まなびの途中

色々な仕事をしてまいりました。
色々な出会いがありました。
勘違いもありますが、
学んだことを書いてまいります。

ちょっと、思いついたこと

2005年03月31日 | 教育、文化、少子化
テレビでも、書籍でも、最近にぎわっている。ニートという言葉。
この間、テレビ番組でも、学歴を含めた、人のあり方が討論されていた。

追記する形で、くどいようだが、これは、何が問題なのであろうか?

どの生物にとっても当たり前なように、
根本的に、生きること、すなわち、食べていけるという、
その前提が、思いっきり欠落している。
明日、あさって、すら、食べることをイメージできない、
食べることに全力を尽くしていかなければならない状況では、
哲学も、芸術も、文化もそして個人の表現すらも成立しない。
食をコントロールできる、数日、いや、数ヶ月、数年、
計画的に、体を維持できる。
ここで初めて、人間としての新しい命題に直面したわけだ。

あまりにも贅沢な、命題。
食べる以外に、生きていく意味はあるのだろうか。

自分は、実は、怖いのである。
色々な職を経て、様々な仕事をこなしたが、
これによって、何年、この生活を持続していけるのだろうか、と。
幸せとは何か。それは、食べていけることである。
一番の幸せは、食を考えずに、生きていけることである。

学歴は、食べるために、用意された、単なる、都合の良い
選択肢に過ぎない。
昨今のリストラで、解雇され失業した人達に、大卒者は10%もいない。
日本は、そういう仕組みを作っていたに過ぎない。

この選択肢を拒否するのであれば、違う方法論を考えれば良い、それだけなのだ。
学歴を、とやかく非難も、否定もすること、ましてや
尊敬する必要すら、全くない。議論すら必要ない。

食べていける確信があれば、僕は、その人を、最大限に尊敬する。
自分も、何をやっていようと、それが可能になった時点で、
僕は、誰にでも胸をはって、いける。

だから、ニートと呼ばれる方々も、食べていけるのであれば、
それでよいと思う。
その前提があれば、自分は、どんなに、下手なブログでも、
続けていく喜びがあるし、
どんなに、実用性のない、まんが読みであっても、
たまらない、喜びがあるし、
へたくそな、社長業だけは、迷惑をかけているのかもしれないが、
それだけで、たまらなく、嬉しい。

これが、リアルな、生き物の姿だと、思う。
そこに、優劣、など、おぞましい世界は、ない。

バブルを語ってみました

2005年03月17日 | 社会的全般
S氏は、そのどちらの業務を行うわけでもなく、社外の人間達との交流を通し、
人脈作りに励んでいった。まぁ、こんなご時世です、人脈作りに力をもっていたのは、
やはり、銀行マンです。
もう、金を持っている人間というより、金を借りてくれる人間が「正」の流れ、
決算書なんか、見ないし、連帯保証人なんか、勝手に社員の人間に渡りをつけて、
説明なしの了解をとったら、銀行員が勝手に記入、捺印する状態。
あげく、投資物件を見つけてきたり、会員権を紹介したり、節税保険の外交したり、
はい、自分も買いました。生涯最初で最後の会員権を。ゴルフです。
当時は、1億円のゴルフ場もありました。そんな中で、沖縄のゴルフ場です。
全然遠いじゃん。そのまんま、投資案件じゃん。
でもだって、縁故募集で、100万円だったんです。最終募集時には、1000万円に
なるという触れ込みだったんですぅ。5年のローンを組みました。
でも、自分はまだよかったんですよ。O氏は、不動産の物件を紹介されていました。
ワンルームで、3000万円!35年ローンで!
何年後に、いくらになる、と言われたんでしょうか?
でも、こんな時代だったんです。わずか、3ヶ月で、4000万円の物件が、
ローン間もないのに、5000万円で転売できたとか、いや、まずは、所有権移転して、
払わんでいいですから、登記だけ、あなたがしてください。
責任持って、4ヵ月後に1.5倍で売り切ります。
その際、この保険とこの保険に加入してください。一応、ローン契約書はきりますが、
半年後の払いになりますので、いえいえ、形式的なもんで、はい、ご迷惑なんぞ、
ははははは、おかけいたしませんって。連帯保証人は、この際、誰でも良いです。
ハンコ、あ、このハンコ、これでいいですよ。ちゃちゃっと書いちゃいますね。
頭金?いらない、いらない。それより、この物件を担保として、まだこんなにお金がでますよ。
あっつ!そうだ、こんな会員権があるんですが、これも、すぐに値上がりしますんで。
買っちゃいましょう。ええ、つまり、もれなくついてくるみたいな、
いよ!社長。いきなり資産家!

すいません。1円も持ってないし、払ってもないし。わずか1時間で、誰の金でもない
ただの紙切れで、億近い錬金術が、どの場所でも行われていました。
会社を持つ、ということが、こういう意味を持った時代だったのです。

そして、総量規制、バブル崩壊。株価下落。
1軒の家を担保として、わらしべ長者のような論理で、見たことも無い、リゾートマンション
会員権、その上がることを担保とした、貸付につぐ貸付。
1ヶ月で、4件もの物件が、触ることも無く、契約書という紙切れで、売り買い売り買い、
株のように流れていく。
そして、崩壊。

最後に売り切ってしまった時点が最終ゴール。誰もが、まだ、走り続けていました。
自分も、100万円で買った会員権。本当に1000万円で取引されていました。
しかし、5年未満で売った場合、利益分に最大90%もの所得税を課す、その法律が
邪魔をしました。ローンが終わった5年目。会員権所有から、まさに5年。
金額は、17万円になっていました。
夢のような時代でした。
O氏の物件も、わずか5年で、数百万円程度しか、値がつきませんでした。
彼は、今でも、高い金利と元本を払っています。
そういう時代でした。


余談。ひまな日本

2005年03月14日 | 教育、文化、少子化
人間として成立してから、約百万年。
固体のシステムから、基本的な精神システムは、大きく変わっていない。
生物学的、生体化学的な作用としての、固体という意味においてだ。
こと、情報処理能力は格段にあがっているのは、事実。
それに付随する、障害者が出現しているのも事実。(適応障害など)

危機管理は、集団生活をとってからも、まさに命を懸ける状態で、
面白いことに、ある音は、現在の我々も、身をすくめるという反応になる。
それは、なにやら、ある大型捕食動物が発する息の音だとか、言うが。
本能に組み込まれているらしい。
とはいえ、いきなりだが、どうも、民族という名の下で、ことさら、危機を煽る
それによって、意志を統一化する、そんな風にみえる国が多くみえる。
人は、危機が大好き、いや、もとい、大関心事なので、方法は正しい。
アメリカは、マスメディアを使って、ほぼ、成功している。
イスラムについても、どこについても、結構そんなところだ。中国も。
本当に、日本は、長きに渡って、してこなかった、しなくても良かった、
不思議な国である。

危機がない、当面問題が無いと、人間は、明らかに気力を失う。
知り合いの老夫婦だが、資産家で、メイドも複数人いました。子供の世話、手かかりません。
商売、すこぶる快調。子供、独立致しました。数年後、奥様が自殺。
何もすることがない。という話でした。本人の心の闇はわかりませんが。
一方、老人ホーム。グループ分けをする実験がありました。
仲の良いグループと、造反者を一人、二人混ぜるグループに。
お分かりの通り、後者のグループの寿命が長かったのです。(はい、短絡的に言ってます)
人間は、何日も、食物がない、水も飲めないかもしれない、というコンセプトで
作成されています。そもそも、それが命題だからです。
ラクダのこぶも、元はといえば、ホッテントッドという部族の女性のお尻も、
その絡みで設計されたものです。
毎日、高カロリー、毎日、ぐっすり。壊れて当たり前です。
そのための、システムは、何一つ用意されていないからです。

誤解を承知で言うのであれば、会社がつぶれようが、解雇されようが、餌を、
つまり食うための手段が、まだあれば、自殺する必要はないのです。
本来の意味から言えば。
また、ニート、引きこもりなど、逆にいえば、食うに困らないからこそ、
存在が定義されているのであって、なにもかも一緒にくくられて迷惑な人もいるはずです。
簡単に言います。
今の日本は、本当に安全で、危機が無く、ひまだ。

テレマーケティング

2005年03月11日 | 自分の仕事に絡めて
テレマは、R社の車情報誌を拠り所に、新しい事務所にてスタートした。
先にも述べたが、80年代は、というより、昭和という年号の時代は、
発明、発見、がそのまま新製品として、展開できる、非常にリアリティー一杯の時代であった。
と同時に、お金をかければ、ダイレクトに利潤が発生する、
それを信じられる時代であった。
今のように、効率、スピード、お手軽さ、といったキーワードが、組織なり、流通を
ダウンサイジングさせ、コストとのバランスを考える時代でもなかった。
手に技術を持たない人間に対しても、その風潮はとどまることが無く、投資が投機になり、
リスク?あぁ、運の悪い奴のことでしょ?
といった会話が、マジでなされていた。
石炭、石油をエネルギー源にした、社会なり文明の、登頂点とも考えられる時代であった。
日本ではバブル。
私は、なんの関係もない出来事であった。バブル、カンバック!

まだ、旅行業界も、カウンターで、一般の客を相手にパック旅行を販売するのは、
主に国内旅行。応接で、企業相手やら、海外出張のVIP対応が主であった。
安売りでがんばったHISも、ヒデインターナショナルといった、有象無象の集団の中にいた。
夜間なり土曜、日曜の市場などは、全くといっていいほど、関心が無く。
その市場性を述べただけで、非常識と笑われた時代でもあった。
営業先は、通信販売会社。賃貸不動産。旅行会社。をメインに電話で問い合わせをする、
つまり、広告による反響営業を行う会社をターゲットとした。
賃貸不動産も、大体が17時に閉まる!旅行会社も遅くても18時に閉まる。
え?昔の方が働いてなかったんじゃん。
確かに!営業時間も、勤務時間も、お役所の時間に準じていたような時代です。
野球が18時から始まるのも、あたりまえですね。

営業を開始すると、この時代認識が、本当に壁となった。
月々3万円程度の委託料で、いわゆる時間外の問い合わせに対応し、個人データを
ヒアリング。翌日のコールバックにつなげ、有力な見込み客を囲い込む。
この程度に納得がいかない連中が多かった。バカじゃん。
ただし、当時は、アウトソーシングなんて言葉すらなかったし、昨今のデータ流出などの
概念すらなかった時に、すぐ採用いただいた企業もあった。
アメリカなどで、たかだか5円か10円で手に入れられる素材に、9000円分の
付加価値をつけ、膨大な利益をあげた通信販売の会社だ。
はい、ヒランヤの石とか、そういう商品です。
はい、付加価値とは、そういうことです。
はい、やっぱり売れ筋は、何と言ってもコンプレックス商品ですね。
数ヶ月ではあったが、近畿日本ツーリストは、我々の企業の底上げに、大きな力となってくれた。
そうこうしているうちに、R社より、旅行情報誌でも、同サービスの依頼が入り、
以降、R社との取引は、拡大していくことになる。幸運でした。
あとは、富士山のふもとで、大声を出しながら、自己を変革する!といった触れ込みの
00養成学校や、定期的なセールを目玉に、集客を考案した家具屋さん。
サラ金さんも、いましたね。
今でいう、といち、いえいえ、都の免許番号が1番という意味です。
契約しにお店に行くと、カウンターがありますが、奥の、というより、衝立で仕切っただけの
奥の部屋に、若いんだろうな、足を机の上に投げ出し、足裏を、精神注入棒で、びたびた
たたいている、そんな奴もいました。
その当時は、その業界についてまったく知識がなく、大手の企業が調査をしたら、
間違いなく、取引停止になっていた、そんな業者とも付き合っていました。
さらには、男性からかかってくる電話を、1本あたりいくらで、「受け付け」てくれないかと、
「何を伺えばよいのですか?」「いやいや、相手は色々話をしてきますので、相槌をうって
もらえば......」それって、テレクラじゃん!店も構えられない奴が、
安易に思いつくな!   というのもありました。もちろんお断りいたしました。

他者との距離の喪失

2005年03月09日 | 教育、文化、少子化
インフルエンザ、花粉症と、自分に縁が無いことは幸運であった。
最近、電車内で、せき、くしゃみ、止まらない人を見かけるが、
口を手で覆うこともせず、豪快にする奴が多くなってきた。
タバコの煙を顔に吹きかけられる、数万倍も怒りがわく。
下品で協調性のないおやじは、多々生存を確認できるが、若年層にそういう手前が増殖してきた。
下を向くでもない。豪快に放つ。
何のせいとは言えないが、他者の存在なり、関わりの中にいる自分ということを、
全く絶縁して、生きていける人間がいるということだ。
こんな最低限の対人間作法。危機感が全く欠如しているとしか思えない。

挨拶を行うことは、異文化、異人種間においては、危害を加えない、というシグナルであった。
動くものは、全て、双方にとっては、餌であり、敵であり、仲間である。
そういう生物そのもがもつ記憶を、今の社会は全く無造作すぎる。
しつけ 云々ではない。教育 云々ではない。
社会全体が、1つの、同種、同文化という、危機が無い雰囲気を、享受し蔓延化させている。
人間は、明らかに異なる思想なり文化、外見に遭遇することによって、
初めて言葉を武装化し、コミュニケーションという戦略を会得し、
幾多ある、やりとりを通して、自己認識を成立させてきた。
生存の危機の認識こそが要点である。レベルは問わない。

それが、無いのだ。
そこいらで、あまりにも、一方通行な会話が横行している。
ひょっとして、他人が分からないのではなく、もう見る必要がないんだろう。
見る力さえも消失し、翻って、自分のことも理解できていないんだろう。
そう思わざるを得ない奴らが、本当に増えてきた。


ダイレクトマーケティング

2005年03月08日 | 自分の仕事に絡めて
なんにせよ、イニシャルコストもほとんどかけず、あげた金額は大きかった。
次に、何をターゲットにするか。
S氏にどのようなビジョンがあったのか、それともインスピレーションが沸いたのか
わからないが、電話受付代行業務がスタートした。4番目の仕事である。

当時は、秘書センター、私書箱など、結構いかがわしいイメージがあったが、
ダイレクトマーケティング、つまり、通信販売。無店舗販売。
これが勃興した。
ニッチといえば、そうなんだが、盲点をついた商品、商材。
王様の何々が、そういった商品を現在でも展示販売しているが、ラジオにかませる、
TVに乗せる、これは王道。あとは、スポーツ新聞、週刊誌などに広告を打ち、
反響をもとに、電話による受付。はがき、封書による受付。
そして、得たリストをデータ化し、リピーターとして囲い込む。
といっても、この当時のPCは、全然おそまつ。
書院とかルポがワープロとしてはやっと。文章の挿入なんてできない、誤字の訂正など、
えっつ!全文打ち直し?という代物であった。
ましてや、今では3,5インチのフロッピーも無いよね。でも昔は、8インチの
うちわ みたいなフロッピーがあったんだよ。
がっこん、がっこんいいながら、いかにも辛そうに読み込んでいたのが懐かしい。
いやいや、そのデータベース、なかなかできません。
それが強かったのが、印刷屋さんです。
なにしろ、ラベリング。今では、どこぞの個人でも、お手軽にやってますが、
当時は、できません。ましてや、葉書印刷、封書印刷。
リストが入り放題。リスト屋に変身です。
ダイレクトマーケティングならお任せ!なんてことになります。
広告を打つより、直接届けろ!ダイレクトにやる。えっつ?マーケティングは?
こんな風に、低コスト、そして、効率の良いリスト、次に、良い商品。
がつながって、確かに一攫千金にした方も出ました。
ただ、万が一、反響が多く、たくさん、電話が鳴ってしまったらどうしよう。
そもそも、電話が、プッシュホン式になって、まだ数年しか経っておらず、
結構、ダイヤル式の黒電話が、玄関に、白いレースをかぶって鎮座していた時代を
引きずっています。電話応対も一種のスキルと見なされておりました。(笑)
そうです、それに、夜間、休日をカバーする、受付代行。
素地は確かにありました。

一方で、転送機なる機械もそろりそろり復旧しておりました。
その後、フリーダイヤル転送が成立し、以降、ボイスワープなるシステムが
NTTより標準化するに当たり、死に絶えましたが、当時は、
告知した電話番号を、別の場所で受けるためには、その番号の電話機の下に、
転送機をかまして、通話を飛ばす以外に方法がありませんでした。
10回線代表などは、10台、転送機を入れ込みました。大変でした。
可愛いのは、転送先の我々のところに、電話が回ってくる、受話器をあげる、
「00XX」と、トーキーが喋るのです。
それをシグナルとして、あたかもその会社の社員として電話にでれる訳です。
山ほど転送機買いました。


良き思い出。(N社)

2005年03月04日 | 雑感(日記)
本当に、忘れていきます。色々思い出せる状態であってよかった。
備忘録化していますが。

N社時代に、任された仕事で、思い出した面白い仕事があった。
現在も継続中の番組をヒントにした、いや、パクッたもので、名づけて
「風俗の輪」である。
1面をつかった企画で、登場していただいた方より、ご紹介をうけつつ、取材をしていく
という、そのまんまの企画だ。
内容は、若い時分を含め、風俗にどのように関わったか、もしくは、世相としてどのように
とらえているか、をテーマにしていたと思う。
結構、錚々たる方が取材を受けてくださった。
その時の上司である部長、会話力はあるのだが、勉強も知識も無い。
範囲外の対象者になると、逃げる。
なんと、初取材が、中沢新一。
一人で行かされた。ひどい!
ニューアカと呼ばれる時代、浅田彰や、YMOの坂本教授が、言論界で、哲学?ジャンルで
行く末の日本を含め、メッセージを連発していた時期だ。
そこで中沢新一。宗教哲学とはいえ、後にオーム真理教で、槍玉にあげられた人間だが、
忙しい時間を割いて受けていただくことになった。
もう、初取材。ミーハーな自分の中で、初めて相対する有名人。しかも学者。
なーんにも思い出せない。あがりまくりで、最後、「新宿に出るんだったら、一緒に行こうか?」
気さく!感激!お友達?
過去に、彼の書物を運良く読んでいたこともあり、はい、ファンでした。
サインいただきました。それっきりですが、僕は覚えています。ありがとうございました。

次、紹介された方。坂本龍一。会えるわけないだろぉ!
勝手に探して、丸め込むことも覚えました。別の方を。

順不同ですが、記憶の限り思い出せば、
糸井重里さん。楽しかったです。はい、サインいただきました。
本当に、言葉の操りが見事な方で、1つのテーマに対して、こうも、いく通りの経路で
語れるものか!と感動したのをおぼえております。
つのだじろうさん。後ろの百太郎や恐怖新聞で有名な漫画家。
ご自宅に呼ばれまして、というか、玄関わからないし、とんでもない所から顔出すし、
6角堂みたいな部屋に招き入れられて、中は、紫、穴が、至る所にあいていて、
辻村ジュサブロウ氏作品の人形刺さってるし。
ホラーなご自宅?作業場でした。梶原一騎さんの話を聞けたり、高級ブランデーをいただけたり、
きさくな方でした。
赤塚富士夫さん。大変でした。仕事場でしたが、今お元気でしたっけ。
その時は、アル中?昼真っからお酒を召し上がっていましたが、氷を自力で入れられない。
コップの口めがけて、投げ入れるんですよ。3つに1個しか入りません。
手だけでなく、体いっぱい、震えていました。
お付の人が大変でした。実際、その頃は、ご自分で作品を描いていないとされていた時で、
いただいた色紙の絵も、誰が描いたの?まあまあ似てるじゃん。風でした。
お話の内容も、タモリをいかに世に出したかの話に終始し、でも楽しかったです。
永井豪さん。本当に背の小さいかたでした。この頃、星野宣之さんや、大友克洋さん、
などリアルSF漫画が支持を受けつつあった中の取材でした。
なまいきな事も伺いましたが、お気を悪くされることもなく、誠実に受けていただきました。
ねじめ正一さん。H氏賞をお取りになられた頃で、同行していた人間が大好きな人で、
その後、なんどもN社にお立ちよりされていました。
高橋源一郎さん。泉あさとさん。内藤ちんさん。その他、その他。

多分、取材費を後日お渡しすることで、お話をしていましたが、
一方的な会社の方針によって、洋酒1本をお届けすることで、終了。
大丈夫だったんでしょうか?辞めた人間なんで、怒った方はいなかった、気になる所です。
おかげさまで、免許取り立ての人間が、その日に、箱根を1周するぐらい
無謀な経験を積ませていただきました。感謝。

テレクラの功罪

2005年03月02日 | 雑感(日記)
取材をとおして、自己表現に目覚めた女性の姿にさらされたのは、事実。
とはいえ、話を聞くだけで、直接の体験に、まじで、つながらなかったのも事実。
この手の話は、非常に不得意ではあるものの、通り一遍の話題は持っているのも事実。

当時、女性が強くなってきたね、なんていう、話があふれていたが、
そもそも、中学、高校時のトラウマから脱却できえない、野郎共の言い草である。
性衝動に目覚めるのは、圧倒的に男の子が早い。
初めて、出会える、異なる社会は、異質な社会は、つまり女性の社会である。
差異化がほとんど無い横並びの男の子社会では、自己認識を確立する、その手段が
ほとんどなく、女性にどう見られているか、これに関心が集中する。
これで、ダメージをくらうと、コンプレックスに拍車がかかりまくり、
スポーツに活路を見出すもの、勉強に活路を見出すもの、等、色々と、暴走し始める。
ストイックとコンプレックスは、実は、表裏一体関係になる。
ストイックの果てに確立したものが、社会性を持つものであれば、
1つの、表現方法を獲得できたこととなり、コミュニケーションスキルがアップし、
異質な女性社会に殴り込みをかけられるが、
これが、社会性をもたない分野に特化すると、おたく的に理解され、
かえって、男性社会に対しても、コミュニケーションの断絶がおきる。

圧倒的に情報不足である。
断片的な情報を組み合わせても、自分の持ち物は、不利なんではなかろうか。
付き合うということは、結局、することなんではなかろうか?
不毛でもあり、抑えられない衝動のサンドイッチに中で、
一方、女の子も情報不足である。ただし、立脚点が異なる。
やらせてあげる。という立場だ。
後にわかるんだが、どちらも、この、することに関しては、どちらも大きな性差はない。
どっちも、いたしたいのだ。
ただし、この時点では、まさに、バーチャルだが、女の立場は、上だ。
経験があるかないかが、大きな話題となる。
特に女性側に、その経験があると、醜い嫉妬も含め、かなわない敵を排斥する
アジテートに終始する。
この、トラウマやコンプレックスや、はたまた、やらせてあげる風な関係が継続すると、
金を払って、問題を先送りしても、この衝動を完遂させたい。
に行き着く、その所に、風俗が降臨してくる訳だ。

ところが、テレクラは、実のところ、この学生時代の関係が、結構地続きでつながっていた。
つまり、会話の駆け引きが、圧倒的に、女性側に握られていたのである。
今では、援交など単語があるが、この時は、「買いたい物があるんだけど」
「食べたいものがあるんだけど」が最大のフレーズであった。
店内には、金銭、物品を要望する女性が増えていますので、気をつけてください。
とポップを貼ったが、効果は無い。
やらせてもらえるものであったら、貢物で済むのであれば、当然OKだ。
買わされるだけ買わされて、できなかった、という被害?を訴える者もいたが、
すべからく、まったく関係の無い、一見の女性と会話ができた、と素直に喜ぶ
男性が多かったのは、面白かった。
また、こんな親父が、と思える男が武勇伝を得々と語る、いずれにしても、
後に、犯罪の温床と称されるテレクラは、このような人々に感激を持って
受け入れられた。