テレビでも、書籍でも、最近にぎわっている。ニートという言葉。
この間、テレビ番組でも、学歴を含めた、人のあり方が討論されていた。
追記する形で、くどいようだが、これは、何が問題なのであろうか?
どの生物にとっても当たり前なように、
根本的に、生きること、すなわち、食べていけるという、
その前提が、思いっきり欠落している。
明日、あさって、すら、食べることをイメージできない、
食べることに全力を尽くしていかなければならない状況では、
哲学も、芸術も、文化もそして個人の表現すらも成立しない。
食をコントロールできる、数日、いや、数ヶ月、数年、
計画的に、体を維持できる。
ここで初めて、人間としての新しい命題に直面したわけだ。
あまりにも贅沢な、命題。
食べる以外に、生きていく意味はあるのだろうか。
自分は、実は、怖いのである。
色々な職を経て、様々な仕事をこなしたが、
これによって、何年、この生活を持続していけるのだろうか、と。
幸せとは何か。それは、食べていけることである。
一番の幸せは、食を考えずに、生きていけることである。
学歴は、食べるために、用意された、単なる、都合の良い
選択肢に過ぎない。
昨今のリストラで、解雇され失業した人達に、大卒者は10%もいない。
日本は、そういう仕組みを作っていたに過ぎない。
この選択肢を拒否するのであれば、違う方法論を考えれば良い、それだけなのだ。
学歴を、とやかく非難も、否定もすること、ましてや
尊敬する必要すら、全くない。議論すら必要ない。
食べていける確信があれば、僕は、その人を、最大限に尊敬する。
自分も、何をやっていようと、それが可能になった時点で、
僕は、誰にでも胸をはって、いける。
だから、ニートと呼ばれる方々も、食べていけるのであれば、
それでよいと思う。
その前提があれば、自分は、どんなに、下手なブログでも、
続けていく喜びがあるし、
どんなに、実用性のない、まんが読みであっても、
たまらない、喜びがあるし、
へたくそな、社長業だけは、迷惑をかけているのかもしれないが、
それだけで、たまらなく、嬉しい。
これが、リアルな、生き物の姿だと、思う。
そこに、優劣、など、おぞましい世界は、ない。
この間、テレビ番組でも、学歴を含めた、人のあり方が討論されていた。
追記する形で、くどいようだが、これは、何が問題なのであろうか?
どの生物にとっても当たり前なように、
根本的に、生きること、すなわち、食べていけるという、
その前提が、思いっきり欠落している。
明日、あさって、すら、食べることをイメージできない、
食べることに全力を尽くしていかなければならない状況では、
哲学も、芸術も、文化もそして個人の表現すらも成立しない。
食をコントロールできる、数日、いや、数ヶ月、数年、
計画的に、体を維持できる。
ここで初めて、人間としての新しい命題に直面したわけだ。
あまりにも贅沢な、命題。
食べる以外に、生きていく意味はあるのだろうか。
自分は、実は、怖いのである。
色々な職を経て、様々な仕事をこなしたが、
これによって、何年、この生活を持続していけるのだろうか、と。
幸せとは何か。それは、食べていけることである。
一番の幸せは、食を考えずに、生きていけることである。
学歴は、食べるために、用意された、単なる、都合の良い
選択肢に過ぎない。
昨今のリストラで、解雇され失業した人達に、大卒者は10%もいない。
日本は、そういう仕組みを作っていたに過ぎない。
この選択肢を拒否するのであれば、違う方法論を考えれば良い、それだけなのだ。
学歴を、とやかく非難も、否定もすること、ましてや
尊敬する必要すら、全くない。議論すら必要ない。
食べていける確信があれば、僕は、その人を、最大限に尊敬する。
自分も、何をやっていようと、それが可能になった時点で、
僕は、誰にでも胸をはって、いける。
だから、ニートと呼ばれる方々も、食べていけるのであれば、
それでよいと思う。
その前提があれば、自分は、どんなに、下手なブログでも、
続けていく喜びがあるし、
どんなに、実用性のない、まんが読みであっても、
たまらない、喜びがあるし、
へたくそな、社長業だけは、迷惑をかけているのかもしれないが、
それだけで、たまらなく、嬉しい。
これが、リアルな、生き物の姿だと、思う。
そこに、優劣、など、おぞましい世界は、ない。