泉岳寺
東京に行く用あり、以前行けなかった泉岳寺を観光し,隅田川をクルーズした
泉岳寺は忠臣蔵の赤穂浪士の墓のあるところ 地下鉄「泉岳寺駅」から歩いてすぐ、立派なお寺だった
右は大石内蔵助の像
浅野長矩が切腹の時に血染めになった石が移されていた
吉良の首洗いの井戸もあった
お寺の横の浅野家の墓地の隣に四十七士墓がある
アプローチの石碑には建立者の名が記入されていた
大石家子孫、歌舞伎役者、東宝、松竹、東映の映画会社、長嶋茂雄、高橋秀樹等・・忠臣蔵の関係者?
線香を買ってお墓へ供えながら廻った
左が浅野長矩の墓 右が大石内蔵助の墓
両国の吉良下屋敷で仇討ちをした後、
12km歩いて浅野家の菩提寺の泉岳寺に来て、墓前に首を備えて報告したそうだ
そのあと 細川家、水野家、松平家、毛利家に分けて預けられ、一か月半後に全員切腹
墓も4家に別けられて並んでいた
義士記念館に入り資料を見る (撮影禁止)
赤穂浪士が有名になったのは50年後に物語になり、その後に歌舞伎に上演されるようになったから・・
ここにある資料はそれ以前の「義士連盟書状」「口上書」「四十七士遺像」など
吉良邸から寺宛の「首受取書状」まであった
木像館にはほぼ等身大の坐像と歌舞伎の場面の押絵が飾られていた
私たち以外にも参拝者は多く、忠臣蔵は今でも人気があるようだ
隅田川クルーズ
浅草雷門横から隅田川水上バスに乗る
向かいにアサヒビールの泡のビル、スカイツリーが見える所が発着場
舟の内部はツアーバスの観光客も一緒で一杯だった
駒形橋をくぐり、両国の国技館(高架下の緑の屋根)、総武線が見える
神田川が合流する
清州橋はドイツ・ライ川に架かるケルン橋を模したそうだ
吊り橋の新大橋を過ぎると「深川」、芭蕉が奥の細道に出発した所
(ここも訪ねたい所だが、またの機会に)
永代橋 赤穂浪士が仇討ちの後 吉良の首を携えて、上杉家の追っ手を気にしながら渡った橋
当時は目立ちにくい裏道の橋だった由
中央大橋の前には、セーヌ川との友好のしるし、フランスから送られたという像がある
工場跡地に出来た「リバーシティ」は高層マンション群だ
対岸の聖路加ガーデンのビルは空中でつながっている
水門を通り、浜離宮公園で停泊 降りる人と乗る人がある
再び出発して、勝時橋をくぐる もう跳ね上げることは出来ないそうだ
その横が築地市場 東京の胃袋
レインボーブリッジを遠くに見て「日の出桟橋」で下船する
約40分の川下りだったが、船内放送の説明を聞きながら左右を見るのは楽しかった
東京の歴史を知ることが出来るので、お勧めだと思う
おわり
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