クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

安政遠足マラソン見物(改)  H-22-5-9

2010-05-09 18:29:09 | 安中・松井田
午前中、「安政遠足(とおあし)マラソン」の参加者仮装振りを
見物に出かけた。今年で36回目となるこの催しは安政二年
(1855年)に時の名君・板倉勝明(かつあきら)が藩士の心身鍛錬のため
安中城から熊野権現までの七里余を走らせた故事に拠る。
安中城址の碑は本丸のあつた安中小南口にあるが



文化センターには遠足の碑と日本マラソン発祥の地の碑がある。



一寸、安中史を復習。
永禄六年、武田の総攻撃が始まる。松井田城は安中忠政、安中城は
安中忠成の布陣。甘利昌忠(小諸城主)・小幡信定に攻められた忠成は
一応は応戦するものの降伏し本領安堵の道を選択し昌忠の妹婿と
なって名も景繁と改めて武田に忠誠を誓って安中氏の存続を為した。
一方、松井田城の父親・忠政は徹底抗戦の後、家臣の命乞いを
して降伏、切腹して果てた。
その後、天正三年(1575)に忠成の安中軍は武田側として長篠に
出陣、設楽ヶ原で果敢に戦い一兵も残さず玉砕、地元の将士も帰農したり
後に北条に属したりして安中城は廃城。
設楽ヶ原での玉砕の後、耕作地に変貌していた安中城址は
慶長十九年(1614)になつて38年振りに復活する。箕輪から高崎に移って
いた井伊直政の病弱の長男・直勝が三万石で安中藩を立藩したのだ。
以後、藩主は変転するが幕末まで藩は持ちこたえた。
但し、江戸時代の安中城とは軍事的な城砦ではなくて行政的な
陣屋の類。従って現在遺跡と称しているのは戦国と江戸時代の
二つの混在。
井伊が二代続いた後は水野時代が三代。六代目が堀田正俊、
春日の局の養子として著名人。
七代・八代は板倉氏、京都所司代を務めた徳川の名家。原市杉並木は
板倉初代の重形の実績。九代・十代・十一代は内藤氏。特記事項もなく平凡。
十二代から幕末まで板倉氏六代の再度の登場。
この板倉五代目の勝明が名君、貴賎の別なく文武を奨励し、一朝有事に
備えて藩士の鍛錬を怠らず安政二年に碓氷峠までの遠足を実施したのだ。

さて、スタートは8時だが後追いの形で自宅を8.30に出発して
R-18を西進、五料の辺りで選手たちと併走の形。取り敢えず
横川「おぎのや」に駐車して国道から旧道に向かう選手たちの
コスチュームを見物。

仮装の定番・三度笠スタイルだが



同じ扮装でもやつぱりこっちの女性に声援が多い。



さぞかし暑かろうという扮装、汗びっしょり。



これは何の主張かな?まさか自然保護団体さん?



セーラー服姿も定番だが、どうも珍獣ハンター・イモト気取り
らしい。



こちらはナマハゲ? それとも怪獣?



おやおやダウン寸前のヨレヨレ武士。



同じ侍姿でもこっちは重装備、旗指物が重そう。



500番のキリ番を誇らしげに。



障害者の方? でも手首に結んでないから唯の仲良し?
アレッ二人とも男の子だ。



余りに一杯の選手たちなので関所コース20Kのゴール地点へ
移動。旧18号線の坂本「くつろぎの郷」。但し、臨時駐車場は
どこも満杯、遂に霧積分岐のところで漸く確保。
これが20Kゴールのゲート、大勢の応援観客が集まっている。



派手なコスチュームだが中身は男性



後頭部にお面を付けて後ろ向きに走ってきた異能なお方。



このチーム、被り物から想像したが正体不明。



全身黒尽くめ、のっそりと不気味に到着。



風船お兄さん、浮力で幾らか楽なのかな? 網を被ってそれに
風船を多数括り付けている凝り様。前見える?



黒眼帯、どうやら独眼竜・正宗さん。



ご存知、志村のバカ殿



オイオイ、そこまでやるのか!



子連れ狼のご一行、後ろで気軽の拝一刀気取りのオクサンは
良いが乳母車を付けて走る旦那はご苦労さん。



花魁さん、あんな履物で走ってきたのかと感心したら
見えてる履物と足はダミーでその下に本物のシューズがちらり。


(5/10読売新聞に紹介されていた沼田在住の方らしい)

何の漫画の主人公だつたか、思い出せないが見覚えアリ。



インディアン大酋長登場。



サッカーボールをドリブルしながら。良く見たらボールと
右手が細いワイヤーで繋がっていた。



やたらと元気だが何の仮装?



平安の女性も参加。何か、京マチ子を思い出した。古いね!



もう号砲から二時間半も経っているが、白ゼッケンの峠コース組
がここには寄らずに直進して旧中山道入口に向かっている。
恐らく関門で時間切れ収容されてしまうだろう。
続々と到着するのでキリが無いので午前中で退散。



帰りの横川で一寸寄り道。今や信越線の終点駅になってしまった
小さな横川駅、上下線とも一時間に一本だが今日はマラソン
絡みで駅前は賑わっている。



近くに峠の釜飯元祖の資料館。序に900円釜飯一つを土産代わり。



数百㍍の上手の碓氷関跡ではお祭り日。



狭い場所に観光客が一杯。

 

見ようと思っていた松井田太鼓や横川獅子舞は既に終わり。
子供八木節保存会の演奏や



60年位前の村祭りの定番のような股旅物の踊りを見ただけで



裏妙義を眺めてから2時からの横浜戦に間に合うように帰宅。



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