クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

第十三回 箕輪城祭り 2015     H-27-10-25

2015-10-26 16:25:04 | 伝説・史跡探訪
今年も第13回の箕輪城祭りの見物。この地は現在、高崎市箕郷町だが歴史を辿ると
1889年に周辺の7村が合併して「箕輪村」、1921年に町制で「箕輪町」となり
1955年に隣の「車郷村」の吸収に際して一字づつとって「箕郷町」、そして
2006年の平成の大合併で高崎市箕郷町。だから城の名前は箕郷城ではなく箕輪城。

この城は1512年に 当地を支配する長野業尚によって築かれた。(1526年業尚の子の
信業によって築かれたという説もある)
戦国時代の上野には関東管領山内上杉家が存在したが、1558年に上杉憲政が
越後へ亡命した後は、北条氏康、武田信玄、上杉政虎が侵攻を繰り返す草刈場であった。
だが、信業の子長野業正(政)は、上杉氏の後ろ盾を得て、箕輪衆と呼ばれる在郷武士団
をよく束ね、「名君」と謳われて長野氏全盛時代を築き、最大の版図を有するに至り
信玄の侵略をよく退け安定した地位を保った。しかし、業正の死後業盛が家督を継ぐが
信玄は再び西上野への侵攻を開始し、1566年に武田軍の総攻撃により落城。

山崎一氏による箕輪城図、赤丸の本丸跡広場が本日のメイン会場。



参加者が箕郷支所に集結して開会式(9.30)。



ゲストの福田達夫議員の挨拶、祖父・赳夫氏、父は康夫氏だから高崎は絶対強固な地盤だが
それは旧市内の事でここは新市内で群馬五区だから福田氏の選挙区ではなく
小渕優子議員の選挙区なのに。代役かな?



箕輪城の姫役たちを囲んで写真を撮っているうちに



武者たちがスタート地点に移動してきた。





恒例の箕郷町弓道愛好会の和弓礼射。動画を繰り返し見るには終わった後の画面で
下部左端の半丸状の繰り返しマークをクリック。



MVI 0364


寄居鉢形城三つ鱗会の火縄銃礼射が終わるとこの大砲の号砲を合図に行列が
動き出す(10.00)。

MVI 0370


先頭は何時もの子供囃子だが大手門まで叩き続けるのだから大役だ。



最近、めきめきと売り出している「本格格闘甲冑集団・式」の皆さんが
新しい幡を先頭に進む。









法螺貝のお二人も元気一杯。





重要な協賛企業・エスビックの青鬼隊、この隊に多い子供武者たちは模擬合戦で
武田軍を押し捲って大奮闘する。



開会式のセレモニーで鎮魂祭を執り行う「箕郷町御嶽教講社」皆さん。



地元の団体さんの参加が多いのもこの祭りの特徴か?



お馴染みの群馬甲冑愛好会の皆さん、何時もより人数が増えた感じ。







各チームは随所で抜刀勝鬨のパフォーマンスで観客を喜ばせる。



行列は長々と続き箕郷小で小休止。



各隊の行列の様子。動画を繰り返し見るには終わった後の画面で
下部左端の半丸状の繰り返しマークをクリック。


MVI 0401


MVI 0400


MVI 0399


小休止の後、内宿から虎韜門で隊列を整えたり休憩したりしていると丘の上の
大砲が発射されていよいよ急峻な山道登りに掛かるが、進度がまちまちなので
時々流れは停滞。



MVI 0408


その頃、会場では10.50頃からアトラクションがどんどん進行していた。
だんべえ踊り・箕輪城太鼓保存会・箕輪武士愛好会・三つ鱗会などーー
その中から「上泉伊勢守顕彰会による「新陰流の演技」



MVI 0409


行列は御前曲輪に入って昼休み。その間を縫って顔馴染みの皆さんと交歓。



















そろそろ開会式が始まる予定の13.30になるのでメイン会場に行くと一般席は
群集がテントをはみ出して裏に一杯。撮影場所の確保のために放送席の裏に
潜り込み。



開会式の為、総勢がひな壇の周囲に集結。ゲスト挨拶に小渕優子議員が
永らくの自粛を解除したらしく登場。相変わらずの抜群の存在感と
さわやかな弁舌は他を圧していた。



観客も参加して慰霊祭、これは箕輪城に関わった諸武将への慰霊の神事。



14.10頃、武田の侵攻に備えた長野勢が集結したことを知らせる着到状を長野業盛役が
読み上げていよいよ合戦間近。業盛役はなんと旧知の格闘軍団のリーダーさん。



本丸の北に武田軍(赤旗)、南に長野軍(青旗)が集結。



烏川の戦い前半戦の開始。
435

MVI 0435


武田義信と藤井豊後守友忠の一騎打ちで義信が家臣の制止で陣に戻る。

MVI 0436


烏川の戦い後半戦

MVI 0437


上泉伊勢守・青柳忠家・下田昌勝の出陣。

MVI 0439


箕輪城攻防戦

MVI 0441


上泉伊勢守の一騎駆。相手は武田の武将・穴山信君(ノブタダ)、内藤昌豊、名和宗安。

MVI 0442


最後の決戦で武田軍を退け長野軍の勝鬨で祭りは終了。15.10。歩数8400歩の程よい運動。

MVI 0444


本日の収穫、合戦模様のナレーションを絶妙な話術でこなした講談師の神田山緑さんとの
ツーショット写真。



追加
本格格闘甲冑集団「式」のfacebookよりフルメンバーの画像









コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 第26回 高崎マーチングフェ... | トップ | 紅葉を探しに岩櫃山 H-27-10-31 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

伝説・史跡探訪」カテゴリの最新記事