11/7に紅葉具合を偵察に来てまだまだと判断して霧積に変更して以来、
様子を窺っていたが11/12のインレッドさんの記事で大丈夫と確信したので
今日はアプトの道を再訪。
アプトの道とは云っても始点の横川駅から約4kも進んだ碓氷湖をスタートとする
ややインチキ臭いルート。
この碓氷湖、中尾川と碓氷川の合流点を堰き止めて造った人造湖で湖畔には
約1.2キロメートルの散策道が在るのだが何故か「夢のせ橋」の手前で閉鎖中。
少し眺めてからアプトの道に向かう。
(サムネイルを左クリックで拡大、上部の左向き矢印で元に戻る)
アプトの道に入るが碓氷湖の地点でもう第二トンネルは過ぎているので
最初のトンネルは第三(78m)で第四(100m)を過ぎるとやや長い243mの
第五と続く。碓氷湖からめがね橋まで約1k。
(サムネイルを左クリックで拡大、上部の左向き矢印で元に戻る)
第五トンネルを出た所は既にめがね橋の上でこのルートの最高の景観が
楽しめるが休日なら観光客が密集するのに平日の今日は人影は少ない。
遥か上に碓氷新線の橋梁が見える。今、立っているこのアプトの道は
旧碓氷線と云われ1963年に碓氷新線の開通に伴って廃止となり、更に
1966年の碓氷新線の複線化によって、熊の平駅も信号場に降格され、
1997年の新幹線開通でその使命を終えたそうだ。かって特急あさまなどは
あの新線を使っていて新線と旧線は熊ノ平駅で合流していた。
(サムネイルを左クリックで拡大、上部の左向き矢印で元に戻る)
橋上からの紅葉景色に充分堪能してから1.3k先の熊ノ平駅跡に向かう。
直ぐに始まる第六トンネルは最長の546m、行き交う人も少なく吹き抜けの
風も冷たくてとても快適とは云えないが途中に「横坑」が幾つか在るので
気は紛れる。この6号隧道は長い為、工期短縮を図って、途中からもトンネルを
掘ったとの事でこの穴はトンネル出入口以外からも入れるように造られ、
掘削寺に発生した湧き水や土などをここから外に出したり、
トンネル内に空気を送り込んでいた。
高度が上がるにつれて周辺の色づきも濃くなり第七(75m)
第八(92m)、第九(120m)、第十(103m)を経ると熊ノ平駅跡に到着。
(サムネイルを左クリックで拡大、上部の左向き矢印で元に戻る)
殉難碑の前を通る。1950年6月はこの周辺で降雨が続き、上旬だけで150ミリ
もの雨量が観測された。そして6月8日の午後8時半頃に熊ノ平駅構内の
第10号トンネルで約3,000立方メートルの土砂が崩壊して本線・突込線が埋没。
翌6月9日午前6時6分頃にその上方で7,000立方メートルほどの崩落が発生し、
作業中の人員や宿舎4棟・8戸が埋まった。
6月11日午後11時半頃に3回目、6月12日午前7時24分に4回目の崩落がそれぞれ起きた。
最終的にこの事故による死者は50名、重軽傷者は21名、線路は延長70メートル
幅60メートル深さ2メートルの土砂が堆積した。復帰は6月23日。
振り返ると横川側の坑道が見える。トンネルは四つもある。
左から新線上り線、次は新線下り線(旧線上り突っ込み線)、その右が歩いてきた旧線の単線
アプト道、右端は旧線下り押し下げ線。
軽井沢側のトンネルは三つ、右側から順に、新線上り線(旧線上り押し下げ線)、
新線下り線(旧線の本線) 旧線下り突っ込み線(保線路として利用)。
駅構内から見上げる紅葉もなかなかのもの。
(サムネイルを左クリックで拡大、上部の左向き矢印で元に戻る)
ひだまりで軽食を採ってから階段を使って下の国道18号旧道に下りると整備された
駐車場。めがね橋まで2.6k(アプト道の二倍)、碓氷峠まで7kの表示。
ここから下りの国道をのんびり歩き周囲の紅葉・黄葉を楽しみながら
めがね橋を目指す。
(サムネイルを左クリックで拡大、上部の左向き矢印で元に戻る)
めがね橋に到着。「めがね橋」とは通称で正式には「碓氷第三橋梁」。
煉瓦アーチ橋で径間数4、長さ91m、高さ31mでわが国最大の
煉瓦づくりアーチ橋。使用レンガ数300万個とのこと。
1892年に完成し、アプト式鉄道を支えてきたが、1963年新線開通に伴い
廃線。1993年に国の重要文化財に指定され、2001年廃線敷を利用した遊歩道
「アプトの道」として整備され、2012年には熊ノ平駅までが開通した。
(サムネイルを左クリックで拡大、上部の左向き矢印で元に戻る)
碓氷湖に到着して本日終了。12.700歩のハイクだった。
碓氷湖を形成する坂本ダムは本来、1958年度に建設省
による砂防事業の一環として建設された、高さ28.5メートル、
堤頂長74メートルの砂防ダムであった。その後にダム補強工事・管理設備工事・
工事用および周遊道路工事を経て、1994年度に完成した。
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蛇足
長野県出身で音楽学校の教授高野辰之さん(1876〜1947)は1920年頃、碓氷の地に
未だ鉄道が走っていた時、車窓からの眺めで「紅葉」の詞を作ったと
言われている。高野さんの作品には我々に馴染み深い「朧月夜」「故郷」「春の小川」
「春が来た」などもあり全てが文化庁の「親子で歌いつごう 日本の歌百選」に
選ばれている。
秋の夕日に 照る山紅葉 濃いも薄いも 数ある中に
松をいろどる 楓や蔦は 山のふもとの裾模様
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デジブック 『「もみじ」の故里』
様子を窺っていたが11/12のインレッドさんの記事で大丈夫と確信したので
今日はアプトの道を再訪。
アプトの道とは云っても始点の横川駅から約4kも進んだ碓氷湖をスタートとする
ややインチキ臭いルート。
この碓氷湖、中尾川と碓氷川の合流点を堰き止めて造った人造湖で湖畔には
約1.2キロメートルの散策道が在るのだが何故か「夢のせ橋」の手前で閉鎖中。
少し眺めてからアプトの道に向かう。
(サムネイルを左クリックで拡大、上部の左向き矢印で元に戻る)
アプトの道に入るが碓氷湖の地点でもう第二トンネルは過ぎているので
最初のトンネルは第三(78m)で第四(100m)を過ぎるとやや長い243mの
第五と続く。碓氷湖からめがね橋まで約1k。
(サムネイルを左クリックで拡大、上部の左向き矢印で元に戻る)
第五トンネルを出た所は既にめがね橋の上でこのルートの最高の景観が
楽しめるが休日なら観光客が密集するのに平日の今日は人影は少ない。
遥か上に碓氷新線の橋梁が見える。今、立っているこのアプトの道は
旧碓氷線と云われ1963年に碓氷新線の開通に伴って廃止となり、更に
1966年の碓氷新線の複線化によって、熊の平駅も信号場に降格され、
1997年の新幹線開通でその使命を終えたそうだ。かって特急あさまなどは
あの新線を使っていて新線と旧線は熊ノ平駅で合流していた。
(サムネイルを左クリックで拡大、上部の左向き矢印で元に戻る)
橋上からの紅葉景色に充分堪能してから1.3k先の熊ノ平駅跡に向かう。
直ぐに始まる第六トンネルは最長の546m、行き交う人も少なく吹き抜けの
風も冷たくてとても快適とは云えないが途中に「横坑」が幾つか在るので
気は紛れる。この6号隧道は長い為、工期短縮を図って、途中からもトンネルを
掘ったとの事でこの穴はトンネル出入口以外からも入れるように造られ、
掘削寺に発生した湧き水や土などをここから外に出したり、
トンネル内に空気を送り込んでいた。
高度が上がるにつれて周辺の色づきも濃くなり第七(75m)
第八(92m)、第九(120m)、第十(103m)を経ると熊ノ平駅跡に到着。
(サムネイルを左クリックで拡大、上部の左向き矢印で元に戻る)
殉難碑の前を通る。1950年6月はこの周辺で降雨が続き、上旬だけで150ミリ
もの雨量が観測された。そして6月8日の午後8時半頃に熊ノ平駅構内の
第10号トンネルで約3,000立方メートルの土砂が崩壊して本線・突込線が埋没。
翌6月9日午前6時6分頃にその上方で7,000立方メートルほどの崩落が発生し、
作業中の人員や宿舎4棟・8戸が埋まった。
6月11日午後11時半頃に3回目、6月12日午前7時24分に4回目の崩落がそれぞれ起きた。
最終的にこの事故による死者は50名、重軽傷者は21名、線路は延長70メートル
幅60メートル深さ2メートルの土砂が堆積した。復帰は6月23日。
振り返ると横川側の坑道が見える。トンネルは四つもある。
左から新線上り線、次は新線下り線(旧線上り突っ込み線)、その右が歩いてきた旧線の単線
アプト道、右端は旧線下り押し下げ線。
軽井沢側のトンネルは三つ、右側から順に、新線上り線(旧線上り押し下げ線)、
新線下り線(旧線の本線) 旧線下り突っ込み線(保線路として利用)。
駅構内から見上げる紅葉もなかなかのもの。
(サムネイルを左クリックで拡大、上部の左向き矢印で元に戻る)
ひだまりで軽食を採ってから階段を使って下の国道18号旧道に下りると整備された
駐車場。めがね橋まで2.6k(アプト道の二倍)、碓氷峠まで7kの表示。
ここから下りの国道をのんびり歩き周囲の紅葉・黄葉を楽しみながら
めがね橋を目指す。
(サムネイルを左クリックで拡大、上部の左向き矢印で元に戻る)
めがね橋に到着。「めがね橋」とは通称で正式には「碓氷第三橋梁」。
煉瓦アーチ橋で径間数4、長さ91m、高さ31mでわが国最大の
煉瓦づくりアーチ橋。使用レンガ数300万個とのこと。
1892年に完成し、アプト式鉄道を支えてきたが、1963年新線開通に伴い
廃線。1993年に国の重要文化財に指定され、2001年廃線敷を利用した遊歩道
「アプトの道」として整備され、2012年には熊ノ平駅までが開通した。
(サムネイルを左クリックで拡大、上部の左向き矢印で元に戻る)
碓氷湖に到着して本日終了。12.700歩のハイクだった。
碓氷湖を形成する坂本ダムは本来、1958年度に建設省
による砂防事業の一環として建設された、高さ28.5メートル、
堤頂長74メートルの砂防ダムであった。その後にダム補強工事・管理設備工事・
工事用および周遊道路工事を経て、1994年度に完成した。
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蛇足
長野県出身で音楽学校の教授高野辰之さん(1876〜1947)は1920年頃、碓氷の地に
未だ鉄道が走っていた時、車窓からの眺めで「紅葉」の詞を作ったと
言われている。高野さんの作品には我々に馴染み深い「朧月夜」「故郷」「春の小川」
「春が来た」などもあり全てが文化庁の「親子で歌いつごう 日本の歌百選」に
選ばれている。
秋の夕日に 照る山紅葉 濃いも薄いも 数ある中に
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