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教育落書き帳

教育とは何か…子どもの視点を尊重し、親、伴走者、市民の立場から語ります。子どもを語ることは未来への信頼と希望を語ること。

日本相撲協会に未来はあるのか

2010年02月05日 | 社会
日本相撲協会に未来はあるのか

▼大相撲の伝統とは何か
 2月4日(木)の「読売手帳」というコラムで、日本相撲協会の不可解さについて触れながら“「伝統を守る」とは古人の精神と、歳月に磨かれた様式美を受け継ぐことであり、無批判に旧習を温存することを意味しない”と述べている。これは良しとしよう。
 また、安治川親方(元幕内・光法)が日本相撲協会の理事選で貴乃花に1票を投じたことで退職騒ぎに発展したことに関し、“恐怖国家のような選挙”と批判している。これも同感である。
 が、“横綱のガッツポーズには厳しい処分を下さず、「抑制の美学」という良き伝統は崩れるに任せ”と批判しているのには首肯しかねる。それもまた「改めるべき旧習」ではないのかと私には思われる。「奴隷の美学」というものもあると私は思っている。

▼コラム氏の意見は新聞を代表する声か
 これは客観的にどれが正しいとかいう問題ではなく、時代や社会に対する認識や感覚の違いから来るものだろう。それが「読売手帳」というコラムで(私も愛読者の一人だが)筆名を伏せたまま書かれると、読み手としてはあたかもそれは読売新聞を代表した声(?)のように思ってしまう。「ちょっと待ってもらいたい! オレはコラム氏の意見とはちょっと違うぞ」と思わず言いたくなってしまう。

▼コラム記事にはには署名を入れろ
 確か原口総務相が「マスコミは情報源を明確にせよ」というようなことを言って、報道の守秘義務を盾にマスコミに反撃されたこともあったようだが、少なくとも新聞名を冠したコラムの記事くらいには署名をしてはどうなのか。それが個人としての責任ある記事というものだろう。それとも、覆面にしなければ困ることでもあるのだろうか。
 マスコミの報道といえども、もはや不偏不党で公平無私ではなく、様々な価値観や偏光フィルターを通して記事が書かれているということは周知のことだ。それなのにコラム氏は新聞の傘に身を隠したまま署名をしない。これまではそれが当たり前のことだったのかもしれない。しかし今、それを良しとする感覚はずれてはいないか。これもまた旧習ではないのか

▼横綱を引退する朝青龍の胸中は?
 今晩のニュースで朝青龍の引退を知った。「ついに」と言うべきか「とうとう」と言うべきか。表向きは酒乱騒動の責任を取ったということだろう。確かに、ガッツポーズならまだ良いが、酒に酔って一般人を殴ってはプロとしてはお仕舞いだ、言い訳は無用だ。が、本当はもう日本相撲協会で横綱として猿芝居を演ずることに飽き飽きしたからではないのか。彼にしてみれば、「何が伝統だ」「何が国技だ」「何が品格だ」という気持ちだったのではないのか。

▼日本の相撲から世界の相撲へ
 もはや相撲は日本人だけでは成り立たなくなっている現実がある。その生まれも文化も風土も違う外国出身の彼らに形だけ従わせてどうなると言うのか。かつて柔道が国際社会に向けて脱皮したように、大相撲もそういう方途を考えてみてはどうなのだろうか。日本の大相撲が世界の相撲へと脱皮してはいけないのだろうか。モンゴルやロシアに限らず、世界には日本の相撲に類似した格闘技が沢山ある。その統合としての大相撲は考えられないものだろうか。

▼大相撲の展望を開けない横審委員ら
 内館牧子氏ややくみつる氏の朝青龍批判は、読売手帳氏が言うように、「古人の精神と、歳月に磨かれた様式美を受け継ぐこと」を朝青龍に求めたかもしれないが、今を生きる人々に愛されかつ次代を切り開く大相撲の価値を説いたとはとても思えない。これでは大相撲としての体面は保てるかもしれないが、やはり次第に人々に飽きられ消え細って行くしかない運命にあると言うしかない。大相撲の新境地を切り開く御仁がどうも相撲協会にも横綱審議会のメンバーにもいないように見える。

▼新理事・貴乃花の登場で展望は開けるか
 新しく理事になった貴乃花はまだ未知数の存在だが、伝統を受け継ぐとともに、(朝青龍を擁護する立場とは違うようだが)海外への視野をはっきり持っているように見える。そこに大相撲の発展の展望はあるだろうか。今後を見守るしかない。とにかく日本の大相撲に改革の新風を注ぎ込むことは絶対に必要なことだったのだ。だから、貴乃花が新理事に選出されたことで、武蔵川理事長の意向はどうあれ、大相撲は生き延びるために首の皮一枚で繋がったのだと言える。
 蛇足になるが、今回の騒動で、「大相撲は一番人気の朝青龍を切ってどうするのか。それでも大相撲はやっていけるのか」という声が世間には結構あるようだ。

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