五反田発リスボン行き急行列車

五反田駅からリスボン行き急行列車に乗ることを夢想する前期高齢者の徒然

2021・10・30

2021-10-31 05:18:16 | 日記
日付変更線をかなり越えてベッドに倒れ込んだのに5時に起きての母の介護「業務」はヘビーで、且つそれが二日酔い気味だとヘビーの前に「超」がつく。それでも何とか老老ブレックファースト(オニオンスライスと薄切りトマトとチーズのサンドイッチにキャンベルのクリームスープ)を用意。最初はスープだけのつもりだったのに、胃袋が刺激されてサンドイッチを許容量以上食べてしまったもんだから再び気持ち悪くなってダウン。お昼近くまで眠っていた。いや、それでは足りず午後の時間もウツラウツラ。結局、二日酔い兼寝不足が治ったのは、その後バスタブに溜めたお湯につかって酔いを払ってからだった。そんなにお酒の量は多くなかったのに二日酔いになってしまったのは、久し振りにお喋りしたEさんの魅力も関係しているかも知れない。老老ディナーはタラコ焼きうどんに自家製セロリトマトスープ。母を寝かしつけてから今日一日表へ出ていなかったので、広尾の町を散歩してみる。途中五反田のマンションを借りてもらっているLさんから電話。広尾にいると云うので合流し近くにあったガラス張りのバーにフラッと入ってお喋り。すると俺たちの会話でその店のマスターからカウンターにいた女性客まで乃木坂時代の店をよく知っていて、俺の正体?がばれてしまったことに驚く。更に妹の関係で今の店も知られていた。広尾乃木坂西麻布界隈で悪いことはできない。
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2021・10・29

2021-10-30 11:46:12 | 日記
「おはよう、今朝のご機嫌はいかが?」と息子兼介護士がいうと、母は窓から見える朝の町に視線を向けて「今日はいい天気よ。気持いいわね」と答える。それが最近の二人のお決まりの挨拶。「さぁお風呂に行きましょ」と息子は母を別の階にある浴室に誘う。浴室で母はゆっくりのんびりと服を脱いでいく。指があまり器用に動かなくなっているのだ。途中で我慢できなくなった息子は母のシャツのボタンを外していく。そしてシャツとズボンを脱ぐのを手伝い、最後にオムツを外す。この一連の動きは数年前まで他人の女性にしていたことだけど、いま目の前にいる女性は母だ。母は一晩の間に何度小用を足したのか分からない。オムツはいつもよりズシッと重いけど、今日は小用だけじゃなく大用も加わっている。オムツの中にはいままで見たことのないような立派なウンチが隠れている。「すごいウンチだ。見てごらん」「あら、ホントだわね」母は平然とした顔でオムツの中を覗き込む。昨日はウンチが出来なかったので心配していた息子は「よかったね。こんな立派なウンチで」と母を誉めながらも自分も安心する。そんな母と息子の朝の風景。老老ブレックファーストは鰺の干物withかいわれ、自家製玉子焼、納豆、小松菜の味噌汁。食後、朝の散歩から帰ってから小説の続きを執筆。原稿用紙五枚程度か?「映画芸術2021秋号」が届く。今度の号の特集は斎藤久志監督の「草の響き」、澤井信一郎監督の追悼、それにヴィム・ヴェンダース レトロスペクティブ。チラチラ読んでいるうちに老老ディナーの時間。豚こまとチンゲン菜ともやしのオイスターソース炒めと昨日の鱈ちりの残りに帆立てを加えて味噌風味にした一品。博多の名島屋から有明海の海苔が届いたので添える。温かいごはんと海苔、美味この上なし。6時過ぎ母を寝かつける前に入れ歯の洗浄と今日二度目のオムツの交換。母を寝かしつけると母は子供の頃に戻ったかの様に「父親」である俺に「おやすみなさい」と挨拶する。それが何とも愛おしい。8時過ぎ、先日手紙をくれたEさんが来てくれる。いつもは映画プロデューサーのTさんが一緒だから、こうして二人きりで話すのは広尾のコレドで初めて会って以来のことか?聡明でチャーミングな女性とのお喋りは時間を忘れさせて、気付いたら日付変更線を越えていた。
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2021・10・28

2021-10-29 05:32:03 | 日記
老老ブレックファーストはベーコンエッグwithサラダ、納豆、佃煮、もずくととろろ昆布と九条ネギの味噌汁。お昼からK研究所病院へ母をリハビリに連れていく。リハビリが終わる1時間ほどの間に小説の展開を考える。帰りの道でも買物している最中でも考える。ここだよ、ここを書きたくてこの間まで原稿用紙を何百枚も埋めてきたんじゃないか?逃げていてどうする?と自分を鼓舞する。昨日今日と映画を見てない。いやNETFLIXで食後に何か映画をみようとすることはする。今日も老老ディナー(何と早くも鱈ちり)の後、ある映画を見始めたのだけど、途中でやめてしまった。今の俺の頭の中は小説の展開のことで一杯で、他の人が作った物語なんかノーサンキューなのだ。そんな時はこの日記も短い。感動したりすることがあったかも知れないけど、今日は思い出せない。9時すぎにベッドに入る。
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2021・10・27

2021-10-28 05:30:12 | 日記
夕べ母は夜中に一人でトイレに行ったみたいで、それはそれで誉めてあげたいのだけど、オムツをちゃんと取らないで用を足したようで、ズボンは勿論シーツもびっしょり濡れているので、今朝は汚れ物の洗濯から一日を始める。老老ブレックファーストは焼いた厚揚げ、小松菜のお浸し、納豆、なめこの味噌汁。その後、母の薬がなくなったので、俺の分はあるけど、恵比寿駅近くの掛かりつけのS内科に処方箋を書いて貰いに行く。いつもならその後目黒まで歩くのだけど、小雨が降り出したこともあってJRで目黒へ。銀行で今月分の振り込み、アトレの有隣堂で新書を数冊、『「檄文」の日本近現代史』(保阪正康)『太平洋戦争への道(半藤一利他)『ジャーナリズムの役割は空気を壊すこと』(森達也+望月衣塑子)『証言 沖縄スパイ戦史』(三上智恵)を、地下の食料品売り場で肉と魚を買い求めて帰宅。老老ディナーは買い求めたトンカツWITHキャベツの千切り&トマト、アサリの味噌汁。5時半前、映画プロデューサーのKさんが来店。俺も焼酎のお湯割り飲みながらの映画談義。日記に書いたシネクイントを出た後、有名歌舞伎俳優のOKさんに俺が呼び止められたことにひどく感激している。確かにそうだ。パーティや劇場で出会った有名人にこちらから挨拶しても無視されることが普通だからだ。OKさんというか、梨園は凄いと意見が一致。8時過ぎにKさんが帰った後、もう十年以上続いている某ドラマを見ている内にウタタネ、更に机でパソコンを見ている間にウタタネ。気付いたら12時近く。
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2021・10・26

2021-10-27 05:27:33 | 日記
昨日は湯船の中に大便をした母だったが、今日はオムツを取ったら、その拍子で大便が肛門から出て来てしまった。傍にある便器に坐らせようとしたけど間に合わない。この数日便秘気味だったのでよかったと云うべきなんだろうけど、タイルの上に落ちた大便を拾って便器に捨てる作業はそれなりに辛い。老老ブレックファーストは鮭の漬け焼きWITH薄切りトマト&オニオンサラダ、納豆、豆腐の味噌汁。最近昆布と煮干しでの出汁の取り方が抜群で味噌汁が美味い。食後ひと眠りして、お昼からテアトロ新宿に今泉力哉監督の「かそけきサンカヨウ」を見に行く。登場人物のそれぞれに親子問題と男女問題がさりげなくあるのだけど、それが大きな問題にはならない。ドラマは静かに進行していく。そして最後にこの奇妙なタイトルの意味が分かるのだけど、終わり方が何処か仏映画っぽい。「愛がなんだ」以来この今泉力哉と云う監督の作品を見ているが、これからも追っていきたい。ちなみに今日まで「かそけき」は漢字では「幽き」と書くのを知らなかった。そして「今にも消え入りそうな」と云う意味だと云うことを知らなかった。更に「サンカヨウ」は濡れると白く透明になる花とのこと。折角新宿に来たのに映画が終わるのが3時過ぎじゃ折角緊急事態宣言が解除された飲み屋街を徘徊する訳にはいかず、そのままバスで帰宅。今日は火曜日なので老老ディナーはパス。母を寝かしつけた後一人でニンニクたっぷりの豚肉とキャベツのペペロンチーノ?を作って食べる。お店は営業しているようなしてないような。とりあえずは9時までは営業。眞子さんの結婚のニュース見つつ10時半には眠る。
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2021・10・25

2021-10-26 05:31:01 | 日記
テアトルジャージャンの芝居の第一作『デンティスト』から一番最新作『デコボコ』(及び乃木坂コレドでの最終公演『パラソル』)まで途中四作を除いて計16作のチラシを展示する「さとう香おりコラージュ展・時を刻むもの」が青山で開催されているので見に行った。自分の作品のチラシをポスタータイプで展示してこうして見るのは、感動的だ。手前味噌になるかも知れないけど、他に展示してある作品よりこの16枚の方が断然彼女の才能を感じさせる。同伴して貰ったプロデューサーのChさんと一つ一つの作品についてあれこれ思い出を語る昼下がり。会場を出た後、近くの中華料理屋に入って遅いランチしながら来春公演予定の再演シリーズのダンドリを話す。俺はそんなにお腹が減ってなかったけどメニューに沢山料理が載っていたもんだから何品もオーダーした上に紹興酒まで飲んでしまう。行きも帰りもバス。帰りは問題なかったが、行きは会場の住所が南青山二丁目とあったから千駄ヶ谷駅行き「南青山2丁目」で降りて地図にある通りに会場をさがしたのだけど、30分近くも行ったり来たりしたけど、会場はなかなか見つからない。それもその筈、バス停の表示は南青山二丁目だったけど、その場所は三丁目と四丁目の境にあって、二丁目は大通りを挟んだ向かい側だったのだ。ついこの間も高円寺で目的の会場を探すのに30分以上も右往左往したことがあるけど、昔はあんなに方向感覚がよくて、おまけに地図フェチなもんだから道に迷ったことなんかなかったのに年をとるとその種の才能も衰えて来るものなのか?老老ディナーは俺はお腹が一杯だったので母には悪いけど、月見舞茸トロロ昆布うどんだけ。食後「ファミリーヒストリー・堤真一編」を見る。この番組を見るたびにNHKの調査能力に感心し、NHK故に調べることが出来た家族の歴史に嫉妬する。俺個人ではとても真似できない。
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2021・10・24

2021-10-25 05:28:14 | 日記
今日は嬉しいことと困ったことが起きた日だ。嬉しいことは、これまで気分が乗れなくて書き進めることが出来なかった小説が、お昼前からなにかに取りつかれたようにパソコンのキィが動き出し、ラストに向って走り出したこと。この何カ月間、どうして走ることが出来なかったのか分からない。[終]マークよ、待っていてくれ。そして困ったことはクレジットカードが見当たらなくなったこと。最後に使ったのは今日の午後。自分の部屋で、火曜日に見に行く予定の映画を予約する為、カードを財布から取り出して番号をパソコンに打ち込んだ時だ。その後、老老ディナー(自家製ハンバーグステーキとポテトサラダ)を食べて母を寝かしつけてから、牛乳と氷を買いに近所のコンビニに行き、料金を払おうとしたに財布の中にカードがないことに気づき、現金で払って部屋に戻ったのだ。ところがすぐに見つかると思ったカードが何処にも見つからない。1時間ほど探し尽くしてから、コンビニで牛乳と氷を買う前に公共料金や税金を支払う為に財布から三万円を取り出したことを思い出し、ひょっとするとその時に何かの拍子でカードを落としてしまった可能性もあるのではないかと思い当たり、コンビニに再び出向く。だが、店員は知らない、見ないとカタコトの日本語で答えてくれる。だとすると何処で?映画の予約をしてからコンビニに行くまでの自分の行動を思い返してみる。予約をする時、カードは机の上に置いたまま書かれた数字を打ち込んだ。その後カードを財布に入れずに小説を書き始めたのだとしたら、カードが机の廻りに落ちている可能性もあると思って、机の下に潜って足元にあるごみ箱を漁ったりしたが、見つからない。小説を書くときに使った資料の間に紛れ込んでいるのではないかと、年表や地図や新聞やそれまでに書いた原稿の束の間を探しまくるがダメだ。その内、コンビニに行くのに表に出た時についでにごみ捨て場にゴミを捨てに行ったことを思い出す。ひょっとして捨てたゴミの中に紛れ込んでいる可能性もと思って一度捨てたごみ袋を開けて中を見てみる。だが、ない。絶望的になるが、諦めきる訳にはいかない。表で落として誰かに拾われたとしたら使われてしまうかもしれないのだ。部屋に戻ると二度三度と探し尽くした机廻りを四度五度と探し回る。疲れ切ってソファに坐る。テレビのスイッチをつけて、もう一度自分の行動を六度も七度も八度も九度も回想してみる。分からない。その内、大変なことが起きているかも知れないのにウトウトしだす。疲れ切っていたのだ。目を覚ましたのは三時過ぎ。何かに憑かれたように再び机廻り、ごみ箱、小説の資料、ポケットの中などなどを探し回る。もうこうなったら紛失届を出し他方がいいか?でも、あのカードを無効にすると引き落としが中止になったりして面倒なことが発生して来る。もうちょっと?世の中が明るくなるまで待つことにしよう…(とここまで書いてから)朝刊を取りにいく。空は白み始めている。その時ふと夕べコンビニにいく時、現金があるかどうか調べる為に財布を出したことを思い出した。あの時、財布からお札を取り出して千円札の枚数を数えた。ひょっとしてカードがお札の間に挟まっていて落ちたなんてことは考えられないか?ひょっとして…ひょっとして…ひょっとして…俺はそう呟きながら表に出てみた。するとひょっとした!朝日が差す薄ぼんやりした白いタイルに裏が白いカードが落ちているのが飛び込んできた!その間の事情を誰かに話したくてたまらない!母に説明しても分からないだろうとは思いながら湯船に浸かる母に時系列に懸命に話していく。しばらくして、湯船の中に母のウンコが浮かんだ。
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2021・10・23

2021-10-24 05:30:27 | 日記
焼酎をボトル半分もあけてしまえば、さすがに二日酔いだ。早朝、母のシモの世話をする時も、屈んで母の体を洗う時も吐き気を堪える。母の世話をすることになっていなければ朝食なんかパスするところだけど、胸のムカつきを堪えて老老ブレックファースト(目玉焼きWITHトマトスライス、納豆、佃煮、豆腐の味噌汁)を用意する。でも、味噌汁を口をふくんだあたりで俺の朝食は終わる。勿論、食後は眠る。確か夕べは録画しておいたドラマを見ながら(つけながら)2時すぎまで飲んでいた筈だから3時間も眠ってない。こんな時に電話で起こされると気分がよくないこと夥しい。すぐ下の弟のTが3時頃母に会いに来るから部屋にいてくれと云う電話。勝手に会いにくればいいじゃないかと思う。でも、ウチのビルは防犯上一階で出向く先の部屋番号を押して相手が開錠しないとエレベーターが動かない仕組みになっているのだが、耳の遠い母にはTの押すブザーが聞こえないもんだから俺が間に入らないと母の部屋に行けないのだ。二カ月ぶりか?新宿のマンションにいるんだったらもっと頻繁に顔をだせよ。母は来年の1月に99歳だし、そんなに何度も顔を見ることが出来ないかも知れないんだぞと内心の声でいいながら、まだ眠たくてだるいのを我慢して3時に母の部屋にTを案内する。Tは母の為に寿司を買ってきたと云う。俺の分もあるから一緒に食おうと云う。でも、生憎と俺の肉体的事情が許さないし、まだ夕飯には早いから後でいただくと云ったら、Tは途端機嫌が悪くなる。おまけに普段から口籠もって早口で喋るので聞き取りづらいのにマスクをしているので殆どTの言葉は聞き取れない。更に母の耳に聞こえる為には大声で話さなくてはいけないため、Tとの会話は喧嘩みたいになる。30分もいなかった気がする。Tは喧嘩する為に来たんじゃないと言い捨てて自分の寿司を持って帰ってしまう。幼児の時はあんなに仲のいい兄弟だったのに、お互い高齢者となったこれからは、あまり中のいい兄弟ではない。5時過ぎに元法律事務所勤務のNさんが来店。世の中は来週から時短が解けるみたいだが、普通営業になってもお客さんはNさんと後数人しか期待できない。
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2021・10・22

2021-10-23 09:12:01 | 日記
今日一日俺はなにをしていたんだろ?もう「老い先」は短いというのに、だからやらなくてはいけないことが山ほどあるのに、なにをしたか覚えてないということは何もしなかったということだ。小説の前編のラストを祖母の死で終わることに決めて、終の住処となった矢口渡の辺りをシナハンしようと思っていたのに雨と寒さに負けてしまった。母の入浴と食事以外は部屋から一歩も出ないでいた。だからと言ってパソコンに向っていた訳ではない。ただダラダラとNETFLIXやプライムビデオで「ダンス ウィズ ミー」(脚本監督・矢口史靖)や妹が出演しているラトビア映画「ふたりの旅路」(マルティン・ソーンズ監督)、「沈黙」→「アイリッシュマン」とスコセッシ監督特集を見続け、老老ディナー(寒いので豚鍋)の後は後でリアルタイムで「最愛」(脚本・奥寺佐渡子)、続けて「和田家の男たち」(脚本・大石静)、裏番組で録画してあった「スナック キズツキ」(脚本・佐藤久美子)を見続ける。さすがに疲れる。途中、来年からのテアトロジャージャン再演シリーズの為に新しく公演契約書を作るが、印刷する段になって、キィの誤作動で原稿が紛失してしまう。映画とドラマの見すぎで目が疲れているのだ、なんて言い訳をしながら保存食として自分の部屋に確保してある鮭缶をあてに麦焼酎をボトル半分あけてしまう。さすがに飲み過ぎだ。
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2021・10・21

2021-10-22 05:33:16 | 日記
老老ブレックファースト(ブリの大根おろし煮、きゅうりともずくの和え物、じゃがいもの味噌汁)の後、9時半に隣の広尾病院へ皮膚科の再診に行く。若い女医さんが俺の皮膚の回復ぶりを見て、自分の診断と処置に間違いがなかったと思ったのか、嬉しそうな表情になる。患部を女医さんの指先で撫ぜられた俺は別の意味で笑みを浮かべる。部屋に戻ってから母を散歩兼買物に連れ出す。スーパーのあるプラチナ通り入り口から北里通りに抜ける道をナザレ通りといって、昔この通りにキリスト教の施設があったんだと説明し、ポルトガルにもナザレと云う町があるんだと、恐らく聞いてないのを承知で観光ガイドする。俺はまだナザレには行ったことがない。多分行けるとしたら、母が死んだ後、時間的余裕が出来た時だと思うと色々な意味でやるせなくなって来る。七月に映画芸術に書いた「北園現代史」の中の俺の文章(コピー)を、十二月に新宿の映画館で上映する映画の予告編に使わせて貰ったと監督の中村眞大さんからメールがあり、見せて貰ったら元東大総長の上野千鶴子さんらと並んで紹介されていたので恐縮する。招待券を送ると言われたので、頼りない先輩は反対に前売り券を売るから十枚ほど送れと中村監督に返信する。因みに朝日新聞や他のメディアでも取り上げられたこのドキュメンタリー映画(北園現代史)は12月12日新宿のK'sシネマでたった一日、それもたった一回だけど上映されます。興味のある方は是非ごらんになって下さい。老老ディナーは買物の時に母からリクエストのあったお刺身。半額になっていたのでマグロの中トロまで添える。それなのに母は刺身のツマから食べる。その後お刺身。最後に白い御飯だけが残る。そして御飯をおかずなしで食べると、今度は味噌汁のアサリを一ツずつ食べていく。もう俺はそれについて何も云わない。ぺちゃぺちゃ食べようと、味噌汁を零そうと俺は無視する。それが母の人生だ。
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