まなびの途中

色々な仕事をしてまいりました。
色々な出会いがありました。
勘違いもありますが、
学んだことを書いてまいります。

ただなら利用しまくる人々がいる。

2007年01月02日 | 自分の仕事に絡めて
年の瀬の一こま。
とある薬局での話し。

冬、本番になると、風邪気味の人間が多くなる。
病院も、当たり前だが、薬局も、あわせて、殺人的に忙しくなる。

にしても、本気で症状を悪化させている方々の中で、
定期的に訪れる「患者」もいる。
高齢者の方々だ。

一時期、病院の待合室が、集会所になっている、そういう光景が、各所で
繰り広げられていたが、
最近は、薬局の環境がいいこともあって、
水、お茶は飲めるは、テレビはついているわ、イスも完備されているわで、
案外、長時間、「仲間」と居座ることも珍しくなくなった。

調剤される薬の量が「多い」こともあって、
しかも、毎回、同じような処方がされることもあって、
のんびりと待つ時間もある。
要するに、緊急を要する方々ばかりではない、ということなのだ。

こうなってくると、大ぴらにはやらないが、
親しくなると、数多く出ている薬で、「消化」できない薬。
これを、「まわす」患者がでてくる。
または、
「今もらっている薬なんだけど、先日Bさんから分けてもらった薬の方が、
 自分にしては良く効く感じがするのよ」

もしくは、調剤されて出てきた薬を受け取る際に、
「この薬なんだけど、私、いらないわ。だって、家に、4袋、同じのが、
 あるんだもの」
「先日も、あまっていた薬なんだけど、1袋、Cさんにあげちゃった」
「年末だから、1箱頂戴って、先生にお願いしたの。あると便利でしょ」

人々は、本当に、屈託がない。
その薬が、なぜ、あなたに処方されたなんか、関係ないのである。
睡眠薬などは、かなりの確立で、そういう方々の間で、「流通」している。
しかも、強い薬が。

そしてこういうことを申し上げて済まないが、
ゼロ割負担の方々に、こういう方が、多い。

さらに最近、目に付くのが、同じゼロ割負担の「子供」。
もちろん、子供が「自主的」に来るわけがない。
親が、連れてくるのだが、
来る子供、来る子供、ほとんどが、「元気に走り回っている」。

「ちょっと、熱ぽいんで、薬だけもらおうと思って」
は、当たり前として、
「旅行に行くんで、薬を買うと高いでしょ、医者にくれば、「ただ」だから
 結構、あれこれ理由をつけてもらいに来るのよ」

子供の「処方」は、粉末タイプが多く、錠剤も半分に割ったりと、
非常に、手間も時間も掛かる。
こういう手合いを相手にしていると、
何かの「病」にかかりそうなのは、薬剤師の方だったりする。

必ずしも、高齢者、そして子供を、社会福祉、社会保障の一環として、
面倒を見ることが間違っているとは言わない。
むしろそうすべき理由はある。

ただ、最近は、目に余る「自分勝手」な意識を持って、
場当たり的に、そのシステムを利用するのが「賢い」生き方みたいな風が
増長している。

実は、そういう人間が、余りにも目に付くので、
現場にいる人間のほうが、
こういう社会保障制度の拡充に「疑問」を持つことが多い。

こうい話を聞くと、
国が、国が、と何かを求めたり、声高に言う前に、
果たして、我々、大衆は、いかほどの意識なり、成長が、
成されているのだろうか。
そう思うことも、また、しばしばなんである。