五反田発リスボン行き急行列車

五反田駅からリスボン行き急行列車に乗ることを夢想する前期高齢者の徒然

2020・4・29

2020-04-30 14:01:21 | 日記
耳が痒い。右耳だ。一日十数回は耳掻きを突っ込んでかなり荒々しく「治療」する。これが耳を「悪化」させることも分かっている。でも、この痒みだけはどうにも我慢ならない。耳掻きを突っ込ませてくれるなら後はどうなってもいいという覚悟だけはしている。この病気は机に座っている時だけ発症する。歩いている時やシャワーやトイレを使っている時は発生しないし、椅子に座っているけど御飯を食べている時は痒くも何ともない。だから今日、あまりの耳の痒さに飛び起きた時はびっくりした。トイレに飛び込むが如く机の上にある耳掻きを手にとると、しばしうっとりと耳の中をかき回す。時計を見るとまだ11時半。いつも起きる時間より三時間近くも早い。でも、今日は午後から編集者のYさんがきて、これまで出来た処を読んで貰うことになっているから、ちょうどいい。シャワーを浴びた後、気になっている部分を書き直す。その間にも耳掻きも持つ右手は動き続ける。時々耳掻きの代わりにボールペンを握って原稿に手を入れる。その後直した部分をパソコンに落としたりするが、それが終わると再び右手は耳掻きをとり、再度耳の中に。もうこの病気が起きてどのくらい経つだろう?確か恵比寿に引っ越して来る時に、もう二度と耳は掻くまいと五反田で使っていた耳掻きを捨ててきた覚えがあるから、それ以前にも(ということは六年前?)この病気にかかっていたことがわかるし、それ以後、いつ?どこで?もう一度耳掻きを買い求めてしまったか分からないけど、とにかく今日まで続いているのだから通算するとかなり長い間この病気を患っている。どうでもいいことを書いている。どうでもよくないことは、午後Yさんにこれまで書いた120枚弱の原稿を読んで貰った時に、この小説はどんなひとに向けて書かかれているか議論になったことだ。限りなくエンタテイメントを目指すか?あくまで私家版をめざすか?ウーン、これもどうでもいいことか?とにかく何百枚になるかわからないけど、書き上げることです。因みに今日の老老ブレックファーストは月見うどん、アボカドとミニトマトの納豆サラダ、コンビーフWITHレタス。老老ディナーは挽き肉とモヤシとニラのごま油炒め、キムチWITH卵の黄身、若布のスープ、きゅうりの漬け物。食後、夕べの11時から起きている身としては睡魔ににベッドに押し倒されて。
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2020・4・28

2020-04-29 05:03:32 | 日記
最近母の食事量が多い。何かに急かされているように箸を休めることになく食べ続ける。御飯も最初からお代わりしないで済む量をよそっているのに絶対お代わりするので見ているとどうやら御飯もおかずも飲み込んでいる。その飲み込む度にペチャペチャと音を立てる。そういえば少し前まではそんな音は気にならなかったのに、最近音が気に鳴り出しだのは食事を飲み込むからではないかと推察して、数日前から母に一度箸を箸置きにおけと注意することにした。箸を置かないと、本当に箸を休めることなく食べ続けるので、それが音を立てる原因になっているし、食事量も増えるのだ。でも、こっちが子どもの時との逆転現象だ。いつも子どもの頃くちゃくちゃ食べるなと注意されていたことを思うとおかしいやら哀しいやら。夕方、テレビニュースを見ていたら、自粛要請を受けてSTAYHOMEになってからスーパーで餃子の皮が二倍、挽き肉とニラの売り上げが通常の二割から三割増しだとやっていたもんだから思わず笑ってしまう。というのもちょうどウチも自家製の餃子を作って母と食べていた最中だからだ。世間とは別な理由だと思うけど、この間からやたらと自分で作った餃子が食べたくなるのは何故か?それにしても大型の餃子を十三個(母は七個)食べると、それだけで結構お腹が一杯になった。そして当然餃子にはビール。当然その後は睡魔に襲われて、何と今日は七時前にベッドイン。いくらなんでもそれはちょっと早すぎる。
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2020・4・27

2020-04-28 13:38:05 | 日記
朝2時に起きて夜7時に寝てしまう習慣をつけたらもう誰とも会えなくなってしまう、なんてことはなくて、その間は起きているんだから、コソコソ闇の中で会わずとも太陽の下で堂々と会えばいい。そうだよ。これからはゴゴノミ(午後飲み)だ。店が営業出来る様になったらゴゴノミの店にしてしまうのもいい。真剣に考えてみようか?でも、一体誰が来るんだ?老老ブレックファースト(自家製チーズサンド、同じく卵サンド、同じくジャガイモと人参とオクラとキャベツとソーセージのスープ)の後、とりあえず広尾駅までブラブラお散歩。今月は売り上げゼロだったけど、家賃、三月分の酒屋料金など今月末締めの支払を合わせて40万ほど振込。完全な赤字、なので俺の個人口座から補填。それでもメゲず、母に頼まれたオカシ類を2000円分買い込んで散歩再開。今日は聖心女子大から明治通りを渡って、イタリアン通り(勝手に命名)を昇り降りて外苑西通りへ。スーパーでオリーブの瓶詰めを買う。帰宅してから朝の間に書きためていた主人公が長崎の町で父親が残した非嫡出子と出会って歩きながら話すシーンをパソコンに移そうとするが、やっぱり長崎の町を知らないて書くのはハンデ過ぎる。夕方、一晩酢漬けにした鰯にトマトとオリーブとタマネギと生ニンニクのみじん切りに合わせてオリーブオイルと塩で味付けした一品を老老ディナー用に作る。というかここまでイタリアンぽい料理を作ってしまったらワインを飲むしかない。今日もまたひとりドリンク。お供は他にレバーの赤ワイン煮とジャーマンポテト(あ、これはドイツだ)食後はメールに返信するのが精一杯。7時半からベッドに入って「ファミリーヒストリー・神田伯山」を見ていたが、半分も見ない内に沈没。もう就寝時間を過ぎている。
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2020・4・26

2020-04-27 04:40:46 | 日記
ちょうど2時に目覚ましなしで今日も起きる。まっすぐバスルームに行きシャワーを浴びる。すっかり目が覚めた処でインスタントだけど珈琲を飲む。パソコンを開けて昨日書いた処に朱を入れる。その作業をやっている間に創作意欲も満ちてきて、昨日の続きを最後の頁の余白にボールペンで書き連ねていく。一枡に何字入るのだろう?余白にもどんどん書き足していく内に原稿用紙は細かい字で埋めつくされて真っ黒になる。多分二時間程。自分ながら凄い集中力だと思う。ふと窓の外を見る。その頃ちょうど空は白みかけ、東京の町に朝が訪れている。そこで作家生活は一旦休止。今度は母との生活になる。朝、風呂に入って貰った後は老老ブレックファーストだ。今日のメニューは鯵の干物WITHししとう、かぶときゅうりの漬け物、塩辛の残り、油揚げとネギの味噌汁。今日は久しぶりに納豆サラダはなし。そして後片付けをしてから再び作家生活に戻る。真っ黒になった原稿用紙をパソコンに打ち込んでいく。余りにも細かい字なので自分でも意味不明な部分もある。それに新たに書き足す部分も出てくる。それをただただ打ち込む。途中時間を忘れる。終わって時計を見ると、又しても二時間。四百字詰め原稿用紙七枚。遅々たる歩みだけど是としよう。散歩に出る。今日も広尾商店街から仏大使館を通って明治通り、そこから五の橋まで。いきつけのトンカツ屋Dがデリバリーだけの営業をしている。生前父が世話になった店主と話している内にこっちもロースカツ弁当と母の分として海老フライ弁当を老老ディナー様に買って帰ることになる。帰宅後、届いていた映画芸術の最新号を見て、プロデューサーの小林寿夫さんが亡くなっていたことを知る。いつ亡くなったか書いてない。享年65歳だったとか。仕事はしたことがない。飲み屋を始めてから時々顔を出してくれてお喋りをしていく陽気な奴だったから、俺はみんなが迷惑をかけられたというけど、そんなに悪い印象を持ってない。特別ここに記すことじゃないかも知れないけど、年下の知り合いが亡くなっていく昨今です。。
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2020・4・25

2020-04-26 05:20:13 | 日記
編集者のYさんから参考図書として送って貰った「かすていら」(さだまさし)と云う小説が意外と面白くて、あっと云う間に読んでしまう。本当は地名や長崎と云う町の雰囲気を知る為に読み始めたのに、こんなに早く読んでしまったら本末転倒?だ。それにしても最初から大変だろうとは思っていたが、四百字詰め原稿用紙百枚がこんなに大変だとは思わなかった。一枚一分と計算すると、芝居の台本だと百分、一時間40分か?ちょうどの長さだなと思ってしまうが、小説は自分で書いている内は時間制限、枚数制限がないから、今日ちょうど百枚を「書いた」と言っても「書き上げた」訳ではない。と云うかまだ物語は始まったばかりだ。このままだと三百枚から四百枚は行ってしまう。コロナウィルスの終焉が先か?俺がこの小説を書き上げるのが先か?いやいや、この場合はコロナの終焉に軍配をあげたい。俺の原稿完成をずっと後ろに引き離して早くゴールに飛び込んでくれ。夕べ作ってからたった一日しか経ってない塩辛を母にお味見して貰ったらOKサインが出たので今日の老老ブレックファーストには正式におかずの一品として出してみると、母は美味しい美味しいと小鉢をお代わりしてくれる。当然作った息子は鼻高々だ。でも、我が家特製塩辛は塩を殆ど効かせてないので早く食べなくてはならないけど、久しぶりに塩辛を食べることが出来て塩分控えめの生活を送る俺は大満足。他に焼いた厚揚げ(WITHミョウガ、生姜、シソのみじん切り、かつおぶし)、いつものミニトマトとかぶの千切りの納豆サラダ、かぶと人参の漬け物、かぶの葉っぱと三つ葉の味噌汁。老老ディナーは八宝菜を作る。片栗粉とオイスターソースが不足していたので自分的にはでき損ないの八宝菜になってしまったが、辛味を効かせたこともあって、麦焼酎のロックに合う。そう、今日もまた五時から酒盛りだ。本当は誰かと飲みたいのだが、お店は休業中だし、濃厚接触してはいけないので一人で飲む。肴は他にミニトマトを豚肉のロースで巻いて串を刺したまま焼いたもの、鰊の甘辛煮の残り、ナスの漬け物。七時まで二時間も飲み続けてしまうと、さすがに酔いが廻ってキッチンの後片付けは明日廻しにして五階へ上がってしまう。その後二時まで眠り続ける。途中、元の店のマドンナだったTちゃんから電話があったみたいだけど、受け付け不能。
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2020・4・24

2020-04-25 09:46:59 | 日記
夕方近くのワイドショーを見ていたら、突然それまでのトークが打ち切られて、「今、岡江久美子さんのお骨がご自宅にお戻りになりました」と云うアナウンサーの声と共に彼女が家族と暮らした自宅が映し出され、お骨を抱えた恐らく葬儀社の方と思われる人が門の中に入っていく。聞く処によると、遺族は濃厚接触者の為に火葬にも立ちあえなかったらしい。すぐにご主人の大和田漠さんが出て来ると思っていたが、濃厚接触を避ける為か、お骨を玄関前のテーブルに置いたまま葬儀社と思われる人は立ち去る。漠さんが出て来たのはそれから何分か経ってからだ。その間、玄関前のテーブルにぽつんと置かれた岡江久美子さんのお骨。勿論それからすぐに漠さんに抱えられて、漠さんがカメラに挨拶した後、家の中に入って行ったが、漠さんが現れるまでにぽつんと置かれたままになっていたお骨の映像は今まで見たどんな映像よりも哀しみを突きつけた。映像の力は凄い。この後すぐ葬儀社の人が入って行ってから途中をカットして漠さんがお骨を抱える光景になった映像を見たけど、何のコメントもなくテーブルの上に置かれた遺骨を映し出した何分かに叶うものはない。岡江さん、ご冥福をお祈りします。漠さん、お力落としのないように。漠さんとは昔60本の連続ドラマをやって貰ったし、岡江さんとは別にウチの店にいらして、こう云う空間での芝居を一度企画してみたいと言ってくれたことがあった。そんなあなたにこんな陳腐な慰めの言葉しか掛けられないこんな日は飲まずにはいられない。母が今日もまた時間通りにこないのをいいことに、老老ディナーのおかず(今年初の冷や奴、にしんの甘辛煮、人参の漬け物、自家製塩辛、ソーセージとキャベツの炒めもの)をアテに、ビールから始まって白ワイン、ウィスキーと飲みだしてしまう。7時近くになって母も引き揚げたのに、一人ダラダラと8時過ぎまで飲み続けて。
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2020・4・23

2020-04-24 12:46:26 | 日記
コロナウィルス騒ぎが終了したら休む暇もなく次々と芝居をやりたいと云う構想がどんどん膨らんでいく。まず初っぱなは当然今公演延期になっている「小野田家の人々1 雀色時に炎立ち」で、その次にテアトロジャージャンの顧問格でもあるHさんの「話したい!」(仮題)、そして次には「小野田家の人々2 戦後篇」(仮題)をやるか、それともなかったら乃木坂時代に一度Oさんと云う女優とやったことのある一人芝居を別の女優さんでやると企画も頭の中には持ち上がっていて、「原作」を書く傍らそれらの企画について妄想を逞しくしている。今日も一人芝居をやりたいと云う女優さんがきて、Oさんの時に作った台本を読んで貰う。その時にこの芝居にはOさんの力で大勢の俳優さんたちが来てくれて、その中に岡江久美子さんがいたことを思い出す。終演後、岡江さんはこの芝居が気に入ってくれたみたいで、私にも是非こんな芝居を書いて下さいと言ってくれた記憶が鮮明に残っている。それは霊感というのか?後になってどうして岡江さんのことを思い出したのか説明できないのだが、去年の木内みどりさんの時にも経験したのだけど、自分には何処か死者に呼び寄せられるのか?それともなかったら呼び寄せるのか?とにかく死者と理由なく関わってしまうのだ。なにをくどくど書いているのかというと、この後夕食の支度に掛かろうとしてテレビを付けたら、岡江久美子さんがコロナによる肺炎で亡くなったとのニュースが飛び込んで来たのだ。ちょっと出来すぎている、と瞬間思った。もう十年以上も岡江さんのことを思い出したりすることがなったのに、一人芝居をやる企画を思い付いた連鎖で岡江さんを思い出してしまって、その直後に彼女の死を知るなんて、俺みたいな下手な脚本家しか思い付かないあざとさだ。自分の知り合いと云うか、少なくとも話したことのある人で、今回の騒ぎで亡くなったのは岡江さんが最初の人だ。これから何人も知り合いが犠牲者になるのだろうか?下手するとそういっている俺かも知れないが、母の世話もあるし、そこは何とか勘弁して貰いたい。そして今日も母には老老ディナーは5時半だよとわざわざ出向いて念を押しておいたのに、現れたのは5時45分。「私にも色々やることが多くて」と言い訳する母。イカにかいわれとシソとミョウガを加えたお刺身サラダは大丈夫だったけど、時間にあわせてよそってしまったアサリ御飯、豚肉とチンゲン菜の餡掛け、それに三つ葉としいたけの味噌汁はすっかり冷めてしまって、岡江さんの死で精神的に落ち込んでいた俺は母と口をきく気になれない。
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2020.4.22

2020-04-23 09:55:33 | 日記
老老ブレックファーストは常備のサバ缶とキャベツの千切りマヨネーズ和えのサンドイッチにチーズサンドイッチを薄切りパンだったけど、母は三枚見当、俺は五枚見当、それにじゃがいもとカボチャと人参とソーセージと五種類の豆の入った具だくさん自家製スープを食べたのだがらお腹は当分満足していると思ったら、やはりパンはダメ。三時を過ぎた辺りから猛烈にお腹が空いてくる。母にはその旨を伝え、絶対5時には店に来るように言っておいたのは、俺の胃袋のこともあるけど、それ以上に今日のメインメニューが焼いた鰯なので冷めてしまったら美味しさが半減するからだ。でも、鰯は焼いておく訳にはいかない。かと言って、母が来てから焼いたのでは時間がかかる。八時ちょうどに焼き上がるのを逆算してカセットフーのスイッチをいれる。鰯の焼き上がるまでに大根おろしを作る。その前に漬け物を出して代わりにかぶをつけ込む。味噌汁は煮干しと昆布を取り除いて今日の実は豆腐。副菜はさっき作ったばかりのレバーの赤ワイン煮レタス添え。鰯も焼けて、ちょうど食べごろ。ジャスト八時。よしっとばかりに炊きたての御飯を装い、豆腐の味噌汁も温めて、後は母が来ればよし……だったが、母は五分経っても十分経っても現れない。今日はあんなにキツく言っておいたのに。溜まらず電話する。今日は10回目で出る。なによ?とのんびりとした声。なによじゃないだろ?あんたの息子は今朝の八時から何も食べてないから腹ぺこなんだ!鰯だってもう焼けちゃっているんだ!そろそろ固くなっちゃうぞ!味噌汁と御飯だってもうよそっちゃってあるんだぞ!……などなど苛立ち声で捲くし立てた筈だ。でも、母は「あら五時半じゃなかったの?」と惚ける。もうっ それを云っちゃオシマイだよ、おっかさん。さすがに後ろめたいのか黙ったままの母と、空腹の為怒りが治まらない息子の無言劇20分。冷たくなった鰯はマズい。因みに昨日書いた吉田修一の小説「7月24日通り」に出て来るリスボンに似た町と云うは長崎県は長崎県でも長崎市ではない架空の町だった。でも、それがどうした?
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2020・4・21

2020-04-22 02:27:01 | 日記
目覚ましをかけてないのに、ちょうど午前二時に起きる。時計を見て一呼吸おいたか否か、何となくテレビを付けてみる。その途端、飛び込んで来る西洋人女性の顔。うん?この人、知ってる。名前は?分からない。何処で?分からない。でも、知ってる。何処かで見かけた。映画か?多分。そんなことをモノローグ。珍しい。西洋人の顔は一度や二度見かけた位じゃ絶対と言っていい程覚えないのに?どうして?なんて思っている内に、その女優さんの魅力に引っ張り込まれて、その映画を見てしまっていた。その内、その女優さんばかりじゃなく、まるで絵画的な映像に惹き付けられていく。CMになったのはどの位後だったか?慌てて夕刊を探し出して自分が何を見ているのか調べてみる。あ、「真珠の耳飾りの少女」?タイトルだけは知っている。公開当時見ようとチェックリストに入ってなかったけど、これはあの有名な画家の、いやモデルの女性の物語か?そういえばぼんやり覚えているあの有名な絵の女性に似ている。それでこの女優さんを見た時に何処かで会ったと思ってしまったのか?それに1時59分からオンエアと書いてある。と云うことは偶然映画の冒頭から見ていることになる。これは運命と定めるしかなく、最後まで見てしまう。エンドマークが出た後で、パソコンで検索する。有名な画家はヨハネス・フェルメールだと分かる。監督はピーター・ウェーバー、そして問題の女優はスカーレット・ヨハンソン?勿論、名前を知っても分からないので、彼女の名前を検索して出演した映画を調べてみたら、あった!2月に見た「ジョジョ・ラビット」に主人公の若い母親役で出演していた女優さんだった!そういうこと?「ジョジョ・ラビット」も面白い映画だったと思ったけど、あの女優さんは妙に印象的だった。それで俺は覚えていたのか?いや、ひょっとすると彼女の唇に引かれたのか?おれは女性の唇に圧倒的に魅力を覚えてしまう。キスすることが一番官能的だと思ってしまうから映画の中の彼女を見ていたかったのか?そんな朝の出来事。普通はそれから眠るのに俺はシャワーを浴びて「原作」に向かう。四時から六時までの二時間。空想の世界で登場人物が過去と現在の長崎の町を彷徨う。老老ブレックファーストは突然しっぽくうどん。それにソーセージと納豆サラダ。妙な取り合わせだ。食後、今日は目黒まで歩く。約三千歩。アトレで肉と魚を仕入れて帰宅。魚屋で自家製の塩辛を買いそうにになる。でも塩をあんなに使うんじゃ血圧高めの俺には毒薬みたいだし、腸を使った料理なんて痛風にもよくない。でも、どうしても塩辛が食べたい。自分で作るなら塩分控えめの塩辛を作れるのではないかとスルメイカ二尾購入。部屋に帰って一応刺身扱いでイカを一晩冷凍しておく。明日が楽しみ。午後は「長崎」(吉田修一)を読んで過ごす。その中にあった「7月24日通り」には長崎の町をリスボンに見立てて、通りの名前や建物の名前をリスボンと同じにして(例えば、丸山神社をジェロニモス修道院前にしたり,水辺の公園がコルメシオ広場だったり)空想している女性が主人公だったので、笑ってしまった。老老ディナーは特製カツ丼、かぶと人参の漬け物、若布とおくらの味噌汁。食後は7時前にベッドイン。「長崎」の続きを読みつつ眠ってしまったけど、夏になったらまだこの時間は明るいんじゃないか?まさかどんどん眠る時間が繰り上がっていくんじゃないかと不安。
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2020・4・20

2020-04-21 05:28:28 | 日記
母は昨日から明日行く予定になっていた美容院から、新型コロナウィルスで高齢者は感染しやすいので今回は控えた方がいい、しばらく様子を見ましょうと連絡があったことがよく分からないらしい。どうして美容師の先生も自分も元気なのに髪をセットして貰えないのか?母が何度も聞くもんだから、その度に世の中がパニックになっていることを説明する。窓から見える高級イタリアン「B」が店での飲食をやめてテイクアウトしているのもそうだし、ウチだって今月初めに公演予定だった芝居も中止になったし、バー営業だってSN君に休んで貰って休業しているじゃないか?週に一度来ていた一番下の弟も四月になって来てないじゃないかと説明しても、まだ訝しげな表情でいる。テレビのモーニングショーは俺と一緒に見ているのだ。新聞だって毎日切り抜きする程に読んでいる筈なのだ。それなのに母の頭の中にはコロナと云う文字はない。コロナって知ってる?と聞くと、知らないと答える母。人は老いる。脳の働きから普段の動作まで衰える。食事の時に口を開けて食べるとクチャクチャ聞こえて礼儀違反だよと毎回注意する。それでも、毎回クチャクチャやって俺に注意される母。オシメ替えた?と聞かれ、うるさいわね、替えたわよと答える母のお尻は濡れている。俺も近い内に必ずああなる。その時に誰か注意してくれる人がいるのが幸せか?いない方が幸せか?そんなことをツラツラ思いながらの母との生活。今日の老老ブレックファーストはシシャモのバター焼きWITHカイワレ、ミニトマトと三つ葉の納豆サラダ、人参とかぶの漬け物、きゃべつと油揚げの味噌汁。老老ディナーは餃子を作る。いつもは出来合いの、後は焼くだけと云うギョーザパックを買って来るのだけど、久しぶりにゼロから作ってみたくなったのだ。それは中にいれるキャベツを茹でないで生のまま細切れにして包むと云うレシピに興味を持ったからだ。韮も思い切り一杯いれる。すると今まで食べた内で最高に美味い餃子が出来て、それもお腹が一杯になる程食べたので、大大大満足!母も美味しい美味しいと餃子を七つも食べる。これはこれで、クチャクャチ言っても怒れない。付け合わせはもやしのカレー味炒め。味噌汁は餃子の残りの細切れキャベツと青ネギの小口きり。食後は散歩の途中で買い求めた「長崎」(吉田修一)を読む。「アナーキストの銀行家」もその前にこの日記で今度こそは読み通すと宣言した筈の「悪霊」もまだなのに、どうしてまた新刊を買ってしまったかというと、著者には悪いが、「長崎」というタイトルに尽きる。長崎に一度も行ったことのない自分が長崎を舞台にした「原作」を書いていく上に長崎弁とか長崎の町の風景、長崎人の人柄などを参考にしたいという疚しい根性。それなのに、元々は舞台が東京なんだし、それ程長崎を勉強しなくてもいいのではないかと退却気分。やってられないぜ。八時には確実に睡眠していた。
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