毎年、年が明けると新年初歩きと称して八束山に登ることにしていたが
昨年末から少々爺イの心肺機能が弱くなっている気配を感じていたり
身近で重病人が出たことも重なってもう三ヶ月も山と名の付く所への
ハイキングは控えていたが気候も良くなったし気分転換も必要なので
ペースを変えれば何とかなると思い直して四月から再開する事にした。
最初の行き先は当然吉井近辺の低山、八束山。たかだか標高453mで登山口からの
比高も約280m、歩行距離は往復で3km位だからテストには無難なコースだ。
r-71で吉井の町を南下して牛伏山方面に曲がって直ぐの八束山道標で右折して
「まちすい(吉井町まちづくり推進委員会)」の手配による登山者用駐車場。(9.36)
歩き始めて舗装路を少し南下すると標識のある八束山北登山口。
登山道は下地が荒れ気味の上に斜面への直登の形になっているので写真で見るよりは
遥かに傾斜はキツイ。
この道標で直登か終わって急旋回して蛇行道になる。
虚空蔵堂跡に到着。
かってこの地には下の写真のようなお堂があったが石灯籠に昭和13年との
記名があるから左程古いものではないのに何故無くなったかは不明。
若しかすると移転したのかも知れない。
(この写真は何年か前にMHCさんから借用したもの)
堂跡の奥にある四基の石宮が草に埋もれているが、これでは夏になれば
完全に埋没してしまう。
右手には石宮と石仏が残っている。
山裾を巻きながら登っていくと漸くこの道標で尾根に着く。
左への八束山と反対の方向に「蚕神社」の表示があるので一寸寄り道。
僅かに尾根を下降したところに神社の石碑が建っていたが碑面は写真では
何も写らなかった。
登山を再開してややキツイ尾根登りをこなすと「浅間山」に到着。
名前はたいそうな物だが標高は推定で278m、尾根上の突起程度。
ここの名物はこの枯れた松の巨木、名前は「天狗の松」。
かって地元小学生が作った看板があったが今は見当たらない。
浅間山を過ぎるとアップダウンやコブのある長い尾根歩きが始まる。
左手の山は多分牛伏山、桜の名所ではあるが白い盛り上がりが全く見えないので
多分、ここの桜も遅れているらしい。
コブの頂点からの曲がりには親切な道標。
次から次へとこんなコブが連発するので大分息切れが激しく立ち止まりでの
息継ぎが頻繁になる。肺気腫進行中という検査結果がそのまま出てきた。
この大岩は右から抜けて尾根道に復帰。
再び開放的な尾根、だがこの辺は夏場には草が繁茂しそうな気配。
漸く目的の八束山が前方に姿を現す。何だか随分距離がある感じ。
こんな平坦尾根をのんびり歩く。この程度なら心肺への負担は少ない。
伝説の「ひつじの足跡」前を通過。
自分の靴と大きさ比べ、脇の看板との合成写真。
更に進むとこのコース唯一のロープ場所、かってはロープなど関係無しに
通過したが今ではこれを頼りに漸く這い登る。
左が開けて市街地が望める。ルートは既に東西向きに近いので左は北方。後続の単独男性に
すっと抜かれたがこれで爺イを抜いていったのは二人目。
何とか腰曲輪に到着、山頂は目の前。
この道標に迎えられる。今来たルートは「羊の足跡ルート」、西への道は
「岩場ルート」。
山頂を一望。この八束山は国土院の地形図では「城山」と表記されているが「多胡八束城址」
とか「多胡上城址」とも通称される。
ところが戦国の城郭であることはその遺構から確認されているのに、築城時期・
城主がハッキリしない不思議な城址。それほど、重要ではなかったからとは
思われるがその事が、当地に伝わる羊大夫伝説と結びついて「羊大夫の居城」
という伝説を生んで地元では暖かくそれを受け入れている。だが、山崎一氏の
著書などには明確に「伝説には全く関係なし」と決め付けていて
戦国初期の築城で、多胡城の要害城であったらしい。
*「新屋村その史話と名物」(市立中央図書館にあり)より引用
「8世紀、羊太夫なる者、八束村に居住せしが望楼として天引村に城山を築き、
物見の先守とし、その勢い盛んになりけるに讒言により官軍に攻めこまれ、
城山を捨てて敗走、八束の城にて防戦す」と。此処で云う城山とは現在の
朝日岳北峰のことだ。
山崎一氏の著書から城址の概念図。
比較的新しい頂上標識。(11.06)
かっての井戸跡と云われる所の石宮で本日の爺イ。
何時もは帰路を西コースとしているが今日は山頂台地の東肩から通称「第二北尾根」を
下ることにして東端に移動のためロープを使って掘り切りを渡る。
途中に東・第二北コースは未整備の為、なるべく整備された第一北・西コースを
使うようにとの注意看板。多分これを設置した「まちすいのwassyさん」の顔を思い出して
「ハイハイ」と調子の良い挨拶だけして通過。
東肩展望場所からの景観。
このベンチ代わりの倒木に腰掛けて景観を楽しみながら軽食と休憩。(11.16)
下山開始。こんな尾根下りは杉林の伐採・植林の作業道跡を辿る。
傾斜は厳しく乾燥したザラ場が滑り易いので軽アイゼン装着。右下の遥か彼方に
ブルーのトタン屋根が遠望できるがあれが東コースの終着点。たがこの東コース
は民有地の竹林を通過するのでホントは使用を遠慮すべきと云われている。
もっとも登路が判るのは竹やぶ通過の下半分であとはこの尾根を目指して
適当に上がってくるので下降に使うのは難しい。(11.30)
こんな岩場のすり抜けもあり変化に富んでいるので西コース同等の難易度。尾根一杯に
広がる低山の岩場は乗り越えか?回りこみ迂回か?ーーと考えるだけで楽しめる。
下から見る低山の平均的な下降道だが登山路として整備されていないので足場は悪い。
よく言われるように年寄りが躓くのは歩行で足首が上がっていないからーーを
思い出して擦り足にならないように用心。
一寸でも尾根を外すとこんな藪に囲まれる。
方向を修正して尾根道復帰。赤杭があるんだからそれを追えば良いんだかやや間隔が
長いので次の杭は枯れ草の中で見えない。尾根下りもクボへの下りも同じ下りなので
ボケーとしていると尾根を外してしまう。それも何時も右へ外す悪い癖が付いてしまっている。
再び藪に閉ざされ手の甲が傷だらけ。しゃがみこんで得意の動物目線で
進路探し。左手が高いので左に進路変更で尾根道復帰。
登山用と思われるブルー紐発見、すかいさんの付け方に似ているな。
巨大クボを挟んで往路に使った尾根が良く見える。大体浅間山の辺りかな?
この岩場を越えて急下降すると
標識が現れて尾根を断ち切った作業道が現れる。これで下山は終了、推定の標高は
190mだから登山口より20m高いだけ。
この道は地形図でも実線で表示されているが右に大きく反転しながら
車道に向かう。(12.29)
行き着いた先は八束浄水場の旧設備、異様な臭気が漂う巨大なタンク状の物が
並んでいる。
これが臭気の元らしい泥水。
閉鎖されている鉄扉をすり抜けて車道に出ると隣には稼働中の浄水場がある。
吉井支所管内の浄水施設は、岩崎浄水場、八束浄水場、小梨浄水場の3箇所。
この八束浄水場は吉井町塩地区に属しており、南牧川農業用水を利用して浄水場で
急速ろ過処理を行い、各配水池に送水しているそうだ。
大休止してから再出発。
あとは車道を北上して往路の登山口を通過して無事帰着。(12.56)
行動 3時間20分 8300歩
帰路に小串カタクリの里によって可憐な花を観賞したが写真はデジカメでは何れも
不作で載せられない。
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昨年末から少々爺イの心肺機能が弱くなっている気配を感じていたり
身近で重病人が出たことも重なってもう三ヶ月も山と名の付く所への
ハイキングは控えていたが気候も良くなったし気分転換も必要なので
ペースを変えれば何とかなると思い直して四月から再開する事にした。
最初の行き先は当然吉井近辺の低山、八束山。たかだか標高453mで登山口からの
比高も約280m、歩行距離は往復で3km位だからテストには無難なコースだ。
r-71で吉井の町を南下して牛伏山方面に曲がって直ぐの八束山道標で右折して
「まちすい(吉井町まちづくり推進委員会)」の手配による登山者用駐車場。(9.36)
歩き始めて舗装路を少し南下すると標識のある八束山北登山口。
登山道は下地が荒れ気味の上に斜面への直登の形になっているので写真で見るよりは
遥かに傾斜はキツイ。
この道標で直登か終わって急旋回して蛇行道になる。
虚空蔵堂跡に到着。
かってこの地には下の写真のようなお堂があったが石灯籠に昭和13年との
記名があるから左程古いものではないのに何故無くなったかは不明。
若しかすると移転したのかも知れない。
(この写真は何年か前にMHCさんから借用したもの)
堂跡の奥にある四基の石宮が草に埋もれているが、これでは夏になれば
完全に埋没してしまう。
右手には石宮と石仏が残っている。
山裾を巻きながら登っていくと漸くこの道標で尾根に着く。
左への八束山と反対の方向に「蚕神社」の表示があるので一寸寄り道。
僅かに尾根を下降したところに神社の石碑が建っていたが碑面は写真では
何も写らなかった。
登山を再開してややキツイ尾根登りをこなすと「浅間山」に到着。
名前はたいそうな物だが標高は推定で278m、尾根上の突起程度。
ここの名物はこの枯れた松の巨木、名前は「天狗の松」。
かって地元小学生が作った看板があったが今は見当たらない。
浅間山を過ぎるとアップダウンやコブのある長い尾根歩きが始まる。
左手の山は多分牛伏山、桜の名所ではあるが白い盛り上がりが全く見えないので
多分、ここの桜も遅れているらしい。
コブの頂点からの曲がりには親切な道標。
次から次へとこんなコブが連発するので大分息切れが激しく立ち止まりでの
息継ぎが頻繁になる。肺気腫進行中という検査結果がそのまま出てきた。
この大岩は右から抜けて尾根道に復帰。
再び開放的な尾根、だがこの辺は夏場には草が繁茂しそうな気配。
漸く目的の八束山が前方に姿を現す。何だか随分距離がある感じ。
こんな平坦尾根をのんびり歩く。この程度なら心肺への負担は少ない。
伝説の「ひつじの足跡」前を通過。
自分の靴と大きさ比べ、脇の看板との合成写真。
更に進むとこのコース唯一のロープ場所、かってはロープなど関係無しに
通過したが今ではこれを頼りに漸く這い登る。
左が開けて市街地が望める。ルートは既に東西向きに近いので左は北方。後続の単独男性に
すっと抜かれたがこれで爺イを抜いていったのは二人目。
何とか腰曲輪に到着、山頂は目の前。
この道標に迎えられる。今来たルートは「羊の足跡ルート」、西への道は
「岩場ルート」。
山頂を一望。この八束山は国土院の地形図では「城山」と表記されているが「多胡八束城址」
とか「多胡上城址」とも通称される。
ところが戦国の城郭であることはその遺構から確認されているのに、築城時期・
城主がハッキリしない不思議な城址。それほど、重要ではなかったからとは
思われるがその事が、当地に伝わる羊大夫伝説と結びついて「羊大夫の居城」
という伝説を生んで地元では暖かくそれを受け入れている。だが、山崎一氏の
著書などには明確に「伝説には全く関係なし」と決め付けていて
戦国初期の築城で、多胡城の要害城であったらしい。
*「新屋村その史話と名物」(市立中央図書館にあり)より引用
「8世紀、羊太夫なる者、八束村に居住せしが望楼として天引村に城山を築き、
物見の先守とし、その勢い盛んになりけるに讒言により官軍に攻めこまれ、
城山を捨てて敗走、八束の城にて防戦す」と。此処で云う城山とは現在の
朝日岳北峰のことだ。
山崎一氏の著書から城址の概念図。
比較的新しい頂上標識。(11.06)
かっての井戸跡と云われる所の石宮で本日の爺イ。
何時もは帰路を西コースとしているが今日は山頂台地の東肩から通称「第二北尾根」を
下ることにして東端に移動のためロープを使って掘り切りを渡る。
途中に東・第二北コースは未整備の為、なるべく整備された第一北・西コースを
使うようにとの注意看板。多分これを設置した「まちすいのwassyさん」の顔を思い出して
「ハイハイ」と調子の良い挨拶だけして通過。
東肩展望場所からの景観。
このベンチ代わりの倒木に腰掛けて景観を楽しみながら軽食と休憩。(11.16)
下山開始。こんな尾根下りは杉林の伐採・植林の作業道跡を辿る。
傾斜は厳しく乾燥したザラ場が滑り易いので軽アイゼン装着。右下の遥か彼方に
ブルーのトタン屋根が遠望できるがあれが東コースの終着点。たがこの東コース
は民有地の竹林を通過するのでホントは使用を遠慮すべきと云われている。
もっとも登路が判るのは竹やぶ通過の下半分であとはこの尾根を目指して
適当に上がってくるので下降に使うのは難しい。(11.30)
こんな岩場のすり抜けもあり変化に富んでいるので西コース同等の難易度。尾根一杯に
広がる低山の岩場は乗り越えか?回りこみ迂回か?ーーと考えるだけで楽しめる。
下から見る低山の平均的な下降道だが登山路として整備されていないので足場は悪い。
よく言われるように年寄りが躓くのは歩行で足首が上がっていないからーーを
思い出して擦り足にならないように用心。
一寸でも尾根を外すとこんな藪に囲まれる。
方向を修正して尾根道復帰。赤杭があるんだからそれを追えば良いんだかやや間隔が
長いので次の杭は枯れ草の中で見えない。尾根下りもクボへの下りも同じ下りなので
ボケーとしていると尾根を外してしまう。それも何時も右へ外す悪い癖が付いてしまっている。
再び藪に閉ざされ手の甲が傷だらけ。しゃがみこんで得意の動物目線で
進路探し。左手が高いので左に進路変更で尾根道復帰。
登山用と思われるブルー紐発見、すかいさんの付け方に似ているな。
巨大クボを挟んで往路に使った尾根が良く見える。大体浅間山の辺りかな?
この岩場を越えて急下降すると
標識が現れて尾根を断ち切った作業道が現れる。これで下山は終了、推定の標高は
190mだから登山口より20m高いだけ。
この道は地形図でも実線で表示されているが右に大きく反転しながら
車道に向かう。(12.29)
行き着いた先は八束浄水場の旧設備、異様な臭気が漂う巨大なタンク状の物が
並んでいる。
これが臭気の元らしい泥水。
閉鎖されている鉄扉をすり抜けて車道に出ると隣には稼働中の浄水場がある。
吉井支所管内の浄水施設は、岩崎浄水場、八束浄水場、小梨浄水場の3箇所。
この八束浄水場は吉井町塩地区に属しており、南牧川農業用水を利用して浄水場で
急速ろ過処理を行い、各配水池に送水しているそうだ。
大休止してから再出発。
あとは車道を北上して往路の登山口を通過して無事帰着。(12.56)
行動 3時間20分 8300歩
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