今日までと新年と、年内仕事納めであるが、どうも官庁並みのところ、正月の休み明けはすぐにも、三が日の明けである。冬休みとかつて言っていた教育の現場にも、正月だけの連休となるようである。官庁並みとすれば、休みがあるだけよいではないかということになる。しかし、仕事納めのことも新年のあいさつ交歓もない、水曜終わりで水曜始まりになるから、その日から稼働する。過労死のニュースがながれる。名だたる電通の鬼の十則、しがみついたらはなすなというか過重労働を強いるものらしい。さてこれから年の瀬になる。瀬渡りよろしく、大掃除となる。新年の幸せを、人々に、祈る。 . . . 本文を読む
信仰はその対象による。しんこう、しんごう と言うのを、信心として、とらえるわたしたちである。ともに、神仏へ祈りを持つ。信心の慣用句を、信心過ぎて極楽を通り越す、信心は徳の余り、と、見ると、キリスト教で言う、教会が認める信仰また信仰告白との違いがある。我信ず クレド という信仰告白は信仰規準、信条でもあるし、その対象がまた、キリスト教やイスラム教などで、神に対する自己の信仰を明白な言葉で言い表すこととなる。
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つながり依存症という。SNSによる。そのつながり依存とは何か。依存症は、ある物質や物事に執着、熱中することで有害な結果を招くにも関わらず、やめることが出来ない状態のことだと説明がある。それが、ネットによるSNSに時間を集中してしまうことだ。コンピュータの端末機器を、スマートフォン、ケータイなどで、さらにタブレットによる、指先だけの操作でやめられない状況になる。ここ数年の間の通信による状況の変化が一般社会に影響を及ぼしているのだが、個人個人にその問題が直結して、その連鎖が広がっている。依存症については、ういきぺでぃあによると、>依存症(いそんしょう、いぞんしょう、英: dependence)とは、世界保健機関の専門部会が提唱した概念で、精神に作用する化学物質の摂取や、ある種の快感や高揚感を伴う特定の行為を繰り返し行った結果、それらの刺激を求める抑えがたい欲求である渇望が生じ、その刺激を追い求める行動が優位となり、その刺激がないと不快な精神的、 ...
依存症 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/依存症。 . . . 本文を読む