ませることにさせました。
にしても、3種類近くあるダウンジャケット。
そのうち、今回、騒動のあった「これ」だけ、値引きしておりました。
ちょっと、勘ぐる人間であれば、不良品を値引いて「売り切る」と
言われてもいたしかたがない。

それとも、さすがビームスで、こういう「感度がよすぎる」素材は、
ほこりが舞う雑踏で着こなすこと事態、想定外の使用法なのであろうか?
わからん。
1時間おきに、湿った布で拭く、そういう手間自体を惜しまない人間用の
商品なのだろうか?
わからん。

ディズニーはともかく、個人的に親しみのあるブランドではないので、
ビームスって、そんなに「いいものなの」?って
思ってしまう、庶民が増大することは、間違いないと思うよ。
多分。