子ども というのを、野郎ども という用い方とあわせて議論し、ども、また、 とも、この表記に、供 があるので、敬意の説明があったりする。そう思って簡便に、古語辞書などを見て、この説明が影響するのだろうと、思う。たしかにそうであるが、子供たち と、まで、言うのだから、それほどに、 ども についての、過剰説明もいらないだろう。子たち と言えば、敬意があり、子ども と言えば、ふつうだとしたら、こどもたち という、言い方があるわけか。御子達 おこども と並べると、このように思うのかと、その一方で、児童という語があって、はたして、子どもというのは何歳までであろう。成人年齢が下限か、18歳に投票権があるようになると、子どものとらえ方も変わるか。義務教育年齢までだと、15歳までのあたりに、その昔には元服というのがあったり、裳着があったりして、それなりの子ども時代であったようだ。幼児から少年少女となれば、幼子から、小子へと、おさなご、ちいさなこ、そこまでのことだろう。こどもの日にこんなことを考えていて、2年前のリマインダーに同じようなことを書いている。愕然とする、か。 . . . 本文を読む