四分五裂と使えば、4つに分け、5つに裂くような状況をつくってみようとする。日本を4つに分けた、その島を北海道本州四国九州とすれば明らかに、これは乱暴なたとえであるが、4分してそこに地域特徴を見るようなことであるが、そこに5裂くとするにはどうすることになるか。本州を関東と関西に分けて線引きする、どう考えてみて、日本列島の四分五裂はあり得ない。しかし日本の現実はそのような状況に陥りつつある。これは敗戦後の70年において見えていた事実が現れ始めたことによる。なにか。日本の民族問題、労働者人口、経済社会の格差、そして政治の議論である。独立国家日本はその自立において歴史を持つものであるが、冊封に対する自律、鎖国を敷いた幕府、帝国による日本支配は王政復古であって、この国が得た民主主義はその理念から100年余を経過してきたにしても、あくまでも民主と自由の真の意味での国家にはなりえていない。民主国家の独立はそれまでの支配関係を清算はしたものの、民衆、大衆の国民意識には封じ込められた自由の錯覚の中に取り残されたままである。そこに5裂の、4分プラス1になるのは、国家体制である。立憲民主とそれまでの立憲君主には、国民の一人一人がどうとらえているかは議論するところにない。 . . . 本文を読む
くにことばは方言である。方言は地域語のことであると考えれば、中央があっての方言は方処、方処の言葉である。地域語は、そこに行政府が中央としておかれると、中央語という考え方が生まれる。東京方言を東京弁、東京語として明治以来、標準語とする考え方があった。何が標準であるかは、ここをもってそうするという言語採取のようでもある。標準語は言い換えられて共通語と言っている。言葉の伝搬を電波でひろめることから、地域における言語現象は、共通語とするもので広められてきた。いまならさしずめインターネトによる言語の広がりを思うところである。方言と方言を音声言語の対照によって重視した言語現象は文字言語による情報量の相違によって変化を起こしている。発音なき方言、黙視する書記言語に、共通語の実態がかわりつつ、またあらたに生まれつつある。メールと呼ばれる文字言語のやり取りである。ブラウズメールはアプリによる、のぞき窓に変わった。スマフォ世代が端末機の文字言語だけで日常を済ませている。 . . . 本文を読む
20代から30代にかけての世代という。2013年、5年前の流行語ノミネートにあった、いま20代後半で社会人として企業、会社などに慣れてくるころである。世代は労働人口として若者と捉えられて30代になると、その世代特徴を、どう表現しているか。 . . . 本文を読む
コンピュータのスキルとスマートフォンのアプリで、世の中が変わってしまったのかどうかを考えてみる。どんなふうに、となれば、その利用がパソコンの画面を見ながら操作することと、タブレットの端末を眺めてタッチの操作をすることにある。もうパソコンではない、タブレットであるからパソコンのパレットを見ている、というふうになっていて、ウエブサイトからの情報を得るというステップが、アプリを開いた特定情報の検索となることの違いである。パソコンのスキルを得ない、それを学習していても、端末操作でいえばスマフォの便利さに、マウス、キーボードを触らなくなったということである。情報処理教育のうちにあるらしく、そこにとってかわったフィンガータッチの操作である。世代経験のあれこれを考えてみて、この違いがあるツールの使い方で、世の中が変わってしまったと議論するのは何を以てであるか。アプリのアイコンはディスプレーに変化を与えたとはいえ、タブレットのような使い方にも変わることがとくにあるわけではない。 . . . 本文を読む
連休の良き日より、紅葉を見に出かけた。ことの起こりはモーニングサービスにあった。浄心にある喫茶店での7時からの朝食に行くことになって、そのあとで瀬戸市方面にドライブをすることになった。岩屋堂、定光寺の散策となった。岩屋堂もみじまつり10日~18日、そのライトアップは済んだようだが、日中の、まだ色づく山の紅葉は楽しめる。瀬戸の市内をぬけて定光寺へと、午前中のドライブである。瀬戸市 愛知高原国定公園 岩屋堂公園 → 定光寺 愛知県瀬戸市定光寺町 臨済宗妙心寺派の寺院。>」山号は応夢山(おうむざん)。本尊は延命地蔵願王菩薩(地蔵菩薩)。桜や紅葉の名所としても知られている。寺域に隣接して尾張徳川家初代徳川義直の廟所である源敬公廟があるが、尾張徳川家の菩提寺ではない。
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歴史の教訓を知る
歴史の教訓とは何か。歴史を学べと、よく言われる。なぜそう言われるのかを考えて、その教訓が何かを知ることで、この問題の解をみつけることになった。歴史の教訓とは何かを調べていくと、それはある文明史家の言う、「文明は必ず滅びる」ということであった。
文明が滅びる、文明には盛期があり衰退期があり、そしてついには必ず滅ぶというのが、歴史の教訓だという。これは、どういうことか。古代文明を例にして、メソポタミア文明、エジプト文明、黄河文明、インダス文明の世界四大文明は滅びたと歴史に述べる。その理由は何であったか、それぞれに文明史家によって語られるところである。 . . . 本文を読む
とでもなし、思いがけなくも、状況があらわれている。>「日本の対応に疑問」「日産の陰謀か」仏で報道 11月23日(金)22時3分 読売新聞 企業のトップが不祥事を働くを以て国際情勢になる、そういう時代のことに起こった不安材料の一つである。慰安婦財団の解散、徴用工判決と韓国の動きは何を牽制してのことか、北方の領土交渉は先行き不透明を繰り返す、沖縄県の基地問題は何かを振り出しにするものとして、その何かが北の領地と南の領地で呼応し合うような本土防衛の議論である。同盟国の謂いが変わりつつある。労働人口の減少で移民を考えさせる日本転換点はやってくるのか。祝休日に出勤をして仕事につくサービス業を思って、あれこれと日本の将来する国際、国内問題に、ふっと、気づき始める。 . . . 本文を読む