クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

猛暑を避けて池の平湿原 R- 5- 5-17

2023-05-19 06:56:56 | 倉渕・長野原・草津・嬬恋
季節外れの猛暑がやって来るとの予報で涼しい高原に
行って夕方帰宅という事にした。
行先は夏場に時々訪問していた長野・東御町にある
「池の平湿原」、ここの周回は可成りのアップダウン
があるので夏花は無くても結構楽しめるハイク道。
東御市の読みは「トウミ」。2004年に「東部町」と
「北御牧村」との合併で成立したが「御牧」の読みが
「ミマキ」であるため「御」はここでは「ミ」なのである。

R-406で倉淵を西進し「権田」で北進する国道と別れて
r-54でニ度上げ峠に向かう。権田から峠入口まで10.5km、
峠道は69回の曲がりを伴って8.7km。

r-54はかって建設中止(2015年決定)になった倉淵ダム用の豪華な
付け替え道路(2001年完成)が新道となっているので勿体ないぐらいの
快適な走行が得られる。
途中に「笹塒山」登山口、ヒカリゴケに執着して
数回訪れたのは2006・7年の頃だ。



やがて右手に「はまゆう山荘」と左に「角落山」登山口。
ここは「雨ん坊主1295m」や「剣の峰1430m」
登山口でもあるが表示物は無い。



峠手前に今や観光登山の山と化した「浅間山1757m」登山口、
時間が早いせいか?人影はまばら。



20分ほどで到着した峠は駐車して展望を楽しむ人が多かったが
声高の中国語が目立つのは何時もの光景。



正面の浅間は湿度の加減か、やや霞んで見える。



下りは15分で北軽信号、ここからr-235に乗り西進し
路線に沿って左折、「鬼押バイパス」を突っ切って
royalbluegolfresortの先を左折して
「嬬恋パノラマライン」を高速走行。
ここの目印ゴルフ場はかって「嬬恋ゴルフ場」の
目立つ看板があったが今は小さな英字で誠に見にくい。
若し左折しないで直進すればr-144の「田代」まで
行ってしまうから大幅な遠回りになる。

途中のこの看板の四つ角を左折して車坂峠に行っても
又は半ばから桟敷山林道を使っても良いが
分かり易いのは直進して「鹿沢温泉口」でr-94に合流して
地蔵峠に向かうのが無難。



地蔵峠1730mは閑散、ツツジの季節には大賑わいのお店も
人影無し。



夏山時期にはハイカーが集う烏帽子岳2066mや湯ノ丸山2099m
の登山口も閑散。



峠名物の八十番観音。



この観音像は東御市の1番観音に始まり、1町(109m)
毎に道脇に安置され、ここのは八十番観音で旧鹿沢温泉の
100番観音まで続くがこの峠が境界線なので「東御市分は80番で
終わり」で「嬬恋村分は80番から始まる」と云う事になる。



地蔵峠から車坂峠に繋がる林道数キロで池の平駐車場。
混雑シーズン外の平日は無料開放。
目の前に東・西籠の登山がどっしりと迎える。



今日の周回は反時計回りだがやや傾斜のある登山道がずっと
続き低山一山を登る様な感じ。



随分歩いた積りでも途中の道標をみたら未だ0.4km。



漸く「雷の丘2108m」通過。



遥か彼方に「黒斑山」らしき巨体、浅間の頭が少し見える。



「雲上の丘2110m」で大休止。後ろに東西籠の登2227mと赤ザレの
水の塔2202m。



本日の爺イ。



東方の池の平湿原は冬姿のまま。



妖精雰囲気と称されるピグミーの森を
露岩に注意しながら通過。



やがて「見晴岳2095m」の裾を回り込むと道標乱立。



右折して100m先の見晴岳へ。



見晴岳山頂、西へ乗り越せば地蔵峠まで
2.5kmのハイキングコース。



下山してこまくさ自生地を過ぎ池の平への下り道を
通り越して「三方ヶ峰」ピストン。



鞍部から重くなった足を曳きづる様に分岐まで
登り返し湿原に降り鏡池に映る山を眺めて
0.8km 先の駐車場に向かうが既にヘロヘロだったが
丁度小学校高学年の元気な大集団とすれ違ったので
無理やり元気そうな爺イの振りをして歩く。



何とか予定時間を30分超過の程度で東屋帰着。帰りは桟敷山
林道を使い丁度車両の少ない時間帯をノンストップで飛ばして
2時間20分の新記録?で帰宅。
もう登りの多い12500歩超は無理になって来たと実感。



二度上げ」の名前の由来はハッキリしないが、余りの急峻に
荷を二度に分けて運んだとか、倉淵側から来ると途中に峠と
見違える箇所があり、二度も峠を
登る錯覚が生まれるとかーーだか良くは知らない。
だが、ネットでは違った記述もある。其の代表が
「ここは昔、草軽電鉄が通っており急坂を越えるのに
二度もスイッチングしたのでーーー」というもの。
草軽電鉄は戦前から戦後に掛けての軽井沢を巡る東急・
五島慶太と西武・堤康次郎との熾烈な闘いの産物。
軽井沢を制し草津までのバス路線を確保した西武に対して
軽井沢から草津までの軽便鉄道の敷設を以って東急が
一矢を報いたもの。1915年から1962年までの稼動。
当然、二度上げ峠などは通っていないが、始発から
9個目の駅に「二度上げ駅」があり、三箇所のスイッチング
箇所の一つだった。国境平から三原に向かう途中である。
この説は駅の二度上げと峠の二度上げを混同している?

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登山
21勝20敗 (05/21)現在 首位と5.0ゲーム差 三位 4位とのゲーム差 0,5ゲーム
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