五反田発リスボン行き急行列車

五反田駅からリスボン行き急行列車に乗ることを夢想する前期高齢者の徒然

2022・8・31

2022-08-31 06:47:33 | 日記
〇おんな友達のTさんへの返信。あなたが教えてくれたポルトガルのリスボンについてのテレビ番組がつまらなかったのは、勿論あなたのせいではなく、この番組の制作者のせいです。いや、ひょっとすると私がポルトガルのリスボンについて幻想を抱き続けているからかもしれません。イタリアの作家Aタブッキの「供述によるとペレイラは…」に導かれて初めて足を踏み入れたリスボンの町はリスボンはリスボンでも独裁政権下のリスボンでした。今とは全く別の町です。因みにこの小説の日本語版の翻訳は須賀敦子で、以来私も須賀敦子さんの文章にほれ込んでしまっています。因みに更に因みに彼女が東京で家族と住んだ家は、今私が独房生活を送る広尾病傍を流れる古川(渋谷川)を少し下った処ににあり、聖心女子大の小中高時代は古川を越して、大学時代は広尾橋から広尾商店街を抜けて大学に…なんてどうでもいいことを書いてしまったのも、あなたがブログで須賀敦子さんの名前を出していたからです。きっと闘病生活を送っているとこの種の話題に飢えているのでしょうね。そういえば武田百合子さんが暮らしていた土地で「富士日記」を読み直しているとか。羨ましい限りです。お互い生きている内にもう一度会いたいですね
〇日記だから何を書いてもいいんだけど、このブログという奴は全世界の人々に向けて(何と大袈裟な!)の読み物となっているんだから、ちゃんと分かるように書かなくちゃいけない。それなのにTさん宛に書いた返信は何を言いたいんだかよく分からない。それには理由はある。画面が途中で暗くなってしまったのだ。このパソコン、そんなことが時々起こる。そして数時間後、パソコンを開いてみたらちゃんと適度の明るさに戻っている。助かった。
〇点滴の下手な看護士に、それも夜かかってしまったら最悪だ。この間なんかX看護士は「ダメだ」「どうしよう」と小声で独り言を言いながら点滴の針を打つのに30分はかかった。せめて愚痴るのはやめろ。その点、若いのにYさんはあっと云う間だった。多分10秒もかからなかった気がする。どうしてそんなに上手なんですか?と聞いてみたら「相性です」の一言。うーん、お見事でした、Yさん。
〇午前中にCTスキャンをやった帰りに買った食材は、キンピラと玉子焼の和風弁当、コロッケサンド、上海風焼きそば、炙りタラコオニギリ、アボガドと海老のサラダ、それに温かい珈琲と特茶。現在午後の2時半。既に焼きそばとおにぎりしか残ってない。もう一度買い出しが必要だぞ。
〇なんて呑気なことを言っている場合じゃなくて、いつもは夕方の5時には顔を出す医師団?が今日は5時半をすぎても現れない。これはきっとCTスキャンの結果を見て俺の退院時期を協議しているのだとばかり思っていたら、結果は先週と変わらないし、抗生剤の点滴を続けていくしかないとのこと。つまり退院はいつになるか分からないとのこと。うーん、参った。退院したら心配して下さった皆さんに向けて「御礼と述懐」なんて文章をパソコンで書き始めていたのに、無駄になってしまった。
〇昔、末期の食は何がいいか?考えた時にたぬきうどんがいいかも知れないと思ったけど、今現在(水曜日の夕方六時)一番食べたい食べ物もたぬきうどん。それも以前高輪の天麩羅屋で一袋100円で路上販売していた天カスをつかうと最高のたぬきうどんになったけど、この間前を通り掛かったら休業していた。コロナを恨む、恨む、恨む。

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2022・8・30

2022-08-30 05:23:21 | 日記
〇現在朝の5時半近く。昨夜は女ともだちのTさんがリスボン好きの俺の為にメールでわざわざ教えてくれた「憧れの地に家を買おう/ポルトガル リスボン篇」を11時から見た後、眠れなくなってそのまま起きてしまったもんだから、今頃になって睡魔に襲われている。それにしても何が「家を買おう」だ。最初に紹介された三億もするラグジュアリー物件、次に紹介された下町にあるワンルームが三千万だと?ふざけるなよ。俺がリスボンに抱いているイメージと全く違う。最近リスボンに行った人の話では、この街もどんどんお洒落になってしまって、俺が詩人ペソアに誘われて馴染んでいた少しいかがわしくもの悲しい雰囲気を持つバイオアルトやアルファマみたいな一角はなくなってしまったらしい。だったらもうリスボンへの幻想を捨ててしまうか?いやいや、幻想は幻想で取っておいて、まずは母屋のオーオカビルまで、次に行きつけのスーパーまで、更には広尾駅まで歩く力を取り戻すことが優先だ。
〇昨日の内に買っておいた焼き明太子のおにぎりを食べている内に、こんな時に漬け物と温かいお茶があると幸せなんだけどと思った途端、ウチの冷蔵庫でもう一か月は放置されていたヌカが死んでしまっていることに気付く。うーん、ちょうどいいヌカ具合?になっていたのにと自分の体調を忘れて呻く。同時に俺のこれからの人生はどうなるんだろ?と五年前の急性大動脈解離、七月初旬の下肢大動脈破裂、二週間後の腎盂腎炎での長い入院生活と、三度幽界と霊界を行き来した身として思ったりする。それにつけても美味しい糠漬けが食べたい。茄子か蕪か?
〇そんなことを書いた後、今日は一番若いCさんに付き添われて12時近くに地下の売店へ出向いたら、昨日まではなかったのか気付かなかったのか、お漬け物が何種類か入った鶏ぎん弁当が売っていたもんだから、メインの鶏の塩焼きより漬け物目当てで買い込む。漬け物は満足。でも鶏の塩焼きは塩が強すぎる。それでも食べる。夜中の3時か4時におにぎりたべただけだ。空腹、空腹、空腹。ご飯粒を一粒も残さず完食せり。
〇朝と夕方の二回、担当医のS先生とK先生が病室に「どうですか?」とご機嫌伺いに顔を出す。「元気ですよ」「食欲もあるし、便も出てます」と答えると「そりゃよかった」と行ってしまう。ちょっと待ってくれ。元気だと言っているんだから退院の目処でも言ってくれればいいものをと思うものの、云えるのは明日の検査次第だと知っている俺は、文句も言わず曇り空に目をやる。今日はロスに帰ってしまう妹と中庭?を隔ててお互いの姿を目視し、「お正月にはお兄ちゃんのすき焼き食べさせてね」「それまでお互い元気でいような」と電話で励まし合って別れを告げた。

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2022・8・29

2022-08-29 03:24:14 | 日記
〇折角ブログを再開したのに以前に比べて面白くないとの声が聞こえて来る。そりゃ当然でしょ。7月5日以前のブログの主人公は亡き母親だった。何て云ったって母は最高のヒロインだったわけで、彼女が亡くなった今、誰を代役に立てようと役不足だ。そのヒロインの遺骨は現在、木立の向こう、薄明かりの中に見える母屋(オーオカビル)に安置されている。俺はそっと手を合わせてこのブログを書き始める。
〇俺は今独房に収容されている。何をするにも「管理責任者」の許可が必要だ。でも二週間前まで六人部屋の雑居房にいる時より断然いい。あの時は尿瓶にオシッコをしても、大便をしたくなっても、ナースコールをしなくちゃいけなかったし、おなじ房の老人の咳や寝言に一々起こされて具合がどんどん悪くなるばかりだった。その点独房は誰に気兼ねすることなくトイレにも行けるし原則電話も禁止されてない。でもこの独房が犯罪者を収容する刑務所の独房と違うのは、「管理責任者」である看護士が一人を除いて女性だということ。ドクターも今までは男性ばかりだったけど、しばらく前から感染症専門の女医が加わったもんだから、女性とのお喋りが好きな俺は自分でも知らない内にこの独房生活を楽しみ始めている。
〇朝早く息子のAに隣のビルまで来て貰って、着替えとたまった郵便物を病院まで持ってきて貰う。反対に銀行の通帳と送金メモを渡して、月末の振り込みを依頼する。用事を終えて戻ってきたAとコロナもあって直接は会ったり話したりは出来ないけど、病院の廊下で十メートルほど離れて会って、次の用件を頼んだりする。人生の終盤になって繰り広げられる父と息子の風景。
〇冷や奴も食べたい。すった生姜、茗荷、小口ネギを乗せた木綿豆腐を箸に乗せて、つけ汁ではなく、かつおぶしを一杯いれた薄口醤油にチラッとつけて食べる。それが俺のやりかた。病院食では求めても無理。焼鳥はあんなに焼鳥フリークだった癖して特別食べたいと思わないのは何故なんだろ?
〇退院したら取り敢えずどこかに行きたい。温泉なんかいけたら最高だけど、医者が許可しないかもしれない。でも、箱根が無理ならポルトガルは絶望的だ。
〇午前中に「温泉なんかいけたら最高」「箱根が無理ならポルトガルは絶望的」なんて書いたら、すぐさま箱根のホテル「マウントヴュー箱根」の主人Kさんから「箱根に一票」とのコメントがあり。Kさん、待ってて下さい。医者の許可が出しだい絶対お邪魔します。
〇この日記がつまらないのは、漸くここまで書くまでになったけど、登場人物も少ないし、俺自身も面白く書く能力がまだ回復していないから。電話も同じ。病室で電話が可能になったからって飲み屋の親父的に面白おかしく会話が出来る訳ではない。それに今の俺の話題は病院のことだけ。AさんもBさんもいるけど、ブログに遠慮がちに書くのが精一杯で、誰に聞かれているか分からない病室の中で笑いながら話すことは出来ないのだよ。
〇今日のハイライト。そのAさんに付き添われて出向いた地下のコンビニで、以前からずっと飲みたいと思っていた温かい珈琲を医師が許可してくれたので初めて買って大事に部屋に持ち帰る。そしてAさんが立ち去る寸前に一口。途端出た大声「美味いっ」、Aさん振り返って「念願かなったわね」と笑顔を向けてくれる。そんな幸せしか似非独房生活にはありません。
〇小説家でエッセイストで尊敬する脚本家のTさんが再開3日でこのブログを見つけてくれて声援を送ってくれる。彼女とも知り合って40年以上が経とうとしている。つかずはなれずの関係。こんな幸せも俺は持っている。

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2022・8・28

2022-08-28 05:19:15 | 日記
〇昨日から深夜の点滴の時間をやめて、10時と翌朝の6時にして貰ったので、見事に10時半には眠りに入って、3時半に目が覚める。連続睡眠時間5時間。今までみたいな細切れ睡眠を考えたら万々歳だ。現在朝の5時40分。窓の外には勝手に母屋と呼んでいる九階建てのオーオカビルが曇り空に屹立?している。いや、屹立はちょっと大袈裟か?そのオーオカビルに辞典もなにも置いてきているので今のところ他の表現が見つからないのでペンディング。多分今日で四週間目の病院生活が始まる。
〇いつも俺担当の看護師のAさんはウィークディ勤務の為、ウィークエンドの今日は一番若い新人のBさん。Aさんは慈愛に満ちた母親の如く、地下の売店に付き添って貰う時も万が一のことがあると困るからと車椅子を用意してくれ、俺も母に甘えるように車椅子に座ってしまうのだけど、若いBさんは車椅子なんか用意しない。迎えに来るなり「さぁ行きますよ」と先に行ってしまう。俺は「あれ?車椅子は…」と言いかけたかどうか。それより若いBさんに負けてなるもんかと彼女の後に続く。うん?辛くない。ふつうに歩ける。これってひょっとしてウィークディのAさんには甘えがちなのに、Bさんには年寄りっぽく、病人ぽく見られたくないと思って体が自然反応してしまうのか?多分50歳は違うBさんに見栄を張ってみても意味がないのにね。
〇納豆も食べたい。朝、他にどんな献立にしようかと考えながら母もお気に入りだった大粒納豆を五分以上(と決めて)混ぜる時間は至福の一時だった。白い糸で器が一杯になる。そこに薄口のタレと刻んだネギと辛子を適宜ブレンド。他の献立は出来てないのに、そこで味見をする一時も最高だった。美味しくて思わず味見が進んでしまうなんてことも度々だった。それなのに、入院してからは納豆を食べてない。病院食のメニューに乗せないのは何故なのか?どうでもいいことを考えて「雨の日曜日」を過ごす。
 〇俺はお尻が薄いのか?ベッドに座ってパソコンのキィを叩いていたら腰が疲れたので代わりに窓際の椅子に座ってみたらお尻が痛くて10分も持たない。お尻を触ってみたら骨が椅子に直接当たっている気がした。家で脚本を書いたりする時どうしていたんだろ

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2022・8・27

2022-08-26 23:36:27 | 日記
〇現在土曜日の深夜零時すぎ。昨日地下のコンビニで買った中華弁当の残りを食べたのが夕方六時前だったか?その後、この日記を書いている内に睡魔に襲われて寝込んでしまい、目が覚めたのが11時前。深夜食用にキープしておいたチーズチョメチョメというパンを齧りながら日にちを跨ぐ。
〇俺がブログを再開したことで何人かの人たちがお祝のコメントを投稿してくれている。アクセス数をみたりすると、何百人もの人がチェックをいれてくれていたのが分かる。感謝!このブログをやっててホントによかった。ただこんなブログでも一つのテーマで長い文章を書くまでには歩行能力以上に回復しておらず、こんな箇条書きになってしまうのをお許しあれ。
〇妹から電話。今隣のビルの四階にきているのよと手を振ってくれているみたいだけど、病室から見えるのは樹木に隠れて七階以上。母が亡くなって急遽ヨーロッパから帰国した妹だけど,今回は母の葬儀についての打ち合わせとその後の経済的諸問題を話すだけで、いつものように俺特製のすき焼きもご馳走することなく、一緒にお酒に酔い痴れることもなく,樹木越しに手を振るのが今回の兄妹の証。
〇入院してから俺の睡眠が目茶苦茶になっている。その原因は深夜の点滴。なんでも俺を苦しめている菌を殺す為には一日に四度、時間を置いての抗生物質の投与が必要とかで、眠っていても深夜の12時には看護士さんに起こされてしまう。30分ほどの投与の後、そのまま眠れればいいのだけど、母の介護をするうちに4時から5時には目覚めるように体内時計がセットされてしまったので眠ることが出来ない。今も朝の5時2分。もう一度ベッドヘ戻ってみよう。
◎皮がパリッと焼けた鯖の塩焼きが食べたい。傍に適度な量の大根おろし(醤油少々)。たっぷりのニンニクで、レアに焼いた和牛ステーキが食べたい。傍にはクレソン。別皿に自家製ポテトも欲しいけど、ステーキの肉汁にご飯を入れたステーキご飯も食べたい。でもでも、今一番食べたいのは温かいアサリの味噌汁!しじみでもいい。とにかく病院食もコンビニ食も温かい味噌汁がないもんだから、煮干しと昆布で毎日作っていた味噌汁を飲んでいないのだ(貝の味噌汁の場合は煮干しと昆布はいらないけど、前日から塩抜きしておく必要がある)午後、俺をこの病院に「収容」した女優のNから電話があったもんだから退院後味噌汁を予約。現在、土曜日の午後7時過ぎ。病院食はスイカのみ。主食?は午前中にコンビニで買った五目釜飯。

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2022・8・26

2022-08-26 05:34:23 | 日記
〇現在金曜日の朝5時半。窓からはその頃しばらく前までの人生の殆どの時間を過ごしてきた九階建ての白いビルが隣に見えると云う不思議な環境に今自分はいる。ここ都立広尾病院に入院して今日で16日になる。いやその二週間前にも一度下肢動脈瘤破裂で緊急入院、手術して退院したからそれをいれると三週間以上になるのか?
〇最初の入院の時もそうだったし、こんどの入院でも時間になると「餌」みたいに差し出される病院食に猛烈な拒否反応を示して、全くと言っていいほど箸をつけようとしなかった。唯一口にいれることが出来たのはデザートだけ。果物が美味しかった。何だか分からないけどゼリーも飲め込むことが出来た。この二週間の間、俺はこの果物とゼリーだけで生きていたのだけど、お蔭で体重が元気な頃より15キロ減った。
〇この病院の栄養士や給食係の人には毎回悪いと思った。でも、この「餌」嫌いは子供の頃から徹底していて、小学校一年から六年まで給食を一切食べようとしなかった。それは大人になってからも変わらず、結婚しても奥さんが義務的に作ってくれる食事が気に入らず、朝食から自分で作るようになってしまった。このわがままさ、親が余程甘やかしたにちがいない。
〇二週間の似非ハンガーストライキの結果、医師が地下の売店で何か食べられるものがあれば買えと許可が出たもんだから、一週間前からタラコおにぎり、卵サンドイッチ、カツ丼、焼きそばなどなど買い込んで、食べていたら一日に五百グラムずつは体重が回復していく。
◎現在金曜日の夕方六時過ぎ。今日も俺担当の看護師のAさんに付き添って貰って地下のコンビニへ。チンジャオロース弁当、昆布のおにぎり、バジルチーズパンなど食料の他に朝日新聞、文藝春秋(芥川賞特集)、それに鼻毛切り。毎日俺の面倒を見てくれているAさんは十歳、七歳、三歳の母親だが、もうすぐ七五歳になる俺にも母親っぽく接してくれる。シャワーや着替えの時に全身を拭いてくれるAさんに七五歳の息子はすっかりAさんに懐いてしまった。鼻毛切りを買ったのは、鼻毛が出ていたらAさんにみっともないと思ったからか?

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2022・8・25

2022-08-25 17:16:14 | 日記
何て書きだしたらいいんだろ?どんないい訳から始めたらいいんだろ?午後、息子に借りてきて貰ったWIFIを使ってこのパソコンを立ち上げることの出来た喜びは俺の文章力では表すことが出来ない。今数えてみたら約二週間ぶりだ。8月10日の夜に緊急入院してから原因不明の高熱にうなされてブログどころじゃなかったことはお分かりいただけると思う。でも、まだ本調子じゃないけど、徐々に7月5日の六時過ぎに母がビルの六階で息を引き取り、その1時間後に初めての音楽劇「ロバくんとポニーちゃん」の初日の幕が三階であがり、一週間後には千秋楽を迎え、翌日には家族葬を執り行い、これで一段落かとおもったらこんどは俺が下肢大動脈瘤破裂→手術・退院→再入院の慌ただしい七月八月を少しずつ書き記して行くつもりだ。どうやら九月中旬までは入院生活が続きそう。皆さん、どうかよろしく。
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2022・8・9

2022-08-10 11:18:49 | 日記
昨日は途中何度も休憩しながら広尾交差点にある銀行に辿り着けたのだから、その途中にある郵便局へは楽勝だと思い込んで歩きだした午後のひととき。でもそれは甘い思い込みで、距離的には半分だと思い込んでいたのだけど、大きな間違いで、行っても行っても郵便局には辿り着けない。それどころか微熱。やばいと思った時には時既に遅く、体中にねっとりとした汗、帰宅して計ってみたら38度近く。ダメダァ,こりゃと崩れ落ちる。微熱×平熱×微熱×平熱の繰り返し。出前寿司で貝づくし、上手寿司、など5000円相当を頼んでみたけれど、俺以外に食べる人間なく、ご飯が干からびていく様、いと哀し。
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2022・8・8

2022-08-09 08:31:00 | 日記
息子のAがバカ父親を真似なくてもいいのに大腸のポリープ破裂で入院したもんだから見舞金を送ろうと広尾駅前の銀行に行こうとする。確かに退院後そんな長い距離(歩いて10分弱)歩いたことはなかったけど、そろそろその程度の距離は歩かなくちゃと思って表に出る。でも、数十秒後、直ちに後悔。歩けない。勿論走れない。ガードレールだけがお友達の世界。何度ひき返そうとしたことか。そこを何とか乗り切って広尾交差点に辿り着くのに35分も掛かってしまった。もうヘトヘト。振り込みを終えたら用もないのに銀行の椅子に座り込んでしまう。いつもならここでタクシー帰宅と云うことになるのだけど、ずっと負けていたらやりきれないので、銀行の前に止まっていたチーバスに乗り込んで、「市内観光」に挑戦する。テレ朝まで行こうかと思ったけど、お腹が空いてるのに気付いて麻布十番で下車。知り合いの干物屋さんに行こうとしたのだけど、既に営業時間はオーバー。残念。仕方なく近所の甘味屋さんへ。玉露と小豆氷。お腹には全然たまらないけど、途中で買った「嫌われた監督」(鈴木忠平)を読み進める。驚く。とんでもなく面白い。中日監督だった落合博満を描いたルポルタージュ。今年度の大宅賞受賞作だ。この本が知的かどうか分からないけど、俺の「知的好奇心」を刺激して目を話すことができない。本当なら何処かちゃんとしたお店でご飯を食べて帰るつもりだったのに、「食欲」より「知的好奇心」。一頁一行でも先を読み進めたい欲望にかられてコンビニで「焼鮭弁当」を買ってウチのビルの前を通るバスに乗り込む。コンビニで今まで弁当なんか買わなかったのに、俺も変われば変わるものだ。
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2022・8・7

2022-08-08 10:57:41 | 日記
体力の衰えが顕著だ。コンビニまで歩くのに息がぜーぜーしてしまう。だったら「頭脳」労働をすればいいいじゃないかという勿れ。母の遺産、保険問題、俺の高額医療の払い戻し手続き…やらなくてはいけないことが山ほどあって、書類を見ているだけで後退る。どうしよう?俺だけ母の遺産は受け取れなくなるのか?頭の中ではもう生命保険もいらないなんて気持ちになっているんじゃないだろうか?こんな時にはとにかく食うこと。朝は桃一つとパン一切れ。昼はラーメン。夜は久し振りに詰め合わせのお寿司。無理やり胃袋に詰め込んだ。
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