クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

第五回御巣鷹の尾根 慰霊登山 H-21-8-14

2009-08-15 09:57:14 | 神流・上野村
お盆の行事の間隙を縫って一寸、御巣鷹の尾根への慰霊登山。一昨年はウイルス
感染、昨年は村道崩落による通行止めだったので三年ぶり。
黒シャツ・黒帽のいでたちは何年も続く慰霊登山用の爺イのユニフォーム。

R-17の新柳ケ瀬橋先からR-13へ、バイパスの藤岡I.C前を通過し「まちすい」の
Wassyさんの店でエサと飲料を仕入れてひたすら南進。
R-462で下久保ダムを左手に見ながら湖畔の蛇行道。湖面に映る緑が綺麗だな、
と思っていたら、神流町に近づくと、どうも湖面の透明度がおかしい。
緑がくすんで見える。
これは淡水性植物プランクトン、通称「アオコ」の増殖らしい。これでは
水草などの水生植物は光合成が出来ずに死滅するだろうし、魚たちの運命も
危ない。かっての諏訪湖の汚染を思い出させる。



自宅から54K、一時間半も走つて漸く「万葉の里」、旧町名では「万場町」。
かつて「父不見山」周回でこの辺をウロウロしたのを思い出す(9.46)。



延々と西進すると漸く上野村に入る。丁度神流川が国道をクロスする「高橋」と
いう橋を渡ったところ。かってはここが上野村と中里村の境界で表示も別物だった。




楢原トンネルの前後に慰霊の園への道標があるので細道に入り山手に乗り上げる。
感じとしてはトンネルの上と思われる場所に広大な園地。8/12の夕方には
遭難時刻に合せて慰霊祭が開催される場所。今は人の姿は少なく閑散。
万葉の里から20K強(10.23)。



合掌の形をした慰霊搭の背後に納骨堂。膨大な数の氏名特定に至らなかつた遺骨か
葬られている。



その前に遭難者全員の氏名が刻まれている。坂本九氏も本名の大島九で。



今年読んだ遺族の慟哭の記「雪解けの尾根」の著者・池田知加恵さんの
夫君で犠牲者の隆美さんの名前も確認できた。

拝礼を済ませていよいよ「昇魂の碑」、いわゆる「御巣鷹の尾根」に向かう。
約4K進むと左手に郵便局、そこを左折して上野ダム用の道路に入る。
目的地は15Kの先。八つのトンネルが始まるが其の内、二つはトンネル内が
大きく曲がるのでやや厄介。
二つ目のトンネルの前後に「諏訪山」登山口の道標がある。鎖・梯子付きの
上級者向きとのことなので、爺イの予定には入つていない。

最後のトンネル「琴音トンネル」を通るとダムへの道との分岐で、道路は
村道に切り替わる。
やがて「中止の滝」、この手前が昨年の崩落現場らしく、左手の斜面の防災壁の
色が違うし、コンクリートのヒトデの形のものが斜面に貼り付けられている。



蛇行道は次第に高度を上げて第一駐車場に到着(11.01)。車は数台。
一旦、車を降りて旧登山口の仏像に一礼。



村道は第二登山口へ約1.3K程も延長
されたので、現在はこの渓流沿いの風情ある登山道は使用禁止。



再び、車で上の駐車場まで一登り、テントや椅子も配置されている広場は
未だ空きがあつた。



杖や祈山記帳のある所から山道に入ってスタート(11.09)。



崩落現場の修復と同時にここから約0.8Kの登山道は年々高齢化する遺族の
為に2000万円を掛けてコンクリート偽木の階段と手摺がつけられた。



僅かの距離の木橋の先で旧登山道との合流点。



数多の事故情況説明で一躍有名になった「すげの沢」には有志の慰霊碑。



傾斜は厳しくなり蛇行道は上手く作ってあるが屡息切れ。左上方に作業小屋が
二棟見えてきた。これが通称「日航の小屋」なんだろうか?



この小屋を見ると、2004年に亡くなった尾根管理人の通称「楢勝」さんの
事を思い出す。本名は確か「仲沢勝美」さん、出身が楢沢だったから「楢勝」?
この方は、かつて黒澤村長さんが「ジャン・バルジャンの現代版」と称したほどの
波乱の人生を送った人だが、事故直後にその能力を村長に買われて管理人に
任命された。以後、尾根の整備に後半生を捧げて遺族たちが頼りにした相談相手
でもあった。

後続の若者たちにスイスイと追い抜かれながら昇魂の碑広場に到着(11.46)。



人も多くて拝礼も順番待ち、その合間に本日の爺イ。



平和の鈴に今年も来た事を記して結び付け、碑の上方に向かう。これは遺品が
埋められたところ。この右手にも全員の名前が刻まれた記念碑。



今日の目的は今まで辿らなかった尾根の上の方の遭難現場毎の卒塔婆に
線香を手向ける事。昇魂碑裏から尾根に上りだすと、多くの小道が分かれていて
その先々に墓標が立っている。出来るだけこまめに訪れて線香を手向けて歩く。
やがて最高点らしきところで道も途絶えたので休憩と軽食。

一休みして下山に掛かるが途中から枝分かれの現場をぐるぐると回る。




再び、広場に戻って元気に走り降りる子供たちの集団と競争のように階段を
下るが、途中で膝がガクガクになってダウン。せせらぎの涼風に浸って休憩。



駐車場に着いたのは12.55、満杯で一部路傍駐車もしている。付近は山又山。



後はのんびり2時間半も掛けて同じルートで帰宅。走行距離188K。

今年でもう事故から24年経ってしまった。いかに貰い事故とは言え此れを風化
させないために群馬県人たるもの、一度は此処を訪れて欲しいものだ。

時事通信から配信された当時の報道現場写真。











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