土日に降ると言う雨が季節に合わない暖気を引っ張り込んだのか、今日もハイク
日和。先日の岩櫃山の帰りに失敗した滝峨山第三石門の探索、序に通称「西峰」と
その遥か北にある三角点・十二平 597.4mにタッチの予定。
滝峨山分岐を素通りして岩櫃山東麓の貯水池からの合流点に路傍駐車。
先ずは「西峰」なるものの確認に向かう。ここは横田氏の「300山」の概念図に
530mとして載っているが地形図にはそんな標点は無いし、まして山名の記載も無く
ネットにも記録は見当たらない。
直ぐ先の工事中の橋を渡ると右脇に東電の送電鉄塔案内、229号とある(9.14)。
目の前に鉄塔管理道と思われる作業道があるので入り込む。落ち葉の下には殆ど
石ころは無く極めて歩き易い。
やがて沢を渡るがこの腐った橋を渡る気にはなれずに、飛び石伝いに対岸へ。
やがて右の大岩の下に鉄索。表示物は何も無い。
中を覗くと「ヒカリ苔」の様だが「竜ヶ岳」の「ヒカリゴケ洞窟」よりは小規模。
道は南北稜線と平行に殆ど高度も上がらずに伸びている。兎に角、早いうちに稜線に
上がらないと拙いと思いながら行くと、鉄塔用なのか小型のモノレーの下を潜る。
突然、右の急斜面に向かって蛇行の急登道に変貌、さっきのモノレールをもう一度
潜るが、前方に何やら荷物車風のものも見える。
この辺りから高度計を睨んで530m地点に注意。尾根に乗って左急旋回の所が丁度530m。
だが、ここは稜線の突端の様なもので、付近を見ても「山」といえる突起は無い。
仕方なく、三角点を先にする事にして稜線の東下を走るこんな道を北進。
左手に東電特有のプラ段が出現、道はそのまま直進しているが、プラ段を使って稜線へ。
僅かの距離で229号鉄塔に到着。「新吾妻線」の表示。
鉄塔からは西が開けていて岩櫃山が良く見える。
一呼吸おいてからハッキリした踏み跡のある北側の林に突入。
暫くで左の稜線に何となく合流。
緩い登りを進むと今度は稜線上にプラ段、
直ぐに鉄塔下に到着。
番号表示板はないがコンクリート基石に228とあつた。
ここから漸くハイキングらしくなる。北側から稜線は西北と東北に二分する。
明瞭な踏み跡は西北に伸びているが、そちらは三角点とは逆方向。
三角点山への鞍部は東北に向かう藪に突入する。
藪を抜けて杉林と雑木林の境の隙間を下ると鞍部に降り立ち再び登りが始まる。
登りと云っても険しい箇所は無くこんな程度の岩場が幾つかある程度。
やがて前方に開けた頂上らしきものが見えた。
そして到着、珍しくも昨今はトンと目にする事も少なくなった赤白ダンダラ棒が
しっかりと立っていて山頂周辺は綺麗に伐採されていて広場風(10.16)。
三角点は三等・十二平 597.4m。山名も無いから当然標識の類は無し。
近くに石像が一体、背面に「宝暦三年 酉 原町 山根」。宝暦三年といえば
吉宗・大岡忠相が没してから二年後の1753年、黒船騒動の百年前。
伐採がされている割合にはその下部の樹木が伸びているので展望は不良。
僅かに北方の山々が冠雪しているのが見える。
東には嵩山からの眺望と同じに十二ヶ岳とその手前の青山・名知良久・仏体などが
見えるはずなのに杉枝の突端に遮られて駄目。
甘味を少し口に入れて下山開始、今度は鉄塔を目指せばいいんだからこんな所を
ガサガサと歩く。
二つ目の鉄等を越えると標高は545m、再び530m地点を確認する積りで高度計を注視。
東に滝峨山が良く見える場所と書いてあったが、時折樹間から見えるこんな
ものは「良く見える」の範疇ではない。
と、右(西)に急旋回して尾根から離れるところに、往路では全く気づかなかった
伐採された展望台風の突端を発見。高度計は531mを指していた。
確かに滝峨山が良く見える。
遠方の山々は霞ではっきりは見えない。
と、足元をみると「地籍図根三角点」、多分これが「通称」の西峰と勝手に決め込む。
一寸、木の陰になるが岩櫃山。
西峰から一寸下って振り返ると往路からではこんな風にしか見えないので見逃し
たのだろう。
猪のドロ場か?一部が岩なので怪しいが。
下山道は大型のホウの葉が裏返っていて石ころに見えるが下には何も無い。
最後の沢で木橋を渡ってみようと近づいたがヤッパリ崩れそうで無理。
駐車場着が11.15。
滝峨山駐車場というより不動滝駐車場へ僅かの距離を車移動。数本の紅葉がお出迎え。
マイクロが二台、先客があるようだ。
脇に在る案内図を見てから不動堂。
大黒様を始めとして数体の石像。
そこから不動滝が良く見える。三段の滝との触れ込みなのでよく見ると、途中に二箇所の
岩の出っ張りがあってそこで撥ねて盛り上がるので三段の滝と云うのかな?
滝壺に降りてみる。
上を見るとこんな感じ。
今度は第三石門探し。滝壺左に見える東屋の脇に踏み跡があるので辿ってみる。
滑り易い急登、右が滝壺への切れ込みなので怖いところだ。
急斜面を蛇行して第三石門前。だが、妙義石門巡り並みの観光的石門を予想していたので
その凄さに唖然。
崩落した大岩が折り重なり、石門というより登り急勾配の洞窟だ。だが、鎖も梯子も
大岩の上に掛かっているので崩落は最近の事ではないらしい。遥か上部に微かに
明るい点があり、あそこが出口らしい。だが、通る隙間はザックも邪魔の位に見えたので
とても年寄りが単独で行くところではないと感じて眺めただけで安全第一の撤退。
どっち道、その先は通行止めで車道には出られないんだからと言い訳しながら。
不動堂に戻って改めて観察、石門の出口に相当する地点にしめ縄が見えた。出口は
滝の真上に位置するのだろう。
さて、ここで昼食と休憩。何やら滝峨山の方がやたらと人声が騒がしくなった。
どうやら子供の集団らしい(12.06)。何時も子供の集団には追い抜かれるので苦手。
ゆっくり休んでから登山道入り口に向かう。この山は石仏が百基ある事から
江戸時代より観音山と名付けられたと言うが、山頂部分は
「柳沢城跡(岩鼓の要害)」であり、岩櫃城の東を守っていた出城で、
狼煙中継点や間者隠棲の地としても機能していたらしい。
北向き観音窟の脇にある「胎内窟」への梯子で本日の爺イ。かっても同じ写真を
撮っているから全く爺イの進化は止まっている。
荒れた岩の間を上り短い梯子を経ると大騒ぎの原因が判明。
金掘り穴のところに前橋・下小出のH保育園の年長組の集団が一人づつ穴に入り
外から友達が勇気付けるように穴に向かって声を掛けたり歌を歌っているのだ。
勿論、内部の数箇所に引率の先生方が待機しているらしいが。
こつちも入る予定でビームライトを用意してきたのだが、これでは遠慮せざるを
得ない。子供達がヘルメットに装着している手製のランプの写真を撮ろうとしたら
ワッと囲まれてこのスナップ。後日、保育園に送付してやろう。
その直ぐ先に巨大な「象ヶ鼻岩」、ここで西回り直登と東回りの岩窟めぐりに
分岐する。麓の案内図ではここから先はx印で通行止めになっていたが
取り敢えず行けるとこまでと東回り。
確かに登山道にしては倒木が多く家族向きルートではないが何とか通過して
来られない筈の「南大岩窟」まで来てしまった。
遥かに上を見ると多数の仏像が並んでいる。
だが、ここから進路がおかしくなった。踏み跡は無いし極めて危険な斜面をトラバース。
遂に進行不能、首をかしげながらも引き返して分岐。今から考えると大岩窟から上へ
上へといってしまったようで、チャンとしたルートはもっと下にあったのかも。
で、直登道を上りだすが少々手ごわい所もある。だが、目印テープが頻繁に見られ
梯子や鎖が多いので岩の間を上手く縫って行ける。
途中で西に見えるさっきの西峰を観察、229鉄塔を含んで確かに一つの山塊で展望台の
位置はその高みの南端だ。と、すれば先ほど見た図根三角点位置が西峰と思って
間違いなし。このルートにも狭いながらも「見晴らし」があるが周囲は霞。
唯一、先日の貯水池周辺。
やがて「頂上」という道標
岩場も出てくる。
ここを左に迂回して通過すると
広場風の頂上。
石像物が多数あるが仏像の首が無い。
こんな所に通行止めの看板が転がっていたが、頂上から時計回りで大岩窟まで
となっている。
頂上標識の類は此れだけ。偶然にもここも530mと書いてあるが300山では540m。
展望は南だけ、原町市街地方面。遠くに赤白鉄塔がみえるのは子持山?(12.57)。
少しの休憩で下山、金掘り穴に戻ったら未だ園児達が遊んでいる。入るのを諦めて
駐車場(13.20)。
帰路は榛名山麓の紅葉具合を見るためにR-28に入って榛名山へ。鬢櫛山の西面。
湖畔は既に冬気配。掃部ヶ岳
烏帽子岳
榛名富士
相馬山
峠を渋川に向かって少し降りて高根展望台から小野子三山の写真をと思ったら霞。
下の伊香保の景色だけ。
森林公園付近も全ての紅葉は終了、ぐっと下って吾妻山登山口付近で漸く楓。
だが、この辺のは多分自然ではなく植林のもの。
一回りで本日も無事に帰還。
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日和。先日の岩櫃山の帰りに失敗した滝峨山第三石門の探索、序に通称「西峰」と
その遥か北にある三角点・十二平 597.4mにタッチの予定。
滝峨山分岐を素通りして岩櫃山東麓の貯水池からの合流点に路傍駐車。
先ずは「西峰」なるものの確認に向かう。ここは横田氏の「300山」の概念図に
530mとして載っているが地形図にはそんな標点は無いし、まして山名の記載も無く
ネットにも記録は見当たらない。
直ぐ先の工事中の橋を渡ると右脇に東電の送電鉄塔案内、229号とある(9.14)。
目の前に鉄塔管理道と思われる作業道があるので入り込む。落ち葉の下には殆ど
石ころは無く極めて歩き易い。
やがて沢を渡るがこの腐った橋を渡る気にはなれずに、飛び石伝いに対岸へ。
やがて右の大岩の下に鉄索。表示物は何も無い。
中を覗くと「ヒカリ苔」の様だが「竜ヶ岳」の「ヒカリゴケ洞窟」よりは小規模。
道は南北稜線と平行に殆ど高度も上がらずに伸びている。兎に角、早いうちに稜線に
上がらないと拙いと思いながら行くと、鉄塔用なのか小型のモノレーの下を潜る。
突然、右の急斜面に向かって蛇行の急登道に変貌、さっきのモノレールをもう一度
潜るが、前方に何やら荷物車風のものも見える。
この辺りから高度計を睨んで530m地点に注意。尾根に乗って左急旋回の所が丁度530m。
だが、ここは稜線の突端の様なもので、付近を見ても「山」といえる突起は無い。
仕方なく、三角点を先にする事にして稜線の東下を走るこんな道を北進。
左手に東電特有のプラ段が出現、道はそのまま直進しているが、プラ段を使って稜線へ。
僅かの距離で229号鉄塔に到着。「新吾妻線」の表示。
鉄塔からは西が開けていて岩櫃山が良く見える。
一呼吸おいてからハッキリした踏み跡のある北側の林に突入。
暫くで左の稜線に何となく合流。
緩い登りを進むと今度は稜線上にプラ段、
直ぐに鉄塔下に到着。
番号表示板はないがコンクリート基石に228とあつた。
ここから漸くハイキングらしくなる。北側から稜線は西北と東北に二分する。
明瞭な踏み跡は西北に伸びているが、そちらは三角点とは逆方向。
三角点山への鞍部は東北に向かう藪に突入する。
藪を抜けて杉林と雑木林の境の隙間を下ると鞍部に降り立ち再び登りが始まる。
登りと云っても険しい箇所は無くこんな程度の岩場が幾つかある程度。
やがて前方に開けた頂上らしきものが見えた。
そして到着、珍しくも昨今はトンと目にする事も少なくなった赤白ダンダラ棒が
しっかりと立っていて山頂周辺は綺麗に伐採されていて広場風(10.16)。
三角点は三等・十二平 597.4m。山名も無いから当然標識の類は無し。
近くに石像が一体、背面に「宝暦三年 酉 原町 山根」。宝暦三年といえば
吉宗・大岡忠相が没してから二年後の1753年、黒船騒動の百年前。
伐採がされている割合にはその下部の樹木が伸びているので展望は不良。
僅かに北方の山々が冠雪しているのが見える。
東には嵩山からの眺望と同じに十二ヶ岳とその手前の青山・名知良久・仏体などが
見えるはずなのに杉枝の突端に遮られて駄目。
甘味を少し口に入れて下山開始、今度は鉄塔を目指せばいいんだからこんな所を
ガサガサと歩く。
二つ目の鉄等を越えると標高は545m、再び530m地点を確認する積りで高度計を注視。
東に滝峨山が良く見える場所と書いてあったが、時折樹間から見えるこんな
ものは「良く見える」の範疇ではない。
と、右(西)に急旋回して尾根から離れるところに、往路では全く気づかなかった
伐採された展望台風の突端を発見。高度計は531mを指していた。
確かに滝峨山が良く見える。
遠方の山々は霞ではっきりは見えない。
と、足元をみると「地籍図根三角点」、多分これが「通称」の西峰と勝手に決め込む。
一寸、木の陰になるが岩櫃山。
西峰から一寸下って振り返ると往路からではこんな風にしか見えないので見逃し
たのだろう。
猪のドロ場か?一部が岩なので怪しいが。
下山道は大型のホウの葉が裏返っていて石ころに見えるが下には何も無い。
最後の沢で木橋を渡ってみようと近づいたがヤッパリ崩れそうで無理。
駐車場着が11.15。
滝峨山駐車場というより不動滝駐車場へ僅かの距離を車移動。数本の紅葉がお出迎え。
マイクロが二台、先客があるようだ。
脇に在る案内図を見てから不動堂。
大黒様を始めとして数体の石像。
そこから不動滝が良く見える。三段の滝との触れ込みなのでよく見ると、途中に二箇所の
岩の出っ張りがあってそこで撥ねて盛り上がるので三段の滝と云うのかな?
滝壺に降りてみる。
上を見るとこんな感じ。
今度は第三石門探し。滝壺左に見える東屋の脇に踏み跡があるので辿ってみる。
滑り易い急登、右が滝壺への切れ込みなので怖いところだ。
急斜面を蛇行して第三石門前。だが、妙義石門巡り並みの観光的石門を予想していたので
その凄さに唖然。
崩落した大岩が折り重なり、石門というより登り急勾配の洞窟だ。だが、鎖も梯子も
大岩の上に掛かっているので崩落は最近の事ではないらしい。遥か上部に微かに
明るい点があり、あそこが出口らしい。だが、通る隙間はザックも邪魔の位に見えたので
とても年寄りが単独で行くところではないと感じて眺めただけで安全第一の撤退。
どっち道、その先は通行止めで車道には出られないんだからと言い訳しながら。
不動堂に戻って改めて観察、石門の出口に相当する地点にしめ縄が見えた。出口は
滝の真上に位置するのだろう。
さて、ここで昼食と休憩。何やら滝峨山の方がやたらと人声が騒がしくなった。
どうやら子供の集団らしい(12.06)。何時も子供の集団には追い抜かれるので苦手。
ゆっくり休んでから登山道入り口に向かう。この山は石仏が百基ある事から
江戸時代より観音山と名付けられたと言うが、山頂部分は
「柳沢城跡(岩鼓の要害)」であり、岩櫃城の東を守っていた出城で、
狼煙中継点や間者隠棲の地としても機能していたらしい。
北向き観音窟の脇にある「胎内窟」への梯子で本日の爺イ。かっても同じ写真を
撮っているから全く爺イの進化は止まっている。
荒れた岩の間を上り短い梯子を経ると大騒ぎの原因が判明。
金掘り穴のところに前橋・下小出のH保育園の年長組の集団が一人づつ穴に入り
外から友達が勇気付けるように穴に向かって声を掛けたり歌を歌っているのだ。
勿論、内部の数箇所に引率の先生方が待機しているらしいが。
こつちも入る予定でビームライトを用意してきたのだが、これでは遠慮せざるを
得ない。子供達がヘルメットに装着している手製のランプの写真を撮ろうとしたら
ワッと囲まれてこのスナップ。後日、保育園に送付してやろう。
その直ぐ先に巨大な「象ヶ鼻岩」、ここで西回り直登と東回りの岩窟めぐりに
分岐する。麓の案内図ではここから先はx印で通行止めになっていたが
取り敢えず行けるとこまでと東回り。
確かに登山道にしては倒木が多く家族向きルートではないが何とか通過して
来られない筈の「南大岩窟」まで来てしまった。
遥かに上を見ると多数の仏像が並んでいる。
だが、ここから進路がおかしくなった。踏み跡は無いし極めて危険な斜面をトラバース。
遂に進行不能、首をかしげながらも引き返して分岐。今から考えると大岩窟から上へ
上へといってしまったようで、チャンとしたルートはもっと下にあったのかも。
で、直登道を上りだすが少々手ごわい所もある。だが、目印テープが頻繁に見られ
梯子や鎖が多いので岩の間を上手く縫って行ける。
途中で西に見えるさっきの西峰を観察、229鉄塔を含んで確かに一つの山塊で展望台の
位置はその高みの南端だ。と、すれば先ほど見た図根三角点位置が西峰と思って
間違いなし。このルートにも狭いながらも「見晴らし」があるが周囲は霞。
唯一、先日の貯水池周辺。
やがて「頂上」という道標
岩場も出てくる。
ここを左に迂回して通過すると
広場風の頂上。
石像物が多数あるが仏像の首が無い。
こんな所に通行止めの看板が転がっていたが、頂上から時計回りで大岩窟まで
となっている。
頂上標識の類は此れだけ。偶然にもここも530mと書いてあるが300山では540m。
展望は南だけ、原町市街地方面。遠くに赤白鉄塔がみえるのは子持山?(12.57)。
少しの休憩で下山、金掘り穴に戻ったら未だ園児達が遊んでいる。入るのを諦めて
駐車場(13.20)。
帰路は榛名山麓の紅葉具合を見るためにR-28に入って榛名山へ。鬢櫛山の西面。
湖畔は既に冬気配。掃部ヶ岳
烏帽子岳
榛名富士
相馬山
峠を渋川に向かって少し降りて高根展望台から小野子三山の写真をと思ったら霞。
下の伊香保の景色だけ。
森林公園付近も全ての紅葉は終了、ぐっと下って吾妻山登山口付近で漸く楓。
だが、この辺のは多分自然ではなく植林のもの。
一回りで本日も無事に帰還。
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