午前中の所用で折角の好天も見送り。午後になって資料を整理
していたら出て来たのが上の写真の図面。昨年、発刊された新版の
「榛名町誌」のP.33、「榛名火山の地形と地名」だ。
眺めてみると中々に興味深い。
(1)「ヤガタ」なる山名を見付けた。切り取り図は下。
この図の中で先ずマイナーな山で余り話題にならないが、爺イの好きな
ピークがはっきり出ているので嬉しくなる。「梓山」「獅子岳」「伯耆山」など。
問題の初めて聞く「ヤガタ」の表示が山名だとは確信ができないが
有名峰と同じに▲印があるから大丈夫だろう。
鬢櫛山からの方向と距離を国土院地形図に当て嵌めると北西の
1236m峰が該当する。辿るのはそう難しい事でもない模様だが
榛名の北側は雪が深いだろうな。
(2)「牛越」とはこれ又初耳。それに今までの「杏ヶ岳」に「すももヶ岳」と
あるからには「李ヶ岳」が復権したのだろうから目出度しである。
さっきと同じく国土院地形図を当て嵌めると「杖ノ神の頭」と掃部西峰の
中間にある1402.5m峰(三百山では1391m)から北西へ直線1.4kに
ある1227m峰が該当する。これはヤガタより山が深いので一寸厄介か?
(3)鐘原ヶ岳の扱い
諸説ある鐘原ヶ岳の扱いは古説を踏襲し1271m峰を「大鐘原ヶ岳」、
現在、「大鐘原ヶ岳」「小鐘原ヶ岳」との通称が定着しつつある山魁を
「小鐘原ヶ岳」としている。
それは同本のP.36の「古榛名火山溶岩ドーム群」なる写真でも
同様の扱い。どう間違えても「幡谷山」とは出てこない。
因みに古榛名火山は今は姿もない往時の火山の形・火口の高さ・火口の位置が
野外調査から明かにされた数少ない例とされる。推定による古榛名火山は
今の榛名湖の真上を火口とし2500mの高さにまで成長したらしい。
浅間の様に絶えず火山砕屑物を積もらせているのと違って、長期の活動休止に
よつて岩片は斜面を転がり落ち火山灰が流されて悠久の時間の中で山頂は
低くなったとか。
其のうち、雪の状態の情報が判り次第、不遇の低山を尋ねてみよう。
誰も注目していないだろうから多分、爺イが一番乗り?
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していたら出て来たのが上の写真の図面。昨年、発刊された新版の
「榛名町誌」のP.33、「榛名火山の地形と地名」だ。
眺めてみると中々に興味深い。
(1)「ヤガタ」なる山名を見付けた。切り取り図は下。
この図の中で先ずマイナーな山で余り話題にならないが、爺イの好きな
ピークがはっきり出ているので嬉しくなる。「梓山」「獅子岳」「伯耆山」など。
問題の初めて聞く「ヤガタ」の表示が山名だとは確信ができないが
有名峰と同じに▲印があるから大丈夫だろう。
鬢櫛山からの方向と距離を国土院地形図に当て嵌めると北西の
1236m峰が該当する。辿るのはそう難しい事でもない模様だが
榛名の北側は雪が深いだろうな。
(2)「牛越」とはこれ又初耳。それに今までの「杏ヶ岳」に「すももヶ岳」と
あるからには「李ヶ岳」が復権したのだろうから目出度しである。
さっきと同じく国土院地形図を当て嵌めると「杖ノ神の頭」と掃部西峰の
中間にある1402.5m峰(三百山では1391m)から北西へ直線1.4kに
ある1227m峰が該当する。これはヤガタより山が深いので一寸厄介か?
(3)鐘原ヶ岳の扱い
諸説ある鐘原ヶ岳の扱いは古説を踏襲し1271m峰を「大鐘原ヶ岳」、
現在、「大鐘原ヶ岳」「小鐘原ヶ岳」との通称が定着しつつある山魁を
「小鐘原ヶ岳」としている。
それは同本のP.36の「古榛名火山溶岩ドーム群」なる写真でも
同様の扱い。どう間違えても「幡谷山」とは出てこない。
因みに古榛名火山は今は姿もない往時の火山の形・火口の高さ・火口の位置が
野外調査から明かにされた数少ない例とされる。推定による古榛名火山は
今の榛名湖の真上を火口とし2500mの高さにまで成長したらしい。
浅間の様に絶えず火山砕屑物を積もらせているのと違って、長期の活動休止に
よつて岩片は斜面を転がり落ち火山灰が流されて悠久の時間の中で山頂は
低くなったとか。
其のうち、雪の状態の情報が判り次第、不遇の低山を尋ねてみよう。
誰も注目していないだろうから多分、爺イが一番乗り?
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榛名の山名探索、色々勉強になりました。
ぼくは先日旛矢岳(こちらの古地図では大鐘原岳)に登りましたが、諸説あるのですね。多分地元でも色々に呼ばれてきたのでしょうから、一概に間違いとは言えないのでしょうが…。
山の名前の場合、登山者が多く呼んでいる名前がそのうち
一般化して定まってしまうようです。間違った名前が一般化して居る例はたくさんありますね。国土地理院の地形図でも、
誤った名前が定まってしまう例は枚挙にいとまがありません。
それとは異なる頂上標識等の定着によってしばしば食い違いが出ます。国土院ポータルでは誰でもが簡単に国土院地形図の疑問・間違いを指摘できるページが設置されましたので
恐らく対応に大童ではないかと思います。
典型的な例は「利尻岳」と「利尻山」でしよう。地元の
利尻町や利尻富士町のHPでは「利尻山」としているので
国土院・気象庁は「利尻山」としています。しかし、登山者は
「利尻岳」と云う人が多くいます。理由は深田・日本百名山に
そう記してあるからです。この1964年に発刊されたこの本は
現皇太子の愛読書としてマスコミが喧伝した事により
多くの人が山のバイブルの様に信奉していますので
いくら地元呼称と違っていても今更訂正は出来なくなっているのでしょう。尤もこの本もその趣旨とする品格・個性・歴史の
観点から見ると筑波山の特例的取り扱いを含めて不公平な
選定と見られるところがありますが。
早速で恐れ入ります。推測の域に過ぎませんが…。鬢櫛山北西の尾根を下った所にある三角に尖った1240mくらいの山が、その形から「ヤガタ」ではないでしょうか?
烏帽子岳北の1246m峰や梓山から樹間に望む姿が気になり以前訪れたことがあります。
また、掃部ヶ岳から北西にある1277m峰についてですが、高崎の某林業さんの所有林で、「石畦(いしおね)」と呼ばれています。
西の東吾妻町、弥栄(いやさか)を通る道の最奥から沢沿いに林道が続いているので短時間で山頂を踏めます。
池の近くに某林業さんがありますので詳しいことをお聞きすると良いかも知れませんね。
鬢櫛北西のヤガタは間違い無い様ですね。
掃部北西の1227mは距離があるので逡巡していましたが吾妻からの林道があるとは助かりました。
いずれ、訪れます。
又、機会がありましたら新情報を教えて下さい。
古い記録で「石畦」との記載を発見しました。郡村誌吾妻郡大戸村の項に
「村の東南に位置す」として「石畦」という字名。ルビは「イシウネ」。
同時に「石畦山」として「本村の南方にあり従来の称、高さ165丈周囲一里と言う。居鞍山に亜く山なり。是又他山に連続せず。弧山にして満山草生し樹木生ぜず。居鞍・古賀良と相対して登路凡そ30町」とありました。
大戸村は明治22年(1889年)に本宿・萩生・須賀尾・大柏木と合併して
「坂上村」となっているので1883年頃の記録。
高さ165丈は換算すると500m、今の標高は1227m。
海抜標高は未だ地方には普及していなかったと推定されるのでこれは麓からの推定値と思われますが、1340mの居鞍が200丈と書かれおり35丈差は
約106mだから別個の麓からでは勘定が合いすぎる。村内に基準ポイントでもあったのかな?
村内の山としては居鞍(東方)巣立(北方)牙門(掃部?)(東南)とあった
上での「南の石畦山」は確実に1227m峰であろうと推定されると思いました。
ヤガタについてご教示戴いた「梓山等から見える三角の1240m位の山」を基に地形図を見直したら矢張り前回爺イの書いた鬢櫛北西の1236m地点は稜線上の小台地風なので多分間違いと思われるので訂正します。正解は多分鬢櫛から北北西に等高線15本下って5本を登り返した処にある独立の大きな山と思われます。東西が切り立つて居ますので東から見ればトンガリ山の筈。
近いうちに両方を尋ねて見ます。