五反田発リスボン行き急行列車

五反田駅からリスボン行き急行列車に乗ることを夢想する前期高齢者の徒然

2024/6/4

2024-06-04 08:57:45 | 日記
皆様、こんにちは
このブログの記述にたまに登場する当ブログの主である章の息子Aです。
いつも当ブログを拝読いただき有り難うございます。
もう大分、ブログが更新されずに放置されており皆様にご心配お掛けしまして申し訳ございません。
当ブログ主は体調不良が続き現在入院生活中でございます。
現在回復に向かっておりますのでこのブログが再開できるまで今暫くお待ち下さい。
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2024・5・19

2024-05-22 17:16:48 | 日記
カレンダーを見てみれば、今日が日曜日だと分かるが、感覚的に日曜日だとは理解できない。辛うじて夜の八時前になって今日が「光る君へ」の放送日だと知る。続いて九時にはTBSで「アンチヒーロー」の放送がある。二つの作品共面白い。俺が現役の脚本家だったら決してかけない作品だ。それは一面幸せで一面悲しい心情に駈られる。
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2024・5・18

2024-05-19 15:42:42 | 日記
会う人ごとに「ふっくらしたわね」と言われる。確かにシャワーを浴びる前に体重計に乗ると80キロをオーバーするかしないかだ。去年の夏、病院を退院するときに60キロを切るか切らないか、なんてマジに病弱老人の人生をやりかけたもんだから太らないと不味いと思って、毎日ケーキなどを食べ続けた結果だ。でも訪問医にケーキは禁止されたので控えているけど、その分炭水化物の接種に勤めているということか。今日は朝御飯におにぎりを二つ、昼にうどん、夜はカレー。見事に炭水化物の過剰接種だ。そして夜はよく眠る。カレーライスをたべた後、座ったままお地蔵さん状態で今日は二時間。その後録画してあった「必殺からくり人」の「秘めごとは白い素肌にどうぞ」を見てベッドイン。
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2024・5・17

2024-05-18 14:54:29 | 日記
ハウス××を毎回断っては不都合なので、今日はシンク一杯に汚れた食器を放置してその処理を任せる。ちょうど一時間。皿荒いは終わったけど、ごみ捨てする時間がなくなったと帰ってしまった。帰ってくれることは嬉しいのだけど、いくらシンク一杯に放置された汚れた食器を洗うのに一時間もかかるものなのか?キッチンが片づいたのでうどんを作って食べる。不味い。NETFRIXでどうでもいいテレビを見る。六回連続のサスペンスドラマだったみたいで、とうでもいいと思っている癖に後を引く。結局六回分を全部見てしまった。表は真っ暗。豚肉の細切れともやしの炒め物。それにご飯。淋しくて哀しい食事だ。精神的にどこか病んでる。
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2024・5・16

2024-05-17 10:32:36 | 日記
昨日の日記の最後に書いた映画芸術編集長で脚本家のAのトラブルを今朝の朝日新聞『承諾なく脚本を改変』訴訟に」と云う大きな見出しで答えてくれた。問題になっているのはAこと荒井晴彦氏が弟子の五藤さやか氏と書いた「天上の花」と云う脚本 だ。見出しから推測する処によると「承諾なく改変」したのは監督かプロデューサーかと思いきや、訴えているのは五藤さやか氏で訴えられているのは彼女を共作者に起用した荒井晴彦氏と云うのだからよく分からない。五藤氏は第十稿まで書いたのに、その後荒井氏に改変されて自分が書きたかったテーマなどがなくなってしまったとのこと。ウーン、五藤氏の悔しさは分からないでもないけど、荒井氏だって師匠のTさんとの共作で一行一句直された経験があるし、共作者として名前を出す以上、直す権利があるのではと思ってしまう元脚本家だ。それにしても温情で脚本修習生を共作者に起用したのに、その人間から訴えられるなんて、荒井晴彦氏は希有な脚本家だ。足の浮腫みはまだひかない。今日は朝早くから訪れた訪問医師に塩分の取りすぎだと指摘される。でも醤油、塩、マヨネーズ、味噌など塩分50%にしている俺としては納得できない。問題は他にあるのではないか?今夜はカフカや映画芸術に夜伽を命じることなく12時半に眠る。
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2024・5・15

2024-05-16 19:07:19 | 日記
数日前からズボンを脱ぐ時に左足は問題がないのに右足を脱ぐのにやたらと時間と手間がかかるようになった。最後はベッドに座り手で足からズボンを少しずつ引きずり下ろすことになる。なぜこんなに時間と手間がかかるのか?深夜の一瞬だけだから気にしないでいたが、今日来た訪問看護師のTさんに右足が異常に浮腫んでいることを指摘された。言われてみれば確かに左足の1倍半の太さだ。ちょうど点けておいた大相撲中継の相撲取りくらいの太さがある。尿の頻度を聞かれる。一日二度か三度と答える。少ないと言われる。多分片方の腎臓を摘出してのでもう一つの腎臓がうまく機能していないのではないか。明日訪問医の先生に来て貰うことにしますとTさんは24歳の可愛い顔を捨て医療関係者としての険しい顔を俺に向ける。そんな日の朝食は、美人脚本家Nさんが送ってくれた最後の鮭を焼いて食べる。この鮭、今まで食べた中で最高に美味い鮭だった。Nさんは全部食べてなくなったら又送るから連絡してと云うけれど、朝ドラ執筆中のNさんに鮭全部食べちゃったですけどと電話やメールするわけにはいかない。時々Nさんもこのブログを見るというからそんな時間があることを祈るのみ。他にカイワレ大根、梅干し、納豆、若布の味噌汁。夜は久しぶりに蕎麦。昆布でしっかり出汁を取り、ネギを刻み、天カスを散りばめ、七味をかけただけの簡素な一品。美味なり。でも、その蕎麦が美味すぎたことに原因があるのか、食べ終わってお茶を飲んでいる間に睡魔が襲い、気付いてみれば椅子に座ったまま四時間後。最近こんなことがよくあるというか毎日のようにある。今日の夜伽はカフカの「火夫」ではなく、今日アマゾンで届いた映画芸術。この雑誌の編集長で友人の脚本家Aの消息を知ろうとする。Aは大阪地裁を二度ほど訪れている。また何か問題を抱えているのか?俺の野次馬魂が騒ぐ。
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2024・5・14

2024-05-15 10:24:40 | 日記
バスタブに浸かっていて意識不明になった事件以後、バスタブには入らずシャワーだけで済ませている。シャワーだけなら俺の部屋(5階)にもついているし、万が一倒れても、安心だと書こうとして安心ではないことを今日やってしまった。シャワーを浴びて体を洗っている時に、足の指を洗おうとして体を屈めたらバランスを崩して尻餅をついてしまったのだ。別に尻餅ぐらいで大袈裟に云う勿れ。しばらく前から右腕に力を加えると激痛が走る為、シャワー室の床に左手しか使えないのだ。尻餅ついて左手一本で起き上がることの難しさを殆どの人は想像できないに違いない。そう書く俺も今日まで想像もしなかった。仕方なく俺は少しずつ、多分一センチずつ、裸身をドアの方に寄せて行き、左手一本でドアを開ける試みをすること30分、何とかドアを開けることに成功したのはよかったが、まだ立ち上がれないことには変わりなく、隣にあるトイレとの間の床を、そしてその先のドアまでの床を「はいっ!」と声をあげながら匍匐前進することになってしまった。部屋の中に入ってしまえば掴まる処はいくらでもある。それでも何とか立ち上がり下着をつけるまでに一時間は掛かっただろうか?髪も体もバスタオルなしですっかり乾いていた。
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2024・5・13

2024-05-14 12:56:20 | 日記
今日は朝から息子のAが来るので朝食の準備にかかる。と言っても冷凍の赤魚の甘辛煮に山芋をかけた一品とキムチと梅干しと海苔の三品合わせ技、キノコの味噌汁と云ったメニューだったので感嘆に用意することが出来た。食後しばらくして雨の中彼の運転する車で白金のスーパーまで買い出しに出かける。広い店内を廻っていると、これもほしい、あれもほしいと知らぬ間にカートに乗っけた籠が一杯になってしまった。会計は13815円。見事なり。帰宅後、仮眠。目を覚ました時にまだ片づけないでテーブルに置いてあった数日前の新聞でポールオースターの死を知る。初めて彼の存在を知ったのは今から20年以上前、六本木の本屋で何気なくタイトルだけで推理物だと思った「幽霊たち」を買った時だ。でも「まずはじめにブルーがいる。次にホワイトがいて、それからブラックがいて、そもそものはじまりの前にはブラウンがいる」と云う冒頭の文章に騙されると同時に引き込まれてしまった。以後、オースターの著作(文庫本)は全て読んで、彼の虜になった。女友達で有名脚本家のTさんが来日中のオースターと雑誌で対談したと聞いて嫉妬に狂った。そんなオースターが死んだ。この世の人ではないと知って俺は少し安心する。死ぬのが怖いのは、多分、いや俺の場合、自分と何らかのつきあいのある人々と別れて、自分一人になってしまうことだろう。オースターだってそうだ。俺が死んだ後に俺が好みそうな作品を発表していたら死に切れないじゃないか。でもオースターはもう死んでいる。だから安心だとは思いつつ、俺自身はまだ生きていることを自覚する。まてよ。だったら生きている内に独りぼっちになってしまったらどうだろう?死ぬことが怖くなるのではないか?俺は今、徐々に「独りぼっち計画」を実現しつつある。話は変わるが、今日から俺の「夜伽」は「カフカ短編集」に収録されている「火夫」に変わった。今度はどんなテクニックで俺を悦ばせてくれることだろう。
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2024・5・12

2024-05-13 20:55:08 | 日記
今日の最大トピックスは、恥ずかしながらこの年になってカフカの「判決」に感激したことだ。この文庫本でたった20頁にすぎない短篇を読み始めたのは一週間前だ。このブログでは新しい「夜伽」としてベッドに入った時に読むと決めていたこともあり、なかなか読み進めることが出来ずにいたが、今日は一気にドラマチックになったこともあり、気付かない内にエンドマークになっていた。不思議だ。どこか不条理感に満ちた小説であるにも関わらず、息子とその老いた父親の画が浮かんできて、配役までイメージ出来た。俺はこの短篇を芝居にすべきか否か?いや、ちょっと待て。今日読んで感激したからって一週間には感激しないかもしれない。また反対に今日読んだ感激以上の世界を提示されるかもしれない。うん、一週間待とう。芝居の神様が俺を芝居の世界に引き戻してくれるか?それとも突き放すのか?
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2024・5・11

2024-05-12 14:09:35 | 日記
人は事件や事故でなくなった場合、その知人友人たちはその死を衝撃的にとらえて厚く弔うが、長い闘病生活の後になくなった場合は、知人友人たちにある覚悟が出来ているからそれほどの衝撃は与えない。でもそれは故人が辛うじて知人友人の中に記憶として残っている時だ。残っていなければ「そうか」で済まされてしまう。多分自分もその口だと思う。時間が経てば更に俺の存在を知る人間は少なくなるので、「そうか」が「ふーん」とか「へぇ」に変わるかもしれない。いや,まるで反応しない人間の方が多くなるだろう。それはそれでいい。一時期脚本家だったが、何の実績も残せなかったし、知人友人関係もどんとん希薄になって家族以外で俺のことを知る人間も皆無に近くなっているに違いない。その時俺は「無」になる。「絶対的無」だ。そう言っておきながら朝は冷凍しておいた鯖を解凍して焼き、ついでに山芋も解凍して朝食の膳に並べたことを書き記してしまう滑稽さよ。因みに夜は天カス以外に具のない焼きそばを作って食べる。でも、その前後5時から7時までと9時から11時までの合計四時間は椅子に座ったまま眠り続けていた。地蔵なり。不気味だ。
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