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禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

テロは絶対に許してはいけない‥‥

2022-09-27 06:50:24 | 政治・社会
 安倍銃撃事件が発生した時、「民主主義への挑戦」という言葉が飛び交った。事件直後には自民党の政治家は口々にその言葉を発していたように記憶している。彼らはこの事件をテロだと見做したのだろう。しかし、これはテロとは言えない。テロとはウィキペディアによれば次のように説明されている。

『日本大百科全書』によると、テロリズムとは「政治的目的を達成するために、暗殺、殺害、破壊、監禁や拉致による自由束縛など過酷な手段で、敵対する当事者、さらには無関係な一般市民や建造物などを攻撃し、攻撃の物理的な成果よりもそこで生ずる心理的威圧や恐怖心を通して、譲歩や抑圧などを図るもの」 

 山上被告を事件に駆り立てた動機はあくまで統一教会に対する個人的な怨恨であり、政治的意図はないのは明らかで、彼の行為をテロというのは当たらないように思う。しかし、この事件は教団と政治の関係を浮かび上がらせることによって、大きな政治的効果をもたらした。結果的に教団に天誅を加え、その政治的活動をかなり制約することになった。山上被告が自身の行為の影響についてどの程度意識していたかは不明だが、結果を考えれば、この事件は「テロ」的様相を帯びていることは間違いない。

 そのうえで、私自身がこの問題に関して「テロは絶対に許してはいけない」と自問自答すると、なにかきれいごとを言っているみたいな気がして後ろめたい感情が湧いてくるのである。なんだかんだ言っても、山上被告がこの事件を起こさなければ、旧統一教会もそれと持ちつ持たれつの政治家も何食わぬ顔でやり過ごしていたのではなかったか? 霊感商法であれほど社会を騒がした反社会的集団が政治家と結託しながら今も存続している、その事を世間に対してあからさまにした「功績」が山上被告にはあるのではないか、という思いが私の中で頭をもたげてくる。

 民主主義を標榜するなら「テロは絶対に許してはいけない」のである。それは間違いない。もしテロに対して一分の理を認めてしまえば、思いつめた人間はなにをやっても良いことになってしまう、結局はそういうところに行き着くだろう。それは民主主義とは対極の世界である。テロは絶対認めてはいけないし、そもそも人を殺すこと自体が許されるはずがない。そのことを頭では分かっていながら、山上被告の行為を全面的に否定しきれない自分の本音を払拭できないでいる。一体それはなぜだろう。

 それはやはり日本社会の現状が余りにもでたらめだからではなかろうか。この理不尽な反社会的集団を政治家が支えていたということ、またそのことに感づいていながら真相を追求した報道機関がなかったということ。権力への監視が緩めば官僚機構も腐敗する。日本の官僚は権力者の顔色ばかり窺っていて、命令されずとも公文書の改竄までしてしまうという「忖度文化」がすっかり根付いてしまった。もはや日本は民主主義国とは言えないほどの体たらくである。いつの間にか日本は先進国の中で報道の自由度はずば抜けた最下位(世界全体では71位)になっているのに、国民の大半がそのことを自覚できないでいる。

 もし、今回の事件で報道機関が覚醒し政治の暗部があぶりだされて、日本の政治が少しでも改善されるならば、山上被告はある意味英雄である。殺人を称揚してはいけないのは百も承知だが、私はやむに已まれぬ彼の憤りにある程度共感せざるを得ないのである。それはやはり日本の現状がでたらめすぎるからだと考えざるを得ない。「何があろうとも人を殺めてはいけない」と彼に対して正面から堂々と言える、日本がそんな社会であって欲しい。


信州・小布施の栗ケ丘小学校 (記事内容とは何の関係もありません。)
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統一教会と日本の政治の闇

2022-09-19 16:34:57 | 政治・社会
 自民党の旧統一教会との関係の「自主点検リスト」が物議をかもしているが、問題となっていることのポイントがずれているような気がしてならない。 茂木幹事長によれば、接点があった議員の9割近くが、相手が教団と関係しているとの認識がなかったらしい。「社会的な問題に対する我々の認識が不足していたのだろう」などと空とぼけたことを述べている。そもそも社会的な問題に対する認識が欠けているような人は政治家になるべきではない。そんなことは当たり前の話ではないか。

 重要なのは、旧統一教会のような組織に対して政治家としてどのような態度で臨むべきかということなのだ。1980年代から90年代にかけて霊感商法であれほど話題になった組織がなぜ今も生き残っているのかということが問題にされなければならないのではなかろうか。「旧統一教会の関連団体だとは知らなかったんですぅ。」で済まされる話ではない。
 
 宗教団体は政治家にとってはもろ刃の刃である。味方にすれば選挙の際には草の根として強力にバックアップしてくれるが、逆に、敵に回せば悪い風評を流される。だから、関連団体の集会に顔を出してリップサービスをするということはある程度理解はできる。しかし、多くの人々を塗炭の苦しみに陥れた旧統一教会のような組織を放置しておくだけではなく、政治的力によってその存続に手を貸した疑いがあるということが一番の問題点なのだ。

 1995年に麻原彰晃が逮捕されオウム真理教事件に一区切りついた頃、有田芳生氏は警察庁と警視庁の幹部から、統一教会についてレクチャーして欲しいと依頼があった。その際、レクチャーを受けたメンバーについては秘密にするという約束で、統一教会の現状や霊感商法、朝日新聞を襲撃した赤報隊に関する疑惑などについて1時間ほど説明したらしい。しかし、その後統一教会に対する捜査に動きはなかった。そして10年後の2005年に、レクチャーを受けた幹部と食事をした際に、有田氏が 「なぜ(統一教会をやらなかったの)か」と聞いたところ、「政治の力だ」という答が返ってきたという。

 安倍銃撃事件が勃発した時の国家公安委員長であった二之湯智氏は、2018年に「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」の関連団体のイベントで、京都府実行委員長を務めたことが明らかになっている。本人によれば旧統一教会の関連団体とは知らなかったということだが、そういうのんきな人が警察組織を所管する国家公安委員長に任命される日本の政治のユルサは如何なものか。

 二之湯氏はこうも語っている。「警察としては、違法行為があれば法と証拠に基づいて適切に対処していかなければならないが、私が申し上げた(2010年)以降はそういうことがない。被害届があれば別だが、警察として特別、動きはないということです」(だから当該の組織が統一教会の関連団体とは分からなかった、と言いたいらしい。)
ところが、その発言を受けて警察庁が、あわてて2010年を最後に「検挙がない」と訂正した。実際には被害届はその後もあったのである。

以下はyahooニュースから引用する。
【 旧統一教会による霊感商法被害の根絶や、被害者の救済を目的に活動している「全国霊感商法対策弁護士連絡会」(全国弁連)の集計では、2010年から2021年の12年間で、確認できた被害金額は138億円、相談件数は2875件にのぼる。ところが、この期間中、「検挙」はなかったわけだ。 「2005年から2010年にかけて、警察は、霊感商法による販売行為や献金勧誘に絡む物品販売について検挙し、13件で30人以上の旧統一教会信者が摘発され、逮捕・勾留されました。2009年の『新世事件』では、東京の統一教会信者2名が執行猶予つき懲役刑の判決を受けています。それが2010年以降は、一度も検挙されなくなってしまったわけです」(社会部記者)  

 相談件数は2875件にものぼっているのに1件も検挙がない。この事実をあなたはどう受け止めるだろうか? 
 
  2007年8月に安倍さんが複痛で第一次安倍内閣を放り出した時、誰もが安倍さんは総理大臣としては終わった人だと思ったはずだ。ところが約5年後の2012年12月に再び首相に返り咲くことが出来た。その力の源泉はやはり日本会議と勝共連合の草の根支持ではないかと私は思う。安倍さんの主張は日本会議と勝共連合の方針と一致しているし、SNSの中でも安倍さん支持の連中のコメントはどれもこれも論法がよく似ている。日本会議や勝共連合に感化された人々が草の根的にアンチ・リベラルな政治体制を支えているような気がしてならないのである。

煙樹ケ浜 (和歌山県 美浜町)
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ロシア 虚偽報道禁止法案を可決 - 空しい言葉の持つ力について

2022-03-09 07:07:06 | 政治・社会
 言葉はいい加減なものである。いい加減だが力を持つのでやっかいなものでもある。言葉は時には論理と一体であるかのごとく振舞うが、実のところ論理に言葉を矯正する力はない。言葉は恣意的に運用される。早い話が人間はいくらでも嘘を付けるのである。しかもその嘘が効力を発揮するということに人間の不条理が存在する。

 4,5日前に、ロシア議会では虚偽報道禁止法案なるものが可決された。「ロシアの軍事行動について『虚偽』とみなされる報道を行うと最大で15年の禁錮や懲役を科す」という内容です。この法案がもし厳格に適用されるならば、屁理屈並べてウクライナ侵攻を命令しているプーチン自身が真っ先に監獄へ送られねばならないはずだ。しかし、皮肉としか言いようがないが、実のところは真逆の話でウクライナに関する真実の報道を禁止するためにこの法案は作られたのである。法案が成立すれば、それはプーチンの意図に従って運用される。外国メディアにもそれは適用されるということなので、ロシア国内ではウクライナ関連の情報は発信できなくなる。

 現在ロシアに起こっている事態は特別なことではない。よくあることなのだ。80年前の日本でも同じようなことが行われていた。口さがない連中に「アカ新聞」と揶揄されている朝日新聞でさえ、当時は大本営発表のニュースをそのままたれ流していた。「アカ新聞」ではない産経や読売は現在でも慰安婦問題等では政府寄りの見解が目立つように私には(この件については異論のある方もおられると思うので、一応「私には」と断っておく)思える。国境なき記者団が発表した、昨年度の日本の報道の自由度ランキングは67位である。もはや「記者が権力監視の役割を十分果たすことが困難だ」というレベルだそうだ。 いわゆる先進国の中では断トツの最下位であることは憶えておくべきだとおもう。

 元首相が公の場で「幅広く募ったが、募集はしていない」と平気で言ってのける。言葉に対する感度がとても鈍い、日本はそんな国であることを日本人は自覚すべきである。 決してロシア国民のことを「遅れている」などと笑うことは出来ないと思う。

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 先日、「ロシアの良心を信じたい」という記事でウクライナ出身のナターシャ・グジー というミュージシャンを紹介しましたが、今度の土曜日(3/12)BSテレビ東京で「音楽交差点」という番組 に彼女が出演されます。お時間のある方は必見です。

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プーチンの本当の狙い

2022-03-05 14:53:55 | 政治・社会
 世界中の人々が固唾を飲んで見守っている最中、恐るべき非道な蛮行が正義の名において堂々と行われている。目の前で多くの人々が大変な難儀に見舞われているのに、私たちにはどうすることもできない。世界中にごまめの歯ぎしりが響き渡っているような気がする。なぜプーチンはこんなことができるのか? という疑問とともに、彼のこのような行為を許容しているロシア国民に対して怒りを覚えている人も多いのではなかろうかと思う。ロシア国民の中にも戦争に反対している人々は少なからずいるが、情報が遮断されていることもあって大半のロシア人は国外の事情に疎い。今回の侵略についてプーチンを支持している方が多数派であるらしい。

 なぜプーチンはこのような暴挙に出たのか? NATOの東進に対する不安? それとも大ロシアへのロマンチシズム?  私はどちらも主たる要因ではないと思う。そもそも、NATOの武力を恐れているならこのような暴挙に出るはずがない。NATOは絶対に武力介入してくるはずがないという自信があればこそこのようなことができるのである。彼が本当に恐れているのは「リベラルな民主主義」の拡散である。ウクライナの政権が親ロシアであるうちは良いが親欧米になった場合は、やがてウクライナ全体にリベラルな空気が充満してくることは避けられない。ウクライナにリベラルな空気が充満すれば、いずれそれがウクライナの姉妹国であるロシアにも浸透してくることは免れない。プーチンはそのことを一番恐れているのである。

 プーチンはKGBの出身である。KGBはご存じのように "007" のようなスパイものに出てくるソ連の情報機関である。お得意の謀略によって政敵をなぎ倒してきたうしろ暗さ満載の彼には、常に強権を行使して自分に異論を唱えるものが出てこないようにしなくてはならない。彼にとってリベラルな風潮はもっとも敬遠すべきものなのだ。そのためには、ウクライナの政権がリベラルであってはならず、親ロシアというよりロシアの傀儡でなくてはならない。つまり、ウクライナにロシアの傀儡政権を樹立するまで、プーチンは攻撃の手を緩めないだろう。謀略の中を生き抜いてきた彼にとって政治生命を失うということは、文字通り生命を失うことにもつながりかねないからである。彼は生きているかぎり権力の頂点に立ち続けなければならないという強迫観念にとらわれている。 

 首相就任時のプーチンの支持率はそれほど高いものではなかった。ところが、2014年にクリミアを強奪したとたん、彼に対する支持率が約90%にも跳ね上がった。結局そのことが彼の政権基盤を盤石のものにしてしまうことになった。最近のロシア経済の不調とともにプーチンの支持率も少し下がってきていたらしい。それが今度のウクライナ侵攻でまた上がって来ているという。

 ナショナリズムというものはまことにやっかいなものだと思う。簡単に「ロシア国民は愚かだ」と言ってしまう訳にはいかないと思う。80年前の日本も同じようなものだったのだから。否、現在もどうかあやしい。事情をきちんと知らないまま、「竹島はわが国固有の領土」という政府の言い分をそのまま熱狂的に信じている人がいかに多いことか。(このことは日韓双方に言える。) 私自身も事情を知らないが、小さな島の帰属の問題よりも隣国同士が友好的であることの方が何万倍も重要であることは認識しているつもりである。些細なことに執着していては扇動者に足元をすくわれる。こだわりを捨て広い視野を持つ、リベラルであるということはそういうことでもある。

早春賦の碑 (信州 安曇野)
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ロシアの良心を信じたい

2022-03-02 21:52:08 | 政治・社会
 30年ほど前、フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」という本が世界中で話題になったことがある。政治イデオロギー面の対立においてはすでに決着がつき、「リベラルな民主主義以外のどんな政治体制も正統性(legitimacy) を持ちえない」ということが白日のものとなった、というような内容であったように記憶している。ソビエト社会主義共和国連邦が崩壊し、中国では天安門事件が起こった。そういう当時の世界の雰囲気を反映した論文であった。そのとおりであれば、インターネットの普及による情報網の充実と、活発な経済交流により、世界の「リベラルな民主主義」化は一層促進されるはずだった。私の生きているうちにロシアも中国も民主化されることは間違いないとさえ思えた。
 
 ところがどうだろう、プーチンはドンバス地方の反政府グループを背後からコントロールしながらウクライナから独立させ、彼らを守るためという口実でウクライナを侵略した。かつて、満州に傀儡政権を樹立して、いろんな口実で中国を侵略していった大日本帝国と全く同じ手口である。歴史は繰り返すと言うが、専制主義者の考えることはいつの時代も同じなのだろう。彼らの望むものは自分たちの権力維持と拡大だけ、彼らの想像力は防空壕の中で赤ん坊を抱きながら震えている母親の気持ちにまで及ぶことはない。停戦交渉が行われているようだが、相手は人々に対し恐怖を押し付けながら自分の要求を通そうとする根っからのサディストたちである、交渉はただの時間稼ぎで着々と侵攻を続けるつもりかもしれない。

 一体プーチンは何を考えているのだろうか? この戦争でロシア国民が得るものは何一つもないはずだ。プーチンはおそらくウクライナを簡単に攻略できると考えていたのだろう。すんなりウクライナをロシアの支配下に取り戻せば、大ロシアのナショナリズムが満たされると考えたのだろう。フクヤマが言うように専制主義に本来の正統性はない。だから、彼らはナショナリズムによって正統性を偽装するのだ。現に、彼はウクライナからクリミヤを強奪したことについてはロシア国民の支持を得ている。それに味をしめて、今回もうまく行くと考えたのだろうが、ほとんどのロシア人はウクライナ人を攻撃することは望んでいないはずだ。この戦争の実態が知れ渡ればプーチンの支持率は低下するだろうが、したたかなプーチンは政敵になりそうな人物はことごとく叩き潰してしまっている、中々政権基盤は揺らぎそうにない。残念ながらウクライナ国民の苦しみはしばらく続きそうな気がする。でも、ここはやはりロシア人の良心に期待したいと思う。ロシア中に反戦ムードが沸き上がれば、プーチンだって戦争を続けることはできないだろうから。

 この頃は国際ニュースを見るたびに暗澹たる気持ちになる。多くの人々が苦難にさらされているのに何もできない、無力な私には一刻も早くこの戦争が終わるように祈ることしかできない。せめてロシア大使館前に出かけて、ロシア人の良心に訴えてこようかとも考えるのだが‥‥‥。

 ところで、話しは少し変わるが、下の写真の女性をご存じだろうか? 

彼女の名前はナターシャ・グジー、バンドゥーラというウクライナの民族楽器の名手にして、クリスタルボイスの持ち主のウクライナ人である。現在日本で活躍している音楽家でもある。音楽に興味のある人には是非試聴をお勧めしたい。 ただし、広告はスキップした方が良いと思います。
  

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