五反田発リスボン行き急行列車

五反田駅からリスボン行き急行列車に乗ることを夢想する前期高齢者の徒然

2021・11・29

2021-11-30 05:42:52 | 日記
新しく替えてみた母のオムツが面白い。今まではパンツ型だったけど、今度はまわし型。俺が風呂上がりの母にオムツをつける光景は、偉そうに突っ立っている関取の股間に若手力士が手を回してまわしをつけている図そのままなので笑ってしまう。老老ブレックファースト(オムレツWITHサラダ、納豆、海苔、かぶの味噌汁)を終えてから広尾病院の皮膚科。俺の自家感作性皮膚炎はホボ治っているとのことで、安心したが、若い女医さんとの別れが淋しい。その後、セブンイレブンで別役実さんの芝居のチケットを発券して貰って帰宅。11時に害虫駆除会社のスタッフが到着したので9階から順次点検に立ち会う。同時に掃除スタッフにも指示を伝えたりする臨時管理人。午後2時半にオリックス生命のH君が来訪。今まで入っていたがん保険をやめることを含めて相談に乗って貰う。7月にそれまで1万7千円の掛金だったのが2万5千円にアップしてしまった。それに母の介護のことを考えると、ガンを発症した時に貰う一時金200万円でポルトガルへ行こうなんて哀しき夢を見ている場合じゃない。老老ディナーは豚肉のスキヤキ。まぁまぁの味だったけど、食後あまり具合がよくなかったので8時前にはベッドに入ってしまう。映画もテレビを見なかったし、本も読まなかった。なにもしなかった一日だ。

2021・11・28

2021-11-29 05:10:21 | 日記
9月10月には映画を見まくったのに11月は新作が「愛のまなざし」(脚本・万田珠美)一本とパウロ・ローシャの旧作「青い年」と「恋の浮島」の二本だけ。予約をしたりしているのに邪魔が入ったり問題が起きたりして見に行くことが出来なかった。だからと言って映画を見なかった訳ではない。NETFLIXやプライムビデオでほぼ毎日一人きりの映画館でこれまで見ることができなかった気になる映画を見ている。今日も韓国映画「殺人の告白」を原案とする入江悠監督の「22年目の告白」(脚本・平田研也)を見た。でも、やっぱり映画は映画館で見たい。だから来月こそはと思っていたのに、12月は1日からテアトロジャージャンのメンバーが出演する演劇の予定が続いている。それだけでも予定が詰まっているのに新国立劇場公演の「あーぶくたった、にいたった」(作・別役実)を予約してしまった。別役実ファンだから仕方無いことだ。都心の真ん中に住んでいてよかったと思う。三十分程度でいける劇場なら母の介護をしながらでも無理すれば可能だ。以前だと芝居を見に行った後、一緒に見に行った人とあーだこーだと演劇論議をするのが楽しかったけど、今はそんなこともなくなった。ギリギリで劇場に駆けつけ、終わったら飛んで帰る。それでも劇場に行けるだけで幸せだ…なんてどうでもいいことを書き続けているのは、全く自分の創作意欲が沸かずにダラダラとした一日を過ごしてしまった証拠だ。覚えているのは老老ブレックファーストがトーストに目玉焼きとサラダとソーセージのワンプレート、それにキャンベルのコーンスープだったこと。老老ディナーが豚コマとキャベツとしし唐の炒め物ニンニク風味に明太子の海苔カナッペ、豆腐と小松菜の味噌汁だったこと。それから「22年目の告白」に続いて「日本沈没」(脚本・橋本裕志)を見たこと。後は一歩も外に出ず、誰とも話すことなく、ただ睡魔に襲われ続けていた。

2021・11・27

2021-11-28 05:36:31 | 日記
老老ブレックファースト(鯖の味噌煮、納豆、小松菜のお浸し、とろろとちりめんじゃこと小口ネギのおすまし)の後、録画しておいた「和田家の男たち」(脚本・大石静他)と「群青領域」(脚本・詩森ろば)を見る。二つの作品とも面白い。散歩兼買物に出掛けて母には焼き芋を買って帰る。午後はアテネフランセでポルトガルの映画監督パウロ・ローシャの「恋の浮島」を見る。明治時代のポルトガルの外交官モラエスが芸者姉妹との恋とその人生をこれまたポルトガル大使館員でもあったローシャが描いた作品と云うことで、きっとエンタテイメント性のある映画だと思っていたら大間違い。難解な映画作家ペドロコスタが推薦しただけあって時空が頻繁に交差するとんでもないアバンギャルドな映画だった。会場でNHKのWさん、ポルトガル大使館員で翻訳家のKさんに会う。本当は終わった後ペドロコスタとのオンライントークもあったけど、映画が3時間弱、オンライントークが1時間45分あるとなると、母との老老ディナーが出来なくなるのでペドロコスタとWさんやKさんとのお喋りは断念して止むなく帰宅。今日から急に寒くなった。そして南アフリカで発生した変形型ウィルスが流行りだしたとか。何とか寒さとウィルスに負けずこの冬を乗り切りたい。

2021・11・26

2021-11-27 05:30:23 | 日記
何故か戦う姿勢をとれない。老老ブレックファースト(鰯の生姜煮、しし唐のバター炒め、納豆、海苔、小松菜の味噌汁)の後、当然の如く仮眠。その後一度は捨てた原稿に朱をいれようとするが、全く集中できない。11時過ぎ母を散歩に連れていく。いつもの花屋で新しい鉢植えを、いつものお菓子屋で薄焼き煎餅とチョコレートを買った他に今日は靴屋で店頭に並べてあった部屋履きを買って、母はご機嫌だ。車椅子に乗った母と押す息子が薄焼き煎餅をパリパリ食べながら帰る。午後、アマゾンプライムで吉田大八監督の「騙し絵の牙」(脚本・楠野一郎)を見る。この映画、原作者の塩田武士が主演の大泉洋にあてて書いたことがウリになっていたが、その色合いがあまり感じられないのは、脚本家と監督のプライドかもしれない。老老ディナーはトンカツを揚げる。二枚揚げたけど、母には多すぎるので一枚の三分の一を支給。残りの三分の二と俺の分の一枚を食べたので、さすがに胃がもたれる。それにしても今日手に入れた北海道産のゆめピリカは最高だ。初めて納得できる御飯を炊くことが出来た。9時半に一日の本番に備えて都立大学にある公民館で芝居の稽古をしていた俺の編集者でもあるYさんが来訪。スキヤキとワインで12時までこれからの小説の展望を話す。

2021・11・25

2021-11-26 05:27:55 | 日記
老老ブレックファースト(昨夜の残りの豚汁に、明太子WITHカイワレ、海苔、納豆)を食べながら朝ドラ「カムカムエブリボディ」(脚本・藤本有紀)を見ていたら涙が止まらなくなった。泣かせる芝居はやさしいと言われるが、藤本有紀さんの持つシナリオテクニックはすごすぎる。食後ブログを書こうとしたら、コメント欄に俳優事務所のKさんから600枚の小説を捨ててしまわなくてよかったねという感想が入っている。そのこと(小説を捨てたこと)とは無関係だとは思うけど、今日のPV数とUU数が今までになかった程の桁の違う増加。みんながブログを読んで俺の気持をそこまで思ってくれているのかと勝手に喜ぶ。一昨日、折角書いた600枚の小説を捨ててしまったのは俺が死んだ後こんな作品しかあいつは書けなかったのかと思われるのが嫌だったからだ。でも、昨日ごみ袋の中から600枚を拾い上げてからしばらくして思ったのは、この小説は他人の評価を気にして書いたものではなく、俺の息子や娘や孫や、その孫の子供たちに自分の先祖はこんな人だったとファミリーヒストリー的に伝えたかったからだ。だったら生ゴミの汁に汚れたこの小説を自分なりに完成させようと思いなおす。午前中に銀行で月末の振り込み。ついでに都立図書館に寄ってもういちど中野学校や陸軍委託学生のことを調べてみようと公園の中の坂を上ったが、今月から来年まで工事の為の休館との表示。確か春先に出向いた時にもそんなことがあって図書館を使うことができなかった。俺とこの図書館との相性は頗る悪い。折角仙台坂を上りきったのだからと今度は反対側に下って麻布十番に向う。足が疲れたこともあって、知り合いのNさんの店に入ってランチ。マグロの漬け丼が最高。それにこの店は御飯が美味しい。お正月用におせちを注文する。途中先日調べて貰ったCTの結果が届く。何の異常もなしとのこと。安心すると同時に頭皮をひっぱられるような頭の痛みはなんだったのか?と思う。今から十年以上前に客の一人を怒鳴って出入り禁止にした途端、とんでもない頭痛に襲われて日赤でCTを受けた時も異常なしで、数日で痛みは治まり、お客の精神科医にストレスによる老人性鬱病だといわれたことがあったけど、同じことなのか?麻布十番から帰って,今日は四時から母のリハビリだったので、老老ディナー(松坂うどんと肉野菜炒め)が六時近くになってしまった。本当は夕食後にヴィム・ヴェンダースの「パリ・テキサス」を見にルシネマに行く予定でチケットを予約しておいたのに、間に合いそうもないので断念。先日も「アメリカの友人」をキャンセルしたし、ヴェンダースとの相性もよくない。代わりにプライムビデオで小栗旬主演大友克史監督の「ミュージァム」(脚本・高橋泉他)を見る。WOWOW制作らしいが、MOZUに似た大友監督らしい格闘シーン。しらない内に目が釘付けになってしまった。

2021・11・24

2021-11-25 05:33:41 | 日記
ウチはゴミをだす時、マンションの管理会社指定の一枚400円のごみ袋を使わなくてはならない。今日もそのごみ袋を取り出して机の下においてあったごみ箱の中味を捨てようとして、昨夜ごみ箱行きとなった四百字詰め600枚の原稿が入っているのを知る。一瞬躊躇う。まだ20代の頃に作家になろうとしたきっかけになった物語だ。その後にも映画関係者や出版社の編集者たちに題材が面白いから書けと言われてきた物語だ。脚本家として目が出なくてもいい、飲み屋を始めて客に水をぶっかけられようと平気だ、俺はいつか書いてみんなを驚かせてやるんだと思ってきた物語だ。そして遂に去年の春から書き始めて一年半も掛かってエンドマークをつけた600枚の原稿用紙だ。俺はこれを書こうとしなかったらもうとっくに何もかも終えていたに違いない。だから書いた。だから書けた。でも、結果は無惨だ。たまたま本屋で立ち読みしたデビュー当時からひどい作品ばかり書いている某女流作家の足元にも及ばないと思った途端、自分の作品に途轍もない嫌悪感を抱いてしまった。某女流作家以下だなんて!俺のプライドが許さない!こんな作品は一枚400円のごみ袋に生ゴミと一緒に捨てられてしまうのがお似合いだ!俺は心の中でそう叫びながら600枚の原稿用紙の入ったごみ袋を結んでゴミ置き場に行こうとした。だが、エレベーターのボタンを押した途端、涙がこぼれだした。もう終わりかよ?もう俺がこの世ですることはないのかよ?これからは母が亡くなるまで介護人として生きていくだけなのかよ?エレベーターのドアは開いたけど、中に入れない。ドアは再び閉まったけど、もう一度ボタンを押すことは出来ずにフロアに立ち続ける。こんなことが以前にもあった。50歳の時、プロの脚本家を廃業することを決意してそれまでに書いた脚本200冊以上を資源ゴミとしてアパートのゴミ置き場に捨てた時だ。これで脚本家とはオサラバだ。でも、あの時は明日があった。脚本家をやめて飲み屋を始める明日だ。けれど今度は明日がない。生命の終わりを待つだけになってしまう。そんな余生か?それでいいのか?耐えられるのか?自問がしばらく続いて俺は、自答としてそっとごみ袋の結び目を解く。そして生ゴミに埋もれた600枚の原稿用紙を拾い上げる。生ゴミの汁で汚れてしまっている。俺は自嘲する。明日もないのに現在を否定するなって。そんな資格なんかお前にはない。汚れてしまった600枚の原稿を抱いて生きていけ。何だかひどく感傷的になってしまった。でも、そんな日も母をお風呂にいれ、大便の始末をし、老老ブレックファースト(鯖の味噌煮、納豆、海苔、かぶの味噌汁)と母のランチ(蜂蜜サンド)と老老ディナー(自家製ハンバーグとポテトサラダと豚汁)を用意し、ボストンでのカソリック教会の神父のスキャンダルを追及した新聞社の活躍を描いた米映画「スポットライト~世紀のスクープ」(トム・マッカーシー監督)を見た後、封切りから40年近く見逃していた根津甚八主演の「さらば愛しき大地」(柳町光男脚本監督)を見る。根津甚八、蟹江敬三、草薙幸次郎、佐々木すみ江、奥村公延、粟津号、中島葵…個人的に知っていた出演者がこんなに大勢亡くなっていた。また感傷的になった。

2021・11・23

2021-11-24 05:33:26 | 日記
老老ブレックファースト(チリメン、ブルサンチーズ、蜂蜜、海苔の佃煮を上に置いたり塗ったりしたカナッペ風トースト、目玉焼きWITH薄切りトマトとレタス、キャベツとじゃがいもと人参と豆類の自家製スープに母は牛乳、俺は珈琲)を軽めに済ませて、お昼に広尾で息子のHと駅前のM丸で寿司を食べながら飲む。Hも来年三月で34歳。74歳の俺が40歳の時に産まれたんだから当然そうなるんだけど妙に感動する。大学を卒業してから就職先を心配していたのだけど、もう10年以上小さな印刷会社で営業職を続けているなんて、これまた感動する。でも、一番感動したのが、寿司屋のスタッフが注文を間違えたり、注文が届いてなかったりする度にイライラして切れそうになる俺を「人間誰にも間違いはありますから」と宥めようとしたことだ。どっちが年上なんだかわからない。印刷会社で営業をしている内に父親には欠けている社会性?を身につけたのか?最初の結婚の時のAもそうだけど、父親がいなくてもいい子に育ってくれた。彼等の母親に感謝あるのみ。今日は火曜日で弟が来ていたので老老ディナーはパス。買い置きしてあったシュウマイで済ませたが、弟が5時で帰った後、母をトイレに行かせてオムツを交換して寝かしつける。弟が来てくれるのは助かるが、オムツ交換と入れ歯の処理が俺だと、何処かに旅行どころか続けて夜まで出掛けている訳にはいかない。弟にそれとなく話をもちかけてみたら、だったらヘルパーさんをやっぱり頼もうと云う話になる。それが正論。されど母の同意はなし。淋しい一人夕食の後、「ファミリーヒストリー」を見る。今日は薬丸裕英。家族と家族が繋がって行き、別の家族が出来ていく面白さ。そんなことはNHKだから出来ること。別に自分でもファミリーヒストリーを書くつもりはなかったが、碌に調べもしないで一人の人間の過去を描こうとすることは犯罪的でもあると思い知る。父をモデルにした六百枚の小説はごみ箱行きにしよう。

2021・11・22

2021-11-23 05:12:26 | 日記
今朝の母の第一声は「今日は雨だわねぇ」だったので俺の第一声も「でも午後には晴れるらしいよ」すると母が「だったらいいわねぇ」と応える。最近二人の共通話題はお天気だ。だからと言って母はテレビを見ない(見ることが出来ない)のでこの「案件」について母は天気予報ではなくて、東京の町並を見渡せる窓とその表のベランダに所狭しと置かれた鉢植えに降り注ぐ雨と日光が問題になる。「自然に恵まれた部屋でよかったね」と俺がいうと母は「そうだわねぇ」とあまり意味が分かってないみたいだけど、応えてくれる。その後母をお風呂に誘う。オムツと着替えを用意して俺はドアに向うが、母はまだベッドを降りただけで、歩こうとしていない。「どうしたのさ?」「足が思うように動かないのよ」と歩いても一センチずつだ。母は次第に足が弱って歩けなくなってきているのかもしれない。「そろそろ部屋の中でも車椅子かな」「そうなったらお兄ちゃん(俺のこと)だけが頼りだわねぇ」うん、分かってる、分かってる。その為にもCT検査の結果が何ともなければいいんだけど。結果は連休明けだ。そんな母との老老ブレックファーストはソーセージと薄切りトマトとパセリのオリーブオイル和え、海苔と明太子のカナッペ風、舞茸の味噌汁。それに俺は生卵御飯がどうしてもたべたくって生卵が嫌いな母には溶いた生卵を見えないようにおいて最後に御飯にかけて食べる。美味でありました、などなどダラダラ書き続けているのは色々と決定しなくてはいけないことが頭の中を駆け巡っていて訳がわからなくなっているからだ。その①小説は二度目のエンドマークをつけたけど、最初から朱をいれている内に、この小説を書こうとしたきっかけになったある事件とそれに纏わるエピソードを削除したい欲望にかられていること。エンドマークを打った段階では四百字詰め600枚だった小説が、それらを削除すると400枚になってしまうけど、それでいいのか?②俺の健康問題とそれとは別に母の健康問題、更にそれと連動する会社と店の存亡。いざと云うときには取締役がいるだろという勿れ。俺以外は幽霊取締役になっているし、その時には息子のAに負担が行くことになると思うと、会社を今のうちに潰しておいた方がいいのではないか?でも、そうしたら今計画している来年度の芝居の公演予定にも差し障りが出てくるし、散歩しながら気持は千々乱れる。一時間ほど歩き回って、本屋で買った「歴史探偵 昭和の教え」(半藤一利)を付設の珈琲店に入ってパラパラ読む。2・26事件における中橋中尉の「宮城占拠計画」が興味深い。老老ディナーは今日こそカレーライス。母を迎えに行ったら今日はセーフだった。カレーライスを美味しくいただく。

2021・11・21

2021-11-22 05:31:22 | 日記
昨日はポルトガルの映画監督パウロ・ローシャの作品を見に行ったが、今日はル・シネマで上映されているドイツの映画監督ヴィム・ヴェンダースの作品を見に行く予定になっていた。でも、起きてから昨日は治まっていた頭痛が再発。老老ブレックファースト(カボチャパンとリンゴパン、スクランブルエッグとソーセージとサラダに母は牛乳、俺はトマトジュース)は何とか食べたが、辛いので寝込んでいたら、上映開始時間の10時半には間に合いそうになくなってしまったので、ヴェンダースはパスして、午前中はベッドの人になる。午後になって痛みはなくなったので録画しておいた「群青領域」(脚本・長田育恵)、「和田家の男たち」(大石静原案)、「ドクターX」(脚本・香西孝史)などテレビ三昧。寒いので買物に行きたくなかったので、老老ディナーは有り合わせの材料でカレーを作ろうとしてふと躊躇う。今までこうしてカレーを作る時に限って母を迎えにいくとオムツに大便をしていたのだ。そのことを思い出してカレーは中止して湯豆腐と豚の生姜焼きにしたのだけど、そのメニュー変更は正解だった。部屋に入った途端、臭気が襲いかかる。母のオムツからは大便が漏れて、母はベッドの中で大便まみれになっていた。新しいオムツの性能が悪い訳ではない。途中一人でトイレに行った時にオムツをそれまで通りに再着出来なくて、オムツが外れていたのだ。いつもは朝と夕方の間にトイレを促すのだけど、今日は自分の頭痛で忘れていた。だから母には責任がない。でも、嫌がる母をシャワー室に連れ込んで、背中にまで漏れてしまった軟便を洗い流してからのカレーライスはなかなか食べづらいのでメニュー変更は大成功だった。食後は以前一度見たのによくわからなかった「三度目の殺人」(脚本監督・是枝裕和)をもう一度見てみることにする。でも、今回も今一つ気持が入らなかった。そのあとリアルタイムで「日本沈没」(脚本・橋本裕志)を見る。これはパニックドラマというより政治ドラマだ。松山ケンイチがこんなにいいとは今まで思わなかった。眠る寸前に今回主人公が柄本明だったので「情熱大陸」をつい最後まで見てしまう。同じ年に生まれて同じ「あきら」なのに随分と差をつけられてしまった。

2021・11・20

2021-11-21 05:25:47 | 日記
ポルトガルの映画監督パウロ・ローシャの監督特集が開催されることになったので、初日の今日、1963年制作の「青い性」を見に、老老ブレックファースト(昨日の鍋の残りをリフォームしたオカズ味噌汁、納豆、海苔、明太子)の後、母を寝かしつけてから水道橋のアテネフランセ文化センターに向う。そう、「向った」のだけど、水道橋から7分と書いてある駿河台のアテネフランセへはなかなか到着しない。というか方向感覚をなくしている俺は水道橋駅を降りてから後楽園方向に歩いてしまって、途中で気付いて反対方向に向ったものの、これまた途中で地図を見るとこのままいけば神保町だと知って、闇雲に左に曲がったものの、どんどん知らない町に入っていく。水道橋に着いたのが11時。上映開始の12時には余裕で間に合うとタカをくくっていたのにどんどん12時が近づいて来る。こんな時に交番があればなんだけど、何処にも交番は見当たらない。仕方無く通り掛かったタクシーを止めて、アテネフランセに到着したのは12時5分過ぎだったけど、上映前に15分ほどの国立映画アーカイブ館長の講演があったので、映画にはギリギリ間に合う。でも、疲れ切って映画への没頭度はイマイチだったが、今日の方向音痴はまだ続く。まっすぐ帰って4時に母とキツネ月見うどんで老老ディナーを食べて、またしても母を寝かしつけた後、今度は6時に五反田のマンションの管理組合のLさんと会う為に商店街にあるオイスターバーに向う。この店の前は何度となく通っていたので5時半に五反田についてしまって後30分どうやって時間をつぶそうかと考えていたのに、いざその店に行こうとしたらこの世から忽然とその店が消滅してしまったかのように店が見当たらない。歓楽街を何度も何度も行ったり来たりする。だが、ダメだ。既に6時5分前。仕方無く店に電話して場所を聞く。そしてその通り向ってみる。だが、見当たらない。参る。疲れ切る。それでも新聞販売店のスタッフに聞いて漸く辿り着いたのが6時5分過ぎ。あんなに優れていた筈の俺の方向感覚がどうしてこんなに鈍ってしまったのか?この間の高円寺の劇場探しも南青山の画廊探しもグルグルグルグル迷子迷子だった。年をとって動物的能力が衰えたと云うことなのか?頭痛は昨日ほどじゃないし、方向感覚が衰えたことと無関係だと思いたい。9時前に帰宅。母の部屋を覗いたら母はいびきをかいてグーグー眠っていた。