書名に『「国語」という思想』があり、その副題は「近代日本の言語認識」と見える。商品として説明するのは、「国語」を思想としての国語の歴史に、言語思想史、日本人の言語認識という評である。次の検索はブロックがあってヒットしない。>
岩波現代文庫『「国語」という思想』moreinfo - 岩波書店
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小学校入学時に国語の教科書を渡されて以来,国語とは私たちにとって身につけるべきものであり,それがいつ,どのように形成されてきたのか.国語という概念にはどのような特質があるのかを深く問わないまま,現在に至っている方も少なくないと思います.
「国語」という思想 - 岩波書店
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国語」は概念として,いつ,どのように形成されたのか.国民国家を確立しつつ,植民地帝国へと進む明治期の日本が国家統合の要として創出した「国語」.本書は,それをめぐってせめぎ合うイデオロギーの展開を上田万年・保科孝一らの言語思想を軸に克明に ... . . . 本文を読む
国語を考えるとき、国家語とする近代国家の言語とともに、国家の言語よりも標準語というものを定めようとした国語の調査統一があった。その国語のためにはどのような言葉があったか、国語の概念はそこに求められる。国語が言葉として存在している前提がなければ、国語が突如として現れてきたとする状況は、言語の使用伝播を見て行くと、明治期の日本のことではありえない。国語があったとする、さとの言葉としての意識があってのことであるから、その国語をただ方言とのみとらえてもよいが、世代に伝えられた地方の言葉が寄り合えば、その言語が通じないとすれば、どうすればよいか、その必然において国語は意識されることになる。その国語の優位は言語不通を解決するための手段として択ばれる。言葉を読み書くという行為は言語の概念にとってのことであり、それを聞き話す場において統一を図ろうとした時期に国語概念は方言のなかにも一致する。近代国語のことばの概念が日本という地域で話されている言語を指し示し国家語中央語であるとするのは、それは説明の便宜にどれが標準であるかを決めようとした共通語の動きでもあったことによる。しかし国語はすでに読み書きをもって和語としての概念を受け継ぎ、その表記手段の漢字漢語を国語にしている言語状況を認めるべく文字を言葉としようとする。和字は言葉の発音手段でもあったので、国語をとらえる、その音韻をもって仮名遣いを表そうとしたのである。国語が民族の言葉であるとする、国語教科で教えられたことは、どの地域でも言葉を習得する手段方法として、みずからにある国の言葉を、それまでに行われた子女の手習いのように広めようとしたことにほかならない。 . . . 本文を読む
国語のイデオロギーはややこしい。イデオロギーの国語は、国語をイデオロギーとして見るので、その議論の先にあるものを、イデオロギーに何を見るかを、据えるとわかりよくなる。イデオロギーの中の国語ということである。翻って国語のイデオロギーというふうに、国語にイデオロギーを見ることは、ややこしいだけでなく、実は困難であると言える。言語が社会とともに、民族とともにあるとするなら、その時々の流行に言語があることになって、言語そのものはツールであるというだけに過ぎない。ただ言語をもって語られた流行思想は言語とともにあることも事実である。とくに国語を大日本帝国の国語というふうに規定してしまえば、それはイデオロギーの国語にとらえていることになる。 . . . 本文を読む