クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

大岩不動尊訪問 中之条逍遥 その2 H-28-10-20

2016-10-22 14:03:16 | 中之条・小野上・みなかみ・沼田・渋川
牧水祭りが終了したが付近の山への登山は少々時間が足りないので
帰路途中にある大岩不動尊に寄る。

峠から約7km程下ってくると左手に不動尊駐車場の表示板。極めて小さく
雑草繁茂のスペースだが県道の路傍駐車は躊躇せざるを得ないので
注意しながら草を掻き分けて場所確保。



駐車場から約100m位更に下ると大岩不動尊へ1kとの道標前に不動尊入り口。
不動尊は不動明王のことで仏教関連なのに赤鳥居が目立つ。どうやらここも
神仏混合の寺社の名残を残しているらしい。



鳥居を潜ると直ぐに右にある林道と合流して「上り」「下り」の
Y字分岐。左の「上り」を選択。



どうも「上り」はこの標柱を見せる為かな? 関肥後守清忠の碑とある。



直ぐ上の高みに巨大な石碑、接近し難く正面からの写真は撮れないし、陽が
当たらないので刻字が良く見えないが、多分標柱と同じ内容かも知れない。
「関家の本家は、中之条町大字上澤渡字大岩」との話はこの事らしい。



関肥後守清忠さんの事を調べるとこの地域では大変な有名人。解説されている
ネット情報をかき集めてみた。
「遠祖は藤原鎌足、藤原姓・佐藤末葉というのが遺されている系図。
1182年、佐藤肥後守清忠は、源頼朝から山口県下関に領地を拝領し
『関』の姓を賜わったとされる。鎌倉幕府滅亡後、関肥後守憲清が
「吾妻郡澤渡の郷大岩」に移るとあるから清忠の子孫の代にこの
大岩に拠点を設けたことになる。一般に鎌倉幕府滅亡とは建武の新政の
1333年以降の事だから少なくても「忠清」時代から150年以上の後の事になる。
そして関織部介行利が四万に分家し、四万湖畔の殿貝戸の「せきぜん屋敷」に
居住し『初代関善兵衛』を名乗るが1613年に没。
これが四万:関家の創祖であり、代々四万村の名主を勤めた当主は「積善兵衛」
を襲名.1691年に湯場を作り、旅籠宿を始めたというのが積善館の前身。
明治時代に入り、第15代の関善兵衛が中国の古い儒教の経典「易経」の中
にある『積善の家に余慶あり』という言葉に関連させて、呼び名の「せきぜん」を
『積善』と表わし、その下に旅館を表す『館』を付けて、『積善館』としたという。

何故、こんな脱線をするかと言うとこの積善館がアニメ「千と千尋の神隠し」の
モデルと噂されているからだ。
この写真の赤い橋は確かにアニメそっくりだし、撮影直前に監督も此処に泊まったので
この風評になったのだが実際は特定の場所ではなく各地の同じ雰囲気の場所の
集大成のイメージでアニメは作られていると当事者の断言がある。



モデルの噂は台湾にもあるし道後温泉・渋温泉など複数ある。いずれもここがモデルと
云われれば納得してしまう景観だ。

台湾の町・九份



渋温泉にある温泉宿「金具屋」の斉月楼



道後温泉本館



さて、余談は止めにしてーーー林道を進む。道は軽四車なら充分走行可能な程度。



周辺は中程度の太さの植林地、一時は巨木の宝庫だったらしいが大規模伐採で
極く普通の山だが次第に谷筋に巨石が現れるので雰囲気は良い。



稀にはこんな貫禄の巨木がある。



少々キツイ上り坂を数回繰り返すと漸く平地に到着。どうやら駐車場なのか?
或いは林業の集積場所だったのか? 



簡単なロープで通行止めの所に「不動尊へ300m」の表示板。



確かに道幅は狭く雨水の水流で削られた道が登っていく。



再びY字分岐で右を選択して三叉杉に向かう。三叉杉前で写真を撮るが
余りに巨大で上部がフレームからはみ出し。



説明板には所有者に関家の文字がある。若しかすると不動尊も関家の所有かな?
地上4.8mの三叉杉で由緒の為に伐採から除かれたらしい。
1959年に東海地方に大災害を齎した「伊勢湾台風」で一本が折れて
今は二本杉。10mと20mの高さにステンレス帯で補強されているとのこと。

補強帯の様子。



裏を見ると折れた跡の洞にも補強が施されていた。



三叉杉を過ぎて直進すれば大岩山に向かうが左に回ると巨大な崖の下に
不動堂が現れる。



岸壁は半端ではなく榛名神社や妙義の中ノ嶽神社より凄い感じ。



向かって右のが立派なので本殿と思ったらこれが有るから拝殿か?



そうすると地味で小振りながら彫刻が見事な左のこちらが本殿か?
大岩不動尊境内の岩陰に自生しているとされる1988年に町の天然記念物
に指定されているヒカリゴケを探したが表示板もなく見つからなかった。



境内左隅にあるこの道標で「霧降の滝」方面に登る。元々水量が少なく
霧状になって落ちてくる滝で中々映らないのだが今回も挑戦。



半分腐ってきた木枠段を注意深く進み滝に接近したが肉眼で
微かに見える程度で「微かな霧」程度。



動画で試したが駄目。
(動画を途中で止めるには画面左下の縦二本棒をクリック、終わってから
もう一度見るには終了後の画面左下の繰り返しマークをクリック)

霧降の滝


諦めて帰路に付き今度は正面の石段を降りながら振り返り。



途中に小さな社。「鳥瑟沙摩明王」(うすさまみょうおう)と書いてある右肩に
罔象女命(みつはのめのかみ)と小さく書いてある。
鳥瑟沙摩明王は「烈火で不浄を清浄と化す」神力を持つことから、心の浄化は
もとより日々の生活のあらゆる現実的な不浄を清める功徳があるとされるし
罔象女命は確か水ノ神。



社の中には二体の像があり「嵐除明王」と記されているので三叉杉と
関連かな。




以上で本日の予定は終了、長距離をのんびり運転で帰宅。

来訪の序に下のバナーをポチッと。














コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 第60回 牧水まつり 中之条... | トップ | 第14回 箕輪城まつり  201... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

中之条・小野上・みなかみ・沼田・渋川」カテゴリの最新記事