
先日、「あにねこ」さんの三つ峰の記事で三十六童子の石塔の事が
出ていたのを読んで、そう云えば榛名にもあったな、と思い出した。
それはガラメキ温泉の途中というか、相馬山表(南)口の林の中。
今までは通過するだけだったが、今回その全てを記録しようと思い立つた。
R-28の黒岩下でいつもの路傍駐車、枯葉の積もる通称・鷹ノ巣林道を下る。
左手には黒岩の絶壁、

正面は威風堂々の相馬山

林道は相馬山麓南端のこの小さな突起ほどの鷹ノ巣山の裾を大きく回っていく。

直ぐに林道分岐で旧キャンプ場へのゲート。此れに入ればデ・レーケの堰堤で
沢を跨ぎ、「右京のむだ掘り」の脇を通過してスルス峠へ行くハイク道。

最初の沢をジャブジャブと渡る。これは「クレソン」の群落か? 今頃まで?

林道はここから南進して山裾周りが始まる。落ち葉の下はゴロゴロの石ころ。

南端から北上に掛かる頃、右手の遥か下に巨大採石場。

申し訳程度には紅葉も見られる。

やがて数百㍍の間隔で二つの崩落現場、見た所では新しい崩落跡は無い。


右手の深い沢はこの堰堤を境にして林道を濡らす程度の小沢に変わる。

スタートから早足でも約45分かかって目的の場所。今日の研究課題の
第一がこの看板。

先ず、今まで「雨乞いが行われた場所」と簡単に認識していたが
看板末尾の「書・彫刻」の文字の意味からすると「場所」ではなくて彫刻物が
「ここに」あるということだ。それにこの看板の老朽程度は精々10数年、すると
大正13年の物をずっと守ってきた人か又は団体が存在する筈だ。
林の中を数百㍍、突然こんなもの。炭焼き窯跡と思っているが

下側の火口と思われる所から覗いたら、崩落した天蓋と思われるものが
堆積しているのが良く判り、間違いなく窯跡。

通常の登路では小野関三太夫の痕跡は今まで見ていないので、左の河原に
降りて堰堤方向に進んで遠望すると何やら巨石と看板。

やはり、入り口と同じ看板。だが、風雪に晒され岩に線刻されている筈の
龍の図柄は全く見えない。代わりに「湯浅兵吉」の名前の柱。

この人なら前橋の「(株)ユアサ」の会長さん、前橋児童公園の「むつみ川」
の命名者で自然保護に尽力されている実業家で篤志家。この人が多分
後援者と推定して帰宅後に連絡。以下は湯浅さんからの情報。
小野関三太夫氏は既に1940年に没しているが湯浅兵吉氏の母方の祖父。
陰陽学士を名乗る三太夫氏は大正の旱魃期に降雨龍等の作品を五つ残して
いる。
(1)榛名神社遊歩道の関所跡手前。これは爺イも写真に収めている。

(2)スルス岩洞窟の有名な線刻菩薩像(これも見ている)

(3)箕輪城址御前曲輪の大井戸脇の「かえる石」、これは後に三太夫氏の
署名が見つかり再整備したから「かえる」と名付けられた。(11/4撮影)

(4)船尾滝の僅か手前の旧道に降雨祈願の龍。(11/4撮影)

(5)今回の相馬山表口の巨岩。
湯浅氏からの情報を元にして船尾滝と「かえる石」は11/4確認済。
さて、いよいよ本命の36童子石碑の全網羅。この御幣の下を潜ると

直ぐに「黒髪山表口」の巨大石柱。明治14年だから相馬山の山頂に
黒髪神社が出来た頃と一致する。つまりこのルートが表参道だ。

直ぐ脇に「寛滝霊神」、爺イには何の神か判らない。何方か教えてください。

隣に不動尊。

そして「黒髪山植付紀念碑」なるもの。詳細読み取れずでこれまた
理解の埒外。「植付」って何だろう。植林なら植林とする筈だか。

参道の右にいよいよ出てきた。三十六童子・八大童子の碑。ここから
始まるらしい。もともと、不動明王は「矜迦羅童子」と「制多迦童子」を
眷属としているが、此れに加えるに六童子をして「八大童子」、又は
二人を含めて三十六童子を従える場合があるので、その全てがここに
存在する模様。

これを確認してから100M先の分布範囲の先頭を確認するとトップは
「摩利支天」

次にこの配列の原点らしい「黒髪山不動明王」。多分この碑が親だ。

中には童子ではない石碑も幾つかあるが、余り馴染みは無い物ばかり。
「伊網神霊」

「市行霊神」

童子の配列は仏教関係資料の連番の通り、下から並べられているが
その写真枚数が多いため別ページとする。
確認と写真撮りに一時間費やしてから帰路に付く。林道の復路は
後半の登り返しにやや苦戦。林道から見る黒岩は北側の厳しい稜線が
くっきり。全く人に会わない二時間半だった。

次ページへ続く
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出ていたのを読んで、そう云えば榛名にもあったな、と思い出した。
それはガラメキ温泉の途中というか、相馬山表(南)口の林の中。
今までは通過するだけだったが、今回その全てを記録しようと思い立つた。
R-28の黒岩下でいつもの路傍駐車、枯葉の積もる通称・鷹ノ巣林道を下る。
左手には黒岩の絶壁、

正面は威風堂々の相馬山

林道は相馬山麓南端のこの小さな突起ほどの鷹ノ巣山の裾を大きく回っていく。

直ぐに林道分岐で旧キャンプ場へのゲート。此れに入ればデ・レーケの堰堤で
沢を跨ぎ、「右京のむだ掘り」の脇を通過してスルス峠へ行くハイク道。

最初の沢をジャブジャブと渡る。これは「クレソン」の群落か? 今頃まで?

林道はここから南進して山裾周りが始まる。落ち葉の下はゴロゴロの石ころ。

南端から北上に掛かる頃、右手の遥か下に巨大採石場。

申し訳程度には紅葉も見られる。

やがて数百㍍の間隔で二つの崩落現場、見た所では新しい崩落跡は無い。


右手の深い沢はこの堰堤を境にして林道を濡らす程度の小沢に変わる。

スタートから早足でも約45分かかって目的の場所。今日の研究課題の
第一がこの看板。

先ず、今まで「雨乞いが行われた場所」と簡単に認識していたが
看板末尾の「書・彫刻」の文字の意味からすると「場所」ではなくて彫刻物が
「ここに」あるということだ。それにこの看板の老朽程度は精々10数年、すると
大正13年の物をずっと守ってきた人か又は団体が存在する筈だ。
林の中を数百㍍、突然こんなもの。炭焼き窯跡と思っているが

下側の火口と思われる所から覗いたら、崩落した天蓋と思われるものが
堆積しているのが良く判り、間違いなく窯跡。

通常の登路では小野関三太夫の痕跡は今まで見ていないので、左の河原に
降りて堰堤方向に進んで遠望すると何やら巨石と看板。

やはり、入り口と同じ看板。だが、風雪に晒され岩に線刻されている筈の
龍の図柄は全く見えない。代わりに「湯浅兵吉」の名前の柱。

この人なら前橋の「(株)ユアサ」の会長さん、前橋児童公園の「むつみ川」
の命名者で自然保護に尽力されている実業家で篤志家。この人が多分
後援者と推定して帰宅後に連絡。以下は湯浅さんからの情報。
小野関三太夫氏は既に1940年に没しているが湯浅兵吉氏の母方の祖父。
陰陽学士を名乗る三太夫氏は大正の旱魃期に降雨龍等の作品を五つ残して
いる。
(1)榛名神社遊歩道の関所跡手前。これは爺イも写真に収めている。

(2)スルス岩洞窟の有名な線刻菩薩像(これも見ている)

(3)箕輪城址御前曲輪の大井戸脇の「かえる石」、これは後に三太夫氏の
署名が見つかり再整備したから「かえる」と名付けられた。(11/4撮影)

(4)船尾滝の僅か手前の旧道に降雨祈願の龍。(11/4撮影)

(5)今回の相馬山表口の巨岩。
湯浅氏からの情報を元にして船尾滝と「かえる石」は11/4確認済。
さて、いよいよ本命の36童子石碑の全網羅。この御幣の下を潜ると

直ぐに「黒髪山表口」の巨大石柱。明治14年だから相馬山の山頂に
黒髪神社が出来た頃と一致する。つまりこのルートが表参道だ。

直ぐ脇に「寛滝霊神」、爺イには何の神か判らない。何方か教えてください。

隣に不動尊。

そして「黒髪山植付紀念碑」なるもの。詳細読み取れずでこれまた
理解の埒外。「植付」って何だろう。植林なら植林とする筈だか。

参道の右にいよいよ出てきた。三十六童子・八大童子の碑。ここから
始まるらしい。もともと、不動明王は「矜迦羅童子」と「制多迦童子」を
眷属としているが、此れに加えるに六童子をして「八大童子」、又は
二人を含めて三十六童子を従える場合があるので、その全てがここに
存在する模様。

これを確認してから100M先の分布範囲の先頭を確認するとトップは
「摩利支天」

次にこの配列の原点らしい「黒髪山不動明王」。多分この碑が親だ。

中には童子ではない石碑も幾つかあるが、余り馴染みは無い物ばかり。
「伊網神霊」

「市行霊神」

童子の配列は仏教関係資料の連番の通り、下から並べられているが
その写真枚数が多いため別ページとする。
確認と写真撮りに一時間費やしてから帰路に付く。林道の復路は
後半の登り返しにやや苦戦。林道から見る黒岩は北側の厳しい稜線が
くっきり。全く人に会わない二時間半だった。

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榛名山の南麓にも三十六童子があるとのこと、興味深いです。
相馬山表口の登山道に沿ってあるのでしょうか。
また、三十六童子の石碑も明治14年前後の建立でしょうか。
刻まれた字も比較的はっきりしていますね。
黒岩の絶壁や、南から見上げる相馬山の写真もいいですね。
相馬山表口のコースは一度行ってみたいと思っています。
この石碑群を通っていくと作業道に出てそれが登山口に繋がりますが、去年の10月に「つれづれ」サンが女性二人
パーティーで行った時は、看板先の作業道分岐から入っています。分岐には
小生の付けた道標があります。
石碑群は石材の違いか?工人の作風の
違いかは不明ですが、刻字の読めるもの、判読に苦労する物と様々です。
私的なものの為に記録が無く誰が何のために、何時という事の情報が掴めていません。
この次の機会には 南側から 相馬山を歩いてみます。
ところで 榛東村には黒髪神社がいくつもあると聞きました。
信心の無い私には どういうことなのか さっぱりわかりません(笑)
読みましたよ! 11/2の相馬山超特急
早登りを。あの時間では爺イなどは
最初の鎖から梯子の辺りでオタオタしている時間かな。
榛東には広馬場上野に黒髪神社があります。井戸尻信号の西。ここは相馬山頂の黒髪神社の里宮です。表口石柱の
建てられた明治14年には山頂に神社が
祀られましたが、ヤセオネからの道が
なかった時代なので全ての参詣者は
峻険な表参道を登りました。だが、女子供には無理なので明治20年に里宮を作ったそうです。
因みに祭神の大山祇神は全国の山を管理する総責任者。イザナギ・イザナミ
が国生みの後、多くの神を生みましたが、その中に「山」「風」「木」「野」の四神が居ます。この「山」の神が「大山祇神」。その娘のコノハナノサクヤ姫は富士山の管理者。
調べると 全国 あちこちに 黒髪神社があるのですね。
それはそうと、スルスの西側の岩へ
登ったんですね。機会があったら
挑戦してみます。