五反田発リスボン行き急行列車

五反田駅からリスボン行き急行列車に乗ることを夢想する前期高齢者の徒然

2020・8・30

2020-08-31 11:31:11 | 日記
暑さと時差ぼけ?と芝居が終わった虚脱感で何もする気が起こらない。本当だったら芝居を見に来てくれた人を含めて色々な人に手紙を出したい処だけど、この日記を書くのが精一杯。この日記すら眠たくてもう終わりたくなって来る。待て、待て。老老ブレックファーストのメニューだけは書いておこう。えーと、朝は鮭を焼いて、厚揚げを添えて、モズクとかいわれとみょうがの酢の物、そして豆腐の味噌汁だった。老老ディナーはジャーマンポテトWITHソーセージ、冷やしトマト、アオトのお吸い物と云うメニュー。こうして思い出してみると、あまり食欲がないことが分かる。メニューがいい加減だ。今日から中断していた大河ドラマ「麒麟が来る」が再開した。中断するまで楽しみに見ていたので、三十分前から「ダウィーンが来た」を見つつ、8時を待っていたが、クレジットタイトルの段階でウツラウツラ。従ってドラマも飛び飛び。再放送でちゃんと見よう。

2020・8・29

2020-08-30 05:50:32 | 日記
この日記で母の認知症ぶりを書いているのは、24歳年下の俺も近いうちに同じような症状を呈するのではないかと云う恐れがあるからだ。いや、近いうちにではない。今現在もどんどん計算間違いや曜日などの認識が出来なくなっている。昨日の日記で「雀色時に炎立ち」の収支決算を書いたけど、実はその前提である足し算や引き算から間違っていて、経費は45万ではなく47万、収入は24万ではなく21万、従って赤字額は19万ではなく26万と云うことになる。こんなことだから普段の帳簿の付け方も多分計算間違いが一杯ある筈で、それを確かめたりするのが怖くて、帳簿にしばらく触れてない。誰かやってくれないかと思うが、こんなこと誰もやってくれない。さて、今日の老老ブレックファーストは?と書きだす時にメニューを思い出さないのではないかと恐れが先に立ち、出来たら他のエピソードを書きたいと思ってしまうけど、昨日今日とスーパーに買物にいかないので納豆がないことだけは覚えている。でも、他は?あ、アトレで買った鰊の甘辛煮、ポテトサラダ、それから?はもう分からない。老老ディナーは鶏のオリーブオイル焼と餃子、それに今朝の残りのポテトサラダとかぶの味噌汁。でも今日もまた夕飯の時間を知らせる為に電話したのだけど母は出てくれないので時間だけを知らせに部屋に行く。電話なんか鳴らなかったわよと云う母に、いいよ。一々こうして知らせに来るからと穏やかに答えて部屋を出る。でも、その時間(5時半)になっても母は現れない。6時近くになって漸く、エレベーターカードが見当たらないのでそっちに行けないと電話がある。そんなことを言われたらとにかく部屋に行くしかない。エレベーターに乗ることは出来ないのだからカードはこの部屋にあるしかないと探し出して一分後、ベッドの傍に落ちているカードを発見。母は喜んでくれたが、俺はどうにもやるせない思いに駆られる。今から食べにこられても終わるのが7時近くになってしまうと思って、すっかり冷めてしまった若鶏のオリーブオイル焼と餃子と味噌汁をトレイに乗せて運んできて、オヤスミというだけ。やるせなくて怒ることもできないし優しくすることも出来ない。

2020・8・28

2020-08-29 05:03:36 | 日記
母に電話してもなかなか出てくれない。仕方無く母の部屋に出向く。すると決まって「電話鳴らなかったわよ」と言い訳される。そんな訳ないだろ?ホラ?と母の前で電話を鳴らしてみる。かなりの音で「電話です、電話です」と呼んでいる。この音が聞こえないのか?とつい言葉が荒くなる。今は聞こえているけど、と言い訳するかと思いきや「全然聞こえてないわよ」と言い張る母。だったらまた補聴器が壊れているんですかね?また、と云うには訳がある。今までも二度補聴器が聞こえないと云うもんだから購入した店に行ったら、電池を反対方向にいれたままだったり、取り替えてなかったことが分かったりしたのだ。修理して貰いに行く前に俺が一度見た方がいいんじゃないですかね?と補聴器のチェックを申し入れたら、「大丈夫。ちゃんとやってるから」と俺の申し出を断る。もう、勝手にしろと言いたくなる。電話して出てくれない時は俺が部屋までくればいいんだね?と皮肉まじりにいうと、「すまないわね」と言われてしまって二の句がつげなくなる。よくわからない。そんなに補聴器のチェックをされることが嫌なのか?昨日なんか、母の部屋で汚れたオムツを探そうとする前に「これ、お願いね」と大便がついたオムツを渡されたけど、汚れたオムツは見られても大丈夫で、補聴器のチェックが嫌な理由が分からない。そんな母との老老ブレックファーストは、自家製サンドイッチ(野菜、チーズ、コンビーフ)と野菜スープ(じゃがいもと人参と十種類の豆)、トマトジュース。食後、雑用を済ませてから40分近く歩いて西五反田にある品川区の出張所に健康保険高齢受給者証を受け取りにいく。住所がまだ五反田にある為、書留扱いの郵便物は転送されないのだ。色々問題あるし、住所をそろそろ移したいのだけど、マンションの立て替え委員会をやっていると、そうもいかない。それにしてもこの炎天下、40分歩くのは死のロードだ。帰りは目黒駅まで歩くのがやっと。駅前の銀行で今度の芝居に携わってくれた俳優とスタッフにギャラを振込。アトレ地下でいつもの様に魚と肉を仕入れて、後は夢遊病者の様にバスに乗り込み、部屋に帰るとシャワーを浴びて、ベッドにひっくり返る。真夏、一昨日にも鎌倉から小坪にかけて一万歩以上歩いたけど、真夏にこんな行軍はやってはいけない。一休みした後、ギャラを振り込んだことをみんなに知らせる手紙を書いて、投函。これで芝居に関する事務的なことは終了したことになるが、チケット収入が約24万、ギャラを含めて経費が約45万。差し引き21万の赤字。最初から覚悟していたこととはいえ、ちょっと辛い。でも、俺はまだお金が続く限り芝居をやろうと思う。いや、俺は芝居がやりたいのだ。

2020・8・27

2020-08-28 05:19:50 | 日記
ここ数日の「忘却力」の凄さは、加齢によるものか?それとも日曜日に一年がかりの作品が終わってしまったことによる脱力感によるものなのか?或いはその二つが合わさったものなのか?なんて言い訳めいたことを書いてしまったのは、前日の(この日記を書いている段階で)老老ブレックファーストのメニューが思い出せないからだ。ついでにいうと老老ディナーのメニューも思い出さない。少し努力すれば思い出しそうなものだが、その努力をしない。どうでもいいのだ。他にも色々やらなくてはいけないことが溜まっている。芝居の収支決算も終わってないし、家賃支援給付金の申請もしなくちゃいけない。五反田の住所に届けられて返送された健康保険書を区役所に取りにもいかなくてはならない。いやいや、そんなことより11月に蜂谷真未さんとやることにした「改訂版・櫻と桃の物語」の台本改訂とキャストも早く取りかからなくてはならない。四百字詰め300枚を書いたままになっている小説をこれからどう展開させるかも決めなくてはならない。その為にも読まなくてはいけない本が一杯ある。取材にいかなくはいけない処が一杯ある。そんなときに朝御飯や夕御飯のメニューなんか思い出している時間なんかあるものかと啖呵を切った処で、老老ディナーは五目炒飯と冷やしトマトと中華スープだったことを思い出す。そのついでに老老ブレックファーストはレタス入りスクランブルエッグ、大根の皮と人参のキンピラ、ちりめんじゃこwith大根おろし、ミニトマトとかぶの葉とカマンベールチーズの納豆サラダ、しじみの味噌汁だったことも思い出す。日記を書くのは翌日だから前日の食事メニューを思い出す作業は、認知症予防に効果あるかもしれない。テレビは朝の羽鳥モーニングショーしか見なかった。きっと「雀色時に炎立ち」と云う、祖母と母をモデルにした思いが強い作品を書いて、演出したことでテレビドラマは勿論、他人の作る映画や芝居も見たいとは思わなくなってしまっているのだろう。これもまたあの作品の後遺症か?

2020・8・26

2020-08-27 12:32:58 | 日記
毎日7時睡眠2時(或いは3時)起床だったのが、芝居公演中はソワレもあって残ったお客さんと懇談したりして睡眠が12時起床が6時になっただけなのに、完全な時差ぼけになった。それなのに公演が終わって再び睡眠7時起床2時の生活に戻ろうとしてもこれまた時差ぼけにしまって、この処一日中眠たくてたまらない。そんな中でやる芝居の経理業務はなかなか捗らない。何とか出演者とスタッフにギャラの支払に関する手紙を書いただけ。2時半に照明のYさんが器具の回収に来る。ホンの僅かのギャラで、炎天下こんなことまでさせて申し訳ない気持ちで一杯。老老ディナーにすったニンニクを一杯絡めた鶏のから揚げを作る。朝からニンニクの粒を二粒食べているのに、まだニンニクを欲するのはやはり疲れているのか?他にじゃがいもとししとうのフライ。食後、買物に出る。昨日は鎌倉を歩いて歩数計は15000歩以上を示していたが、今日はまだ千歩もいかない。歩かなくちゃと思うものも、鎌倉の後遺症もあって夕方にならないと出る気にならない。殆ど居眠りしながら何とか買った食品を冷蔵庫にしまうと、即GO TO BED。枕元には小説を書く時の参考にする為に買い求めた「戦中派不戦日記」(山田風太郎)、「終戦日記を読む)(野坂昭如)、「楡家の人びと」(北杜夫)、「戦中・戦後の暮らしの記録」(暮らしの手帖編集部)、そして父の著書「2001年・日本の軍事力」などが山積みになっているが、重たくて手にとれない。

2020・8・25

2020-08-26 04:23:41 | 日記
昨日一昨日とこの日記で「雀色時に炎立ち」が上演されるまでの経緯を書いてきた。と云うより三月に上演することになっていたのに新型コロナ禍で延期に至った顛末だ。四月九日には緊急事態宣言が出たこともあってその時点で八月に上演する目処なんか立ってなかった。再び上演できそうだと思うようになったのは、緊急事態宣言が解除された五月末になってからだ。では、二月の末に上演を延期することを決めてから俺は何をしていたかと云うと、この芝居の「原作」ともいうべき小説を書いていた。三カ月余り、遅々たる歩みだったけど、主人公の人生を活字の上でも思い描くことが出来たので、俺は俺なりに満足していた。六月の末に吉祥寺で服部さんと会う機会をもって、この分なら八月中旬の上演なら可能ではないかと合意。どうせなら色々問題のあった今までの台本を捨てて、新たに書き始めることにした。十日後にその台本が出来上がり、7日3日からリハを開始。そして一カ月半後に上演の運びとなるのだが、服部さんから三味線の「忍び駒」の話を聞いてからリハを始めるまでにちょうど一年だ。こんなことは今までなかったことだ。でも、その結果として自分でも満足できる作品を作ることが出来て、この一年に感謝したい気持ちで一杯だ。本当に色々なことがあった一年だった。もっともっと書きたいことはあるけど、もうこの位にしよう。そう、私はもう次に向かって歩きだしている。今日は火曜日で一番末の弟が来ることになっていて母の世話は老老ブレックファースト(ちりめんじゃこ御飯、昨日のすき焼きの残り、納豆、しじみの味噌汁、ナスの漬け物)まででフリーになるのに気付いて、夕方までの時間、これから書く「原作」の戦後編や、次回上演を予定している「改訂版・櫻と桃の物語」の舞台でもある鎌倉から小坪の街を歩いてみることにした。

2020・8・24

2020-08-25 03:33:05 | 日記
この日記の一月分を見返してみると、台本の執筆にかかったものの、悪戦苦闘している様子が窺える。それと同時に新型コロナウィルスは徐々に日本にも魔の手を延ばしていて、中旬には屋形船での感染者が何人も出たと云う報道がある。それでもまだ他人事みたいに思っていたフシがあるが、一月下旬になると市内感染が徐々に出始めていた訳で、二月初めに何とか第一稿を完成し、六日からのリハを始めていたのが、今思うと能天気だった。陽性患者は徐々に増えていき、中旬には都内全域に広がっていた、とても芝居の公演どころじゃなかったのだ。それなのに私たちは一人でもお客さんがいれば公演をやろうと意志を確認してリハを続けていたし、200数十枚の案内葉書に添え書きをして、投函寸前だったのだが、それを投函しなかったのは、このまま市内感染が広がっていくと予定通り公演が出来ないのではないかと云う予感があったからだ。それは服部さんたちも同じだったようで、いつもなら積極的に見に来て下さいと誘える常連のお客さんにも声を掛けづらいし、いつ自分らが感染しないとも限らないので、プロデューサーのChさんも含めて話した結果、リハはこのまま続けていくが、公演は延期することになった。感染の勢いは下火になるどころかますます脅威を増して、リハまで中止せざるをえなくなったのは、3月31日にコメディアンの志村けんさんが死亡し、この新型コロナの恐怖を思い知ることになったからだ。一月二月の公演延期じゃない。いつになったら公演する目処が立つのか全く分からず、このままではこの「雀色時に炎立ち」という芝居は「延期」ではなく「中止」に追い込まれてしまうのではないと恐れをいただいたのもこの頃だ。今までそんなことはなかった。前作の「おんな」でも公演一月前に主役の女優さんに降板されて、普通なら途方に暮れるところだったが、翌日には台本を書き換えて新たなキャストを加えて、予定通り公演することが出来た。というか、この数年、三四カ月に一度は芝居を公演してきて常に公演日が頭から離れない生活をしてきたものだから、あの時のように公演日が白紙になって、「明日」が分からなくなるなんて、どこに怒りをぶつけたらいいか、誰に愚痴をこぼしていいのか、闇の中でただ佇んでいるしかない日々が待っていた。(続く)

2020・8・23

2020-08-24 14:27:58 | 日記
終わりました。遂に終わりました。テアトロジャージャン第18回公演「雀色時に炎立ち」の幕が何とか開いて何とか下りました。毎回芝居の公演をする度に同じような書きだしで終わったことの報告と感想と安堵の念を記してきたけど、今度の公演ほど終えることが出来た喜びが大きかったものはない。この芝居の最初のとっかかりは、去年の七月に公演した「待ってる」という芝居を見に来てくれた服部妙子さんと終演後にお酒を飲みながら歓談していて、三味線の世界には舟遊びなどの閉じられた空間で女性が自分の気持ちを相手の男に伝える為の「忍び駒」と云う爪弾き方があると教えて貰った時だった。しのびごま…何と優雅でロマンチックな言葉だろうとそれだけでそんな題名の芝居を書きたいと思っていた。勿論、演じるのは服部妙子さんで、彼女が三味線を奏でながら相手の男にそれまでの自分の人生を話していく一人芝居だ。モデルは私の祖母だ。祖母は声楽家を目指していたことがあり、娘(私の母)を出産してからも声楽家としての夢を忘れずにいたと聞いていたので、三味線奏者の主人公と重ね合わせるのは好都合だった。その企画を話した当初、服部さんは話の内容には興味を持ってくれたし、一人芝居には興味があるものの、一時間を一人で演じきるのに自信がないというのだ。そこで二人でいくつかの一人芝居をみたり、三味線の独演会や常磐津の演奏会などに出かけたり、祖母の生活風景を目で見て貰うために井の頭線の池ノ上の祖母の家があった辺りを案内したりして、その都度服部さんと話す機会を設けていたが、なかなかいい返事は貰えなかった。そんなことをしている間に秋になって、私はテアトロジャージャン第17回公演「おんな」の台本執筆、演出、出演者をめぐるトラブルで慌ただしい日々を過ごすことになり、服部さんとの芝居の構想は一休みしていたのだが、話は想像もしないところで動きだす。服部さんが「おんな」を見に来た日に、ちょうど桑原なおさんが居合わせて、終演後に二人を相手に話している時に、桑原なおさんが日本舞踊の名取りだったことを思い出し、三味線と日本舞踊の組み合わせで、ひとり芝居の要素を強く持ちつつも母と娘の桎梏みたいなものを描く二人芝居にしたらどうだろうかと服部さんを説得することにした。だったら、と服部さんは承諾してくれた。勿論、桑原さんは大乗り気だ。普通ならそこで台本執筆にとりかかるところだが、今回は慎重に進めるべく、まずはシノプシスを執筆することからこの物語に取り組むことになった。それが去年の12月だ。シノプシスは年内に書き上げたと思う。チラシを作成するために二人の撮影もして、公演日を三月下旬として、タイトルも「雀色時に炎立ち」と云うメインタイトルに「小野田家の人々Ⅰ」とサブタイトルも決めてチラシの発注もしたのもこの時期だ。二月の上旬からリハを始めることにして、その時を締め切りとして、私は正月から台本の執筆を始めていた。でも、ちょうどそのころ中国武漢で発生した新型コロナウィルスが猛威をふるいだしていた(続く)

2020・8・22

2020-08-23 10:51:23 | 日記
黒酢ニンニクを一日2粒は食べる。他にもニンニクの糖衣錠を薬と一緒にのんだりする。時間が出来たらベッドに寝っころがる。ベッドがなかったら椅子に座って壁に後頭部を押しつけて仮眠する。水も飲む。二リットルは無理だけど、一リットル半は飲んでいる気がする。それなのに疲れている。睡眠時間が狂って時差ぼけみたいになっているのがいけないのか、食事が朝食以外はちゃんととれないのがいけないのか、何もやってないから肉体的には疲れていないのに、さすがに公演が終わりに近づくと精神的に疲れてくるのか?それともお酒が抜けない日があるのがいけないのか?今日もだけど芝居を見に来てくれた映画プロデューサーのKさんと10時過ぎまで飲んでしまった。でも、それはそれで嬉しい。芝居が終わった後、お客さんが残ってくれて、ちょっこでもいい、芝居について話してくれると台本を書いて演出をして公演に漕ぎつけた喜びを実感できる。後一日、後一公演だ。何だか風呂嫌いの俺が温泉でのんびりしたいと思うようになってきた。でも、近郊の温泉に出かけるのもいろいろなことでNG。仕方無いから明日が終わったらビール缶を持って朝風呂にでも入るか

2020・8・21

2020-08-22 10:03:31 | 日記
朝の六時から始まる母の世話を、芝居公演中は何とか9時には終えたい。俺的にはお昼までの間にキッチンの後片付けをして、母のオムツの世話をして、ゴミを収集して、自分の洗濯をして、時間があればこの日記を書いた後、買物に出かけて夕方食べるものの下ごしらえをしたりして結構忙しいのだ。だから八時に食べにきてくれないとついイライラしてしまう。今日も老老ブレックファースト(鮭の酢飯混ぜ合わせ、ホタルイカの沖漬け、ミニトマトとアボカドとカマンベールチーズの納豆サラダ、かぶの漬け物、大根と人参とゴボウとこんにゃくの味噌汁)に十五分遅れてやってきた。毎日毎日よくも遅刻ばかりしているもんだと、脚本家時代原稿の締め切りを全く守らなかった癖に、母を目つきと口調で責める。こんなことをこの日記で毎日のように書いているもんだから、今日芝居を見に来てくれた女性脚本家のTさんに、親子してよくも懲りずにやるもんだと笑われた。他に今日芝居を見に来てくれた人は、同じく女性脚本家のOさん、Hさん、Aさん、声優のKさん、S大学経済学部長のS教授、従兄弟のIさんたち。5時過ぎ解散。母との老老ディナーは忙しくて時間がなかったので、今朝の残りのホタルイカと漬け物のワンプレート、モヤシのカレー風味炒め、同じく残りの味噌汁、そして特製卵かけごはん。食後仮眠して、10時直前に目覚ましで起きてお目当てのドラマを見るが、今はとてもテレビドラマを堪能する気持ちの余裕はない。後二日、三公演を残すのみ。なんとかあの悪魔の被害を受けずに済むか★テアトロジャージャン第十八回公演「雀色時に炎立ち」(作演出・桃井章、出演・服部妙子、桑原なお)。日程は8月17日(月)~8月23日(日)まで。マチネ(14時開演)は初日を除く全日。ソワレ(19時半開演)は初日(17日)、18日、20日、22日の四日間。料金は3500円。但し濃厚接触を避ける為、通常定員40名の処を20名に致しますのでご予約はお早めに。ご予約お問い合わせは090ー9964ー2231(予約専用)まで