クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

月夜野石尊山・八束脛遺跡  H-22-5-5

2010-05-06 09:03:31 | 中之条・小野上・みなかみ・沼田・渋川
高崎には旧吉井町を含めて羊太夫伝説の場所が多い。多胡碑や
冬場に爺イが度々訪れる八束山など多数。伝説では羊太夫が朝敵と
されて討伐された時、その従者「八束脛」が金の蝶に化身して
飛び去ったとされている。その八束脛の隠れ住んだのが月夜野
石尊山中腹の洞窟で「八束脛神社」となつていると聞いたので探訪。
羊太夫は新羅系渡来人で多胡の豪族、神社のある場所は旧石器時代の
風葬・火葬による共同墓地の場として多数の人骨が発掘された
「八束脛遺跡」。

R-17の下川田信号を右折してR-120、この道標を右に見て
R-291の月夜野バイパスへ左折。



直進して井土上町からR-61(奥利根ゆけむり街道)、後閑駅手前の「上入」を
右折したら今度は「望郷ライン」。
道なりに進んで関越を潜って大きく東進する処から北への細道で
「穴切」集落を目指す。だがうっかりして入り口を通り過ぎ、少し先の
道へ入ったら目の前に「三峰温泉」、慌てて戻ってご近所さんに
聞いたらここからも行けるという場所に案内され路傍駐車。

ここはどうやら「あおちゅう」さんの記事や「300山」に載っている
鳥居や道標のあるコースではないらしいが仕方なく出発(11.12)。
位置はN-36-41-46-7 E-139-00-16-3。



緩い登り道を進むと小さな堰堤脇で橋を渡って間もなく分岐。
取り敢えず幅広の右の道を辿ったが畑の中で消滅、戻って左に
入り直し。



こんな具合の歩き易い道が続く。人の気配など全く無く深閑と
した林の中、気温も丁度良く気分爽快。





石段下に到着、反対からも道が来ているのでそっちが本道か?
100段と云われる石段は写真で見るより遥かに急勾配、手擦りも
無いので途中でクラッと来たら危ない感じ(11.40)。



左のこの石宮の脇から登山道が付いていたので急登を登る。



岩穴の前を過ぎ、



石段降り口の先の木段を上ると神社前到着。



由来説明板や神社の名称。





こんな鳥居、周りの岩が大きいのではなく鳥居がミニチュアの
様に小さいのだ。



一呼吸置いてから石尊山に向かうが道標は無い。神社の左手の
岩場から登って洞窟上の岩頭に立つ、とあおちゅうさんの記事に
あつたがとても爺イの登れる傾斜ではない。地形図を睨んで
西北に大きく回って東西尾根を辿ることにした。
神社前の細い踏み跡を西へ進む。やがて赤テープ、やれ大丈夫と
安心したら目の前に崩落したザラ場急斜面。一寸足を出すと
ズルッと崩れる。暫くしゃがみこんで観察、幅は僅か20M位。
意を決して落語式で突破と決めた。落語式とは爺イの勝手な命名だが
左足が落ちる前に右足を出せばよい、簡単な話、一気に走りぬける事だ。



抜けた先も今度は落ち葉と大粒ザレの急斜面、立ち木から立ち木に
飛びつくようにして檜林に逃げ込む。斜面は立っていてもズルズル
下がるので上の岩に接近。



左に逃げて漸く南北尾根、テープ貼りするのは拙いので到着位置に
枯れ木で目印。目標とした東西尾根にはあと90度回らなくては。



何とか稜線に辿りつく。計測すると三角点の西140mの位置。
あとは一本登りらしいので気が楽。



漸く着いたなと思ったら未だ鞍部、左右に岩塊、左が山頂らしいが
取り敢えず右の岩。



上には何もなかったが直ぐ下に第三の岩があり
その脇に石宮が見え、赤テープがチラチラ、おまけに下りの
踏み跡らしきものも見えた。帰途はこっちのコースと決めで
山頂に向かう。



途中にG氏のブルー紐、さてはここにも例の小型標識か?



山頂着、と言っても狭いので二人連れが昼食の真っ最中で爺イの
居場所は無い。霞で展望はよくなく、子持ですらぼんやり。
写真に撮れるのは近くの三峰だけ。



三角点、四等で其の点名も「石尊山」751.6m。



頂上標識は二枚、大型の裏にあるというあおちゅうさんの書き込みを
見るのを忘れてしまった。





隅の日陰で軽食、巨大石宮の前でお二人さんが写真を撮ってくれた。



さて帰途についてさっきの第三の岩の石宮(13.25)。



その下にはっきりした踏み跡というより登山道。マーク多数。





急降だが岩角が丁度階段並みに足にぴったりで楽々下る。
やがて右手の窪の向こうにさっきの大岩、するとこのルートは
神社の尾根を下っているらしい。テープも絶えなく続く。



間もなく説明にあつた岩頭らしき場所、フッとテープが切れるが
右に回って急降して踏み跡に降り立つ。矢張り神社の西側だつた(13.38)。



一休みして石段を数えながら降りると最下段の崩れた処を
勘定に入れれば確かに100段あつた。

余り暑いのでこの水場で顔を洗って冷やす。



帰りは高速道の側道を使って名刹・玉泉寺へ寄って見学。



正面に来ると「昆」や「天地人」の幟が多いので謙信ゆかり?
1575年の中興とされるので丁度長篠(設楽ヶ原)の戦いで武田
騎馬軍団が信長・家康連合軍の鉄砲戦術によって壊滅した年。





入り口で奪衣婆や閻魔様のお出迎え。





本堂の掲額。



古そうな鐘楼。



これは昔の建屋に取り付けられていた鬼瓦の類か?





本日はこれで終了、のんびりと走行して帰宅。


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