まなびの途中

色々な仕事をしてまいりました。
色々な出会いがありました。
勘違いもありますが、
学んだことを書いてまいります。

納豆の売り切れと、山崎拓が戻ってきた話。

2007年01月13日 | 社会的全般
なんだか、テレビの影響力って、健在だな。
納豆が売り切れ続出と言う話。
NHKが、キナーゼが血管に吸収される訳は無い、って、「あるある」も
比喩で使っただけです、なんて苦し紛れの弁明があったらしく、

みのもんたの番組でもそう。
今回の番組でもそう。
その都度、こういった番組の影響で、「食卓」が激変する家庭があるんだろうな。

痩せる、という永遠のテーマでもそうなんだけど、
きっと、全員は知っているはずなんだけど、
摂取カロリーと消費カロリーは、基本的に「等価交換」だってことを。
ただ、昨日の本で紹介されていたんだけど、

「水」。
これって、体中に蓄えられているってこと。
筋肉にも、内臓にも、かなり蓄えられているらしく、
エマージェンシーの時に、排出するシステムになっていて、
妙に水分の摂取をしない「食事療法」なんかすると、
機能が不全になる場合もあるし、
数日の断食みたいなことで、水もあんまりってことやって、
わーい、痩せた!なんて、翌日水を飲んだら、即効体重が元に戻った、
なんてリバウンドの正体は、水ってこともある。

米朝協議直後に6者再開望む 認識が一致と訪朝の山崎氏

  北朝鮮を訪問していた自民党の山崎拓安全保障調査会長は13日午前、平壌か
  ら空路北京に入り、同市内で記者会見した。山崎氏によると、9日からの平壌
  滞在中、宋日昊(ソン・イルホ)・日朝国交正常化交渉担当大使ら複数の要人
  と会談。
  その中で宋氏は、米国の北朝鮮への金融制裁をめぐる米朝協議が今月22日に
  も開かれるとの見通しを示したうえで、その後直ちに6者協議を再開すること
  が望ましいとの認識で山崎氏と一致したという。

きっと、この程度の話で、彼は行ったんじゃないと「思って」おります。
まさか、「自腹」でいったんじゃないと、思うからで、
会見をした人なんですが、ところで、誰って?
電話なんかで済む程度の話で、帰ってきたとは、誰も思っておりません。

  山崎氏によると、宋氏は「朝鮮半島の非核化は故金日成(キム・イルソン)主
  席の遺訓であり、その方針に変わりはない」と表明。そのうえで両氏は、北朝
  鮮の核計画放棄を盛り込んだ05年9月の6者協議の共同声明を一日も早く実
  現に移すべきだとの考えでも一致した。

金日成が、非核化を「主張」していたとは、
ごめんなさい。自分は、その真逆だと思っておりましたので、
これからは、そういうことを言う、山崎さんを信じることにします。

ていうか、金日成の遺訓って、じゃぁ、その子供の金正日さんが
今、まさに、2回目いくよ!ってしているのは、
「子供の暴走」ってことになるんですかね?

軍部の暴走?
山崎さん、それって、北朝鮮の高官が、まさに言っていたんなら、
「特ダネ」もいいところなんですが。

中国側が、北朝鮮のエリートを「留学」で受け入れていたことは事実で、
中国側の「意向」を、まさに敷衍してくれる人材が北朝鮮内部にいる。
もちろん、様々な「利権」「権益」を握る、毎度の人的戦略の一環でもあるが、
どうやら、胡錦涛主席。
金正日のことが大嫌い。

アメリカメディアに、この発言がすっぱ抜かれた手前もあって、
この人的資源を、内部クーデターに、いよいよ使うか、
という、まさに、そういう、様々なオプションが策動しているときに、
山崎さんのこの発言。

 また、02年に小泉首相(当時)と金正日(キム・ジョンイル)総書記が署名
  した「日朝平壌宣言」について、現在も有効であることを確認。宋氏は「近い
  将来に情勢の大きな変化があり、勇気をふるえば道が開かれる」と述べた。

なにこれ?
意味深だよねぇ。
本当に、この「宋」って人、誰なのかしら?
近い将来に情勢の大きな変化って、
核実験のことじゃないよね、この流れから言って。
ちゃんと、日本に戻ってから、ちょっとでもいいから、正確なこと、
教えて欲しいものです。
無理だろうけど。


重力があってこその、この肉体。

2007年01月12日 | 本・映画
ちょっとした興味で読み始めた本。
宇宙旅行に関して、お手軽体験が、お手軽な金額でできるようにはなったが、
本格的な宇宙旅行。
この本を読むと、まだまだ、先は長そうだと。

「宇宙飛行士は早く老ける?―重力と老化の意外な関係」 
 ジョーン・ヴァーニカス著 向井千秋/日本宇宙フォーラム監修 朝日新聞社

  過酷な訓練に耐えた宇宙飛行士が宇宙から戻ってくると、その肉体に年老いた
  人と同じような兆候がみられるのはなぜなのだろう。無重力状態で宇宙飛行士
  の肉体に起こる変化は、老化の症状とあまりにも似ている。
  立っていても座っていても、歩いたり走ったりしていても、私たちを地面に引
  きつけている重力は、私たちの骨や筋肉や身体の感覚をいつも刺激して、良い
  状態に保つ働きをしているらしい。だから重力の影響を受けない宇宙空間で
  は、宇宙飛行士は一時的に老化してしまうのだ。

途中、この本は、サプリメントの本かと思うくらい、
その手の情報が満載です。

それくらい、人間の体が、「化学反応」の塊だと言う事を、教えてくれる本、
でもありますが、
「重力」というものが、これほどまでに、人間が人間たる「形」なり、
「存在」に大きな影響を及ぼしているとは、思いもしませんでした。

宇宙飛行士が帰還。あらゆるチェックを受けるわけですが、
「骨」の重量が30%近くも減る。
それに応じて、筋肉の量も、毎週平均で1%前後減っていく。
つまり、重力の影響を受けない環境下では、
この当たり前だと思っていた、ボディーが、圧倒的な変貌を遂げてしまう。

こんな例が載っていましたが、
体を起こすと、当然血液は下に引っ張られます。
体のセンサーは、即座に「血液が不足」のシグナルを出し、血液の量を
体中の水分を使って、まさに水増しをするそうです。

一方、体を横たえると、重力がフリーになります。
当然、血流は、上半身に圧力がかかるわけです。逆立ちもそうですが。
すると、血液が増加したというシグナルは、水分の排出命令を出すそうです。

このことで、プールに入ると、尿意を催す、なんてことが、
化学的に理解できる。
よって、こと水泳選手であっても、どこかで必ず、重力を取り戻さなければ、
そのまま長時間遊泳していると、血流関係にトラブルが起こる可能性がある。

当たり前ですが、地上で、無重力状態のデータを集めることは至難の業です。
そこで、長時間、ベッドに、ただ横たわるだけ、というボランティアを集め、
できる限りのデータ収集。

ということは、ベッドに横たわっている病人も、ある意味、宇宙旅行者と
同じ変化が体に起こるという訳で、
実は、骨量の変化も、体液も、筋肉の質も、ホルモンバランスも、
おおよそ劇的に変化する。

だから、以前のように、療養目的で、ベッドで安静になんてことが長かったが、
これは人間として、長ければ長いほど、致命的な変化を伴う。
最近、治療後、手術後、すぐにリハビリを行うことを勧められているが、
この本を読む限り出において、非常に納得。

こういう「重力」に焦点をあて、肉体の成り立ちをみせてくれる本は初めて。
宇宙空間という、まったく別物の環境があってこその比較学なんだが、
にしても、重力があって初めて、音も、味覚も、反射能力も、いわゆる五感が
働くなんて、言われるまで、ちゃんと理解していませんでした。

ということは、スペースコロニーやら、宇宙空間での生活は、
「重力」の問題を片付けない限り、かなり難しいということ。
さらに言うと、1Gという環境下でなく、万が一、もっと軽い重力下で
子供を生んだ場合、育つかどうかということも含めて、
難問であるらしい。

次世代に始まるであろう、宇宙生活、なんて思っていたんだが、
これを読むと、まだまだ、遠い夢物語なんだなぁと、実感いたしました。
サプリ好きの方にとっても、読み応えあります。


海外日本食レストラン認証は、農水省の生き残り戦略か

2007年01月11日 | 社会的全般
最初、自分も何だか妙なことにならなければいいのにな、
と思っていた。

海外日本食:変わった味に”選別”必要?

  海外の日本料理店で出される「ちょっと変わった日本食」を“選別”する制度
  を、農林水産省が検討している。背景には日本食材の輸出もあるようだが、お
  役所が味付けにまで注文を付けることに疑問の声も少なくない。

  農相は「日本の農林水産物は世界の市場で十分受け入れられる」と主張する輸
  出促進論者。優良店構想には、沈滞する農業を食材の輸出増で元気にする狙い
  もある。具体化は同省の有識者会議で検討中で、07年度にスタートする予定だ。

例の、「認定制度」みたいなやつ。
自分は、海外旅行など行く機会が今のところないので、スルーな記事だったが、
どうやら、色々な事情があるようです。

日本でも、本場が顔色を失うような、ピザやらスパゲティーを提供している、
イタリアンレストラン、通称イタ飯なんて感じで利用しているが、
「味」が勝負ということで、どういうものであれ、
行きたくなければ行かないし、利用もしない。

まぁ、日本料理は、案外、素材勝負。
お寿司など、海外では定着し始めているが、テレビで紹介される「ご当地巻き」
なんかは、とても食べたいとは思えないし、
そもそもあれは、寿司なんだろうか?と思うことが多い。

とは言っても、日本料理風な料理に、いちいち目くじらをたてることも
あるまいし、認定などと、事を大事にするのも、大人気ない。
多分、世間ではそんなトーンであるようだ。

こういう「認定」みたいな作業。
どうして農水省が?日本ピーアールみたいな作業を?

昨今の世界情勢の中、物品の輸出入に関しては、「障壁」を取り除く作業が
どこも盛ん。
経済産業省やら外務省などが、積極的に「多角的な貿易自由化や
通商ルールの整備」を進めているが、
農水省は、必ず自国産の農産物保護を打ち出し、「足を引っ張る」省として
有名だ。(理解はしているつもり)

おまけに、国内では、農業経営の再編など、農協問題やらあって、
ある時には、「こんなに予算、いらないんじゃないか?」など、
非常に影が薄くなってきているのは間違いない。
頑張ってほしいところなんだが。



この省が、今、まさに取り組んでいることは、「農林水産物等の輸出促進」!
「皆さん、日本は農林水産物の輸入国だと思っていませんか」

このキャッチフレーズ。
2004年度実績で3000億円を、2009年には倍の、6000億円に
したいという目標があるのだ。
そして、画像が、その決意を表明する「輸出促進ロゴマーク」なんである。

すでに中国、マレーシア、シンガポール、タイにはその為の常設店が。
アメリカ、アラブ、イギリス、そしてフランスには、
「展示・商談会」が設営。

さらに、農林水産物等輸出促進メールマガジンが、昨年9月から毎月発刊。

   農林水産物等の輸出拡大は、国内生産の拡大を通じて農林漁業者
   の所得の向上等に寄与するという直接的な意義を有しますが、それに
   とどまらず、自分が生産した農林水産物等が海外で高い評価を受ける
   ことにより、農林水産漁業者の発想の転換、勇気と活力にもつながり、
   農林水産業の活性化が図られるという、極めて大きな意義があるもの
   と考えています。
   さらに、日本の食生活・食文化の良さが海外で評価されることに
   より、国内での再認識につながることも期待できるのではないかと
   考えています。

そうなんです。
この「政策」の一環として、行われる作業なんです。

以前、いちごの、とある品種を持ち帰り、
栽培して、とある国のいちご消費を拡大させた「事件」がありましたが、
その国では、いちごはいちご、「特許」もへったくれも、
農産物にあるものか、という市民の声が取り上げられていましたが、
もちろん、「遺伝解析」を含めた「部署」もございます。

ただ、今更ながらという声もあります。
国内で、生かさず殺さず、法人化なんてご法度!
補助金行政で、農協の指導の下、「完全管理下」が大自慢だった「農水省」。
異端であった「ブランド戦略」を、どうやら推し進めるようです。
何だか、生き残りをかけて、というエネルギーを感じますが、
そっちに、使うのか?という気もいたします。

漁夫の利を得られるか、民主党。

2007年01月10日 | 政治
外交の本筋として、「2元外交」は避けるべき。
一応、山崎さんもご存知のはずではあろうが、中国通としての加藤さんが
存在している以上、アメリカも安倍さんの領域である以上、
行っちゃうしか、無いよねぇ、北朝鮮へ。

対話をという割には、誰に合えるかわからない、というのが
「外交」と呼べるかどうか、はなはだ疑問ではあるが、

  それでも山崎氏が、訪朝に踏み切った背景のひとつに、94年の核危機の際、
  対話を活用して「米朝枠組み合意」をまとめ上げた米民主党が昨年の米中間選
  挙で勝利したことがある。

山崎氏訪朝に批判と期待にもあるように、朝日新聞の読みどおりに
今回、ことが運ぶとは思えない。
ていうか、94年にも核開発。
クリントンの時でしたっけ。
こういう風に書くと、成功事例のように見えるけど、

今の北朝鮮の「やり方」にお墨付きを与えた「愚行」とアメリカでは
散々な評価だったことは、オフレコなんでしょうか?

  また、北朝鮮との間で核兵器の開発放棄と引き換えにKEDOを発足させたが、
  監視体制などを厳密に構築せず、結果的に北朝鮮の核武装の防止に失敗した。

ビル・クリントン  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これに味を占めた北朝鮮は、なんのその、核開発を「続行」し続け、
圧力のせいで、核開発が行われた!なんて政治家やら識者がおりましたが、
ずーーーーと、彼らは、やり続けていたんだと。
今も、関係なく、やり続けているんだと。
もっと言えば、対話は言うに及ばず、圧力ですら、関係ないんだと。

帰国後の会見に、今から、興味津々です。

民主党、今国会を「格差是正国会」と位置づけ

  民主党の菅代表代行や鳩山幹事長、輿石東参院議員会長らは9日、党本部で協
  議し、25日召集予定の通常国会を「格差是正国会」と位置づけ、衆参両院に
  格差是正に関する特別委員会の設置を求めていくことで一致した。

日曜日のサンデープロジェクトに菅さんが出席されておりました。
「団塊世代」の特集。
舛添要一さんやら、高橋三千綱さんや、山本コータローさんやらも。
途中で、昨今のいじめみたいな話になって、子育て論議になりましたが、
全員、反省しきりでした。

何だか、大笑いしてしまいましたが、菅さんも、触れられては困る話題。

親の世代の「締め付け」を経験してきただけに、
むやみに、同じ思いをさせたくない、という育て方が、
妙な「友達感覚」を増長させて、
ニューファミリーだとか、結果的に、甘やかしが過ぎて.......。

全員が歯切れ悪かったですねぇ。
一方で、その子供たちは、ロストゼネレーションとか呼ばれるわで、
散々な世代を育てた方々。
世代のことをとやかく言いたくはありませんが、
言いたくもなっちゃいますよね。

さて、その格差社会。
すばり期待しているのは、「世代間戦争」を格差社会の問題と認識しているか?
でございます。
民主党の執行部も、団塊世代が山盛りです。

自民よりは若い世代が多いので、いわゆる「浮動票」と呼ばれる
若い世代を引き込めるかは、単純な「格差社会論争」で済むとは思えません。
参院選で、この安倍自民党に迫らなければ、
後が無いので、
安倍自民党なんだから、本当にもう、
これに惨敗でもしたら、大変でしょう。

いつのまにか「残業代ゼロ」システムと呼ばれ始めた。

2007年01月09日 | 社会的全般
何だか、いつのまにか「残業代ゼロ」の法案として定着してしまった感がある、
ホワイトカラーエグゼンプション。

「残業代ゼロ」の労基法改正案、通常国会提出見送りか

  一部の事務職らを法定労働時間規制から外し、残業代をゼロとする「日本版ホ
  ワイトカラーエグゼンプション」制を導入するための労働基準法改正案は、
  25日召集予定の通常国会への提出が見送られる公算が大きくなってきた。

  自民党の中川幹事長は7日のNHK番組で、「本来歓迎されるはずのサラリー
  マンやその家族から歓迎されていない。」

  同制度は、高収入のサラリーマンらを対象に、1日8時間の法定労働時間規制
  を撤廃し、残業代をなくす方向で検討している。経済界が導入に積極的だが、
  労働組合などは反発している。同制度の導入が見送られれば、残業代の割増率
  (現行は25%増)の引き上げも先送りされる見通しだ。

24時間が、当たり前のようになってきたこの社会。
仕事の時間帯というものが、大きな変容をみせているのにもかかわらず、
労働条件が、労働システムが、旧時代のものと、現在のありようの、
ミックス状態が、限界にはきている。

年齢給にしても、定年制にしても、
今日の時代感には、そぐわない感があって、
取り込もうとした「成果報酬」が、破綻をみせている企業が多い中、

労働者の賃金を「コスト」として、どう、効率化していこうか、
それが、現時点での企業経営者たちの命題であるのは間違いない。

金融を始めとして、サービス、販売、接客を含めて、
現場を一人が管理できる状況は、時間的に限界を超えているのは事実。
さらに、モバイル、IT化が浸透し、
どこでも「業務」が、当たり前になっている以上、
時間を、どのようにマネージメントしていくかは、
労働者側にも求められている。

ところが、企業側の経営陣の年配者こそ、
どんな「労働哲学」なり、「労働マネージメント哲学」をもっているのか、
はなはだ疑問。

彼らは、残業手当など、あんまり整備されていなかった時代の人々。
もちろん、週単位の労働総時間数40時間なんて、
「企業戦士」を自認する方々が多い中、
会社の為に「わが身を惜しまず」だったはず。

成果報酬が、破綻した多くの事例をみるにつけ、
また、
不況だから、業績が落ちたからといって、安易にリストラだ、派遣だ、
なんて、最近は、飛びつきすぎ。
雇われ社長だったっら、あらゆる責任をとって、辞任もあろうが、
多くは、社内から「昇進」して、今のお立場にいる方々。

どう考えても、この「残業ゼロ」のシステムが、
良い様に解釈され、良い様な「言い方」をされ、良い様に「導入」されるのは、
目に見えている。
そもそも、彼らの言い分も理解はできるが、
そちらさんの「覚悟」が、全然、みることができない。

政治家さんも、説明責任を企業に求めているが、
中川さんの「サラリーマンにとって歓迎されるはずだ」というお言葉。
あのフリー出勤制度が、どう現場で活用されて行ったか、
何の検証をも見ることが出来ない発言だ。

タイムシェアリングが進んで、雇用の活性化につながるなんて、
サラリーシェアリングが進むに決まっている!
と思っている人間の「不信感」を、どう、政治家として、
説明できるのか、よーーーーく考えよう。
お金(が絡むことは真剣に)は大事だよぉ。


築地移転に関する番組。

2007年01月07日 | 社会的全般
築地の移転問題を取り上げた番組を見た。
都の計画では、平成24年を目標に、移転をとりおこないたい考えだ。
何しろ、築地のすぐ横は、「銀座」。
この土地を再利用すれば、現時点で、2兆円という金額がつくらしい。

一方、移転先の豊洲は、東京ガスが利用していた土地で、
取得費用は、2000億円程度。
しかも現在の規模よりも、でかい。
都の財政を考えれば、理解できなくもない。

都の言い分というか、最近の傾向は、石原色が強く、
そのリーダシップは、その先々で「騒動」を引き起こしているが、
好き嫌いは別にして、これくらいメリハリの利いた人間が、
自治体のトップにいるほうが、責任の所在を含めて、理解しやすい。

さて、この界隈だが、例の東京オリンピックの候補地として、
実は、築地の場所が、プレスセンターとして、すでに利用の計画が決まっている。
また、新移転地の豊洲の周辺では、
メインスタジアムから、選手村も予定されていて、
まさに「石原さん」らしい展開だ。

ところが、最近、移転先の豊洲の土地に、土壌汚染が報告されたということで、
仲卸の組合、そして、魚を利用する小売店、料理屋さんが、
反対を表明。

もちろん、鮮魚を扱っているだけに、その土壌汚染は、忌忌しき事態で、
東京ガスに処理を行わせるのはもちろんだが、
国の環境基準値以下、と言われたところで、
そもそも、その基準自体、そして、処理後の確認ですら、
「適正に行うことができるのか」
そこが、問題であろう。

というか、今までの「確認」やら「行わせる」に関して、
全然、信用できない事例が多く、
第三者機関が「適正」に、なんていっても、利害当事者が「第三者機関」に
入っていたり、マスコミまでも調べもせず、御用学者の言いなりや
記者クラブで与えられたリリースを記事にしてしまうばかりで、
何ともいえない。

さらに、新移転地の計画案では、「家賃」から「間取り」に至るまで、
不明瞭なことが多く、
割り当て面積も、現在の2分の1に「縮小」される気配が濃厚で、
「要するに、仲卸業者の数を半分に減らせ」ということか、
と憤る関係者も多い。

「古い、効率が悪い」、と、築地視察をされた石原さんのご意見だが、
彼の頭の中には、仲卸なんて、旧態依然で、流通の中間搾取体としてしか
見ていないようで、
築地のみならず、こういった中卸業者が、守ってきた「魚文化」に関して、
否定的な感じさえ抱く。

スーパーやら、加工メーカーなど、大量仕入れ、大量消費に関しては、
どうやら直接買い付け、場外取引が当たり前で、
確かに、仲卸業者の存在が薄れてきたのも事実で、
この10年間で、200もの業者が廃業している。

フリッターやら、加工してしまえば、生前はどんな魚かなんて、
我々は、案外、気にならない。
流通システムを効率化していけば、当然、少量品種の淘汰は起こる。
マグロだって、あんなに品種があるのに、全部、マグロだ。

どちらの言い分も理解できるが、
当面の流れからいって、どうやら、この先、魚という「食材」は、
まぐろ、白身、タコ、イカ、貝、そのほかの魚、という分類が店頭で
進む可能性がでてきた。

多分、効率化と経済性を考えると、そういうことになるんだろうな、
と、今回の築地移転は、こういう側面をも提示しているのかもしれない。

「祭り」の国、日本。

2007年01月06日 | 本・映画
1月3日午後3時。初詣。川崎大師に向かう。
順調に、年末年始スケジュールをこなし、残りは、初詣だけだ。
これを後回しにするのも、どうなんだというご意見もあろうが、
当家の事情では、これも、「グッズ」収集の一環に位置づけられていて、
基本は、ディズニーと、なんら、変わらない。

にしても、なんで、こんなに混んでんだろう、という混み具合。
そもそも道幅が狭く、通路一帯、民家が所狭しと並んでいるが、
治安が善い悪いを大幅に超えて、「退避」しなくては、のんびりできないんじゃ
ないか?と思わせる状態。

そんな中、例の、あれが聞こえてくる。
「聖書のメッセージをお伝えいたします」
スピーカーを大音量にして、いかにも「暗い」トーンで、ひたすら「悔い改めよ」
お前は間違っている!を繰り返し流している、あれだ。

数人が、立て札を掲げ、終末は近い、みたいな文言をそれに書き記し、
堂々と、大変な「群集」の中で、こちらに顔を向けて、ひたすら立ち止まって
いわゆる「布教」をしている。

すげえな、キリスト教。
まるで、ディズニーランドに、キティーの被り物を装着して行くようなもんだ。
ただ、色々調べると、どうやら異端の方々らしい、
ビザ目的でやっている方々らしい、とか、本家(といってもよくわかりませんが)
の方からも、何かと嫌な連中と思っている節がございます。

とはいっても、日本では、なんかの行事が、すべてイベント化してしまう。
初詣も、端午の節句も、バレンタインデーも、ハローウインも、クリスマスも、
七草粥も、そろそろイスラム系のラマダーンも、どっかが火をつけそう。
まったくもって「はれ と け」という祭りと日常を区別するのが
どうやら大好きだ。

大して知識がないので深入りは出来ないが、
こういう何でも取り込んでしまう「受容力」豊富な文化も、
世界的に見ると珍しい。
イラクでも民族間の紛争がよく報道されるが、
そもそも字面だけで、根本的に何が、どう、問題になっているのか、
理解している、理解できる人は少ないんじゃないだろうか?

「オフレコ!別冊[永久保存版]昭和史のカラクリ「戦争」「天皇」「靖国」を徹底検証!」

という雑誌を読んで見たが、
読後感として、「国のために命を投げ出す」ということは、
どういうことなんだ、ということが、問題になっているような気がする。

当たり前だが、今、こういう感覚を持っている人間なんか、
この日本には、ほとんどいない。
せめて、犯人にやられて「殉職した」とか、災害時に救助で向かったが、
巻き込まれた、というのが、身近な例であろうが、
全然、意味が遠い。

大陸とは異なって、日々、隣国と戦いあう環境にいなかったせいもあろう。
あのアメリカだって、9.11テロ、もしくはパールハーバー。
これくらいしか、本土攻撃を受けていないから、
なんだか、バーチャルな感じで、乗り込んでいっているようにしか思えない。

あまり指摘されていないようだが、あの当時の日本だって、
諸外国から、攻撃を受けた記憶が、実は、無い。

日清、日露だって、日中戦争でも、日本が戦火に巻き込まれたことが無い。
これは、バーチャルだと言っても過言ではない。
例えが悪くて申し訳ないが、ワールドカップと、気分は似たようなもんだ。

初めて、アメリカから受けた攻撃で、初めて「戦争」というものを
一般大衆は、実感できたんではなかろうか?
もちろん、それまでに亡くなった方々の遺族のリアリティーは言うまでも無いが、
年配の方々が、今更のように、「天皇」「教育勅語」やら、「戦時思想」とか
仰るが、そして「靖国神社」のこともそう。

失礼なことを言うようで、NGかもしれないが、
寸前まで、祭りのように、案外、傍観者的な、サポーターだったんじゃないのか?
本来の「戦争」という、世界で語られる「本質」から、
ひどく、遠い、感覚でやっていたんじゃないのか?

だから、なんだか、戦後も歯切れも悪く、総括もままならない、
ずるずるっとしたなし崩し的な喪失感と、罪悪感がごちゃ混ぜになって、
「何をやっていたんだろう」的な収束をみせてしまったのでは。

今、盛んに、ナショナリズムとか、なんだかと、色々とにぎやかだが、
ごめんなさい。
自分、ちっともよくわかりません。
これも、いつもの「祭り」のような感じで、
どうやら「日本」をとか「愛国」をとか、言っているだけのキャッチフレーズで
世界標準から見れば、「何それ」という程度のものでしか
ないように思えるんですが。

参拝に、長時間、並ばされて、あげく、おみくじと、お守りをゲット。
そして、屋台の「炭水化物」を楽しく摂取して、
忘れていました、お賽銭とお祈り!!!!!!
何のために2時間も並んだんだ!!!!!

思うに、この国は、こういう感覚、ずーーーと長い。
識者が、世界と当てはめて、日本を語ろうとするが、
どうしても無理があることを、前提に作業した方がいいんじゃないかと、
ついつい、じゃがバターを頬張りながら、考えてしまいました。


車が売れないで困っているようです。

2007年01月05日 | 社会的全般
景気に取り残される車、国内市場は07年も前年割れへ-競争力に危機も

  国内の景気拡大が戦後最長記録を更新する中、自動車はその波に取り残されて
  いる。今年の新車販売は1986年以来の580万台割れ、来年はさらに570
  万台も下回って85年以来の低水準になることが見込まれているほどだ。

  85年(実績555万6878台)以来の570万台割れという状況にメーカー首脳
  も困惑している。マツダの井巻久一社長は「正直言って分からない」と本音を
  漏らす。
  またホンダの福井威夫社長は「近所を歩いてみると、これまで2台持っていた
  ところが1台に減っているところが目につく」としたうえで、「ガソリン高や
  道路事情など車が使いにくくなっている。それに車自体が良くなっているので
  買い換える必要がなくなっているのではないか」と話す。

  トヨタ自動車の一丸陽一郎専務は「薄型テレビや住宅などとの競合で、車を買
  う優先順位が下がっている。それに車本来が持つ、乗る楽しさや走る楽しさが
  少なくなったこともある」と反省する。

                      12月30日(ブルームバーグ)引用

海外、そして輸出では、過去最高にもなるトヨタです。
「景気」がいい、と、さんざん政府なり、マスコミも垂れ流しておりますが、
一番、実情を把握できているのは、案外、こういう業界の方々かもしれません。

設備投資が伸びた、とか、消費が上向きになったとか言っておりますが、
そもそもGDP自体、1%とか2%なんて、完全に「のり代」状態な数字。
昔で言う、5%だとか7%だとか、有無を言わさぬ上げ率とは違います。

企業や金融が一段落つけた「不良債権処理」。
個人レベルの「不良債権」で苦しんでいる中高年や、職そのものを失った
方々が、いまだ、五万といる世の中です。

クラウンだセルシオだ、とにかく、中高年のおじさんは、そういう車が
今でもダイスキデス。
この層が、日本の行く末に「確固たる」安心を得ていなければ、
昔で言う「好景気」なんて、望むべくもありません。

もっとも、20年弱前に、「金で買えない物は無い」と豪語していたのも、
実は、今の50、60代であったのは、記憶に新しいところです。
ホリエモンに嫌悪感をもったのは、意外にも、
若い世代なのかもしれません。
案外、熱狂的な「購買欲」というものが、この世代には、無いのかもしれない。

それよりも、賃金抑えて、株価上げているからって、
「正直わからない」なんて、知っているくせに。
「薄型テレビと車」なんて比較してしまうあたり、
トヨタさんのマーケティングも深刻そうです。

ニートさんが60万人?
当然ながら、親と同居ですから、間違いなく、自己所有の車なんてありません。
さらに、フリーターなんて、採用するか!
とのたまっている経団連出身企業が多いのも、車屋さんです。

高年者がなかなか買えない。
若者も、高年者より、将来に漠然とした不安を持っている。
おまけに、賃金、上がってないんですけど。
裕福な団塊世代やら、その上の世代は、とっとと海外へ移住。

えーと、自分も、13年ものの中古を乗っています。
10年目から1年車検を取りやめたことも、案外、影響があるのかもしれません。
「えっつ?毎年車検なの?」
とか、若い頃、蔑みの言葉を、かけられた口でしたから、
「いつかは、新車を!」と燃えたのも事実です。
今は、全然、気になりません。

ええそうですよ、うすがた、薄型テレビの方が、気になりますよ。!
ガソリン高いしね、道路事情も悪いしね!
おまけに、車が本来持つ、乗る楽しさや走る楽しさなんて、
ぜんぜん、わかりませんわよ!

最近のマンションは、必ず戸数分の駐車場はついております。
さらに言うと、いまだ、道路は、果てしなく作られております。
薄型テレビも、10万円前後のものも出ております。
さて、何が、問題なんでしょうか?

景気がよくないんだよ。まだ、全体的に。


意外にも富士山は、怖い山なんです。

2007年01月04日 | 雑感(日記)
どうでもいいことなんですが、
ベトナムの干支。
「鼠、水牛、虎、猫、龍、蛇、馬、山羊、猿、鶏、犬、豚」
牛ではなく、水牛です。
さらに、ウサギではなく、猫。完璧です。
羊がヤギなのは、いいとして、最後が、豚です。

本年も、よろしくお願いいたします。
謹賀新年。 豚年です。

ランダムな話題で申し訳ございません。
富士山の滑落事故。
初日の出の参拝登山ということですが、あの山は、思ったより危険です。

当日、天候の悪化が急で、防ぎようも無い「事故」の可能性がありますが、
自分も、過去、高校1年生のとき、滑落しかけました。
今回の事故とは、程遠い、参考にもならない話しですが。

夏の富士。
8合目でリタイアすると、目に留まったのは「砂走り」。
下山用の砂や瓦礫交じりの「道」です。
7合目当たりから、下山用の階段とは別に用意されているものですが、
足を、深く、砂にめり込ませるように進んでいけて、
階段よりは、とってもスピーディーに降りることができる。

ところが、ちょっと、いい気になって、加速をつけたら、これが、全く止まらない。
その歩幅が、2Mから3Mへと、全てが走り幅跳び状態。
自力では止まれない事態に陥る。

最初、笑いながらの絶叫が、悲鳴になるのも数分もかかりませんでした。
最後、駆け抜けた4人は、揺れ、流れる風景の中で、
一人一人がもんどりうつように、投げ出され、
自分も、なぜか「右」に登りがあるように錯覚し、
ダイブしました。

運がよかったのか、大岩が混じるその道で、大怪我はでなかったんですが、
一人は、病院に収納されました。
5合目にいて、その我々の姿を目にしていた登山客は、
全員総立ちで、「あっつ、跳んだ!」「連絡連絡!」など、
騒然としていたそうです。

本当に、あの山は、急勾配なんですが、
この件は、自業自得ということで、それ以上に、迷惑をかけなかったことが
幸いでした。
この時期、富士は雪で覆われております。
滑落したら、一気だと思います。
しかも、岩が露出しておりますし、危険極まりない山だという事です。

以前にも、少し、このネタを書きましたが、
再録ということで。

今の世の中は、道であふれている。

2007年01月03日 | 雑感(日記)
車を運転していると、標識に「小田原60Km」とか、
「名古屋200Km」など、予定にもしていなかった地名が現れる。
ほんの少し先までの買いものなのに、
この、今走っている道が、そのまま、切れることなく
日本中を、四方に、八方に、つながっている。

案外、不思議で、当惑含みなそれを、同乗者に投げかけてしまうことがある。
「このまま走ると、小田原だって」
という気持ちは、普通、同乗者に、万分の一も伝わらない。
「蒲鉾かぁ、季節だねぇ」
普通、その程度の反応である。

道は、随分昔から、集落から、個々の家をつなぐものとして、
歩く人の足によって、踏み固められてきた。
あるいは、何かの目的のために、「そこ」へ通じる道として、
長い年月、それが出来た、というのもあろう。

言ってみれば、道なるものは、そもそも、この地上には「存在」しなかった。
確かに「獣道」なるものがあるかもしれないが、
多分、こうして、我々が、何の疑問も抱かずに、歩いている地面は、
今や、ほとんど、「道」として、様々なものを結んでいる。

思うに、昔の方々、それも結構昔。
こんなに「道」というものが、この世にあったとは、到底思えない。

今や、コンクリートで、がちっと固められ、
穴ぼこだらけの土の道など、どうも、本来の「道」と呼んでもらえそうにない、
それくらい、当たり前の、強固なものとして、そこらじゅうにある。

昔は、多分、不断の努力、そして、日常的な人の往来がなければ、
あっという間に、地面に逆戻りしてしまう、
そういう、存在のものではなかったか。

だとすれば、今、我々が、平気で使っている、道に関する「ことわざ」や、
言い伝え、それから、書物に記されているもの含めて、
その頃の「用法」というか「感覚」は、決して同じではないだろう。

道を踏み外す、というのを取り上げても、
やくざな世界に身を投じる、なんて感じに使うことが多いが、
そもそもは、人の世界と、あっちの世界、それくらい、重さが違う。
細いかもしれないが、道があると言うことは、
はかなくも、人がつながっている。
営々とした、人の生業としての歴史をも語るものとして、
そこにあるわけで、

それを「はずれる」ということは、
人を守る、「結界」をはずれることをも意味して、
てんこ盛りの「危険」が待ち受けており、何かが起こったとしても、
全く、文句が言えない。
そういう感覚。


時として、昔の人は、どのように日々を送っていたのだろうと、
考えてしまうことがある。
何も、無い。そういう世界。
我々よりも、はるかに、些細な物音や、風の流れに、
多くの意味や気配を感じることが出来たであろう。

見渡す風景も、「道」以外は、そもそも野原や林であったり、
一面の草むらだったかもしれない。

今では、広がる光景に、道以外のものを探すほうが難しい。
これだけの、こんなにも多くの「道」が、この世にあるのに、
なんだか、途方も無いくらい、
人の結びつきが「はかなく」なっているような気がする。

そして、何かの気配も意味も、
感じ取れる「感覚」をも、当の昔に退化させてしまった気がする。

もはや我々は、
シルクロードといったものや、ローマの道、なんて言葉も、
何の感慨も無く、当たり前の「道」としてしか、
見ることが出来なくなっているのだろう。

人として、コンビニエンスとセイフティーを「究極」に作り上げた
その傍らで、我々は、五感以上の何かを、
どうやら、確実に失ってしまった気がしてならない。
それは、どういうことなんだろうか....。

ただなら利用しまくる人々がいる。

2007年01月02日 | 自分の仕事に絡めて
年の瀬の一こま。
とある薬局での話し。

冬、本番になると、風邪気味の人間が多くなる。
病院も、当たり前だが、薬局も、あわせて、殺人的に忙しくなる。

にしても、本気で症状を悪化させている方々の中で、
定期的に訪れる「患者」もいる。
高齢者の方々だ。

一時期、病院の待合室が、集会所になっている、そういう光景が、各所で
繰り広げられていたが、
最近は、薬局の環境がいいこともあって、
水、お茶は飲めるは、テレビはついているわ、イスも完備されているわで、
案外、長時間、「仲間」と居座ることも珍しくなくなった。

調剤される薬の量が「多い」こともあって、
しかも、毎回、同じような処方がされることもあって、
のんびりと待つ時間もある。
要するに、緊急を要する方々ばかりではない、ということなのだ。

こうなってくると、大ぴらにはやらないが、
親しくなると、数多く出ている薬で、「消化」できない薬。
これを、「まわす」患者がでてくる。
または、
「今もらっている薬なんだけど、先日Bさんから分けてもらった薬の方が、
 自分にしては良く効く感じがするのよ」

もしくは、調剤されて出てきた薬を受け取る際に、
「この薬なんだけど、私、いらないわ。だって、家に、4袋、同じのが、
 あるんだもの」
「先日も、あまっていた薬なんだけど、1袋、Cさんにあげちゃった」
「年末だから、1箱頂戴って、先生にお願いしたの。あると便利でしょ」

人々は、本当に、屈託がない。
その薬が、なぜ、あなたに処方されたなんか、関係ないのである。
睡眠薬などは、かなりの確立で、そういう方々の間で、「流通」している。
しかも、強い薬が。

そしてこういうことを申し上げて済まないが、
ゼロ割負担の方々に、こういう方が、多い。

さらに最近、目に付くのが、同じゼロ割負担の「子供」。
もちろん、子供が「自主的」に来るわけがない。
親が、連れてくるのだが、
来る子供、来る子供、ほとんどが、「元気に走り回っている」。

「ちょっと、熱ぽいんで、薬だけもらおうと思って」
は、当たり前として、
「旅行に行くんで、薬を買うと高いでしょ、医者にくれば、「ただ」だから
 結構、あれこれ理由をつけてもらいに来るのよ」

子供の「処方」は、粉末タイプが多く、錠剤も半分に割ったりと、
非常に、手間も時間も掛かる。
こういう手合いを相手にしていると、
何かの「病」にかかりそうなのは、薬剤師の方だったりする。

必ずしも、高齢者、そして子供を、社会福祉、社会保障の一環として、
面倒を見ることが間違っているとは言わない。
むしろそうすべき理由はある。

ただ、最近は、目に余る「自分勝手」な意識を持って、
場当たり的に、そのシステムを利用するのが「賢い」生き方みたいな風が
増長している。

実は、そういう人間が、余りにも目に付くので、
現場にいる人間のほうが、
こういう社会保障制度の拡充に「疑問」を持つことが多い。

こうい話を聞くと、
国が、国が、と何かを求めたり、声高に言う前に、
果たして、我々、大衆は、いかほどの意識なり、成長が、
成されているのだろうか。
そう思うことも、また、しばしばなんである。