クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

岩櫃山周回 紅葉はまだ先 H-29-11- 2

2017-11-03 19:24:21 | 吾妻周辺
今年は紅葉が遅れているとの情報が多いので最盛期待ちの間に一寸
足慣らしで岩櫃山に行くことにした。

表題に掲げた地元に設置してある案内板にある様にこの山には
蜜岩通り・赤岩通り・旧赤岩通り・尾根通り・沢通りと五本の
ルートが設置されているが登り・降りを考えると拾本とも云える。

岩櫃山には過去七回登っているが10本のルートの内、未経験は
蜜岩の降りと赤岩の登りの二本。今日は赤岩の登りを試してみる。
このルートが何故今まで未経験かと云うと何回かの降りに使った時、
そのルートの厳しさから蜜岩ルートより難しいと感じて
敬遠していたから。

郷原駅の東側の細道に入り道標に従って登山者用駐車場。
前年の大河ドラマ「真田丸」ブームの名残か? 数本の幟が出迎え。(9.58)



ここから見上げる岩櫃山は噂通り紅葉全開とは程遠い景観、あと10日位
先ではないだろうか?



舗装路をダラダラと登って行くと丁字路に道標。左は蜜岩ルートだが
右は「潜龍院跡」「赤岩・十二様登山道」とある。推定だが
十二様登山道とは「旧赤岩ルート」の事なのかな?



迷わず右を選択して民家の間の道標に導かれて進むと「潜龍院跡」の
幟が林立。資料によると「1582年、武田勝頼が信長・家康連合軍に
追い詰められた時、真田昌幸が勝頼を迎えるために3日間で建てたと
いわれる館城が、古谷御殿。そこに潜龍院という寺があったため、
この地を「潜龍院跡」と呼んでいるとのこと。周知のように勝頼は
昌幸の配慮に耳を貸さず重臣の小山田氏の裏切り工作に乗ってしまい、
天目山で無残にも虐殺されている。



ここが赤岩登山口。後方に見える石垣のある平地が「潜龍院跡」。



このルートは急斜面の殆ど直登に近いので覚悟して細道に入る。(10.15)



直ぐに前途多難を予感させる雰囲気の道。



ほんとのルートかと心配になるほどのゴーロ地帯が続く。こんな時
一人旅の心細さを痛感するが遅足のためチームを組めない爺イとしては
我慢しなくてはならない。



窪の先端を回るところで漸く初めての道標。



珍しく普通の登山道が現れ平坦のトラバース道で暫く気楽になるが
未だ本格的な登路に入っていない。



急登の始まりは際限のないような偽木コンクリート段の連続。



前方に標識が見えた。「四合目」とあり右折。



こんな所を左の岸壁を伝わりながら慎重に通り抜け。



再び偽木段が続きその先に漸く旧赤岩ルートとの合流点が見えた。



最後の詰め、鎖は幅広の崖の右側(赤矢印)、左の崖下も突破できそうだったので
無謀にも鎖抜きの挑戦。だが、無残にも途中で立ち往生して惨敗。
世の中ではこれを「年寄りの冷や水」という。
そろりと下まで撤退して今度は鎖を使ってクリヤ。



登り切った上には「五合目」の看板。腰を下ろして一休み。ここは
旧赤岩通りとの合流点。



到着点からのぞき込んだら鎖無しが如何に無謀か実感。



少し前進すると派手に看板群、そこは尾根通りとの合流点。



直ぐに名物の「天狗の蹴上岩」。



蹴上岩脇を抜けるにはこの梯子。着いた所が「尾根通り六合目」。



二つ目の梯子は短い。



巨岩の狭い隙間を抜けて振り返り。ここに「一本槍」の看板があるが
どれを指すのか?分からない。



その先は岩場の沢登りになって随所に鎖場。



七合目の先も登路不明のような荒れ道。



記憶にある巨大な倒木。確か蜜岩コースにも似たようなものがあった
と記憶する。



最後の鎖場、やや長いが二本あるので両手つかみ。



鎖場上は「八合目].



前進すると安心していた尾根道が突然通行止め。「正規の道に
進め」と書いてあるが正規の道がどちらかの指示はない。



周囲を見渡したらこんな段差を這い上がるのが正規の道だった。



この九合目標識の上が展望台の九合目。握力・腕力が減退している
爺イは初めから10合目の尖塔頂上に行く気はないからここが終点。



但し、三年前まではちゃんと登ってこんな具合に10秒セルフで最後の数メートルを
駆け上がりも出来たのに85歳も近づくと危険は冒せない。同じ服装にも苦笑い。



狭い場所に数人が固まって休憩中。爺イも仲間に入れてもらって
休憩と昼食。紅葉が今一なので景観もこんなもの。(12.00)



同席したグループの一人が爺イの白髪頭と往路が酷かったという話を
くっつけて「帰りは旧赤岩が良いですよ! 鎖も沢歩きもないから
足が疲れているときは無難です」と気を使ってくれた。
未だ山頂の調理を楽しんでいるグループに挨拶して下山に掛かる。(12.20)
途中で本日の爺イを一枚。



二人連れと後になり先になったりしてブラブラ下り、五合目の分岐。
さっきの忠告通り往路のピストンを止めて旧赤岩通りへ。



要所にきっちり付けられている道標のお陰で迷う心配は全くない。
大体、道はこんな雰囲気。但し下るに連れて傾斜が強くなるので
軽アイゼンを装着。



初めて「潜龍院跡」の道標も現れる。



勿論、偶にはこんな岩際も通るがほんのご愛敬程度。



目の前の小さな突起に「郷原城址」の案内。岩櫃城南西にあるこの郷原城は、
かつては岩櫃城や潜龍院の物見の役目と考えられてきたが、近年の調査に
よると「馬出し」「土橋」「主郭」など、規模は小さいものの手の込んだ
構造をしており、城として十分な機能を有していたとの評価を受けているとの解説。



突然、道幅が広くなると出発点の広場の東端に出て潜龍院跡の石垣。(13.30)



座り込んでアイゼン外したりして休憩後、約1km歩いて駐車場着。
もう一度岩櫃山を振り返ってから帰路に就いた。(13.51)



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