まなびの途中

色々な仕事をしてまいりました。
色々な出会いがありました。
勘違いもありますが、
学んだことを書いてまいります。

でもしか議員と呼ばれないよう、頑張って欲しいものです

2007年03月31日 | 政治
気がついたら、浜松の駅にいたり、小田急線の町田にいたり、
なんだか一日中、走る電車の車窓から、流れる町並みを見る日々が続いた。
久しぶりに、今月中にこれこれのノルマを達成しようとしたり、
できなかったり、その日程が延びて、ほっとしたり、
仕事らしい、時間に追われ、結果を出すことにまい進した。

久しぶりの、PCご対面である。

東京では、都知事選が忙しく、さりとて、ちゃんと東京にいないもので、
なかなか実感が湧かないのも確かなんだが、
色んなところで、地方議員の選挙も、散発的に行われているようだ。

雑誌で、軽く読み飛ばしてしまったんだが、
最近、地方議員というものを、
ひとつの「就職先」として考えている若者が目に付くようになった。

これといって特段「やりたいことが」見つからない。
地位も名誉もお金も、多分なんだが、充足できる、最短の方法論?として、
いい考え方であろうとは、思いもするが、
わずか、数百票、千票ともいえる票数で「当選」できることを考えれば、
やり方次第では、かなり合理的、効率的な「選挙」を戦えることは間違いない。

以前、共産党を「単科大学」みたいなことを申し上げたが、
総合的な政策を論じる必要も無いわけで、
地域に密着した、論点を強調すれば、大概、「納得」しうる発言ができる。

例えて言うならば、
「株をやり始めたんだけど、やってみたら、色々、経済のことや社会のことが
 分かるようになってさぁ」
という感じか?

笑ってしまうのは、1期で退職してしまう議員もいるということ。
思い描いていた政治とはかけ離れている、とか
目指す理念を果たせるような「環境」ではなかった、とか、
夢が壊れましたとか、
おいおいおいおい、
お前の「野望」やら「理想」を叶えるために議会はあるんじゃないぞ。
ということを、言ったりする輩もいる。

昔は、「でもしか教師」と揶揄された時代もあって、今もそうかもしれないが、
最近は、「でもしか議員」とも呼ばれる層が出現するかもしれない。
というより、どうも、夕張市や、他の自治体の議会を見ていると、
すでに、とっくに、「でもしかしょうがなくて議員」が「いた」
という風に見受けられるのは、勘違いなんであろうか?

できれば、若い議員が、その純真さで、
しきたりや慣習など、総論賛成各論わかんない、みたいな世界に、
「浮いても」いい覚悟で、切り込んで行ってくれたら、と願うばかり。
ただ、時折、何かの集団に巻き込まれて、
思いも寄らぬ「発言」をしてしまう議員もいたりするんで、
いいんだか悪いんだか、難しいところです。


パチンコ業界の、ローカルな話

2007年03月28日 | 自分の仕事に絡めて
自分の意にならない時間が過ぎていく。
3年もの間、漫然ととは思わないが、考えてみると、時間にゆとりがあった。
劇的に、状況が変わったのは事実で、
4月下旬に判明する、結果次第では、事態が「好転」するかもしれない。

ご興味がない方には、全く無い、そういう話なんだが、
社会の敵、いやいや、庶民の娯楽だ、とんでもない、悪の温床だ、
そう言われて、返す言葉が無いパチンコ業界。
ギャンブルは、学問的にも、色々な言い方、解釈がされつつも、
これ、なくならない世界ですよね。

で、この5月をめどに、スロットという「機械」の
全面的な「仕様」が変更される。
全国的に何百万台ともいわれる、設置されているスロットの機械。
そっくり、新しい仕様のものに、「取替え」なければならない。

資金的に耐え切れず、廃業する会社もあれば、
店を、他の会社に「譲渡」したり、この数ヶ月で、
この業界の様相は激変している。
多分、あんまり、ご存じない世界でしょうが、大パニック中です。

なぜ、そういう事態を招いたかというと、
あまりに「ギャンブル性」が高すぎる、射幸心を煽りすぎる、
ひいては、社会問題が深刻になる。
そういうポテンシャルをもった「機械」が、多数、出現したためで、
「一撃」20万円、30万円も獲得できる機械があったのも事実。

もちろん、負ける時も、相当額いかれてしまう。
これは、当然、庶民の娯楽の範疇を超えている。

よって、慌てたのが警察。
その「仕様」を許可し、そのルールを決めているののは、
紛れも無く、警察なんだから。

で、大幅に「仕様」を変更した。
結果、出てきたのが、穏やかで、ギャンブル性の欠片も無い、
非常につまらない、機械。
これが通称「五号機」といわれているもの。

とにかく、今まで、あらゆるメーカーが、あらん限りの技術を費やして、
研究に研究を重ねて作ったものを、
たった一晩で、チャラにしてね、という感じで、廃棄を命じたわけ。

例えて言うならば、プレステーション3のゲームを取り上げて、
明日から、ファミコンでお願い、なんていうレベルに近い。
ギャンブル性がどうのこうの、というより、
「ここまで」というくらい、複雑なゲーム性を誇っていたのが「4号機」。

ボタンの一押しに、ひょっとすると、何種類もの「可能性」と、
予告を「配置」され、液晶に流れる映像も、
一こま一こま、何かの関連を物語る。
個人的には、儲けるとか(大事だけど)損するとか(もっと大事だけど)、
そういうのではなく、推理しながら、それぞれの知識を総動員する、
そういうゲーム性が、たまらなかった。

それが、まったく、なくなってしまった。

ホール関係者の中には、この事態を楽観しする方もおられるが、
ごめんなさい、自分も、大丈夫ですよなんていい方もしていますが、
だめだと、思います。
やる気は、全くありません。
DSライトで、スーパーロボット大戦をやっているほうが、
まだ、面白いです。
本当のことです。

日本では報道されない、超度級のニュース。

2007年03月25日 | ニュースに絡んで
“中国産の毒入り小麦粉”を使ったペットフードで飼い犬や飼い猫が相次ぐ死…アメリカで大規模リコール拡大中

  アメリカで、犬や猫の肝臓の機能が停止し、多くの飼い犬や飼い猫が死亡し、
  先日六千万缶以上の大規模なリコールが行われたメニュー・フーズ社製のペッ
  トフードに使われていた中国から輸入した小麦粉の中から大量のネズミの駆除
  に使われる毒が検出された。

  この一連のペットフードリコールのニュースは、米三大ネットワークやCNNや
  FoxNewsで毎日大々的に取り上げられており、中国産食品への安全性が問われ
  そうだ。

このペットフードって、「サイエンスダイットシリーズ」。
まじっすか?

メニュー・フーズ社によるペットフードのリコール

  カナダの大手ペットフード製造会社、メニュー・フーズが、3月17日、同社製
  造のペットフードを食べた犬や猫の腎不全が相次いで報告され、約10頭が死亡
  したとして昨年12月3日から本年3月6日までに出荷されたペットフードを全て
  (犬用フードが50品目、猫用フードが40品目)リコールすると発表いたしました。

  弊社日本ヒルズ・コルゲート株式会社の親会社であります、米国のヒルズ ペ
  ット ニュートリション インクは下記に示すような一部製品の製造をメニュ
  ー・フーズに委託しております。これまで、ヒルズ製品に関しましての問題発
  生の報告はございませんが、万全を期し自主的な回収に踏み切りました。

話題になっていたんだが、相変わらず、日本のメディアは、
こと、こういう中国的な話題に関しては、
完全にスルーだなぁ。

上のがサイエンスダイエットのホームページ。
そして下の引用が、家の猫がご愛用の「アイムス」。

米国・カナダでのMenu Foods, Inc. のペットフードの自主回収に関して

  この度米国・カナダにおいてMenu Foods, Inc. が製造したウェット・ペット
  フードの一部を自主回収したことが日本でも報道されました。
  この件に関連し、弊社製品の安全性について、以下の内容を公式見解とさせて
  いただきます。

  北米のP&Gでは、ウェット・ペットフードの一部の製造をMenu Foods,
  Inc. に委託しており、この度の件を受け、Menu Foods, Inc. のEmporia,
  Kansas工場で製造されたウェット・ペットフードの一部(IamsおよびEukanuba
  のドッグフード、キャットフードの缶およびパウチ:工場コード 4197、日付
  コード6339から7073)について米国とカナダで自主的に回収することを2007年
  3月16日付けで発表しております。

  しかしながら、弊社が日本国内で正規取り扱いしているアイムスブランド、ユ
  ーカヌバブランド、ユーカヌバ・ベテリナリーダイエットのドライ、缶、パウ
  チ、ビスケットの全てに関しては当該工場で製造されているものではなく、米
  国・カナダでの自主回収対象製品と同じ製品はございません。
  よって、弊社取り扱い製品は従来どおりご使用いただけますので、どうぞご安
  心ください。

原材料のことが、書いていない。
同じ工場で作られていないから、なんて、子供だましの言葉を信じるほど、
自分は、若くないもので、
カナダで作られているから、アメリカの工場で作られているから、
なんてことではなくて、
どの国から買い付けた、原材料を使っているのか、
残念ながら、どこを開いても、書いてない。

神経質的に、中国ものが全部どうだ、というつもりはないんだが、
何十年遅れで、「公害」が、大変な問題にもなっていて、
あの水俣病にも近い、病気が発現していて、
大気汚染、土壌汚染、水質汚染が、複雑に、そして拡大している現実の中で、

こういう、身も蓋も無いレベルの「農薬」でも、ない。
これが検出されるって、どういう世界なんだろう。
と思ってしまうのは、いたしかたがない。

自給自足なんて、とうに放棄した日本が、
もう頼りにする食材が、中国であったりする中で、
報道されない状況下、
もう、なんだか、生命線を、完全に握られている風に、理解した方が
よいのかしら?

というより、アイムス、本当に、大丈夫なんだろうな。
今、当家の猫が、いなくなったら、
正直、魂が「折れて」しまいかねない。
こんな時期だからこそ、なおさらなんですが。


学問的にナショナリズムって、どうすると起こるのかしら?

2007年03月25日 | 歴史
いくつかの本を読んでいて思ったんだが、
最近、言われ続けている、ナショナリズム。
これ、どうすると、育つのだろう?

よく言われるのは、体外的な「緊張」。
そして、社会問題の「激化」。

特に、ドイツでは、フランスの「増強」に対して、一種、模倣にも似た感じで、
装置として、国家の形態を整えてきたと説明されていた。
国境が、いつでも出入り自由な「陸地」では、
当然ながら、国を形成するに当たって、
様々な、民族的な利害関係の調整がある。

近代、産業が進化すると、
一応、いわゆる、資本家と労働者という、構造的な変化があって、
社会主義やら共産主義みたいな「理念」が、ベースになる。

多分、思いっきり「はしょった」理解で、すまないんだが、
この社会問題は、いわゆる、格差的な話でもあって、
今風な、展開でもあるんだが、
どうやら、「国」が、資本家と労働者の「利害調停者」になる、
そういう考え方は、昔からの「お役目」であったようだ。

で、普通、その調停も、全員に「平等」でいけるなんて、
社会主義国家が「自滅」していることからも自明なように、
出来るわけが無い。
不公平感は、細かい「格差思考」を呼ぶのは事実で、
どの国も、ここで、ナショナリズム的な、民族間対立が「激化」する。

当たり前だけど、「装置」として、国が儲かっている時は、
あんまり「顕在化」しないんだけど、
つい、「先日」までは、帝国主義なんたらかんたらの時代で、
我先にという「弱肉強食」、やったもんがち、の世界で、
食われちまった国は、
国外の脅威と、世界的な格差、不平等を背景に、
先鋭化する「ナショナリズム」が、数え役万として成立してしまったのは事実。

現在では、弱肉強食という4字熟語がありますが、
外資系の間では、とっくに、
「弱肉定食」として、用語が定着しているようです。
ええ、日本のことですよ。

そう、考えてみると、
今の日本って、
どこを、どう学問的に考えると、比較検証をしてみてもいいんだが、
「先鋭化するナショナリズム」が起きるんだ?

他国で言われている、格差に基づいた、社会問題を俎上に乗せた時、
本来的に、学問的に言われる、民族問題なんてこと、
この国であるのかしら?

とするのであれば、国外の「緊張」が、それに火をつける、
唯一の「きっかけ」という話で、
良いか悪いかという問題ではなくて、
これこそ、起こって当たり前、
そういう理解があって、普通なんじゃないだろうか?

というのは、色々な新聞、テレビなんかが、なんだか、若者のナショナリズム化を
盛んに「論議」していて、
悪いだとか、みっともないだとか、怖いだとか、
現象にこそスポットをあてて、喜んでいるけど、

明確に、ナショナリズムは、どうすると、「起こるものなのか」を、
きっちりと、解説してくださる、マスコミさんが、どうしても少ない。
だって、ながーーーい歴史の中で、どの国も、
ナショナリズムって現象は、
ほんのわずかの期間ででてきたもんです。
今、言われている、意味においてですけどね。

ほったらかしておいて、事件化したら、非難する、構図。

2007年03月23日 | スポーツ
昨晩は、どうにかこうにか、長野日帰りを完遂でき、
スーパーあずさ号の最終にどうにかこうにか間に合った。
そういえば、昔、狩人という名のデュオが、「あずさ2号」を歌っていた。
記憶が定かでないのだが、
何かから「逃れる」ような歌だったという記憶があるが、

乗ってみて解かった。
この距離は、何かを逃れる「距離」では、無い。
近い、近すぎる。
振り切るには、あまりにも、しょぼい距離だった。

時代が、そういう違和感を感じさせるのかなぁ。

希望枠、今年から撤廃を引き続き要望 高野連全国理事会

  日本高校野球連盟は22日、大阪市内で全国理事会を開き、来年からの撤廃が
  決まったプロ野球ドラフト制度の「希望入団枠」について、引き続き全日本大
  学野球連盟、日本野球連盟とともに今年からの撤廃を要望していくことを決めた。

記事は、なんだかどうでもいいんですけど。
今回の西武球団の「裏金」問題に端を発したこの事件。
総論としては、正しい問題提起であることは間違いないんだが、
各論に移ると、複雑な問題がありそうだ。

アマチュアは、高校野球を総本山とする「神聖」な、教育の一環とした
行事であるとはいいながら、
多分、そんなこと、誰もが、「お為ごかし」な意見と思っている。

スポーツの祭典である「国体」が、同じような理由として、
開催県が、必ず、優勝するという「慣例」には、
そうするためのシステムが、ちゃんと用意されている。

野球といえば、歴史的に大学野球が、メインであった。
職業野球が、経緯として発足して、現在に至るも、大学野球も社会人野球も、
プロを盛り上げる「下部組織」として、
甚だしくは、系列化したり、人材が送り込まれていたり、
いっそのこと、サッカーのように、明確に系列化したり、
大リーグのように独立的であるものの、系列化したほうが、
よっぽど良いと思うんだけど。

で、高校野球。
あれが、商業主義的でないというんであれば、何を商業主義的と言うんだろう。
強引に国民的行事と、新聞テレビは、(系列である以上、二個一なんだけど)
仰るが、

新聞自体、広告のスポンサーを集客するために、
一番効果が高い、と言われている、「スポーツ面」。
なんだか最近は、6面近くも、領土を拡大しまくっているが、
高校野球のときなんか、そりゃ、全力を注いでおります。

さらに、教育の一環として、なんて「配慮」を求めているものの、
テレ朝やらTBSなどの、「過激」ともいえる、学校紹介。
そして選手インタビュー、そして、家族インタビュー。

さらに、試合後、監督だけでいいじゃんか、というインタビューを、
選手を引っ張り出しての画面作り。
多くの人間を「勘違い」させる「装置」として、
最大限に機能していると、思うんですが。

そんでもって、鬼の首を取ったように、プロ野球を全面非難する。
そんな状況を、全く、作っていないというんであれば、許せるが、
そうは、到底、思えない。
越境もし放題だし、一時期、阪神とPL球団と揶揄され、入れ替え戦を
してみたらどうだなんて、
どうしたら、あんな高校野球の学校が、できるんだ。

いつもいつも、何かの名誉とか利害が「対立」して、
不毛な関係が継続している、プロとアマチュア。
生産的で、きっちりとしたルールとシステムを作っていかないと、
有能な前途ある「子供たち」が、割を食うのは当たり前。

どっちが悪いだとか、マスコミも、ワイドショー的に追いかけているけど、
そもそも、記事化もせずに、ほうっておいたのは、どういうことだ。
ジャーナリズムというより、
記者というより、単なる、レポーターに過ぎないじゃないか。
一番、よく、ご存知の「位置」に、
いたはずであろうに。


僕は、ピカチュウスイカです。

2007年03月22日 | 雑感(日記)
ほとんど日記になってしまいそうなんだが、
簡単にいって、仕事が忙しくなってきた。
非常に嬉しい。

で、お世話になっているブログにて、PASMOでしたっけ、
その話題に参加させていただきましたが、
残念ながら、スイカとPASMO、コラボされた限定PASMO。
購入できなかった、「悲劇」を書き込みいたしました。

自分のことですから、それだけではおさまりません。
「レア」だと自負している、スイカの自慢もいたしました。
それが、これです。



背景に映っているのが、この5年、自分のモバイル君として、
頑張っていただいている、DELLです。
もうそろそろ、限界です。

そして上に映っているのが、
平成14年12月に発行された、「りんかい線全線開通記念」スイカです。
そして下に映っているのが、
「ポケモン」スイカ。
ピカチューです。

ピカァー!

現在は、このピカチュウ スイカ。これを使っています。
もちろん、JRがやっていた、ポケモンスタンプラリー。
実は、このスタンプラリー、東急電鉄企画、10年近くやっていました。
その際、「完走」賞品として、東急電鉄の車両センター?
そこにヘルメットを被って、「招待」されたこともありました。

また、随分前に、京王線と小田急線が、「無謀」にも手を組んだ、
全線スタンプラリー。
命がけで「完走」いたしました。
これは、四国の「お遍路」ツアーよりも、結構大変じゃないかと、
勝手に思っておりますが。

以降、京王線も小田急線も、この企画をやっておりません。

そもそも、スタンプラリー。
一番、熱が入っていたのは、「営団地下鉄」でした。
今は、名称が、メトロに変わりましたが、
とにかく、スタンプのブース作りは、各駅、非常に趣向が凝らされて、
子供も大人も、感激できるような世界がありました。

ただ、突然のサリン事件で、自粛、そして、今では、見る影もございません。
そういう意味で、辛い出来事でした。

話題が、決定的に、それていますね。
ええ、これから、新横浜を基点に、長野の松本までいってまいります。
もちろん、日帰りです。
帰ってこれるか、電車が、間に合うのか、
今のところ、全く、考えずに、行動いたしております。

ぴかぁ。

集団生活を営む上で。

2007年03月20日 | 教育、文化、少子化
いつも閲覧しているブログがありまして、非常に人気がある。
その中で、取り上げられていた記事で、
読売オンラインが企画している「発言小町」というコーナー。
多分、教えてgooに近い乗りなんじゃないかと思う。

先生と生徒は違うって?

中学2年の女子です。
私の学校には,肩についた髪の毛はしばるという校則があります。
私は,肩より少し長い位の微妙な長さなので,しばったりしばらなかったりですが,
この前先生に,「だいぶ伸びてきたからちゃんとしばりなさい」といわれました。
だけど,せっかく朝アイロンをしてきたのに,髪の毛をしばるとあとが付きます。
それに,うちの学校の女の先生は,みんな髪が長くてもしばっていません。
そのことをお母さんに話したら,「先生と生徒は違うでしょ」といわれましたが,
先生は生徒の手本なのに,自分達は校則を守らないのに生徒に守れと言うのはおか
しいと思います。

先生や親は,何かと「先生と生徒は違う」といいますが,確かに違うこともあると
思うけど,髪型のことや,職員室にだけコーヒーとかエアコンがあるのが,納得い
きません。

かなりのコメントが返されていた。
そのほとんどが、「立場」が違うということで、勘違いをしないようにと、
考えを促していた。

結局、戦後、途中からの教育は、こういう考え方を、むしろ好ましい、
そういう風にしてきたんじゃないか。
子供といえども、「強制」はされない、個人の自由を最大限に尊重すると。

で結局、彼女の「意見」を見ると、
はっきり言って、他人なんかどうでもいい感じなんだよね。
私が違和感をもっているから、それはおかしいと。
ほとんど、他人がどういう生活をしていて、どういう環境にいて、
さらにどういう考え方をして、どういうライフスタイルをしているか、
なんて、全然、視野に入っていない。

結局、ルールというのは、どうしたって、無機質的に、均一化されるのが
一般的で、いわゆる自由というものを「制約」してしまう。
まさにあなたが自由でいること自体が、すでに私の自由を侵食している。
と考えるのが普通。
その為に、集団を維持するために、ルールというものが存在する。

そういう理解のために、学校教育という場があるというのに、
大人が従事する社会で用意されているルール。
子供にとって最小限に用意されているルール。
それを並べてみたり、比較してみること自体、相当お門違いもはなはだしい。

それを「理不尽」だとか、差別だとか、そういう単語を用いることも常識的でない。
学校給食自体、これまた、彼女の論法でいうなら、自由選択であってもよい。
が、当然、用意できない家庭があったり、都合で、食べられない子供があったり、
それによって、共同で学習時間を過ごすことが、損なわれる可能性を、
合理的に勘案されて、現在も、その制度が、ルールとしてある。

ルールとは、案外、誰かの引き起こした何かの結果を、前提に、
今後、そうならないことを「予見」して、制度化されたもので、
全員が、責任と自覚を持ち合わされれば、あと謙虚さと、
むしろ、徐々に「規制緩和」されていくことが望ましいが、
さぁ、今の大人社会は、どうなっているんでしょうか?

ということからも、これを機に、なぜ、こういうルールができあがったのか、
この少女も、考えてみるといい。
とっても社会勉強になること請け合いです。
その規則を撤廃した時に訪れる「功罪」「メリット・デメリット」を、
自覚して立ち向かっていくことができるならば、
彼女は偉い。
ぜひ、その中で、「理想」の集団生活を送っていただきたい。
できるのであれば。


新聞の終焉を計れる、本。

2007年03月19日 | 本・映画
中公新書ラクレがよくやる企画。
「社説対決・五番勝負」
ネット上では、各新聞の社説を併記して、論評するのが定番だ。
だって、面白いんだもの。

もちろん、昨今の、日本を巡る論点において、
特に朝日新聞と産経新聞。
大概、両極にあるので、様々に取り上げられているが、
産経新聞は、発行部数が少ない。
その分、折り込み広告が入らない。
そういう訳で、定期購読に、どうしてもつながらない。

この間、朝日新聞が、中面で、新聞5社の社説を集め、
さらに論説委員の許諾を受け、論点を絞って、対比させる紙面を作っていた。
最近の朝日新聞は、ナイーブな戦略を、よくとる。
必ず、意見が異なる人間を登場させ、
一方的ではない、という紙面づくりを心がけている。
が、レイアウトが、偏っていたりして、本意をすぐに読み取れるところが可愛い。

唯我独尊的に頑張っているのは、これに漏れてしまう東京新聞。
色々なところで、祭られていて、面白い。
毎日新聞も、本当に、部数の点では、影響力が悲しい。

この手の本は、昔まで、一方的に朝日新聞を叩く、調子のものが多かった。
が、この中央公論。
読売新聞の傘下に入っているので、立ち位置を理解していないと、
ちょっと読み解けない。

ええ、案外、読売新聞に「好意的」な感じは否めません。
が、総じて、朝日なるものに懐疑的。

その五番勝負で、「教育再生」を担当した諏訪哲二氏。
これは、読めました。
学術的な観点から、どうしても、他国には甘く、自国には厳しい、
朝日のダブルスタンダードぶりを、ちゃんと解説し、
さらに、各新聞にも論評を加える姿勢は、よかった。

特に目を引いたのが、「ジェンダーフリー」を担当した桜井裕子氏。
「男女共同参画」に関して、理念を超えて、
ある種の激烈な「権利闘争」として、各個人が本来もっている自由な生き方を、
否定するきらいがあることを、きちんと述べている。

旧世代の政治家も、免罪符的に、検証もすることなく、
女性の管理職の比率を金科玉条にして、
建築関係の入札でも、それを理由に、排除されているなど、
年間、数兆円規模といわれる、これに費やされる予算に、疑問を投げかけている。

特に、性差を否定する、よく聞かれる、早い段階から「性」について
授業で学ばせ、結果的に性を煽る現象が、他国に比べ性病への罹患率、
中絶の増加など、混乱と「旧世代のモラル」らしいが、崩壊につながることを、
論理的に解説されていた。

結局、こう、通して読んでみると、新聞の特に社説。
現状追認、そして、やおら転換。
自説拘泥。学術的ではない、など、いやいや、破綻しまくっているんですが。
どうやら、テレビと歩調を同じにしているのからか、
大衆を舐めきっているのか、
反省も、検証もない、言い放し状態であることが、よく理解できる。

それだけ、情報が、任意に取り出せる時代になってきたということで、
そろそろ、本格的に、新聞の「役目」が終焉に近づいてきたんだなぁ、
そういうことがとってもよく理解できる本、でした。


すぐに都民感情がとか言う人がいる。

2007年03月17日 | 政治
都知事選公示の前に、各テレビ局は4人を集め、討論会を催している。
多くの場で、多分、色々な感想が述べられていることでしょう。
石原さんも、今回に関しては、ナイーブな戦略をとらざるを得なく、
どれこもこれもに出席しているのには、驚いた。

何回か見ていて、「都民の声を」と、最大限に叫ぶ、共産党の吉田氏。
海外視察やらワンダーサイトで「私物化」を言いつつも、
石原さんから、結果と費用対効果という切り返しを受けると、
都民感情から「遊離」している、
なんて、まったくの「議会」レベルの話になってしまい、
到底、都政のトップには、就かせたくないなぁ、という感じ。

そういう意味で、浅野さんが、黒川氏から、「立ち止まって」というフレーズが
フリーズじゃないか、と質され、意外にも防戦一方になったが、
都政を論じるとき、こういった慎重さをにじませている浅野さんの方が、
案外、都政の怖さを知っているんじゃないかと、
ちょっと信用感を持った。

ただ、テレ朝やTBSに限って、教育問題が、なぜか国歌国旗に焦点があてられ、
白熱をしていたが、
これまた吉田氏が、多くの議論があっていい中で、教育の現場で強制は、
あってはならない、なんて、
問題の在りようのレベルが、全然、むちゃくちゃ。

年に数回程度のセレモニー。
今、問題になっている、教育問題は、明らかに、デイリーの問題。
例えば、授業が始まる前に、必ず、国旗に向かって一礼するだとか、
そういう「統制」レベルであるならば、
大事だ。

そういう学校が、日本にも、他国の学校であるようだが、
その思想信条の自由を論議する段階ではなく、
方法論として、何をしなくてはならないか、そういう切羽詰った時期なんである。
教育委員会が、独立し、文科省も、実は、権限を委譲しているという中で、
議会が、どういうコミットできるのか、
システム論からやらなければならないのに。

浅野さんにしてみても、国歌国旗問題になると、まだ表層的。
色々なご葛藤が、ありそうなんだが、
石原さんが、他国が自立・自覚をもって、自国の立場を発信しているのに、
日本だけが、明確にすることなく、「どうぞどうぞ」
のように発信するのは、いかがなものか、なんてことを言う。

問題は、強制性という言葉。
あの年代の方は、本当に、「強制」という言葉に「弱い」。
なにもかも一緒くたにして、「悪いものだ」という条件反射をする。

悪いんだが、オールフリーにして、どうぞどうぞという議論が百ある世界では、
参加する、責任の所在がはっきりしないこと。
だから民主主義国家なんであって、
「決まった」ことについて、従わなくてはならないのは、
小学校でも教えられたこと。

その「行政」側にいるのが、体現者としての「公務員」。
だから、解雇もされず、ストもない。
そういう身分保障も完備されている。
ご自分の反するご意見を持って、相容れないんであれば、
民間で、ご主張されるのが適当と考える。

だから、何でも、都民感情がとか、国民感情がとか、
そういう言い方をする「政治家」は、嫌い。
もし、選挙で、彼に対しての得票率が少なかったら、
其の発言は、どういう意味を持つのか、考えたことがあるんだろうか?
都合のいい「感情」を持ち出していることに、
どうして気がつかないんであろうか?


最近の、リアクションについて考える

2007年03月16日 | 雑感(日記)
乗り合わせた電車で、多分、学生。高校生ではない、学生。
俺、もう年だからさぁ、なんてことを、ちょっと「偉そう」な、
お前とは違うんだぜ、という優越的な感じで、話しているのを聞きました。

稀に、若い連中と仕事をすることがあって、話す機会もある。
何かのリアクションで発する言葉で、
案外、その人の経てきた経験やら、人間性が伺えて面白いことがある。

子供なんかは、得体の知れない、ふざけた事態に遭遇すると、
「馬鹿じゃねぇ、死ねば」
なんてフレーズを、よく多用する。

二十歳前後の若い人間は、案外、先にあげた
「俺も、年をとったから、それはちょっと」
と、少し距離を置くような発言をするようになる。

それ以降は、まぁ様々だが、
無反応になってしまったり、冷笑してみたりと、
相手にコミットしていないということを、明確にし始める。

ただ、なんだか年をとってくると、
「へー、面白い奴だねぇ」など、多少はゆとりの発言ができるようになる。
40過ぎて、どんな「現場」にも
いわゆる「飲み込んだ」対応が出来始めるといったところか。

これが50を過ぎてくると、
「若いねぇ」、も含めて、意外にも関係性を取り込もうとする
そういう「気概」が芽生え始める。

本来であるならば、60過ぎてくると、
どんなパフォーマンスに出会っても、にこにこと、
「いいことじゃ、それもまた個性じゃ」なんて感じでいてくれるといいんだが、

自分と仕事をしている60前後の方々は、
案外、ここで「敵対意識」ばりばり、
ひょっとすると、小学生にも似た言動を、平気でするのには驚く。

「いやーKANATAさんお疲れ様、にしてもあいつは、とんでもないねぇ」
とか
「昼飯はこの定食屋でどうですか、にしても、あいつは、酷いねぇ」
なんていうのは一挙動。
本人を目の前にしては、絶対に、にこやかにしているんだが、
どういうわけか、傍で、賛同者を募ろうとするし、踏み絵を踏まそうとする。

この世代は、多くの「競争者」の中で、勝ち抜くことを、
生物的に「こなしてきた」という本能全開の集団なのかもしれない。

ただ、最近、どの世代も、誰かや何かのパフォーマンスをみるにつけ、
例の小学校レベルの「馬鹿、死ね」という
リアクションが多くなっている。
これは、いったい、どういうことなんでしょうかねぇ?

システム、法改正についていけてない、旧世代の人

2007年03月15日 | 政治
松岡大臣の「コンプライアンス」が、まともではないと、
朝から晩まで、各テレビは面白おかしく取り上げている。
政官の汚職という問題が、官民の談合といった具合に、「降りて」きてはいるが
最近は、そのキャラクターが、どう立っているのか、
極めて集中的に力が注がれているようだ。

監視する、法を定める、そういう国の仕事が、「規制緩和」という名の下に、
市場は、あくまでも「自己責任」で、という話し。
そのまま、だから、生活が苦しくても、それは本人の問題で、
自助努力をするようにと、
そういう展開になっているようだ。

そういう最中に、最小限の「監視」「規制」をしなくてはならない、
そういう機関の「脆弱さ」が目に付くようになり、
先ほどの日興コーディアルも、
東証は、確かに民間機関だが、
あれは、どう考えても、違うだろうという対応。

また、建築関連でも、ヒューザーの小嶋社長やら、姉歯建築士など、
キャラが立った人間ドラマに焦点があてられたが、
これも、建築確認が、利益相反する人間で行われている事実。
日興にも、ホリエモンのような「奇抜」な人間がいたら、
どうなっていたかわからない。

こういったらなんだが、マスコミの「見てもらう」商法の底の浅さが
鼻につくこの頃だが、
例の松岡大臣の突っ込みも、どうにも問題感が募るのであれば、
さっさと、法的な不備なんだから、議員立法をかければ済む話し。
昨今の議員汚職は、昔に比べれば、比較にならないくらい、規模が小さい。

それだけ「議論」されてきた結果なんだろうと思うんだが、
それにしても、ああいう人間の、くだらない説明が延々流れるテレビ。
威厳も尊敬も起こりえない人間像。
これではいくら教育再生会議で、議論を尽くしても、
ますます短絡的に、上に対して、「軽く」みようとする人間が多くなる。

東京9位、規制に問題 世界の金融都市番付

  ロンドンに本拠を置く金融機関の業界団体「シティー・オブ・ロンドン」が1
  5日発表した世界の46金融都市の競争力番付で、東京は9位にとどまった。
  市場規制や事業環境に問題があるとされた。
  東京は市場規模やインフラ面で評価されたものの、人材面で劣ると指摘。

人材面ってなんだろう。
なんだか、最近の一連の話題を考えてみると、
実は、育っていないのは、先輩諸氏といわれる、中高年の、この国の中核。
随分、様々なシステムは整備されてきているのは、多分、事実。
ただ、運用をしなければならない、
人のソフト面。

ついていけてない、そういう方々が、どうやら、大変、
面白おかしく取り上げられているように思える。
取り上げすぎも、影響度が高すぎると思うんだが。

最高額府という自嘲。

2007年03月13日 | 教育、文化、少子化
生きていくのに、安全で、何の疑いも無い、
そういう平和すぎるというと語弊があるのかもしれないが、
この記事を読むと、
親が、子を過保護にしているという問題以上に、
この国が目指そうとしている社会は、
どうやら、人々を、あらん限りの、過保護にしているのではないかと、
思わざるを得ない。

【溶けゆく日本人】「最高学府」が泣いている

  アメリカの大学でも近年、過保護な親「ヘリコプター・ペアレンツ(heli
  copter parents)」の存在が指摘されている。子供に過剰なま
  でに介入する様子が、上空を旋回していてあっという間に地上に降りてくるヘ
  リコプターのようであることから、名付けられた。

この記事によると、大学入試センター試験の最中、親から申し入れの
「苦情」電話がかかってくるという。
教室が寒いから温度を上げろ、とか、集団が苦手なので、個室で試験を
受けさせてくれとか、外で車のドアの開閉の音が煩いとか、
受験生が休み時間に携帯電話で母親に知らせ、母親が大学に連絡してくるという。

自分の考えでは、まるで、自分が特別な存在であるかのような「クレーム」。

  留年した学生の親からの「なぜこうなる前に知らせてくれないのか」という注文
  ▽履修ミスをした学生の親からの「息子のために(履修を)やり直せないの
  か」という懇願▽宿題のリポートを自宅に忘れた学生の親からの「ファクスす
  るから子供に渡してほしい」との連絡▽「風邪をひいて休むから教授に伝えて
  くれ」という依頼-。すべて、大学関係者が実際に見聞きした例だ。

そうか、大学でもこういうことが日常、あるということ。
合同就職セミナーに、親が同伴で出席し、滔々と自説を企業担当者に演説する
親がいるらしい。

成人しても、アルバイトの募集の際、
親が電話をしてきて、会社の内容を一生懸命に聞く親も、随分増えた。
面接の時間をセッティングできず、困惑していると、
子どもを差し置いて、「私が行く」という話し。

昔は、子どもの給与を当てにしての、複雑な事情の家庭を扱ったことがあるが、
このときは、子どものタフさと、明るさに救われたこともあったし、
何かと、親、祖父の「危篤」「入院」をダシにして、
遅刻、欠勤理由にあてている若者も、
今となっては、懐かしい。

  就職浪人しても構わない、と逃げ道を与えるわけです。やりたいことが見つか
  るまでは面倒を見てやるとも言って、衣食住を与える。

  そして、どうにもならないことを知ると、決まって吐く“捨てぜりふ”がある。
  「『高い学費を払っているのに』という言葉です」(染谷さん)。最高学府ならぬ
  「最高額府」-その程度の認識なのだろう。

サービス過剰のこの社会は、お金が一番の価値基準ということか。
教育再生などという論議も、
さらに、家庭に利するシステムを目指してしまうと、
「うちの子にとって」という、個別の単位での要求が加速し始めるに違いない。


日興コーディアルを事件化しないマスコミ

2007年03月12日 | 社会的全般
ライブドア事件で、「額に汗を流して働く人たちのために」
その発言は、大きな「共感」を得られたようだったが、
今回の日興コーディアル。
扱いが全然違うのは、どういうことなんであろうか?

もともと、山一證券と並行して、実態が不透明だったと噂があったが、
そこまでの業界通ではないので、
詳細はわかりかねるが、
本来であれば、逮捕、上場廃止のワンセットが発動されても
おかしくない「事件」のはずだ。

どういうわけか、金融庁も、日興のTOBに好意的だし、
買われるのであれば、起こったことを、「不問」に付すという発言、
ライブドアを再生のために、ゆうせんが名乗りを挙げかかった際に、
ぼろくそ叩いたマスコミも、
相手が外資であれば、突っ込みどころも無しか。

日興TOBハゲタカ5割増要求…もうけニオイかぎつけ

  シティは、日興株が上場廃止になった場合でもTOBを実施することを明らか
  にしている。買い取り価格は1株あたり1350円と発表したが、これに不満
  をぶちまけたのが、日興株の7.23%を保有する筆頭株主の米ハリス・アソ
  シエイツ。
  日興の不正会計問題での処分が浮上した昨年12月以降、890億円の資金を
  投入し、7050万株を一気に買いあさった。
  1株あたりの平均取得額は1263円。

  単純計算では、TOB価格が1350円の場合、ファンドの利益は約61億
  円。これが2050円になると、約555億円まで拡大することになる。

  先のハリスに続いて、英領バミューダのオービス・インベスト・マネジメント
  (6.75%)、米サウスイースタン・アセット・マネジメント(6.0
  8%)、カナダのマッケンジー・ファイナンシャル・コーポレーション(5.
  74%)が上位株主を占め、4社で計25.8%を保有している。

  外国人の持ち株比率は60%超になったとの見方もある。

これが、多分、構造改革、規制緩和と称される、日本の進む未来の絵図。
会社は誰のものか。
これを見る限り、株主のものだなんて、言っている奴の顔が見たい。

誰もが描く、「株主の顔」。
ほとんどが、ファンドだとすれば、専門家や一般大衆の方々。
どういう反応を示すのか興味深い。
所詮、この世界では、まったくどうして、
額に汗をかくような、株主なんて、どこを探してもいるわけが無い。

というわけで、ライブドアをあげた検察。
何を否定しようとしたのか、何を訴えようとしたのか、
あまりにも、世間知らずだったことだけが、はからずも自明になってしまった。

シティーバンクも、マネーロンダリング紛いの商売で、
かなり罰則を受けまくっている事実がありながら、
もう連日、報道するマスコミもいない。

テレビも「絵になる」人間がいない以上、
まったくもって、朝のワイドショーも沈黙。
ライブドアより、長く、そして、色々と底の深い事件であるのに。

結局のところ、これがスムーズに一件落着してしまえば、
本当に、この日本は、ある意味、何でもありの「地獄の蓋」が開く。
それを、マスコミが追えないのであれば、正直、部数が落ちようが、
何の関心もない。
金曜・土曜日の、折り込み広告の「表紙」くらいの価値しかないのだろう。

愚痴まがいの報告にかえて

2007年03月11日 | 雑感(日記)
日帰りの長野、強行軍。
残念ながら、日をまたいでも、体力も気力も回復しておりません。
もちろん、能力も、応じて、惨憺たるものです。
久しぶりにPCに向かって、書き進めていましたが、
恐ろしいことに、自宅のバイオは、
相変わらず、思うように動いてくれません。

ええ、何の作動か分かりませんが、
フリーズの上、あっという間に、作業全部を、亡き者にしてくださいました。
あああああ。

長野、松本は、雪が積もることの無い街だと聞いていましたが、
その街を取り囲むようにそびえる山々には、
うわさ通り、黒い山肌が目に付きました。
この時期、おそらく、本来は、「白」という色を、
人間の表現を超えて、幾通りにも見せ、
ゆえに、無言を強いられる、そんな山への畏敬も、この冬には無く、

ただ、人工で作り上げられた、スキー場のゲレンデが、
一筋二筋、黒い山肌に、張り付いたように、ございました。

先週は、長いこと、一緒に作業をしてきた人間を、
様々な事情で、縁を切ることになり、
結構、精神的に、タフな1週間でもありました。

もちろん、金銭の色々な処理も、今後、矢面に立たされるのは事実で、
何かをする、何かを取り決めるという作業は、
当たり前ですが、責任も、背負い込むということです。

大人は、それが見えているから、
踏み込むこともできないし、いわゆる「大人の対応」という、
誰もが傷つかない、いわば、その場しのぎの雰囲気を、大事にされるようですが

不思議なことで、その瞬間、瞬間、
輝いているときもあれば、まったく、足を引っ張るときもあり、
全てが、オーマイゴッドという、ダメばかりではないのも事実。

ただ、人間は、追い込まれると、どうしても、
「善いことは忘れる」
いい事を思い出しても、どうにかなるもんではないのですが、
悪いことばかりを、指折り数えたくなるもんなんですね。

そのフラストレーションやら、利害関係やら、
調整が、本当に難しくなったこともあって、
残念ながら、主要メンバーと、離れざるをえませんでした。

結果的に、残る道を、色々と提案し、なんとかコミットさせようとしたんですが、
私が、つまり、首謀者として認識される、
まさに、いつか来た道やらデジャブみたいな様相になりました。

そんなかんだで、珍しく、愚痴まがいな記事になりまして、
申し訳ないんですが、
今回、数日、書くことができなかった、
その理由を、未消化ながら、ちょっと、ご報告という感じに
させていただきました。

そんなわけで、まだまだ、これからも、どうぞ、よろしくお願いいたします。


朝日新聞と山崎先生が仲良く話をしています。

2007年03月09日 | 政治
朝日新聞と山崎拓さんが、「丁々発止」というページで話をしている。
あるテレビでは、先の慰安婦問題など、ここにきて、かなり熱を入れているのは、
案外、てきぱきと、小泉さん以上のペースで法案を処理している
安倍さんに、
憲法改正の通過をさせんがために、仕組まれた「作戦」なんだと、
言っておりましたが。

で、山崎さん。
言いたいことがどうにもわからない。
「拉致問題は、国家主権の侵害の問題ではあるけど、安全保障のジャンルと
 いうよりは人道上の問題として取り組むべき」
とか

「(遺骨の件で)私は遺骨は返すから本人を帰せと言った方がいい」
「(公務員の渡航見合わせを無視したことについて)知らなかったが、
 民間人は言ってはいいが外交官を含む公務員は行かないなんていうのは
 おかしい。」
「イラクと逆じゃないですか。乗り込んでいって直談判しないとダメですよ」

自分が勉強不足なのかなぁ、北朝鮮は、話がわかる国家なんだろうか。
彼の、「核の完全放棄を一度は確約しましたが、せっかくの合意の進展を
阻んだのが金融制裁だったというのは事実です」という話、
えっつ、それとこれは、誰が考えても別じゃない。
もう、誰が聞いても、話が通じない、勝手な無法国家じゃない。

で、イラクのように、なぜ、あれだけの外交戦略が必要か、マンパワーが必要かは、
それだけ、部族間やら、宗教的なターゲットが多いからで、
北朝鮮のように、独裁政権ではないからだ。

もし仮に、北朝鮮が、いくつものターゲットがいて、
それぞれが、北朝鮮の舵取りに「影響」が効果的に望めるのであれば、
そりゃ、多角的な「話し合い」が必要であろう。
でも、そんな話し、誰が、信じる?

ましてや、そんな盲目的な「信用」を、あの国に期待している政治家。
本来ならば、政治家は、国家戦略において、リスクを「ヘッジ」するもので、
こんな「丁」に賭けると言ったら、賭けるんだ、みたいな人間に、
誰が、重きを置くんでしょうか?

さらに、拉致問題を「人道上の問題」と言い切る政治家に、
誰が、国家保障なり、国家主権に関する問題を託そうとするのでしょうか?
言いたいことは、理解もできようが、
このインタビューは、「翻訳」ではなくて、全て、自前の言葉である。
自分、読み違い、してないよね?

「私が勝手ながら訪朝時に提案したのは、国交正常化の時期が来れば、
 拉致被害者も日本人妻も、あるいは特定失踪者も北朝鮮で生存している
 日本人を全部帰してくれ、ということです。
 責任追及はその後だ」

こんな甘い、というか、これ、できるの?と思うし、
えっつ?彼らが、帰さないのは、帰してしまったら、「体制崩壊」に
繋がる危険性があるから帰さないんであって、
国交正常化というのは、こちらが、北朝鮮に「人道的な支援」を果たす、
そういうことなんではないのか?

山崎さんの言い分で、何が「達成」されるのであろうか。
それができないから、制裁なり、責任追及を試みているのでは?
過去に、あらゆる支援なり、約束をしながら、
結果的に「反古」にした国だよ。

政治家は、何を達成させるか、それを請け負って、信託されての業務。
まるで、政治生命を賭けるようには聞こえない。
それを、国際間の枠組みの中で、まずは核廃棄。
これが最優先だから、国民に理解を求めるというんであれば、
理解もできるが、

ほとんど、彼の国の「スポークスマン」みたいな発言。
まあまあ、ちょっと彼らの言い分を聞いてやってよ、
は、とうに、間違った方法論だったと、過去の政治家達の「無能振り」が
明らかになった今、
彼の発言、我々は、どのように受け止めたらいいのだろうか。