1月3日午後3時。初詣。川崎大師に向かう。
順調に、年末年始スケジュールをこなし、残りは、初詣だけだ。
これを後回しにするのも、どうなんだというご意見もあろうが、
当家の事情では、これも、「グッズ」収集の一環に位置づけられていて、
基本は、ディズニーと、なんら、変わらない。
にしても、なんで、こんなに混んでんだろう、という混み具合。
そもそも道幅が狭く、通路一帯、民家が所狭しと並んでいるが、
治安が善い悪いを大幅に超えて、「退避」しなくては、のんびりできないんじゃ
ないか?と思わせる状態。
そんな中、例の、あれが聞こえてくる。
「聖書のメッセージをお伝えいたします」
スピーカーを大音量にして、いかにも「暗い」トーンで、ひたすら「悔い改めよ」
お前は間違っている!を繰り返し流している、あれだ。
数人が、立て札を掲げ、終末は近い、みたいな文言をそれに書き記し、
堂々と、大変な「群集」の中で、こちらに顔を向けて、ひたすら立ち止まって
いわゆる「布教」をしている。
すげえな、キリスト教。
まるで、ディズニーランドに、キティーの被り物を装着して行くようなもんだ。
ただ、色々調べると、どうやら異端の方々らしい、
ビザ目的でやっている方々らしい、とか、本家(といってもよくわかりませんが)
の方からも、何かと嫌な連中と思っている節がございます。
とはいっても、日本では、なんかの行事が、すべてイベント化してしまう。
初詣も、端午の節句も、バレンタインデーも、ハローウインも、クリスマスも、
七草粥も、そろそろイスラム系のラマダーンも、どっかが火をつけそう。
まったくもって「はれ と け」という祭りと日常を区別するのが
どうやら大好きだ。
大して知識がないので深入りは出来ないが、
こういう何でも取り込んでしまう「受容力」豊富な文化も、
世界的に見ると珍しい。
イラクでも民族間の紛争がよく報道されるが、
そもそも字面だけで、根本的に何が、どう、問題になっているのか、
理解している、理解できる人は少ないんじゃないだろうか?
「オフレコ!別冊[永久保存版]昭和史のカラクリ「戦争」「天皇」「靖国」を徹底検証!」
という雑誌を読んで見たが、
読後感として、「国のために命を投げ出す」ということは、
どういうことなんだ、ということが、問題になっているような気がする。
当たり前だが、今、こういう感覚を持っている人間なんか、
この日本には、ほとんどいない。
せめて、犯人にやられて「殉職した」とか、災害時に救助で向かったが、
巻き込まれた、というのが、身近な例であろうが、
全然、意味が遠い。
大陸とは異なって、日々、隣国と戦いあう環境にいなかったせいもあろう。
あのアメリカだって、9.11テロ、もしくはパールハーバー。
これくらいしか、本土攻撃を受けていないから、
なんだか、バーチャルな感じで、乗り込んでいっているようにしか思えない。
あまり指摘されていないようだが、あの当時の日本だって、
諸外国から、攻撃を受けた記憶が、実は、無い。
日清、日露だって、日中戦争でも、日本が戦火に巻き込まれたことが無い。
これは、バーチャルだと言っても過言ではない。
例えが悪くて申し訳ないが、ワールドカップと、気分は似たようなもんだ。
初めて、アメリカから受けた攻撃で、初めて「戦争」というものを
一般大衆は、実感できたんではなかろうか?
もちろん、それまでに亡くなった方々の遺族のリアリティーは言うまでも無いが、
年配の方々が、今更のように、「天皇」「教育勅語」やら、「戦時思想」とか
仰るが、そして「靖国神社」のこともそう。
失礼なことを言うようで、NGかもしれないが、
寸前まで、祭りのように、案外、傍観者的な、サポーターだったんじゃないのか?
本来の「戦争」という、世界で語られる「本質」から、
ひどく、遠い、感覚でやっていたんじゃないのか?
だから、なんだか、戦後も歯切れも悪く、総括もままならない、
ずるずるっとしたなし崩し的な喪失感と、罪悪感がごちゃ混ぜになって、
「何をやっていたんだろう」的な収束をみせてしまったのでは。
今、盛んに、ナショナリズムとか、なんだかと、色々とにぎやかだが、
ごめんなさい。
自分、ちっともよくわかりません。
これも、いつもの「祭り」のような感じで、
どうやら「日本」をとか「愛国」をとか、言っているだけのキャッチフレーズで
世界標準から見れば、「何それ」という程度のものでしか
ないように思えるんですが。
参拝に、長時間、並ばされて、あげく、おみくじと、お守りをゲット。
そして、屋台の「炭水化物」を楽しく摂取して、
忘れていました、お賽銭とお祈り!!!!!!
何のために2時間も並んだんだ!!!!!
思うに、この国は、こういう感覚、ずーーーと長い。
識者が、世界と当てはめて、日本を語ろうとするが、
どうしても無理があることを、前提に作業した方がいいんじゃないかと、
ついつい、じゃがバターを頬張りながら、考えてしまいました。
順調に、年末年始スケジュールをこなし、残りは、初詣だけだ。
これを後回しにするのも、どうなんだというご意見もあろうが、
当家の事情では、これも、「グッズ」収集の一環に位置づけられていて、
基本は、ディズニーと、なんら、変わらない。
にしても、なんで、こんなに混んでんだろう、という混み具合。
そもそも道幅が狭く、通路一帯、民家が所狭しと並んでいるが、
治安が善い悪いを大幅に超えて、「退避」しなくては、のんびりできないんじゃ
ないか?と思わせる状態。
そんな中、例の、あれが聞こえてくる。
「聖書のメッセージをお伝えいたします」
スピーカーを大音量にして、いかにも「暗い」トーンで、ひたすら「悔い改めよ」
お前は間違っている!を繰り返し流している、あれだ。
数人が、立て札を掲げ、終末は近い、みたいな文言をそれに書き記し、
堂々と、大変な「群集」の中で、こちらに顔を向けて、ひたすら立ち止まって
いわゆる「布教」をしている。
すげえな、キリスト教。
まるで、ディズニーランドに、キティーの被り物を装着して行くようなもんだ。
ただ、色々調べると、どうやら異端の方々らしい、
ビザ目的でやっている方々らしい、とか、本家(といってもよくわかりませんが)
の方からも、何かと嫌な連中と思っている節がございます。
とはいっても、日本では、なんかの行事が、すべてイベント化してしまう。
初詣も、端午の節句も、バレンタインデーも、ハローウインも、クリスマスも、
七草粥も、そろそろイスラム系のラマダーンも、どっかが火をつけそう。
まったくもって「はれ と け」という祭りと日常を区別するのが
どうやら大好きだ。
大して知識がないので深入りは出来ないが、
こういう何でも取り込んでしまう「受容力」豊富な文化も、
世界的に見ると珍しい。
イラクでも民族間の紛争がよく報道されるが、
そもそも字面だけで、根本的に何が、どう、問題になっているのか、
理解している、理解できる人は少ないんじゃないだろうか?
「オフレコ!別冊[永久保存版]昭和史のカラクリ「戦争」「天皇」「靖国」を徹底検証!」
という雑誌を読んで見たが、
読後感として、「国のために命を投げ出す」ということは、
どういうことなんだ、ということが、問題になっているような気がする。
当たり前だが、今、こういう感覚を持っている人間なんか、
この日本には、ほとんどいない。
せめて、犯人にやられて「殉職した」とか、災害時に救助で向かったが、
巻き込まれた、というのが、身近な例であろうが、
全然、意味が遠い。
大陸とは異なって、日々、隣国と戦いあう環境にいなかったせいもあろう。
あのアメリカだって、9.11テロ、もしくはパールハーバー。
これくらいしか、本土攻撃を受けていないから、
なんだか、バーチャルな感じで、乗り込んでいっているようにしか思えない。
あまり指摘されていないようだが、あの当時の日本だって、
諸外国から、攻撃を受けた記憶が、実は、無い。
日清、日露だって、日中戦争でも、日本が戦火に巻き込まれたことが無い。
これは、バーチャルだと言っても過言ではない。
例えが悪くて申し訳ないが、ワールドカップと、気分は似たようなもんだ。
初めて、アメリカから受けた攻撃で、初めて「戦争」というものを
一般大衆は、実感できたんではなかろうか?
もちろん、それまでに亡くなった方々の遺族のリアリティーは言うまでも無いが、
年配の方々が、今更のように、「天皇」「教育勅語」やら、「戦時思想」とか
仰るが、そして「靖国神社」のこともそう。
失礼なことを言うようで、NGかもしれないが、
寸前まで、祭りのように、案外、傍観者的な、サポーターだったんじゃないのか?
本来の「戦争」という、世界で語られる「本質」から、
ひどく、遠い、感覚でやっていたんじゃないのか?
だから、なんだか、戦後も歯切れも悪く、総括もままならない、
ずるずるっとしたなし崩し的な喪失感と、罪悪感がごちゃ混ぜになって、
「何をやっていたんだろう」的な収束をみせてしまったのでは。
今、盛んに、ナショナリズムとか、なんだかと、色々とにぎやかだが、
ごめんなさい。
自分、ちっともよくわかりません。
これも、いつもの「祭り」のような感じで、
どうやら「日本」をとか「愛国」をとか、言っているだけのキャッチフレーズで
世界標準から見れば、「何それ」という程度のものでしか
ないように思えるんですが。
参拝に、長時間、並ばされて、あげく、おみくじと、お守りをゲット。
そして、屋台の「炭水化物」を楽しく摂取して、
忘れていました、お賽銭とお祈り!!!!!!
何のために2時間も並んだんだ!!!!!
思うに、この国は、こういう感覚、ずーーーと長い。
識者が、世界と当てはめて、日本を語ろうとするが、
どうしても無理があることを、前提に作業した方がいいんじゃないかと、
ついつい、じゃがバターを頬張りながら、考えてしまいました。