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クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

赤城の山で奪衣婆に対面 H-18-9-5

2006-09-05 21:44:56 | 赤城山周辺
日曜の夜、体調不備を修正する為、或る薬を飲んだら利き過ぎた。
つまり、止まらなくなったと言う事。それで昨日は一日休養。
そこで今日は軽目のハイク、再び「楚巒山楽会」さんの後追いで「姥子山」
にあるという「奪衣婆」を見に行く事にする。岩井堂と長年寺で見てから
奪衣婆に興味があるから。その記事は下記URL
   http://blog.goo.ne.jp/gooyamachuu/e/942d5585bb5fbe8dc3bc26de7b278444
大沼に向かって「新坂平」の駐車場へ(9.52)。牧場側の鉄索に沿って
西に向う登山口があつた。標高1420m

熊笹に覆われた踏み跡を辿ると間も無く分岐。ここが例の「勇者・幼児」の
分岐点らしいが標示は何も無い。しかし、何時から勇者の反対語が幼児に
なったのかな?

取り敢えず、歳相応にジグザグの幼児道を進むと僅かで勇者道と合流して
右折(10.03)。一寸下ってから柵沿いに一コブ登ると分岐の道標。

右折して間も無く右手の柵の内側に地蔵菩薩と奪衣婆を発見。

失礼して鉄索を潜り近寄って眺めると両方とも首から上が欠落している。
昔、上州の博徒の間で石仏の首を持っていると賭けに強いとの迷信が
あった為、多くの石像が被害に逢っていると聞くがこれもその類か。
この先の「六道の辻」からの合流点にもう一つ石像があるはずなので、
左を注意しながら進むが、石像はおろか、合流点も見つからない内に
「姥子峠」に着いてしまった。(10.21)1487m


青木清著・「赤城の花と渓谷」によると、この峠を東に乗り越すと「船ヶ沢」に
ぶつかるが、この沢が「三途の川」と言われているそうである。従ってその手前に
奪衣婆が居るのだ。隣の地蔵菩薩と言っているのは、まさか相棒の懸衣翁では
あるまいね!爺イは生きながら既に三途の川のほとりに居た事になる。

仕方なく、目立たない山「姥子山」を探す事にした。一寸下ってから
目の前の丘に向うと登り切った所で踏み跡は右に曲って再び下り。
その頂点で左を見上げると何やら標識らしきものが見えた。笹を掻き
分けて少し登ると待望の頂上標識と

古い道標を発見。道標の文字は殆ど消えかかっているが「新坂平―鈴ヶ岳」
と読める。これが初めからこんな外れた所にあつたとはとても思えない。
(10.33)1520m

ここには三角点ではないが13㌢角の花崗岩の標点があったが四面に刻まれ
ている文字は全く読み取れない。

2つ目も簡単に見つかったが時間が早過ぎるので「鍬柄山」に向う。
先日、旧赤城村から鈴ヶ岳に行った時はパスしているから。
右旋回の道を下ると僅かで「鍬柄峠」の標識。(10.43)

目の前の一寸したピークを蛇行道で楽に進むと途中で見晴し風の場所。
大沼や周辺の山の展望が凄い。ピーク1546mを下ると今度は大きな山塊、
これが鍬柄かと勢い込んで前進、二股分岐は右の直登を進む。
少しの登りでコブの様な台地、ここの展望も見事。この少し先が鍬柄頂上。
日当りがよいが風があつて心地よい。1565m 県内5高校山岳部設置の標識。

花もチラホラ、数種類の蝶が舞う。展望は北の雑木が邪魔して300度位。




肝心の鈴ヶ岳は見えないが東から黒檜・駒ヶ岳・長七郎、東南に地蔵、
南に荒山、西南に鍋割らしき山。榛名をはじめ遠方は霞んでいる。




先日の黒檜の霧を全部取り返して大満足。(11.05-11.31)
昼食は後回しで、取って返して石像探し。肝心のものは奪衣婆の真横にあつた。
勿論、六道辻からの道という薄い踏み跡も。

麓近くで例の「勇者・幼児」分岐の表示を樹幹に発見して一人で大笑い。


駐車場所に帰って休憩と昼食。日陰では風が冷たくて下界との違いを実感。
(12.28)
一寸、気になる事があるので図書館に直行。「岩佐徹道・群馬の峠」を
読み返す。この本の「鍬柄峠」の項には次ぎの様に書かれている。
「二つのコブを作って起伏するのが鍬柄山。南が前鍬柄山で北が後鍬柄山。
前鍬柄山の下が前鍬柄峠。後鍬柄山の北にあるのが後鍬柄峠。これらを
総称して鍬柄山と呼び、鍬柄峠と言っている。」
前山とは手前のピーク、後山とは今の鍬柄、後峠は鈴ヶ岳との鞍部か?
まあ、1971年の本ではあるが。

追記・森山隆平著・群馬の石仏より「奪衣婆のうた」
これこれ亡者 娑婆の仁(ひと) 十王さまに 何と頼んだかは知らないが
この婆が 許すものではありませぬ 三途の河に来たが最後 六文銭は
河の渡し料 有り難く頂戴はするけれど 袖の下、賄賂等とは以ての外
衣剥ぎ取り褌一つ 衣類は隣の懸衣翁 示し合わせて衣領樹の
枝の撓みで汝の罪 重いか軽いか一切明白 その時お前の賄賂の金子
小判の重みが仇となり 枝はキリキリ低く垂れ 重罪人の判決を
否でも応でも下されるーーーーー

沼田材木町の「天桂寺」の「みそなめ爺さん」「みそなめ婆さん」も
実は「閻魔」と「奪衣婆」であるとの噂があるが本当かな?
どう見ても農家の爺さん・婆さんだけれども、一説には像裏に銘のある
沼田の家臣で硬骨で名高い尾身治太夫夫妻がモデルとも言われる
そうである。

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4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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追いつかれないように頑張ります (楚巒山楽会代表幹事)
2006-09-06 20:46:40
後追いしていただいて光栄です。

勇者コース、幼児コースは、お気に入りです。赤城山もけっこう遊べると思います。あまりガイドブックに載っていないような場所、事項を見つけて行きたいと思っています。やまの町 桐生をこれからもご愛読ください。
返信する
Unknown (爺イ)
2006-09-06 21:27:54
毎度、資料を参考にさせて戴き恐縮です。

今回の姥子では結局、誰にも会いませんでしたが

かえって誰にも気兼ねする事無く楽しい半日でした。

今後も度々後追いさせて戴きますので

宜しく。
返信する
Unknown (マグロ君)
2006-09-07 13:35:52
こんにちは!



キャンプとか、山登りとか、BBQとか、

やりたいんですが・・・、踏ん切りが・・。

子供にも体験させてあげた~い!



車は4WD、キャンプセットも昨年買いそろえ

ましたが、一度も活用した事がありません。



ほんっとに、駄目パパですね~!

恥ずかしい。

この秋こそは・・・・・。



グチっぽくなったんで、

応援しときますね、ポチッ!
返信する
Unknown (爺イ)
2006-09-07 19:48:30
グルメ部門のトップテンの方からコメント、吃驚りと感謝。

が、しかし

登山部門上位の全てのブログに全く同じ文面の

投稿をされているところを見ると、水産会社の

エイギョーですね。

内容は凄く豊富で、しかも面白いので正々堂々「営業」とした方が良い様に思えますが。
返信する

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