赤城小沼周回のハイキングに出かけた。予定ルートは小地蔵―長七郎―
賽の河原―北峰―茶ノ木畑山―茶ノ木畑峠―横引き尾根―東展望台―
銚子の伽藍―作業道―小沼尻―小沼平。
高前バイパスの通勤時間帯渋滞に巻き込まれ42kの距離を1.5時間も
掛かって漸く小沼平の駐車場(9.34)。既に駐車台数も多く地元時沢小の
ご一行様がバス3台で着ていて点呼の真最中だが、西周りの長七郎と聞いて
やや安心。先日の榛名の様に子供に煽られる心配は取敢えず無し。
東に最初に行く小地蔵の姿を見ながら出発。
湖畔には道標や伝説の説明板もある。
赤城の二つの沼の内、小沼に関する伝説の方が圧倒的に多いと聞く。
都丸十九一氏の著書に依れば灌漑用水の水源としての価値の差とか。
沼尾川で赤城村北部の渓谷を一気に利根川に流出する大沼に比べて
小沼は赤堀道元の娘のなきがら探すため土手を切ったとの伝説の
粕川によって粕川・宮城・赤堀村など広範囲の灌漑していたので、伝説が
赤堀に生まれ関連伝説が宮城・粕川に広まったと言う。
湖畔から治山工事用道路で東に回ると途中から大沼が小さく展望でき
西にアンテナが大きく見える地蔵岳。
こっちは黒桧と駒ヶ岳?
タルミで小地蔵への分岐道標。
笹の道を僅かに180m程登ると腰までの笹原に埋もれた小地蔵(9.58)。
小地蔵なのか、小地蔵岳なのか? 決着は付いたのだろうか?
これは「伊勢崎ふるさと山歩会」、小地蔵派
6高校のものは小地蔵岳派
頂上にある筈なのに見付らないと言われる石宮を探索するも駄目。
やはり黒保根移転が正しいのか。
小地蔵を下りて南進して約0.4kの長七郎に向かう。やや登りの高原の道、
背は低いが横に広がっているツツジが少し煩い。このツツジの形は
強風や積雪の影響なんだろうか?
コブの先は左が開けた熊笹の平坦な道、靄で展望は悪い。正面に小山、
子供たちが早くも到着しているらしく騒々しい声が聞こえる。
山頂着、足下にひっそりと三角点。前回見逃したのはこんな端に
在ったからだな(10.22)。點名・長七郎 三等 1578.94m
かなり広いはずの頂上も子供たちに完全占拠され爺イの居場所は無い。
南側の木陰に頂上標識。
もう一つの標識の根元に金属の小型鳥居、戦時中この金属鳥居の破片を
持って戦地に行けば無事に帰還出きると言う言い伝えがあったそうだ。
詳しくは手前味噌で甚だ恐縮ながら次のURLで。
http://blog.goo.ne.jp/gooyamachuu/e/06ef85c99216df0722a2cb75b2f389f2
さて、一呼吸の後、南方に見える北峰と茶ノ木畑山を目指す。
頂上からの降り口に踏み跡、直ぐ脇に鳥居と石宮、ここにも多量の小型金属鳥居。
そこから先は踏み跡無しの広い雑木と熊笹の斜面、目印も一切無し。
大体、こんな所を歩く方がどうかしているのかな?正面の山を外さない様にして
勝手に左右に藪をよけながら下ると作業道に飛び出した。位置は賽の河原から
100m西。東進すると広い場所、標示は無いが多分ここが賽の河原と決めこむ(10.58)。
振り返つて長七郎山。
ここから170m先の北峰へ登りに掛かる。こちらも道なし目印無し。
ツツジの藪が酷くなり小山程度の頂上はガッチリと藪で固められていて立ち往生。
ツツジの背は低いが横にびっしりと枝が張り出しているので何時ものやり方で
肩から突っ込んでも足下を掬われる。仕方なく両膝で立木を抑えつけ1歩づつ
前進。やっと辿りついた頂上も完全に藪の中で身動きも侭ならない(11.21)。
標識も目印テープも見付らずこんな花を通過の証拠にして山頂から逃げ出す。
次の茶ノ木畑山は130mの距離だがもっと酷かった。何しろ藪区間が長いのだ。
此の辺のツツジは「コゴメツツジ(小米躑躅)と言うらしい。遠くから見ると
茶ノ木に似ているので「茶ノ木畑山」とか「茶ノ木畑峠」の名が付いたとは
山楽会さんHPから。
だが、「日本の野生植物」を調べたらコゴメツツジの名前はなく、「ツツジ亜属」の
中の「コメツツジ節」に「チョウジコメツツジ」「オオコメツツジ」があるだけ。
若しかすると正式には「コメツツジ」か?
序でに言えば「アカヤシオ」は「ゴヨウツツジ」の別名であり「ミヤマツツジ」とは
「ムラサキヤシオツツジ」の事で何れも「ムラサキヤシオツツジ亜属」。
右に行ったり左に回ったりして苦戦の末に岩の在る頂上(11.41)。
アレッ、山楽会さんの標識が無い。風で飛ばされたらしいが、あつたはずの
立木とブルー紐はこれ。
ほうほうの態で南に抜けると何と此方側は奇麗に開けていて踏み跡も在る。
僅かの下りで茶の木畑峠着(11.46)。
切り返しで小沼への道標も在るが此方は帰途に辿る予定。
付近には「山」と彫られた境界杭や
自然石に刻まれたX印もあつた。
少し休んでから「横引きの尾根」を西進、アップダウンも少なく絶好の
ハイキング道。やがて「銚子の伽藍」の最初の道標、そこに表示されていた
「つつじヶ峰」に気を取られたのが運の尽き(11.56)。
一寸見てこようと細道の下りに入る。ところが予想に反して何処まで行っても
急降が続く。流石にマズイと気付いて登り返して元の位置。
疲労困憊で大休止と昼食(12.20-12.40)。
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賽の河原―北峰―茶ノ木畑山―茶ノ木畑峠―横引き尾根―東展望台―
銚子の伽藍―作業道―小沼尻―小沼平。
高前バイパスの通勤時間帯渋滞に巻き込まれ42kの距離を1.5時間も
掛かって漸く小沼平の駐車場(9.34)。既に駐車台数も多く地元時沢小の
ご一行様がバス3台で着ていて点呼の真最中だが、西周りの長七郎と聞いて
やや安心。先日の榛名の様に子供に煽られる心配は取敢えず無し。
東に最初に行く小地蔵の姿を見ながら出発。
湖畔には道標や伝説の説明板もある。
赤城の二つの沼の内、小沼に関する伝説の方が圧倒的に多いと聞く。
都丸十九一氏の著書に依れば灌漑用水の水源としての価値の差とか。
沼尾川で赤城村北部の渓谷を一気に利根川に流出する大沼に比べて
小沼は赤堀道元の娘のなきがら探すため土手を切ったとの伝説の
粕川によって粕川・宮城・赤堀村など広範囲の灌漑していたので、伝説が
赤堀に生まれ関連伝説が宮城・粕川に広まったと言う。
湖畔から治山工事用道路で東に回ると途中から大沼が小さく展望でき
西にアンテナが大きく見える地蔵岳。
こっちは黒桧と駒ヶ岳?
タルミで小地蔵への分岐道標。
笹の道を僅かに180m程登ると腰までの笹原に埋もれた小地蔵(9.58)。
小地蔵なのか、小地蔵岳なのか? 決着は付いたのだろうか?
これは「伊勢崎ふるさと山歩会」、小地蔵派
6高校のものは小地蔵岳派
頂上にある筈なのに見付らないと言われる石宮を探索するも駄目。
やはり黒保根移転が正しいのか。
小地蔵を下りて南進して約0.4kの長七郎に向かう。やや登りの高原の道、
背は低いが横に広がっているツツジが少し煩い。このツツジの形は
強風や積雪の影響なんだろうか?
コブの先は左が開けた熊笹の平坦な道、靄で展望は悪い。正面に小山、
子供たちが早くも到着しているらしく騒々しい声が聞こえる。
山頂着、足下にひっそりと三角点。前回見逃したのはこんな端に
在ったからだな(10.22)。點名・長七郎 三等 1578.94m
かなり広いはずの頂上も子供たちに完全占拠され爺イの居場所は無い。
南側の木陰に頂上標識。
もう一つの標識の根元に金属の小型鳥居、戦時中この金属鳥居の破片を
持って戦地に行けば無事に帰還出きると言う言い伝えがあったそうだ。
詳しくは手前味噌で甚だ恐縮ながら次のURLで。
http://blog.goo.ne.jp/gooyamachuu/e/06ef85c99216df0722a2cb75b2f389f2
さて、一呼吸の後、南方に見える北峰と茶ノ木畑山を目指す。
頂上からの降り口に踏み跡、直ぐ脇に鳥居と石宮、ここにも多量の小型金属鳥居。
そこから先は踏み跡無しの広い雑木と熊笹の斜面、目印も一切無し。
大体、こんな所を歩く方がどうかしているのかな?正面の山を外さない様にして
勝手に左右に藪をよけながら下ると作業道に飛び出した。位置は賽の河原から
100m西。東進すると広い場所、標示は無いが多分ここが賽の河原と決めこむ(10.58)。
振り返つて長七郎山。
ここから170m先の北峰へ登りに掛かる。こちらも道なし目印無し。
ツツジの藪が酷くなり小山程度の頂上はガッチリと藪で固められていて立ち往生。
ツツジの背は低いが横にびっしりと枝が張り出しているので何時ものやり方で
肩から突っ込んでも足下を掬われる。仕方なく両膝で立木を抑えつけ1歩づつ
前進。やっと辿りついた頂上も完全に藪の中で身動きも侭ならない(11.21)。
標識も目印テープも見付らずこんな花を通過の証拠にして山頂から逃げ出す。
次の茶ノ木畑山は130mの距離だがもっと酷かった。何しろ藪区間が長いのだ。
此の辺のツツジは「コゴメツツジ(小米躑躅)と言うらしい。遠くから見ると
茶ノ木に似ているので「茶ノ木畑山」とか「茶ノ木畑峠」の名が付いたとは
山楽会さんHPから。
だが、「日本の野生植物」を調べたらコゴメツツジの名前はなく、「ツツジ亜属」の
中の「コメツツジ節」に「チョウジコメツツジ」「オオコメツツジ」があるだけ。
若しかすると正式には「コメツツジ」か?
序でに言えば「アカヤシオ」は「ゴヨウツツジ」の別名であり「ミヤマツツジ」とは
「ムラサキヤシオツツジ」の事で何れも「ムラサキヤシオツツジ亜属」。
右に行ったり左に回ったりして苦戦の末に岩の在る頂上(11.41)。
アレッ、山楽会さんの標識が無い。風で飛ばされたらしいが、あつたはずの
立木とブルー紐はこれ。
ほうほうの態で南に抜けると何と此方側は奇麗に開けていて踏み跡も在る。
僅かの下りで茶の木畑峠着(11.46)。
切り返しで小沼への道標も在るが此方は帰途に辿る予定。
付近には「山」と彫られた境界杭や
自然石に刻まれたX印もあつた。
少し休んでから「横引きの尾根」を西進、アップダウンも少なく絶好の
ハイキング道。やがて「銚子の伽藍」の最初の道標、そこに表示されていた
「つつじヶ峰」に気を取られたのが運の尽き(11.56)。
一寸見てこようと細道の下りに入る。ところが予想に反して何処まで行っても
急降が続く。流石にマズイと気付いて登り返して元の位置。
疲労困憊で大休止と昼食(12.20-12.40)。
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