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旅行大好き、ブログで旅日記を作りたい

大阪を歩く・・・舞洲ゆり園 ・難波宮跡 ・ 玉造&天六 ・ 七坂めぐり

2015年06月16日 | 大阪を歩く

 七坂めぐり・・天王寺~谷九 (2016.5)

友人に誘われて大阪 天王寺~谷九までの「七坂めぐり」を歩いた
谷町筋と松屋町筋の大通りは何度か通ったが、この間の坂を登り下りをしたのは初めてだった

天王寺からスタート
 
近くの統国寺へいく ここは韓国の寺でドイツ統合のベルリンの壁がある
信者からの奉納されたとか 韓国の人の南北統合の祈りを感じる所

    

天王寺の鳥居の近くに 昔からのまんじゅう屋「釣鐘屋」がある

天王寺を西門から入る

六時堂の前の亀池には亀がいっぱい甲羅干ししていた

      

お骨仏で有名な一心寺 今年は10ぶりに仏様が作られる年だそうだ
 

ここで「七坂めぐり」のスタンプラリー台紙を貰う 
台紙とスタンプを押してくれる寺の表示

  

一心寺の前の坂が「逢坂」 道路で広い

   

真田幸村終焉の地 安居天満宮 石碑が立ち、幸村の像があった

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天満宮の横の坂が「天神坂」

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清水寺 
大阪に清水の舞台や清水瀧があるとは知らなかった

 

「清水坂」の下には絵を描いている人がいた 

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「愛染坂」を登る 

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登り切った所に大江神社がある ここから夕日がきれいだったから「夕陽岡(丘)」と言われた
今は木が茂って西は見えない

 

愛染堂の入る 「愛染かつら」の桂の樹は老木で枯れてノウゼンカツラが絡んでいた

  

奥の多宝塔は立派だった 明治の頃サンフランシスコの万博に模型が出展されたそうだ

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この七坂周辺には、道路にカラータイルがあり 歴史街道の案内となっている



伊達家、陸奥家の墓所跡 薩摩の小松帯刀の埋葬されていたが子孫により東京に移された
行き止まりの奥に 藤原家隆の墓が草に埋もれていた

 

「口縄坂」を下る 下から見ると蛇(くちなわ)の形に見えると言う

 くリっく

車も通るこの坂は「学園坂」夕陽丘学園に行く道

松屋町筋沿いに歩く お寺が並んでいる インド風の心光寺、新選組の大阪旅宿だった光明寺など

   

源聖寺でスタンプを押してから「源聖寺坂」をのぼる

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坂の途中の「齢延寺」が新しく立派な寺だった 

   

生玉神社に到着 

  

境内に織田作之助の像 井原西鶴の像がある
道路や鉄道以前は、この辺りが大阪の北の中心地だったことを思う

   

境内を通りぬけて出た所が「真言坂」 生玉十坊が真言宗だったので名付けられた

    

生玉神社で最後のスタンプを押して、完歩証を貰う 楽しいスタンプラリーだった

 


 玉造&天六 (2016/2)

環状線歩きで行ったところだが、もう一度しっかり見たくて歩いてみた
玉造駅から歩き始める

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玉造駅商店街は真田の旗がなびいて、大河ドラマの歓迎ムード

突き当りの三光神社は大阪七福神めぐりで有名

  

寿老人の像がある

    

ここに幸村の像があり、大阪城に抜けると言われる穴がある

  

裏から丘へ上がり、日清戦争時の軍人墓地を通り、マリヤ聖堂へ行く
途中に大阪女学院があった

以前は修理中だったマリア聖堂はきれいな姿で立っていて中に入ることが出来た
左右の高山右近と細川ガラシャの立っている

 

内部のステンドグラスが美しかった 正面のマリアは日本的
ぜひ中を見たいと思っていたから満足する

   

  

 

ここから天満駅に行き 商店街を通って天六へ行く
勧められた「大阪くらしの今昔館」へ行く

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エレベーターで10Fに上がり見物スタート

中は大阪商家の街並みが再現されていた
江戸の屋根は板葺の頃、大阪では立派な瓦葺だったという

 

下に降りて人波に入って驚いた 周囲に聞こえるのは外国語ばかり・・
しかも和服着た人でいっぱい?
受付で聞いてみたら先着順で着れるそうだが、人気ですぐにチッケト切れになるそうだ

昔の大阪の様子と歴史の展示を楽しんだ
確かに外国人にも判りやすい良いと思う お勧めの場所である

  

 


 

難波宮跡 (2015/12)

「講師が説明する難波宮」のハイキングに参加した
NHKや歴史博物館には何度か行くが、こんなにしっかり見たのは初めてだった

地下鉄谷四で降りて、歴史博物館へ
先ずは研修室で学芸員から今日見学する場所の説明を聞く

   

上町台地の先端にあたるこの地に、難波宮が建設されたのは650年(大化の改新)頃、と750年(大仏開眼)頃の2回、
火災で焼けた後、ほぼ同じ位置に建てられたので、今残っているのは後期のものが多い

普段は空いてないらせん階段を下って、前期の頃の水道路を見る

   

歴史館の床にガラス張りのところがあり 発掘の柱跡が見える

別の入口から地下へ入り 保存されている遺跡跡を見る
白い提灯は当時の柱を表していて、建物の復元図もあった

この遺跡の下は駐車場になっていて、わずか4~5mの厚さの土地をビルの空間で保存しているとか

   
個人で行ってもこの展示ツアーに参加できるのでお勧めクリック
http://www.mus-his.city.osaka.jp/news/zyousetu/b1.html

 

歴史博物館で 古代の展示を見ながら説明を聞く

  

当時の大極殿の人形が並ぶ中で映像説明をみる 
終わると壁側が開いて、目の前に難波宮の跡地が広がる 見事な演出だった

    

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外に出て実際を見学
当時の倉庫を実物大で復元 瓦が発掘されなかったので茅葺だったろう 中身は不明

  

丸いのは柱の跡 こんなに沢山並んで倉庫が建っていた 
広場の床にある丸印 赤は前期 城は後期の柱跡だそうだ

  

駐車場やマンションの庭にもマークや柱跡 知らなければただの椅子
難波宮の大きさと保存に協力している様子が判る
 

国の史跡の指定されている広い公園だ

  

基壇の上から広場(朝廷)を見ると 映画「ラストエンペラー」で、幼い溥儀が居並ぶ家臣を見下ろすシーンが浮かんだ

歴史勉強をした一日だった 


 舞洲ゆり園(2015/6

大阪の新名所になったと言われる舞洲ゆり園に行った
お勧めの時期に行ったので評判通りの華やかさを見ることが出来た

入口から入ると・・

目の前にカラフルな色のゆりが咲き乱れていた「わぁーきれい!!」の声があちこちで聞こえた

     

下から眺めると花の帯が広がる
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上からゆっくり眺める休憩所もある

       

おわり


大阪を歩く・・大阪環状線ウォーク 2015年2月・3月

2015年03月25日 | 大阪を歩く

大阪環状線ぐるり一周ウォーク

 3月・弁天町~福島

このシリーズの最終回となるこのエリアは昔は海上交通の海に面した場所だった
弁天町駅から北へ向かって歩く

「波除」の地名はここ辺りが海辺だったことを表す 昭和の雰囲気の残る工場町、煉瓦の塀が残る

  

今は埋められて道路になった「境川跡」まっすぐな道

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安治川の下をくぐるトンネル、 安治川隧道を初めて歩く

以前は渡し船で人を渡していたが、通行量が多くなったが船の通行のため橋はかけられない そこでトンネルを掘った
作られたのは昭和19年、実は軍事目的だった だからトラックの為のエレベータも残る

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隧道を往復して、安治川塀沿いを歩き 河村瑞賢顕彰碑を見る
河村瑞賢は安治川を造って、湿地だったこの地を発展させた人

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昔は港として発展した安治川沿いは今は寂れて錆びた重機が残る 対岸は大阪中央卸売市場
寄せ集めた記念碑 大阪開港の地、大阪電信発祥の地などがある

  

この辺りは神戸開港前の外国人居留地 しかし 寂れて荒れていた

   

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川口キリスト教会 阪神大震災で傾き塔の半分が崩れたが、再建された
内部は落ち着いた雰囲気 ステンドグラスの花模様が美しい 国の登録有形文化財

    

木津川を渡る 袂に昔の浮世絵

  

この辺りが小説「泥の河」の舞台だと案内人の西俣氏が]熱心に語る 碑が残る

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中の島センタービルの31Fのレストランで昼食 広い展望だった ハルカスが正面に見える

堂島川と土佐堀川が合流して安治川になる 阪神高速の「中の島西IC」だった

  

舟津橋を渡り 中央卸売市場の前を通り 玉川4丁目に入り 恵美須神社と 野田城跡を見る

  

この辺りの町名プレートや地番プレートが藤色なのは昔から「野田藤」で有名だからだそうだ
今も町のあちこちに藤棚があり、藤の季節には美しく咲くそうだ  その季節に来たいと思う

    

野田天満宮を拝んで解散 福島駅から帰る

シリーズ終了と言うが、私は初回に参加してないので、秋からの再開を待ちたい 

4月下旬 野田藤を見に行く 阪神野田駅前に藤棚が作ってあった

  

春日神社の藤も咲いていたが 野田藤は期待したより房が小さかった

   


 

 2月・今宮~大正 

今回も雨 今宮駅に25名の参加で、傘を差しながら歩く
駅前のコーナンの大きな店の横から南に向かって歩く

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出城の地名は信長の石山寺攻めで付けられたそうだ
昭和の雰囲気の街並み

  

鶴見橋商店街を歩く 玉出と言う派手な店はスーパーだった
このド派手の店内の商品を見てみたかった

  

 浮かぶ輪っかは鶴の形のモニュメントとの事、よく判らない

阪神高速に分断されて 鶴見橋商店街と津守商店街が向かい合う

 

  

通り抜けて、西成公園へ 
ここは昔 大日本紡績の工場があったそうで、輸送の為に南海高野線汐留線が作られた

   

案内人の西俣氏から「ここの高さを見て下さい」言われて、天井川かと思ったら道だった

    

この先に木津川渡しがあり、やはり水位の方が高かった
この渡しは道路替わりで無料 15分ごとに往復 乗船時間は約1分

  

右が木津川、左が三軒川 木津川のアーチは非常時に大阪市内に海水を入れない防波堤
月1回可動をチェックしているそうだ 降りた所へ「落合上渡し」の看板があった  

  

千島公園の昭和山(33m)に登る この山は地下鉄谷町線を作った時の土砂を積み上げた跡とか
水仙が香り、梅が咲いていた 雨なので展望は効かなかった

  

  

大正通りに出て、大正警察署前からバスで南恩加島行く
この大正区は沖縄出身者が多いそうで、今日の昼食は沖縄料理だった

  

島唄の演奏 獅子までも出てきて、沖縄を楽しんだ

  

  

バスで大正駅に出て帰宅する 


大阪を歩く・・能勢人形浄瑠璃

2014年07月01日 | 大阪を歩く

能勢町は「大阪のてっぺん」と自称する大阪府の北部に位置する町
ここに地元の人々に守られた人形浄瑠璃がある
年に2日間だけのこの浄瑠璃公演を見ることが出来た

30人のグループがバスで出発 能勢の田んぼ緑は美しかった

能勢は栗の産地でもある 秋の道の駅は栗でいっぱいだそうだ
その栗が今は花盛りだった
  

昼食は能勢温泉 バイキングは人気でいっぱいの人だった
   

能勢浄瑠璃シアターへ行く
シアター内は地元知り合いの人たちの挨拶であふれ、お祭りの雰囲気だった
    



使用する衣服や演台や謡の本が展示してある
 

物産販売や能勢のキャラクターの投票もやっていた
  

太鼓が鳴って、入場が始まる
  

客席で開演を待つ 本日の演題は
子供たちによる三番叟 
鬼一法眼三略巻・五条橋の段
壺坂観音霊験記・沢市内より山の段

子供たちは頑張り、大人はアマチュアと思えない迫力だった
写真不可なのでURL: http://www.jyoruri.jp/
https://www.youtube.com/watch?v=-IJxACCzDjk

終わって外に出ると沢市・お里が迎えてくれて、みんなが囲んで写真を撮る
     

帰りに「野間の大けやき」を見る
樹齢千年、幹回り14m、高さ27mの大木の迫力だった
    

終わり 


大阪を歩く・・大坂環状線ウォーク 2014年5月・12月・1月

2014年05月23日 | 大阪を歩く

大阪環状線ぐるり一周ウォーク

1月・寺田町~新今宮 

雨の日だったが寺田町駅に集合 傘を差しながら西へ向かって歩く

河堀町の名前は文字通り川を掘ったからと、案内人の西俣氏の説明
和気清麿が上町台地周辺の湿地の排水にホリを掘った、その跡が道路に残ると言う

確かに平らでなく窪んだ道があちこちにあった 奈良時代の跡が残るとは凄い
読みにくい名の「河堀口 こぼれぐち」はその名残り

日本初の庚申社 「四天王寺庚申堂」
横には七福神が祭られていた

   

近くに「竹本義太夫」の墓所があり、前で彼の生い立ちを聞く

四天王寺はさすがに立派なお寺だった
堂々とした門から入り 南北に直線に並ぶ正面からの写真を撮った

   

境内では文化財保護の消防訓練をしていた 大事なことだと思う

門前町に大阪名物「釣鐘饅頭」の店があった 道路の向かい側に「堀越え神社」がある(和気掘を越える)

   

道路を渡って統国寺へ行く 変わったお寺と思ったら在日韓国人のお寺だった

  

境内の裏から入ると茶臼山や大阪を見下ろせる展望台があった

   

境内の入口にはベルリンの壁 母国の南北統一を願って奉納されたそうだ
こんな大きな壁を初めて見る

天王寺公園の横を通って新世界へ向かう ここから見るハルカスは全体が見れて素晴らしい

  周辺地図クリック

公園に黒田藩大坂屋敷の門が移築され保存されている 右は美術館の正面入り口

 

新世界入り 唯一残されている国際劇場 当時はショーが行われ、その後映画館になり、今は??

   

「ジャンジャン横丁」の商店街を歩く ほとんどが飲食店

   

昔の写真から、初代の通天閣はパリの凱旋門にエッフェル塔が乗った形だった知り、大阪らしいと思う

   

昼食は「二度漬け禁止」の串かつ定食 ビールは108円だった
3個150円のすし屋もあるそうだ

  

スパワールドの通路から正面に通天閣が見える

    

しかし目の前に壊れかけた建物 所有者が判らず放置されているとか
立札を読んだら、以前は相撲の大坂国技館があった場所との事

    

両側にコテコテの大阪の店を見ながら通天閣へ歩く あちこちにビリケンの像

    

王将、坂田三吉の顕彰碑

 

 新世界を離れて 広田神社へ 痔に効くアカエの神様とか 昔のこの辺りは海で魚が取れた
   

えびすさんで有名な今宮恵比寿神社に行く私は初めてだが、思ったより小さかった 
TVで大混雑の「えべっさん」を見るが、大混雑が判る

   

今回はここで終了  JR新今宮駅から帰宅する

別スレッド 2015年2月に続く


 

12月・玉造~桃谷

玉造駅に10:30集合 25人が案内人西俣氏と一緒に歩く 
先ずは北へ向かい 昔の猫間川にあった二軒茶屋跡の石碑の説明を聞く
奈良へ向かう街道の入口だったそうだ
   

川は暗渠となって橋のコンクリートのみ残る   近くの元映画館の建物は小さいが雰囲気を残していた
シネマパラダイスの映画館と比べて日本のは狭い

 

玉造の地名は勾玉を作っていたから・・ 出雲でも勾玉を作っていたから玉造温泉 
だから大阪にも玉造温泉がある?

  地図クリック

玉造稲荷神社は豊臣大坂城の三の丸に位置し、その鎮守社として奉られていた
江戸時代には伊勢参りの出発点として、ここで無事を祈ってから旅だったそうだ 

   

豊臣秀頼の銅像が建ち、淀君の胎盤が納められている祠があった
徳川の世にひそかに持ち出され別の場所にあったのを移したそうだ

  

玉造の基になった勾玉資料館もある

     

この鳥居は秀頼より1603年に奉納されたもので、その後のずっと健在で太平洋戦争でも大丈夫だったのが
1995年の阪神淡路の地震で折れた由 

境内には利休の井戸、秋田実の碑もあった

   

聖マリア大聖堂は修復中だった この中のステンドグラスは美しいと勧められた
正面左右に高山右近と細川がラシャの像が建つ 工事が終わったら見たいものと思う

     

大阪城近くの堀だった所が「空堀」の地名になったそうだ
ここにある「どんどろ寺・善福寺」で人形浄瑠璃「傾城阿波の鳴門」のお弓・おつるの母子が逢ったという

    

 宰相山公園を通って、軍人墓地へ行く
大坂にこんな墓地があるのを知らなかった ワシントンのアーリントン墓地のように同じ形の墓石が整然と並んでいて驚く

   

墓名を読むとドイツ将校、台湾などもある
   地図クリック

下った所に三光神社がある 七福神めぐりの寿老人が祭られるそうだが今回は割愛
真田幸村の像と抜け穴を見る

  

     

ここから、玉造日之出商店街のアーケードを歩いて、鶴橋に向かい
鶴橋駅緒商店街  韓国の店が並ぶ迷路のような中を歩く

   

  

着いた観光料理店で昼食 料理はキムチ各種とすき焼きだった

  

食後再び歩く、北鶴橋小学校の横を通って 「七福の辻」へ行く
以前は「六道の辻」だったのを縁起が良くないと有志で細い道を作って七道にしたそうだ

 地図クリック

平野川は曲がっていたのを付け替えたから今は直線だ
昔の名前を付けた「猪飼野新橋」を渡る 勾玉の飾りがつく

   

コリアタウンの入口は百済門が立っていて韓国の店が並ぶ

  

商店街を通り抜けて 御幸森天神宮に入るここも立派な神社だった

  

次の彌栄神社で私は探していたものを見つけた 尻を上げた狛犬である
出雲型の狛犬が本殿ではなく隅の方にあるのはなぜだろうか・・

    

本殿は座った狛犬が守っていた

昔の雰囲気を残す桃谷の中心でこの辺りの話を聞く

   

最後は昔の平野川があった場所に残る「つるのはしあと」に行く
昔は蛇行した川に架かる鶴の舞う橋だったのだ

  

これで終了 桃谷商店街を通って環状線桃谷駅から帰宅

  


 

5月・桜ノ宮~森ノ宮

大阪環状線ぐるり一周ウォークに参加する
東京をあちこち歩いたが、地元の大阪を知らないので案内人付のウォークに期待したのだ
JR京橋駅前広場集合 案内人 西俣稔氏でスタートする

最初は京橋駅横の「大和街道」に面する「蒲生墓地」
こんな場所に墓地が有るなんて!と驚いた

お寺管理の墓地でなく幕府管理だったので公営 戦後の混乱期に墓地に住宅が入り込んだと言う
私たちが行った時も墓石の上に梯子をまたがして店舗裏の工事をしていた
    

この中のお墓に不思議な文字があった
大正時代に立てられた「大笹家」の墓で横に「人二ハ|一」が縦書きで彫られている

読み方は「人には辛抱が一番」で、意味は「金」の文字をばらして「金欲に走らず辛抱して働くの大事」という
墓石にこんな文字を入れるなんてユニーク。案内人の西俣さんはこの墓の孫を探して会えたそうだ
   

商店街を抜けて京橋駅周辺を歩く
このあたりの道が複雑なのは「京街道」と「大和街道」分かれ道で川に囲まれた所だったからだそうだ
  

 桜ノ宮小学校横を通り 太閤園に向かう
太閤園は明治の藤田財閥の屋敷跡 藤田美術館は明治後の日本美術の海外流失を抑えるために買い取った美術コレクション

東西線が通る現在、屋敷跡は公園として無料開放されている
またここは近松門左衛門の「心中天網島」で小春・治平心中した場所でもあるそうだ
  

ここから淀川にでる
新淀川が作られる前は何度も氾濫して災害が多かったそうだ
また昔は防備のために橋はかけずに「渡し舟」で行き来していた 
現在つり橋がかかっている所が「川崎の渡し」
  

もう一度京橋に戻って京橋モールの中の「大北京」で昼食
  

食後は森ノ宮に向かって歩く 昔のレンガ工場

環状線の横に大阪空襲で亡くなった人々を祈る碑がある
砲兵工場近辺は空襲で沢山の民間人が被災した

砲兵工場の後の建物かと思ったが、古代ローマ風に作られたものと西俣さんは憤慨した口調で説明
  

鴫野西交差点にある石碑 この辺りは田んぼ、野原だったそうだ


第二寝屋川を渡り 大阪城公園に入る ここには水上バス乗り場の川の駅がある

  

大阪城公園は広々しているが戦前は砲兵工場だった
  

砲兵工場は企業秘密の工場。 だから、森ノ宮駅と桜ノ宮駅間の環状線は高架でない
戦前はここを通る時は電車のカーテンを閉めたそうだ

私は何度か環状線に乗ったがこの間が高架でないことに気付かなかった
左が公園前の線路 右が森ノ宮駅 高さが違う
 

森ノ宮駅前で今回のウォークは終了 解散する

大阪の歴史を知れて楽しいウォーキングだった 約5㎞ 3時間