before dawn

青年海外協力隊でトンガにて活動、インドの大学で教壇に立つなどしていましたが今は母国で働いています。笑うことが一番大事。

宮城県亘理町での活動

2011-05-01 00:00:52 | 日本での暮らし・考える事・思う事

某区福祉協議会が募集した「宮城県亘理町災害支援ボランティア」に同僚と一緒に応募をし、
4月16日(土)~4月19日(火)まで活動をしてきました。

19日(火)の夜に東京に戻って、翌日から出勤しドタバタと働いていたのでアップするのが遅くなりました。

いろいろと思うところがあります。

今回は、行き帰りのバスのアレンジは某区がしてくださった。(現地に着いた後は、その福祉協議会の職員さんは亘理町のボランティアセンターの運営補助に入るので、活動自体は自分たちが自主的に行う形でしたが。)
そのお金は福祉協議会をサポートしている方々が納めているものなのだから、
私の義務は、現地の活動を報告すること。

でも、活動中あまり写真を撮る気持ちになれなかったし、

撮ったとしても、その中に個人宅が映っていると やはり公開するのを躊躇してしまいます。

でも可能なかぎり 津波の威力や被害の爪あとを 共有したいと思います。

一番必要なのは、長期的に東北が注目され続けることだと思うので。

↓線路に流された瓦礫






宮城県亘理町の状況ですが、

4日間という短い滞在で、全容を把握できるわけもないので、多少現状と違う部分もあるかと思いますが、
私が4日間で見た状況や様子をまとめてみます。

津波に来た地域は、テレビで見るような状況。いやそれ以上。

しかし 津波が到達しなかった地域は、少しずつ普通の生活が始まっています。上下水も電気も復旧し、スーパーや飲食店も営業をはじめています。
東北に物資を優先的に送っているので、水、ヨーグルト、納豆といった関東ではなかなか手に入らない物資も整っていました。

津波が来たところには 何も無い。 津波が来なかったところは、少しずつ日常が始まっている。

ある一線を境に、この二つの全く違う世界が 同じ場所に存在しているのです。

津波の被害に遭う前の景色を知らない私でも、被害の状況を見ると 苦しくなり怖くなりました。
そして テレビの報道だけでは感じられない被害の規模。
見渡すかぎり荒野になった地域に佇むと、
「復興までにいったい何年かかるんだろうか。そもそも、本当にこれほどまでの規模の被害を 復興へと導けるんだろうか。」
と、不安になりました。

しかし、同時に 安心した部分もあります。

まずは、宮城の人たちが思った以上に元気だったこと。笑顔も見受けられたこと。
もちろん、無理をしているんだと思う。頑張らなくっちゃ、笑顔でいなくちゃって無理をしているところもあるんだと思う。
でも、その無理した元気と笑顔すら見ることができないんじゃないかと思っていたので、
たとえ無理していたとしても 元気と笑顔が出始めていることに安心した。

あとは、経済が回っているということ。
スーパーにはお惣菜がたくさんあったし、ほかほか弁当や回転寿司も営業していた。
亘理町よりも北にある地域の状況はわからないけど、亘理町は通常の生活ができるくらいの物資はあった。

そして、何よりも安心して感動し、驚いたのは

日本全国から、老若男女がボランティアに集まっていること!!!!

私たちは 某区福祉協議会を通して亘理町までやってきたんだけれど、
実際に亘理町に行って、活動しているボランティアさんと話をしてみると、
皆さん、自家用車、深夜バス、電車などを使って自力で来ている方たちばかり!!!

震災の影響で入学式が延期になっている新大学生もたくさんいた。
中には、一人でやってきた女子大生もいた。
大手企業にお勤めの方もいたし、67歳のおじさまも。

私の知りうる限り 北は北海道から 南は長崎まで。

一番驚いたのは、高校三年生!!
これにはびっくりした。
同じ高校の同級生二名が、ボランティアに参加することを決め、
学校の先生に話したら、こんな状況だから行ってきなさいと、先生に後押しされたんだとか。
学校も欠席扱いにはなっていないそうで、学校のサポート力、「可愛い子には旅をさせろ」という精神に感動した。
何よりもすごいのは、彼らの親。
よく出したなと思う。すごいなと思う。

年頃なのか、口数は少ないコ達だったけど、泥だらけになって頑張っている彼らを見て 日本もまだまだ捨てたもんじゃないって思った。 

↓ お昼休み中


亘理町での活動は
泥だしがメインでした。
体の上から下まで泥だらけ。
泥の中から魚が出てきたり、かなり匂いがキツイときもあったけど、
グループのメンバー(当日仕事を割り振られて 即席のグループができる)と一緒に、依頼主(家の持ち主さんなど)と話をしながら
作業をしているとあっという間に一日が終わる。

気がつけば 泥の山が無くなっている。

人間一人でできることなんて ちっぽけなことだ。

でも 「何かやろう!」と思っている人たちが日本全国から集まれば
家から泥がなくなって、泥まみれの家が綺麗になって、家の持ち主の気持ちが明るくなる。笑顔が出る。
そして、
東北以外の地域に住んでて 「自分も力になりたい、自分には何もできないのか、、、、」と自分の無力さに苦しんでいた私たちの気持ちも明るくなる。


私の愛するトータスが言っている。
「日本は強い国。みんなでがんばれば 絶対に乗り越えられる。日本の力を信じてる」

こういったセリフを、今回の活動を通して 素直に信じられるようになった。

自分は元協力隊員だから 自分の周囲には協力隊関係の「熱い人」、「誰かの為に自分を犠牲にしてお手伝いをすることが当たり前の人」達が多い。
でも、そういう人たちが、協力隊関係者以外にもこんなにたくさんいるんだってこと、知らなかった。

私の職場では
ボランティア休暇を取得して東北に災害ボランティアに行ったのは私たちが初だったので
「なんだかんだいって、みんな冷めてるのねー」なんて思ってたけど、

日本人、意外と すごいじゃん。

数年ぶりに日本人好きになった。

テント生活も ボランティアの人たちで助けあって過ごしたので 困ったことはなかったです。


とはいえ、いわゆる普通の女子には キツイと思います。
バックパッカー経験者とか、超体育会系女子とか、途上国でのボランティア経験アリとかの女子なら 問題ないかと。


日々 ニーズは変化していきます。

泥かき以外にも 物資仕分け、り災証明書の問い合わせに対する受け答え業務などなど。

実際に私も、「一人暮らしのおばあちゃんと一緒に寝る」というのも担当しました。
一夜だけでしたが、身寄りの無いおばあちゃんが余震が怖くて眠れないというので 一緒に寝るというもの。

震災直後は まずはライフラインの確保のみだったニーズが、
これからは細分化される。

だけど、日本の人たちが それぞれ得意な分野で支援をすれば 絶対乗り越えられる。

日本の力、日本人の心意気を感じた4日間でした。


私も まだまだ まだまだ 支援活動を続けます!

なんだかんだいって、まだまだまだまだまだまだまだまだ時間がかかります。
まだまだまだまだまだまだまだ 人の協力、力、義援金、支援金必要です。
一番大切なことは、東北の人たちが本当に心から笑える日まで 支援をやめないこと。注目をし続けること。
これに尽きます。


最後に 某区の福祉協議会の方たち、一緒に活動したボランティアの皆さん、亘理町のボランティアセンターの皆さん、自衛隊の皆さんに心より御礼申し上げます。


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