クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

十三回目の御巣鷹の尾根  H-28-10- 4

2016-10-05 19:13:23 | 神流・上野村
毎日の悪天候に嫌気を覚えている内に早くも季節は10月。それでも10/4は一日だけ
晴れの予報が出たので今年二回目の御巣鷹の尾根への慰霊登山に出かけた。
2003-8に初めて訪れてから2016-10まで本人の病気や水害の年を除いて今回で
13回目。ここ数年は慰霊と共に現存の膨大な墓銘碑を記録に残すことも兼ねているが
未だ発表されている犠牲者名簿を基準にすると数十名の方々の墓銘碑が記録されていない。
色々な事情などで墓銘碑を作っていない方も数十名居られるとの話は聞くが
そんな資料が存在するかは分からないし、個人情報だから詮索は憚られる。
従って爺イの作成している電子アルバムは五十音順に6冊のデジブックに分かれて
収録されているが残念ながらネット公表は出来ない。しかしながら時代の推移で世代も
変わっていくと今の状態の記録が貴重になるかも知れないので爺イの意思を理解してくれている
数人の方々に一括して収録してあるDVDを託す事にしている。

寄る年波で最近はいつも今回が最後かもと思いながらの御巣鷹行きだが
今年は残り60名分まで来ているの異例の年間二回目。
最近手に入れた奈良の「斑鳩の里・中宮寺」の「山吹香」を持って出発。富岡・下仁田
経由r-45で南牧を南進、「湯ノ沢トンネル」手前の橋から南牧村最南端の檜沢地区を
一望。このr-45がずっと「西上州やまびこ街道」と思っていたら「街道」は橋から分かれる
旧道の事でトンネル先の上野村でr-45(下仁田・上野線)に合流している。





この2004-3に開通したトンネルは3.323mで群馬県内では関越の11.055m、八風山の4.471mに
次いで長さは第三位、片側一車線とはいえ殆ど直線で中の照明も充分。
トンネルを出て約3kでR-299(長野・茅野ー埼玉・入間)との丁字路、右へ行けば十石峠だが逆に左折。
僅かの距離でこの楢原郵便局の角を右折して上野ダムに向かう。



R-299を神流町方面から来ると郵便局より丁字路のこの看板が目立つので左折。



約3km程走った三岐地区で左折すると直ぐに八基のトンネルが続く。
トンネル位置の地図とトンネル入り口画像を結合させて見たのが次のもの。
(サムネイル写真は左クリックで拡大、左上の左向き矢印で元に戻る)

        

(四番目のu字型トンネル「太神楽2号」の写真は「埼玉発 おとなの小冒険」さんの
2008-11-1記事からの借用・加工したもの)

郵便局角から17km走行して漸く駐車場。観光バスが停まっているからとこかの
研修団体か? 駐車場隅に頼りになる管理人の黒澤さんの車もあるので安心。
確か2005年までは延長工事が完了していなくて下の駐車場から沢筋を登ったのだが
随分と歯ごたえがあったのを思い出す。
その後、2008年4月末の豪雨で村道が60Mに亘って崩落しその年の慰霊登山は
8/12当日だけに制限されたが一年後には復旧し同時に登山道のコンクリート擬木の
木枠段も設置された。今でも管理人さんやボランティアの有志の方々が地道に
コツコツと地域内の整備に努めている。

何時もの登山口風景、団体さんの声は既に聞こえず先行者で見えるのは二人だけ。



カウンター数値は233、まあ10月に入ったばかりだからこんな物かな?



山守地蔵前を通過、そう云えば管理人の黒澤さんは自らを「山守」と自称し
作業着にも山守との縫い取りがある。



その先の木枠段で早速関係者の工夫を見つけられる。
木枠段は次第に段差がついてくるのでその手前に「石台」とか「丸太台」を
設置して踏み台代わりにしているのと、最下段に丸太を半切りにして
平板面を上にして楽に第一歩が出せるようにしてある。全て高齢化が
進む遺族の事を慮っているのだろう。



2014年の豪雨で崩落した斜面はこの梯子で修復されているが、ややぐらつくし
長いので年寄の我々には途中で一呼吸が無難。



梯子を過ぎると今までの右への道は閉鎖され代わりに小屋手前に向かう道に
付け替えられている。



小屋手前で右に切り返すと遺族有志の哀切の詩、何時も此処で無理は承知で
少しでも遺族の気持ちを理解しようと何回も読み下す。



墓標探しに入るため先ずここから「すげの沢」に向かう。



多くの犠牲者が飛び込むようにかたまって発見された沢筋の1Jから始めるが
この地域の人たちが一番墓標設置率が少さい。理由は不明。
黒澤さんが団体さんを案内して合流、墓銘碑が戒名だけの人の名前を割り出す
のに苦労していたら「墓標脇の緑の細いプラ棒の先に付いている小さな軽金属
の板にナンバーと俗名がカタカナで彫られている」と教えられ戒名だけの
ものの再発見を始めた。以後、昼食を挟んで15時頃まで全域を歩いたが
結局、新規に確認できたのは13名だけ。もう、後の方は作っていないと
思うことでこれで終結とする。
個々の墓標画像は公開には不適と遺族会の意向もあるので遠景だけ。



最上部で「X岩」、聞いたところに拠るとこれは事故現場の調書作成の折り
このX岩を全ての起点にして計測したものという。勿論、警察関係の事。



何時もの通り三人のクルーの墓銘碑に持参の線香を手向ける。
520名の犠牲者には何時も祈りを捧げるがこの碑には必ず
線香をあげる。
世の中には色々なご意見があるとは思うが爺イは地獄のような
状態の中で奮闘しながらもクルーの力の及ばない空しさと悔しさと
乗客の命を守るべき責任の重さを抱えて散華した15名の日航関係者に
想いは深い。



一通り回って昇魂の碑前で本日の爺イ。



暫く休んでからもう一度登山コースで3bなどの突端を回り再び「すげの沢」に
来ると又も黒澤さんと出会い、色々と情報を仕入れた。するとあたりが
急にザワついて日航の新人研修でバス4台に分乗した百数十人の団体が
バラバラと回ってきて黒澤さんが応対に大忙し。こちらも遅くなるので
山を下り、来たルートを辿ってのんびり運転で帰宅。
往復走行距離 140km 7.700歩

蛇足
調べて見ると上野村は県内では特異な村のようだ。平成の大合併で県内の
「村」は26村から8村と18ヶ村が消滅したが上野村は「合併しない宣言」を
出して村として残った。因みに「町」は33町が15町になって18町の減、
「市」が11市から12市で1市増。全体で旧自治体70に対して半減の35自治体。

面積が広いなとの印象だか182㎢は県内14位で水上町の1/4に過ぎない。
問題は人口が1220名程度で県下自治体で最小、人口密度 6.75人/㎢も最低、
可住地面積割合の7.0%も、群馬県内で最も低い。
こんな山間にある過疎地域であるが、2005年に上野ダム・東京電力神流川発電所が
完成し、固定資産税の税収が増加したのに伴い、2006年度以降地方交付税の
不交付自治体となっている。財政力指数は2008年には県下一となり
現在は1.2くらいで二位の大泉町1.0を離して一位は変わらない。この指数は自治体の
財政力を示す指標であり、基準となる収入額を支出額で割り算(÷)した数値。
1.0であれば収支バランスがとれていることを示しており、1.0を上回れば基本的に
地方交付税交付金が支給されないのだ。周辺の下仁田31位、南牧34位、神流35位を
見ると複雑な立ち位置か? 但しこれは率の話であり絶対額は
歳入が44億円程度だから県内では27/35位。


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追記
半月後には五十音順に整理した墓銘碑画像がデジブック形式で
六冊に分かれて完成します。遺族会の意向により一般公開はしませんが
当方よりの個人宛送付は出来ます。但しそこからの転送は出来ません。
rsf29380@nifty.comまでご連絡いただければ「友人だけに公開」処置が
出来ますしこのアドレスに送付先をご連絡戴ければDVD一枚に纏めて
送付できます。
勿論、無料送付ですが当方はまもなく85歳となり余命は極めて短くなって
居りますのでご希望はお早めに。この記録が世の中に残ることを
願っております。
メール添付でも送付可能です。













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