まなびの途中

色々な仕事をしてまいりました。
色々な出会いがありました。
勘違いもありますが、
学んだことを書いてまいります。

この1年、ありがとうございました。

2007年12月31日 | 雑感(日記)
久しぶりに1週間近くの「休暇」。
あれやこれや、大きな動きがあった1年でございました。
少しずつ、お話しできることもあろうかと思いますが、
この1年、お付き合いいただきまして、
誠にありがとうございます。

最近、よく、電車を乗り継いでは、様々な場所に出入りいたしましたが、
車内で、2人、
とにかく、車両に乗り込む前から、
2人して、会話もなく、携帯に向かう方々が多いのには驚きました。

とある会場で、行列に並んでいる際にも、
2人の子供を連れたご夫婦。
2人とも、携帯ゲームに夢中です。

赤子を抱き抱えた母親も、子の顔を見るわけでもなく、
ひたすら、携帯に向かっています。

こういった「字面」のコミュニケーションは、
ある意味、あってもいいんでしょうが、
生身で向かい合う、コミュニケーションが、
なんだか最近は、恐ろしいほど、時間も中身も薄くなってきたなぁ、
そういう感じを受けた1年でした。

情報は、どう考えても、人との生身のコミュニケーションを
有効に成立させるための「ツール」だと、
感じておりましたが、
最近は、どうなんでしょうか?
どんどん、人との関係が、バーチャル化し始めてきた感じがいたします。

とはいえ、来年こそは、
毎日、胃が痛む日々を送りたくないな、と、真剣に考えております。
(考えているばかりでは、何も変わりませんけど....)
どうぞ、こんな感じですが、
来年も、まぁ、4年目を迎えることになりますが、
よろしければ、これからもよろしくお願いいたします。

皆様にご多幸を。


ホームにて。

2007年12月28日 | 雑感(日記)
乗り継ぐ電車にて、色々な光景に出くわすことがある。
ぎっしり満員の電車が、終点の駅に止まる。
片側が開いて、降車する客が、狭いドアに絞り込まれるように
押し出されていく。

たまたまホーム中ほどの下り口階段付近に、その車両は止まる。
開く片側ドアは、後部車両からあふれ出る客と、その階段付近で
渋滞する客によって、降車する客の勢いを止めてしまった。

その部分だけ、降りられない客が、何かをあせるように体を外側に
そして、他のドアは、誰もいない。
車両の乗務員は、降車側のドアを閉め、乗車側のドアの開閉に進む。
その部分だけ、いまだ、降車客が混乱しているのを知らない。

ベビーカーは、本来、折りたたんで乗車するように、実は案内されている。
どこの交通機関でもそう。
多くの方は、存じ上げないか、知っていても、そのまま乗り込む。
このとき、彼女も、ベビーカーに赤子を乗せたまま、
まさに、ドアとホームの間に、ベビーカーを渡した状態で、
身動きが取れなくなっていた。

突然、降車側のドアがしまる。
本来、その車両が折り返し、出発する時間が迫っている。
乗り込む客の時間を考えると、すでに「遅れ」は決定的だ。
まさに、そういうタイミングで、降車側のドアが閉まる。

その、まだ降り切れていない「ドア」部分。
その一つだけに、ベビーカーがまだ「渡り切れていない」。
閉まる音が、やけに耳にこたえる。
渾身の力を、混雑する客の集団に押し込もうと、若い彼女は進む。
そこだけ、降り切れていない客が、騒然とする。

挟まれ、真中に寄せられるベビーカー。
メキッ、嫌な音が小さく鳴る。
ドアに伸びる手が、その音とともに増える。
さらに、ベビーカーから出していたのであろう、
赤子の手が、何かに挟まる。
声を上げる子供。

ホームでは、ベビーカーをホームに引き出す客。
社内では、押し込む客。
ドアに手をかける客。
彼女は、見開いた眼で、今にも泣きそうな不遇を呪うような口元で、
退くことも閃くこともなく、
ただ、非力な力を、ゆがんだベビーカーに全体重を乗せるようにして。

一瞬の出来事だたかもしれない。
無事、その「車」は、脱出できた。
そもそも、その非合理的な状況が生み出す、非日常的な場面。
どんな人間でも、ひょっとすると、遭遇してしまう。

先日も、とある私鉄の駅。
線路をはさんで、両側にホームがある。
改札は一つしかなく、下りのホームは、線路を渡って改札を目指す。
上りの電車の進入によって、ホームに設備されている遮断機が降りる。
それでも、渡りきろうとする客は、
上りの電車が警笛を鳴らそうとも、遮断機をくぐりながら改札を目指す。

そんな折、下りた遮断機の前で、たたずむ若い男がいた。
当たり前だが、その後ろ脚を1歩ずらせば、線路にかかる。
男は、半笑いになって、背筋をまっすぐにして、上りの電車を
気まずそうに何度もみやる。

運転手は、躊躇していたが、やがて断続的に警笛を鳴らす。
車両に乗り込んだ客も、あっけにとられている。
鳴らされるたびに、たたずむ男は、遮断機に体を寄せるように、
背筋を伸ばし、「車両の通過のための」スペースを取ろうとする。

駆け寄る駅員。
照れ笑いをしながら、遮断機をくぐるその男。
走り出す車窓から、その男が、頭を軽く下げながら、
その先に待っている、彼の「仲間集団」に飲み込まれていくのが見えた。

来年は、無事に、1年を、暮らせるように、
ブログも、もっと、頭を整理しながら、
もっと、インタラクティブに、できたら、いいな。
本日も、お読みくださって、ありがとうございます。


年の瀬ということで。

2007年12月27日 | 雑感(日記)
結構、87円で買えるヤマザキのジャムマーガリンのコッペパン。
これ、500キロカロリー、あるんで、お腹一杯になります。
おまけに、マックなどは100円のマックポークに、チーズバーガー。
2つで、1食分の食事量。
ええ、実感しています。
食生活が貧相になれば、現代病に罹る率が、えらい高くなります。

身近な人間が、
お金周りのいい方は、当然ながらおりませんが、
糖尿病系の病気になりかかっています。
食生活は、無論、上に記した感じで、
困り具合は、かなりのものですから、相応のストレスがかかっています。

こういう世界に無頓着な人間から、いいものを食べてんでしょう、
必ずこういう切り返しにあうそうで、
それ以来、病気のことを伏せながら、それでも、日々生きています。
もちろん、医者になんか、かかれません。

多分、30代、40代の世代は、思ったより長生きできないかもしれません。
この間、日本を飛び出して、以来、50年以上、イスラム圏内で
お過ごしになられた「老人」
82歳の方と、懇談いたしました。
民俗学をおやりになっている方なんですが、
「腕相撲」で、負けました。

体格的にも、武道の有段者である自分にとって、
この敗北は、少々堪えました。

この国、高齢者社会をまい進しておりますが、
個人的に、それも長く続かないんじゃないかと思っています。
病人社会になる予感がいたします。
そして、団塊の世代が100歳以上の集団の下には、
ぐっとやせ細ったグラフが続き、
まるで、女性の体のように、
ぼん きゅっ ぼん きゅっ
という世代総数グラフができあがるのではないかと、予想しております。

自分が育った40代。
振り返ると、合成なんとかかんとかのオンパレードだった。
賞味期限とか、消費期限とか、そもそもそんなのなかったし、
冷蔵庫というものですら、まだ、上に氷を入れて、
その「ひんやり感」で、下を冷やしているという構造物を知っている。

買ってきたら、その日のうちに、食べる!
そういう時代であったことも知っている。
自宅で保存がかけられるようになった、そういう環境こそが、
いろいろな意味で、物事を「複雑」にしているのかもしれない。

家でも、釘と、なんだっけ、柱の組み合わせで建てていた感じで、
あとは、波をうったような「とたん」の塀。
今では、天井から壁、床にまで、きれいに「モザイク」をかけたような
合板が使われている。
接着剤は、すべて、ホルムアルデヒド含有。
機密性が高くなれなるほど、こいつらは、近代家屋に蔓延している。

あれやこれやを考えると、
この年末に、非常にダークな話題になってしまったが、
かえって、腹の括りもできるというわけだ。
再生医療も、なんとか細胞で、どうしたこうした、話題が沸騰しているが、
2030年には、労働人口が1000万人、減る。

例の厚労省の「試算」なんで、またいきあたりばったりの数字なんだろうけど、
いい加減、労働人口を、15歳以上とか、そこから計算するのは、
いかがなものかと、思うんだけど。
500万人に抑えるためには、
60歳から64歳の労働力率を、71%から、97%にまであげて、
女性の30歳から34歳を63%から79%までに上げる。

さらに70歳まで「働ける環境」に力を入れる。
なんてね、腹を括りかけたのに、70歳まで働くことになりそうです。
この国の方針では。
健康体で、生きて働けるのかなぁ?
自分。


新年を迎える前に、自分のことを棚に上げて....

2007年12月25日 | 社会的全般
この1、2週間という時間がもったいない。
いずれにしても、大半の仕事、年内に大きな動きはない。
つまんないな。

最近、国の仕事がえらいことになっている。
まぁ昔から「仕事」をしているという意味を、どう考えているのかわかりませんが
ここにきて、随分様変わりしている事態に、
どうもついて言っていないような気がする。

新しい知識にしても、技術にしても、もう、どうにこうにも「煮え煮え」。
官僚という「エリート」が、学んだことを、
この社会に「おろす」という作業こそが、これまでの「モチベーション」
だったことは周知の事実で、
まさか、責任を「とらされる」ために、その存在があったとは、
夢にも思わなかったことであろう。

監督責任といえば、昔と今では、全然、受け取るイメージは別で、
言うことをきかす、という感じから、
起こったことを引き受けるまでには、天文学的な距離感を感じてしまう。

言ってみれば、哲学的な問題なのかもしれないが、
場を作りました、規制緩和もしましょう、経済活動の自由も、ルールの上では
平等で、しかもプレイヤーに関しては「性善説」で臨みましょう。
起きた問題に関しては、案件ごとに、司法が解決してくれるでしょう。
お役所が、そのジャッジまで、口をはさむことは、できません。

ところが時代が移るにつれて、
この国が、「福祉国家」として要求度をあげてくると、
どうしても限りある財政では、すべてにわたって満足度をあげるには、
無理が出てくる。

そのために、「予防」的な考え方。
リスクをヘッジするあり方が、最終的に強力な言い訳にもなろうし、
結果的に、財政の出動量を減らすことにもつながるし、
こういう考え方から、「予見」を最優先させる、
その取り組みが、「お節介」と言われようが、
「息苦しい社会」と言われようが、国が取り組み始めたのは言うまでもない。

たとえば、喫煙にしても、喫煙権とか、そういう「嗜好性」をおっしゃられる
そういう方がいるが、
医学的に、その「煙」が、他者の健康リスクを「巻き添え」にする。
それは、将来にわたって、医療費増大の数パーセントを占める。
だったら、公共施設では、分煙もしくは禁煙にさせる。
これが、「予防」見地における、考え方だ。

将来に予測される、金銭的なダメージ。
これを想定しながら、行政の在り方を考えていくという発想は、
実は、まだまだ端緒についたばかりと思われ、
その真逆を未だ突っ走る官庁が、国交省だったりする。

厚労省の問題にしても、
もっと早めに「予防」の見地から、広い視野と責任を考えていれば、
このような肝炎に関する悲劇的な状況は、最小限に防げたであろうし、
全員一律救済だと、将来にわたって、何兆円にもなってしまう、
そういう悲劇にもならなかったであろう。

いくら政治家が国民の民意を受けて緊縮財政だと切り込んでいっても、
官僚自体に、国家予算の未来図なんか「気にもしていない」、
そういう、まさに哲学的な「根性」が見え隠れしているうちは、
この先、薬害もそうだし、偽装建築にしてもそうだし、
教育改革にしてもそうだし、
将来に、先送りしてしまう、財政出動を増加させてしまう。

グッドウイルの問題にしてもそう。
おそらく、日雇いの大部分を、どっかが、きっちりと回収するんだろうけど、
大部分は、それを受け入れた企業が、なんのお咎めもうけていない。
これはいったいどういうことだろうか?
結局、日雇いとして生計を立てていた人間は、
おそらく、最終的に、予見すると、
限りなく、福祉国家としては、生活保護という状況に陥る可能性があって、
大きな財政的な出動が、見込まれる。

この先、あらゆる現場で、発生するトラブルは、
この傾向から言うと、最終的に、国が救済するという処理になってしまう。
東京の渋谷において、痛ましい「温泉施設」の爆破事故があったが、
これに関しても、たぶん、国の管理責任が大きく問われることにもなろう。
公園の「柵」が無いばかりに、幼児が池でおぼれてしまった「事故」も、
最近では、県の「管理責任」が問われ、大きなお金が支払われた。

ある意味、こうなってくると、
あらゆる「公共」であろうと「わたくし」であろうと、
国の施政としては、管理管理を強化せざるを得ない。
ええ、なにかあったら、税金でまかなうことを強調することになるんだったら、
誰もが有無を言えなくなるはずだから。

このような展開が進めば進むほど、
おそらく、どの時点で、国はギブアップしてしまうのか、
干支が新しい「ぐるり」を始める前に、
ちょっと憂鬱に考えてしまう訳だし、
これでは、特に優秀な人間も、そりゃ、官僚という職業には、
なりようがないわな、なんてことも、考えてしまう訳で、
天下国家を語る、なんて気概なんて、この先、なさそうな気がするので、

我々は、誰に、何を託すつもりで、この国を考えていけばいいのだろうか?


本当にそうだろうか

2007年12月20日 | 政治
結局、テレビ朝日の報道ステーションとか、最近では日本テレビの
ゼロとか、そういう報道番組を見てしまうのは、
フジテレビとかNHKとは異なり、
キャスターの際立ち振り。
これに尽きるんだろうな、と最近は思ってしまう。

普通に話せない。
この瞬間に立ち会える面白さは、特に古舘さんに多く、
嫌を通り越して、時折ピントを外れた、大仰な言い回しに、
見方の多様性を、深く思考させられる。
ああ、この人の存在は、案外、視聴者に、「えっつ?」という衝撃を与え、
疑うという「経路」を、あえて、育成させるためにあるんだと、
前向きな見方を提供していただいているんだと。

で、朝日新聞。社説。
時折、ここも頑張る社説を提供してくれる。

希望社会への提言(8)―産業力Aクラスを保つ3本柱

  序盤は電機や自動車などの製造業が活躍してたくさん点を取り、首位争いに加
  わった。ところが中盤に至り、成功に浮かれてバブル破裂というエラーが続
  出、元気づく下位チームに追い抜かれそうだ。これからは守りを固め、打力も
  磨いて、末永くAクラスを確保したい。

野球に例える、そういう書き出し。もう、この導入に対して、まぁいいや。

  守備の要にふさわしい産業は何だろうか。その一番手として、健康・福祉・子
  育て支援といった生活に密着したサービスをあげたい。

もう、第三セクターが、各自治体の切り札と言われていたあのバブルを
思い出させるようなフレーズだ。
これが、これが、守備の要?
ふーん。意図は何だろう。

  民間の知恵で仕事を効率化し、サービスの質を高める余地がたくさんある。
  とはいえ、道はまだ遠い。この夏に表面化した介護事業会社コムスンの不正が
  それを物語る。
  そのなかで、介護サービスの報酬が低すぎてヘルパー不足に陥っていることが
  明らかになった。

   介護の現状をよく見ながら、制度を改革していくことが大切だ。劣悪な労働
  条件を改善すれば人材も集まり、老後を支える安心産業へ成長していける。

もう、最初から知っていたくせに。
さらに、サービスを効率化しすぎて、「儲けどころ」がなくなってしまって、
ヘルパー、満足な給与すら提供できなくなっている。
これを「劣悪な労働条件」と言い換えて、あえて企業側に何かを被せる表現。
本当に、企業側のせいなのかしら?
面白いね、朝日新聞て。

  福祉に限らず、サービス産業は経済成長を続けられるかのカギを握る。
  通信や流通から観光、人材派遣まで幅広く、国内総生産(GDP)と雇用数の
  それぞれ7割を占めながら、生産性が製造業に比べても海外先進国に比べても
  低いからだ。これでは給料も上がらない。

いやー、非常に「特異な分野」をあげておきながら、
生産性が低い、と言ってしまう。
介護の話をぶつけておきながら、この分野で、生産性を持ってきますかね?
いいんですか?生産性を「追及」させて。

で、中略させていただくが、

  最後は「ものづくり」である。前半リードの立役者だが、今後も頼りにすべき
  主力打者だ。ここで勝ち星を稼ぐ。

  これまで他の先進国の後塵(こうじん)を拝してきた分野へ果敢に乗り込む動
  きもある。いま進行中の国産ジェット旅客機プロジェクトだ。あまり注目され
  ていなかった新人選手が、チャンスを与えられ大活躍する。そんな夢もある。

前半で、車のことを環境技術とともに語り、付加価値の有効さと、日本の技術の
確かさを通り一辺、述べていたが、
この旅客機。新人選手?どうして?
これ、色々あって、作れなかったんじゃないの?日本は?
さらに言うと、「色々あって」、国内に、「風洞実験室」すら、
作れなかったんじゃないの?
報道関係として、こんな書き方で、いいの?

  その主役はのびのびと競争する民間プレーヤーであり、市場に支持された者が
  スタンドの喝采を浴びる。

  政府はルールや競争環境の整備とか教育、研究開発の支援に徹するべきだ。野
  球でも監督やコーチがやたらとベンチから出てきては、観客は興ざめだ。

ええつ?
「興ざめ」?
民間プレイヤー?市場に支持される?喝采を浴びる?
なんか、ごっちゃになっていない?
なんか、自分、頭が悪いのかなぁ、どうもこの社説が言いたいこと、
ものすごく、子供の作文みたいに見えてしまうんだけど、
あえて、平易に「書いていただけたんでしょうか?」

はっきりいって、よそ様では、明らかに、国家主導型で、
「国家戦略」というものを明確にして、
もちろん、国民の「意思」という、国民も納得した形で、打って出ている。

民主主義というシステムは、どうしても、多数決であって、
全員がそれを「織り込みながら」、あえて参加する。
その多数の民意を、それこそ検証しながら、「作り上げ」、
国家戦略として、それこそ、政治的に国家間の交渉を進めていく。

悪いけど、監督やコーチこそが、「プレーヤー」でしょ。
選手こそが、政治家だったり、官僚と言われている人たちでしょ。
中国の胡錦濤さんですら、諸外国から「中国の営業マン」と呼ばれているくらい、
いい悪いは別にして、恐れられているし、
一応、新興勢力から「突き上げ」をくらっている現状から、
我々は、どう、政治の場で、国際間の有利な環境を作っていけるのか、
それを「付託」しないで、なんのために、数億もの金をかけて
「選挙」をしているのか。

プレイヤーの意味が違うよ。
もう、日本のオーナーは、国民でしょ。
確かに、現場で産業をおこし、運営をしているのは事実だけど、
野球に例えるなら、そりゃ、選手かもしれないけど、
国に雇われているわけじゃないんだけど。
どうも、朝日さんって、そういう、国に対する、「権力観」が、
あまりにも鼻につきます。

いっそのこと、
FAかポスティングで、ビルゲイツでもいいから、取ってきてくれ。


とくに足らない話。

2007年12月18日 | 雑感(日記)
結局、書類の都合がつかず、古い車の「末梢」が今月になった。
解体書類というのがあって、報告番号。
これがないと、車の抹消ができないわけだ。
この作業に連動しているのが、車の「重量税」。
大概、5月ぐらいに1年分払い込まなければならない。

最近は、この払込票がないと、「車検」が受けれないというシステムになって、
完納率もあがったことであろう。
車の重量によって、税額も異なる。
今までの車は、やや軽かったので、3万円ちょっとだったが、
今度のアバロンは、重い。
5万円ちょっと。

いや、どうでもいいんだけど、
その3万円何某。
12か月分ということで、途中で今回みたいに「抹消」というか
廃車にした場合、どうなるんだ?
ということになる。

それを今回、実践ということになったんだが、
面倒くさい。
一括でできません。
東京の鮫洲というところにある陸運局は、3つの建物があって、
それぞれに役割がある。
車の抹消をしたところで、別の処理をしなければ、
「残りの税金は」還付されません。

働いている職員は、かなりいい人が多いのも事実。
さすがに「業者」のお客さんが多い。
ニッサンとか、00モーターのジャンパーを羽織っている連中が多い中、
本当に「素人」は少ない。
それでも、結構、親切に手ほどきしてくれる。
それでも、それ以上のことは、誰も教えてくれない。

抹消手続き自体は、無料ということなんだが、
還付を受けるには、また別の手続きが必要で、建物も異なる。
ええ、時間的にも、面倒くさい。
今回が初めてではないが、考えてみたら、
この税金、還付を受けたことがない。
いやー、随分、国も儲かってんじゃないのかなぁ、
というか、素人に、本当に「優しくない」システム。

そういう意味で、いつか、突っ込まれたら、また年金と一緒で、
効率化、システム化するたびに、
何かが「面倒」に作られていて、
その作業によって、何かの組織が作られていたりしていたのが
明白になって、
結果的に、著しく非効率になっている「現場」が限りなくあったりしていて、
なんだか、不思議な組織が、国によってたくさん「運営」されている。

現場で働いている方々は、本当に忙しそうに、笑顔で、昔風の雰囲気の中で、
仕事をされている。
それには敬服を申し上げるが、
書類の数を含めて、OCRの用紙一つをとってみても、本当に、たるい。
昔ながらのお役人的な発想がぷんぷん。

そういえば、電信電話公社時代の、申込書ひとつとっても、
最後まで、古色蒼然だったことを思い出した。
これが民間に変わったら、なんだか、随分、すべてが一新された気がした。
それでも昔に比べれば、随分、作業スピードが上がったんだろうけど、
もし、民間だったら、もう少し、何かが違うんだろうなとか、
そう思ってしまうような感じであった。

ああ、なんて内容なんだろう。書き方も変だし。
人と話しながら書くのは、たぶん、自分には出来ない作業なんだろう。
ごめんなさい。

とりとめもない話で....

2007年12月14日 | 雑感(日記)
まったくもって、パソコンに向き合う時間がとれず、
おまけに、忘年会とやら参加させられて、
何年振りか、ボーリングなんぞさせられて、
しかも20名で。
恐ろしい、数日間だった。

どうやら不動産バブルが、ゆるやかに調整局面にはいったようだ。
もっといえば、
バブルが終了したのだろう。
以前、モデルルーム。マンションパビリオンとか、盛大にアトラクション仕掛け
を何棟か拝見したが、
最近、毎週のように、電話がかかってくる。

とある一戸建て住宅でも、9月に完成した物件が、8棟。
そろいもそろって、1200万円引き、という新しい値付け。
今時出回ってくるというのは、
ローンにどいつもこいつも通らなかった、という顛末か?

駅5分、東急線沿いという好立地に加え、坪数も大きく、
今年の春までだったら、あっという間の完売御礼。
5000万円強という金額が、たぶん、上限として、
それ以上では、頭金ゼロ!なんてどこの金融機関も、今は受け付けないので、
3割自己負担といったら、6000万円近くは、
重たい。

約20年も前、バブル当時。
実は、金利なんて異常に高く、7%近くも「定期預金」の金利があった。
それ以前でも、3%とか、1億円あれば、300万円の金利収入で、
そんな人生設計を、真面目に語れる時代でもあった。

ところが、今、金利は地面にへばりついたまま。
これで、また不動産バブルが弾けたら、目を覆うような惨劇が。
金利が上がる。下がることはない。
この国のどこに余力があるのかわからないが、
また商業地でも、じりじり、値が下がってくるのであろう。

昔叩かれまくった商工ファンド。
今は名を変え、元気に営業をされている。
相変わらず、出資法金利の28%ぎりぎり。
借りる人間は、魅入られたようにやってくる。
例の「根保証」という、マジックみたいなやり方は、
健在で、

「仮に返済が滞った場合、御借入れした300万円ですが、
 金利などで越えてしまいます。ですから、400万円を最高にして、
 保証いただく、限度額とお考えください」

これが説明になっているのかどうか理解しがたいが、
勝手に主債務者が、300万円のところ、400万円借りこんでしまっても、
保証人は、自動的に300万円ではなく、400万円の保証人にされてしまう。
これも、いつか、問題になるだろうな。
ええ、私は、死んでも、こういう所から借りません。

パチンコ店とか不動産会社とか、飲食店とか、
いきなり取引が活発化しているようで、ここに行ったら、おおよそ、
ご臨終が近い。
それでも、5年間、金利だけを払っていればいいにので、
苦しい考え方かもしれないが、
5年後に、ひょっとしたら返せるかもしれない。
そういう方には、もしかしたら、5年後に、元本完済できるかも?
に賭けるしかないかもしれない。

まったくもって、雑多なお話を、お許しください。


年金問題の次に直面するこの国の公共サービスの衰退。

2007年12月10日 | 政治
時折番組で警察24時間みたいな特番があったりするが、
我々は、そもそも警察の仕事を、本当に知っているのだろうか?
以前、若い頃、とある警察署にお世話になったことがある。
ご期待に応えられないが、当方は、被害者の方である。

ただ、事件といっても、事件性のある、民事関係なので、
本当に、警察の腰は重かった。
むしろ、こちらが、なんとか「事件」を立証しようと、弁護士に知恵を借りたり
概要書を提出したり、なんとか警察を動かそうと、頑張ったものだった。

おかげで、意気に感じた刑事さんが、ようやく我々の立場に立って、
動いていただけたが、残念ながら、時間が立ち過ぎていて、
最終的に、事件性のない、民事に「すり替えられて」しまった。

もっとも、多少の「外傷程度」、「監禁容疑」といった程度、
仮に、相手の「防御」の前に動いていれば、
相当数の仲間がいただけに、口裏含めて、対処の使用がなかった可能性があった。
とはいえ、2晩、刑事さんと、署内にて夜を明かしたこともあったが、
いやいや、この人たち、本当に、次から次にと、
それこそ、普通のサラリーマンよりも、忙しい。

よく、初動捜査のミス。ほったらかしなど、
事件の重さにも程度はあれ、マスコミに取り上げられるたびに非難されるが、
テレビなどで、特に踊る大捜査線でもお馴染だが、
大量の「動員」をかける、捜査を行う、なんてことを数日やったら、
他の事件なんて、ほぼ、対処のしようがない。

それこそ、救急車の「出動回数」が問題になっているが、
タクシー代りに使う「市民」がいるくらいである。
想像してもいい、些細な「もめごと」程度でも、
気軽に警察に電話をしてくる市民が、このところ非常に多くなってくる。
そういう連中に限って、邪険な対応をすると、
途端に、警察相手であっても、モンスタークレイマーになる。

自分の「事件」をお話ししたが、
今にして思えば、もっと、緊急の「事件」が他にあったであろうに、
申し訳ない「作業」をさせてしまったと、つくづく思ってしまう。
もちろん、警察にもそうだが、本当に緊急を要する事件に巻き込まれた
被害者にだ。

先日、医療に関して、まとまりのない内容を書いてしまったが、
おそらく、この先の日本では、間違いなく、
「風邪」やら「ねんざ」程度で、医者にかかることはできそうにない。
今でこそ、あれ?と思ったその日に、我々は医者にかかることができるが、
すでに欧米の先進国では、
医者に診察をしてもらえる前に、大概、どうにかなっている。
そう、1週間、2週間先まで、「予約」が一杯なのである。

「シッコ」という映画で、イギリスの医療システムが好意的に取り上げられていた。
医療費は「無料」。
しかしながら、股関節の手術で6か月ウエイティングさせてならない、
そういう指導がでていることは、取り上げられていない。
さらに、手術を要するかどうか、そういう診断をするために、
さらに数週間も予約をまたなければならない。

フランス、ドイツでは、そこまで酷くはないが、
それでも「高額な税金負担」を、その国の国民は、納得している。
日本では、当日、なんにせよ、診察を受けられる。
セカンドオピニオンを誰でも受けられ、さらに、望めば数日以内に、
CTはもちろん、病院を移ることも可能。

確かに日本では、直接税、負担率ということが、先進国の間では「高い」。
ところが、その仕組みでは、まったくと言っていいほど、
間に合っていない。
ほぼ全員が、安く、早く、診察を受けられれる。
そのための「負担」として、どういう仕組みがよいのか、
実は、そういう問題になると、誰もが、論議を避けてしまう。

さらにいうと、誰もが、本当に、医療の「構造的」な深刻な問題よりも、
「診察を受けに来てやっているんだから」という
すがる気持ち半分、俺様の気持ち半分。
そういう態度が、最近、とても目につくようになってきた。

また、盲腸ひとつとってみても、
普通、手術で死亡するなんて、日本人ほど、誰もが疑いもしないが、
どの医学書であっても、その15%は、腹を開けてみなければ、
盲腸がどうか、判断することができない。そう書かれている。
つまり、盲腸の診断ですら、ほとんど「医者の長年の勘が勝負」、
そういう事実さえ、知らない。

我々は、そういう「公共サービス」というものを、
本当に、ありがたさもわからずに、当たり前のように、
そして、当然の権利のように、要求できる。
これは、世界中の中でも、まれに見る、幸運な社会なのである。

相手が、日々、どういう環境で、どういう仕事をしているかなど、
全く、理解もせずに、知ろうともせずに、
ひたすら、受けてとして、身を任せられる、そういう社会にいる。
確かに「重篤な事件」「生命の損失」など、
過誤を含めて、安易に善し悪しを述べることはできない。
何度も言うが、自分だって、わが身に降りかかれば、冷静さなんて、
多分、無くなるであろうことは容易に理解している。

ただ、この先、この国の近未来においては、
間違いなく、セキュリティー、体の保全に関して、
とんでもない状況になってくるであろう。
何かを先送りにして、年金の問題がそうであったように、
何かを犠牲にしてでも、何が必要であるべきか、
でも、今は、できれば、自分の時代に決めたくはないし、
負担をしたくはない、そういう繰り返しの連鎖を断ち切れていない。

もちろん、根が単純な問題ではないだけに、
これだけを、こういう論調で言ってみたところで、
異論が百出するであろうことも知っている。
が、事実として、もはや、年金問題がそうであったように、
政治の問題が100%ではなく、
有権者として、国民として、この国の社会システムを、
どう、折り合いをつけながら、維持し、どういう哲学で管理していくか、
遅いかもしれないが、考えていかねば、
格差社会という言葉の前で、悲鳴だけを上げ続けなければならない、
そういう時代が、もう、間もなく、やってくる。


本当に、医者は足りているのか?

2007年12月07日 | 社会的全般
紙面では、また救急患者の「たらいまわし」が取り上げられている。
様々なケースがあって、
それぞれに要因があって、
ただ、最悪の結果が生じていく。

あらかたの番組では、医者に対して、
「本来」の姿に戻るべきだと、案外、精神的な崇高な態度を示せとか、
患者を「診ない」ということは「救わない」と同義だと、
憤慨される方もいる。

ただ、どうしてもわからなかったことは、
なんで、こう、いくつもの病院が「消え去って」いくのか。
今読んでいる本。
たまたま購入していたものだが、
「貧乏人は医者にかかるな!」というタイトル。
その理由の箇所まで読み進めていないのだが、

要は、医者が決定的に不足している。
前半の部分で、作者は、かなりの力を裂いて、歴史的に政策的なところまで、
解明し、解説を加えている。

医者と弁護士は、増える一方で、将来職場が無くなってしまうのだろうか?
そう思っていた時期があった。
が、どういうわけだが、医者は、20年前より、
その「増加」を見越して、毎年の学生の数から、根本的に減らしてきた、
そういう流れがあった。

政府は、医者が「余る」という「予測」を、前々からたてて、
十全な準備をしてきた、という事実。
ところが、その根拠となる「数字」が笑える。
入院患者16人当り1人の医者を。
なんと、ろくな設備も、技術も無かった、
60年以上も前の「数値」。昭和23年。

今の医療体制で、あらゆる検査をして、技術が高度のなればなるほど、
麻酔の技術が増せば増すほど、長時間化される手術。
ましてや、「不治の病」を治る病にすべく果敢に努力し、
当時では、死んでしまう病でさえも、なんとか生還させてしまう医療。
16人は、適正なのか?

今では、最低人数とされていたこの16人が、最高値として読み替えられ、
この数字を元に、「医者が余っている」とされている。
他に、その医者の数だが、免許を持っている医者は全て「母数」に加えられる。
よって、80歳だろうが、退職して研究職をやっていようが、
確か、ムツゴロウさんも医者だったよね?(これ、言い過ぎ?)
(医者の登録って、薬剤師はあるんだけど、どうなっているのかしら?)
とりあえず、カウント。

実際、30歳から65歳までの数では、
政府が決める、人口10万人当り150人の医師を大幅に下回る、
123人!
最近、メディアが好き好んで使う、OECD加盟国のデータでは、
全体の平均が、人口1000人当り2.9人の中で、
日本は、下から4番目、2.0人。

そして、入院日数を「半分」に減らす。
この命題に応えるために、病院が行えば、すなわち、患者は自然「倍」になる。
それでも、政府は、「余っている」という掛け声のもとに、
何年ごとに、大学の人数「削減」を求めていく。

小児科、産婦人科と多く問題になっている、病院の閉鎖。
どのマスコミも、医者の数をまともに取り上げたところは無い。
本当に、この本で言っているように、これらが事実であるならば、
我々は、将来、本当に医者にかかれない、
金を持っていなければ、優先的に「手術を受けれない」
そういう事態に直面するのかもしれない。


去勢された言葉が生み出す打たれ弱い社会では。

2007年12月06日 | 社会的全般
もう少し、「不細工」な表現を使ってもいいんじゃないかと、
そういう気がする事件が多い。
よく「車内でキレた中年男性が」など見出しで踊っているが、
なんだか、キレる、そういう事態が、
社会的に、良くは無いけど、一定の理解を示されているのはなぜだろう。

もっと、これをいわれてしまったら、恥ずかしくって申し訳ない、
そんな表現があってもいいんじゃないか。
例のストーカーという表現も、昔は単なる「変質者」で片付けられたが、
今でこそ、「不気味」「怖い」という感覚が、
自動的に喚起されるが、
当初は、結構、「新鮮」なイメージで語られることがあった。

犯罪者、罪を犯したもの、
ベースとして、「社会的・環境的」な要因を結びつける、
そういう「断罪」というか「免罪」を考える傾向は、否定するわけではないが、
犯したことにも、一分の「理」がある。
そういう考え方が、
なんだか、配慮する傾向に拍車をかけているようで、
これがまた、マスコミとか心理学者とか社会学の先生が、
いい表現を「見つけて」くるんだよね。

確かに、ストーカーという言葉。
これによって、このジャンルの「犯罪」には、
いくつかの「現象」があって、と、
それぞれが明確になったもんで、対応力があがったというのは明確。

これが変質者であれば、なんだか、ありとあらゆる境界がぼんやりとして
対応力が減じるのも理解できる。

そうとはいえ、最近の色々な言葉。
ちょっとデリカシーに欠ける言い方かもしれないが、
昔に比べて、きわどい言葉が、「地下」に潜り過ぎているような気がする。
あえて言ってしまうと、
ダークな言葉に、普段から「耐性」経験ができていない場合、
地下から噴出してきた「言葉」に、
ころっと、やられてしまう。

言葉は、簡単に言うと、最もベイシックな「武器」である。
最近は、携帯やらパソコンで、永遠と「残ってしまう」言葉が、
「無垢な」子供らを狂乱の渦に巻き込んでいて、
大人ですら、その新しい状況に「打つ手無し」。

振り向きざまに、「馬鹿やろう!」とか「OOOOXXXX」という完全放送禁止用語を
言ってしまっても、その場で消えるか、決着がつくんだが、
メールとかはそういうものでないだけに始末が悪いよね。
昔で言うと「お札」か?

まぁ、普段から、「やわらかい」「配慮を尽くした」言葉の世界で暮らしていると、
パワーのある、「地下に封印」された言葉は、
物凄い効果を生むってことにもなる。
文化的に向上するとか、文明的にどうか、なんて尺度はあろうが、
犯罪者にまで、結構、配慮の効いた、
そして「心理学的」に免罪符を、さも、与えてしまうかのような「表現」は、

こと、人間社会において、何かを、何かの能力を、何かの適応力を、
著しく「後退」させてしまう感じがする。

ちょっと大上段に振りかぶりすぎて、困った展開にしてしまったが、
言葉というのは、武器でもあるし、また、その武器を扱う人間の力量も、
ある意味図れる「道具」である。
そういう観点からすると、
色々な意味で、言葉が「集約」化されて、
案外、「規制」されてしまう社会というのは、
いい悪いは別にして、去勢され一見平和で紳士的だけど、
妙に「打たれ弱い」、貧弱な動物たちで溢れかえってしまうような、
そういう社会になってしまうようで、怖いんだけど。

ここで、いじめに関わる話を展開するのは、話が長くなるし無理だけど、
簡単に言うと、大人が、そういう言葉に、そもそも対応力が無い。
「そんな酷い」で終了。
もう、ここまで我々は、無力化されているのかもしれない。


この映画は、ちょっと勘弁してください.......。

2007年12月04日 | 本・映画
「ディパーテッド」。
次第にがらんとなる、旧事務所にて、空いた時間、見る。
レオナルドデカプリオ、マットデイモン、ジャックニコルソン。

香港映画のリメイクということなんですが、
個人的に、こういう映画、あんまり見たくないなぁ。
香港映画は見たことも、知りもしなかったんで、
タイトルだけでレンタルしてしまったんだけど、
こういう映画だったんだ。

「潜入捜査」ということが、どういうリアリティーがあるのか、
本当にしらないんだけど、
いやいや、これ、やっぱり、当事者は「大変だ」。
ネタばれになるんで、詳細は見てくださいとしかいえないんだけど、
ついつい、集中してみてしまうタイプとしては、
もう、次の展開が、嫌で嫌でしょうがなかった。

もっと楽にみればよかった。

それだけ、作りが良かったんだと言われればそうなんだけど、
「彼女」といわれる、精神科医がいなかったら、
誰も、報われない。
悲しむ人もいない。
そう、実は、悲しい場面がひとつもない。

さらに爽快感も、全く無い。
よく、こんな映画作るよなぁ、と見終わった後に、そう思うくらい。
ふところ深いよなぁ、ハリウッドわ。

ただただ、デカプリオの潜入捜査。
彼の翻弄されていく、苦悩と、壊れようと、怯えなんか、
もう入り込んじゃって、きつかった。

『インファナル・アフェア』の方は、3部作ということで、
もっと、それぞれの作りこみがしっかしているんだろうけど、
この作品は、よくよく考えてみると、
なんで?なんで?という、「彼らが感じる」不条理さをも、
勝手に、痛いほど感じてしまう、
それくらい、彼らの背景が、もう少し欲しかった。

まぁやるしかないよねぇ、とか、しょうがないよねぇ、
なんて「流せる」背景が見当たらないだけに、
可愛そうにが先に立っちゃって。

だもんで、確かに作りは、それだけにいいんだろうけど、
この手の映画は、ちょっと、勘弁。
できれば見たくないなぁ。

ああ、マットデイモン。
彼の、こういう役も見たくなかったなぁ。
これは勝手な意見なんで、「ボーン.....」の印象だけで語っていますが。
でもオーシャンでの「抜け方」もいいんで、
なんでもこなせるんだなぁ。
彼との遭遇は、グッドウイルハンティングなんで、
そういえばそうだよね、なんて、
また素人の知識で何を言っているんだか。
ごめんなさい。


請負と派遣は、全く別物ですから。

2007年12月02日 | 社会的全般
新しくなった車に搭載されている「カロツェリア」君。
カーナビですが、CDをハードディスクに50ギガも溜め込めます。
何年振りでしょうか、レンタルしに行ったのは。
ええ、ピンクフロイドを借りてきました。
ただいま、堪能中です。

派遣料金の公開を要請へ 厚労省、マージン明らかに

  労働者派遣法の見直しを検討している厚生労働省の労働政策審議会(厚労相の
  諮問機関)の部会は29日、労働者を派遣した際に派遣元が派遣先から受け取
  っている派遣料金の情報公開を進めることで一致した。厚労省は今後、派遣法
  に基づく指針を改正し、派遣会社に対して公開を要請する規定を盛り込む方向
  で検討する。

  労働者側にとってマージン(派遣手数料)がわかる意義がある。

ええっと、何か、問題が違っているような気がするんですが。
例の、グッドウイルとかフルキャストで問題になっているのは、
確かに「単語」上では、派遣なんですが、
これ、「請負」です。

請負と派遣、簡単に言うと、請負はその現場「いくら」で売りげを立てます。
派遣は、その人間一人頭、「いくら」で売り上げを立てます。
よって、請負では、多分この作業は1日あたり10人くらい、
そんで「1人あたり」1万円として、10万円かかります。
そういう見積もりを出すわけです。

派遣は、OOさんを派遣します、と。
その方は、1「時間」例えば2000円でお願いします。
そういう見積もりの仕方になります。

もうお分かりの通り、マージンが見えないのは「請負」です。
ええ、10人で作業を見積もっても、
60歳の人間で行う場合と、ちゃきちゃきの20歳で行う場合、
作業効率が異なりますので、
意外や意外、8人でできちゃったりする訳です。

さらに、1人、1万円でなんて見積もりを出しますが、
この場合、大体、20%前後のマージンを考えますので、
日給8000円前後になるわけです。

「依頼主」は、もちろんちゃんとしたところでは、
このラインには、何人の人間が「適正」かを、明確に指示してくる場合が
多いのですが、現場の「指揮・命令」権は、請負会社。
「調整」することは、難しいことではありません。
ですから、「安い」人件費で、少人数の「過酷」な現場が、
生まれたりするわけです。

ところが派遣は、その「人物」がそのまんま料金に跳ね返ってきます。
「指揮・命令」権は、「依頼主」になりますので、
派遣会社は、ただただ、送り込むだけです。
ですから、日常的に、その依頼主とのコミュニケーションが多く、
ほとんど派遣会社の人間と、話をしない場合があります。

その結果、派遣の場合、多くは、自分が「いくら」で派遣されているか、
知っています。
その派遣社員が、評価が高ければ高いほど、依頼主は「引き抜き」を
当然考えますので、普通に、「お前はいくらだ」って言います。
また、その逆で、そいつの評価が低ければ低いほど、依頼主は、
「お前にはいくらかかってんだから、もっとやれ」って言います。

もちろん、IT関係とか、技術系の派遣の場合、
通常3割の「抜き」が理想ですが、もっと「抜ける」場合があります。
そういう例外をおいておくと、
この法案。
企業の要請が高いのは、派遣といいながら、
既得権とでも言いましょうか、まさにピンはねの境地である、
請負の「単純派遣」を残したい、そういうわけなんです。

  違法行為が横行している日雇い派遣については、何らかの規制強化が必要との
  意見でも一致し、

なんて書いてありますが、普通、人材派遣には、こういう「有期」の
期間契約は、多くありません。
偽装派遣と呼ばれ、多くは、つまり「請負」の日雇い作業に従事するわけです。

で、一般の方は、人材派遣でも、3割も抜ければえらい儲かってるジャン、
そう話す方も多いと思います。
だって、人を紹介するだけジャン。たったそれだけでしょ?とか。

それだけだったら、ごめんなさい、私も、すぐに飛びつきます。
すぐに事業化をはかります。
でも、残念ながら、全然甘くありません。
大変です。
やればわかりますし、色々とこの業種に関して相談を受けたりしますが、

人ほど面倒くさくて、クオリティーが変数で、クレームが多い、
こんな仕事、見たことがありません。
さらに、昔で言えば、1人の採用にそれこそ、1万円もかかりませんでした。
が、現在、依頼主が最低限、求める「人材」を揃えるために、
かかるコストは、10倍近く上昇しています。

ええ、人がいないんです。
一番儲かっているのは、人材派遣会社ではなくて、
実は、「求人誌」の会社です。
リクルートとか、インテリジェンスとか。
ビルが建つんじゃないでしょうか?

おまけに、遅刻欠勤は当たり前ですし、理由も無くやめることは、
もう日常茶飯事。
それなりのペナルティーは当然として、派遣会社がかぶります。
それこそ、そういう「勤怠」で解雇しようもんなら、
いきなり「労働基準局」に駆け込みます。

さらに、福利厚生ということで、社会保険やら労災、雇用保険、
さらには、研修費から厚生施設、研修所の確保、管理費用。
とどめは、募集費用。
また、仕入れが人件費ですから、丸々消費税がかかってきます。

どんなに切り詰めても、残った営業粗、5%残ればいい方です。
ここで1社でも倒産とか、売上金の回収ができなければ、
決算上で、赤字という、信じられない事態になることもあります。

だから、人材派遣会社が、派遣法の改正で、どこに流れて行ったか。
はい、ご名答。
請負に流れていったのです。
その総本山が、グッドウイルとフルキャストです。
派遣では、普通求められない、30歳以上、さらには60歳くらいまで、
普通に「採用」することができます。
ええ、募集コストが、ほとんどかからない、この「層」を取り込める。

工場とか車の工場、電機メーカーの組み立て工場とか、配送関係とか、
実は、我々にものすごく直結していて、
それでいて、一番「敬遠」される職種。
この分野に、大量の請負業が成立していることを、
我々はもっと理解して、この問題を語るべきです。
そして、これによって、何が、どこが、一番「恩恵」を被っているのか、
もっと冷静に判断するべきです。