禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

「後悔したこと後悔する」とはどんな意味?

2023-05-08 18:12:35 | いちゃもん
 私は若い頃人生幸朗と生恵幸子師匠の夫婦漫才が好きで、よくラジオでそれを聞いていた。いわゆるボヤキ漫才というやつで、ネタはたいてい流行歌の歌詞に関するものである。何ということはない歌の文句をとりあげて、屁理屈をこねていちゃもんを付ける。そういう芸風である。「『君の瞳は百万ボルト』やて? なんやそれ。目の玉は電球ちゃうぞ!」と怒り出し、終いには「責任者出て来いっ!」と切れまくるという塩梅である。

 人生幸朗師匠の影響もあってかどうかは知らないが、実は私も流行歌を聴いていて時々いちゃもんをつけたくなることがよくある。私はちょっと言葉についてはうるさい。なんか適当に言葉ならべてるだけじゃないのかと言いたくなるのである。

 〽もし今日を逃し 後悔すれば
 〽後悔したこと 後悔する
 〽後悔したくないんだったら
 〽後悔なんかするな

 若い歌手が歌っているその歌詞の中にその文言があったのであるが、聞いた瞬間一体何のことだか意味が分からなくて軽いめまいがした。果たして人は「後悔したことを後悔」したりするものだろうか。避けようと思えば避ける事が出来たはずの残念な結果を招いてしまった、後悔というのはそういう時に起きるネガティブな感情である。あくまで自然な感情であり、自分の意志で後悔することそのものを選択するわけではないので、後悔したことを後悔することは普通はあまりないはずである。あえてそういうケースを揚げるなら、後悔の念が強すぎて落ち込んでいる間にいろんな機会を逃してしまった、そういう場合には「あの時あんなに落ち込んでばかりいるんじゃなかった」と後悔するということはあるかも知れない。しかし、そんな意味でこのフレーズを使っているのなら流行歌の歌詞としてはいささかセンスに欠けるというものだろう。

 もしかしたら作詞者は「後悔したこと後悔する」というフレーズを自己言及文として、純然たる言葉遊びのつもりで書いたのかも知れない。しかし言葉遊びなら言葉遊びと分かるようにしておかねばならないし、これは自己言及文でもない。前述したように「ネガティブになったそのことを再び後悔する」という意味に読めるからだ。中途半端なあざとさがこの歌をダサいものにしていると私は感じた。おざなりの言葉ならべただけでは決して芸術にはならないのである。

 ちなみに、後悔はしなくてもよいと思うが反省は必要だと思う。

「後悔しない航海」
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