▼先に、〈官民連携会議〉というのがあって、今回11月6日(日)に「保護者のための不登校セミナー」を行田市に新しく出来た埼玉県総合教育センターで開催したというのをお伝えした。実際に参加された方もいらっしゃると思う。県教委側の概算では300名くらいが参加されたそうである。当初、新教育センターは県北に近く、まだよく場所も知られておらず、県南からも保護者等が参加されるだろうかという一抹の不安んもあった。しかし、蓋を開けてみたら予想外の盛況(?)で、参加者からの反響も概ね好評であったようだ。
▼しかし、もしかしたら150名くらいかも…と思っていた参加者が300名を数えたということは「イベントとして誇っていいものかどうか」は評価の分かれるところだ。単純に数値だけをみれば、今時一般に呼びかけても300名の参加者を集めるイベントを開催することはとても難しい。人々の価値観の多様化もあって、一つの情報で人々は雪崩を打つようには動かなくなっている。しかし、それでもやはり自賛するわけには行かないというのは、県内だけでも対象となる不登校生は小学生で約1000人、中学生で5500人、合わせて6500人程度の不登校生がいるからである。それなのに、実際に参加したのは親子含めて300人。これを多いと言えるかどうか。単純に考えて200人から250人が不登校生かその親御さんに該当すると考えても、じゃあ残りの人たちはどうしたんだろうか。
▼なぜ参加しなかったのかと考えれば、予想以上の参加者とは言え、やはり素直には喜べない数値であるのにかわりはない。学校を離れた子どもたちだからと放っておいていいはずはない。不登校となった子どもやその保護者にとってそれが本来は望まない結果であり、現象面での抗いはあったとしても、殆んどの家庭ではできるならば元のように抵抗なく学校に通える状態に戻りたいと思っているはずである。もし、そうならなぜそういう不登校生のいる家庭の人たちの多くが参加しなかったのか?やはり、考えてみる必要がある。「いえ、うちは別の方法でやりますから結構です」という家庭も勿論あるだろうが、殆どは別の要因がありはしないか。本人の知的精神的な問題、身体的問題もあるだろう。しかし、一番の大きな問題は経済的な問題やシステム的な問題なのではなかろうか。
▼基本的に市町村の学校に通う生徒たちは年齢的にも義務教育年限の子どもたちである。だから、教育公費によって教育が保護されている子どもたちである。ところが、不登校になった途端、その子どもは義務教育の恩恵を一切受けられなくなってしまう。そして、教育棄民の状態に置かれてしまう。なぜなら、国家が保証する義務教育と言いながら、教育公費は生徒本人にではなく頭割りで学校に下ろされているからである。そして、その7割程度が教員の人件費に消えているという。しかし、それに素直に「ああそういうことですか」と首肯できないのは公務員としての特殊性にある(教員も公務員である)。民間であれば業績が悪く顧客を次々と失ってしまうような社員はその当然の勤務評価を受ける。ところが、公務員はどんなに問題のある教育指導や授業を行なおうとどれだけ不登校生を出そうと、その評価の査定には響かないらしい。問題なのは学校を離れた生徒の方であって、学校や教員の側ではないというのが基本的なスタンスがあるように見える。つまり、学校の主体は生徒ではなく教師なのである。
▼今回のセミナーの開催に当たって、私が会議で尋ねたことがある。それは「わざわざ行田市にある教育センターまで一日を割いて出かけるメリットって何ですか」と。「メリットがない、と判断したならば、親御さんたちは参加しないだろう」と。結果はどうだったのか。では、親御さんにとってメリットって何かと言えば、それはやはり第一に経済的な問題であろう。不登校になる子どもたちは親の懐具合を考えて不登校を選択したわけではない。どうしようもなかった結果なのだ。だから、親御さんの中には我が子の不登校を比較的冷静に受け止めて我が子がどう選択しようと動じない経済的対応ができる家庭もあるだろう。しかし、それはほんの少数の家庭ではないか。大部分の家庭では我が子の不登校という事態は経済的パニックをも引き起こす。場合によっては心理的パニックよりも経済的パニックの方が大きいかも知れない。それに今回の県教委の不登校セミナーがどれだけ応えられるものだったのか。今回の不登校の相談会をあえて「保護者のための不登校セミナー」と位置付けたのはそういう意味もあった。
▼今回、この両者の保護者の方々が参加してくれたようだ。その意味で、ある程度は双方の保護者の方々に満足のいくものになったかもしれない。逆に言うならば、フリースクールとしての利害の側面はあまり出さなかったということ、親の会の利害を最優先させたということ、それと教育委員会側が望むところの学校復帰の側面をかなり重視したということである。しかし、一皮剥くとそんなきれい事ばかりではない。親の会のあり方にせよ、なるべく学校復帰してほしいと望むことにせよ、その根底には「結局は学校しか行くところはない」「うちはフリースクールはとても無理」「年齢が来たらとにかく学校を卒業させてほしい」ということ、つまりはフリースクールなどの学校外教育を受けさせる経済的ユトリはない」ということに行き着くのだ。それはフリースクールのような活動を必要と思わないとか学校教育だけが唯一絶対に正しいとかいうようなこととは全く異なるのだ。もし欧米のように様々な民間の教育活動を認め、「フリースクールのような学校外教育も可」とか「フリースクールに通う生徒にも義務教育費を出す」というようなことになれば、日本の教育は大きな変化のカーブを切ることになるであろうことは明らかである。日本の教育にそういう転機は来るのだろうか。
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