電子メールなどのフェイス・マークの起源はなにという問いに、顔文字のことをさすと理解をして、それを見ていくと、いくつかの段階があるようである。アスキーコード、ASCIIの文字を組み合わせてフェイスマークににしたものは、いまや顔文字から絵文字へとその種類を増やし続けている。遡れば、1800年代の半ばにモールス符号でナンバー73を使って、ラブ&キス、後により形式的な、敬具の意味になったことを伝える記事があるそうである。また、タイプライターにおいても、 ;) というマークが顔文字のように見えるそうである。コンピュータに使われる顔文字の起源はモールス符号、タイプライターに起源をもつものではないが、 >SCOTTが顔文字を提案したのは、ある人が冗談のつもりで書いたことを、他の人が本気にして受け取ってしまうということがあったためである。その後、文章だけでは伝えられない感情を表現するために様々な顔文字が生まれた とされる。IBM社のScott Fahlmanであるとされ、1982年9月19日11:44にScottが顔文字の使用を提案したメッセージが遺されているようだ。 . . . 本文を読む
新聞各社の社説を比較しているサイトがある。終戦記念日に掲げる論説である。また、この日には歴史事実に経過するさまざまな、はざまにあった。停戦を決めたことに相違はない。それはしかし、無条件降伏とその調印との間にあって、8月9日のソ連参戦、8月14日ポツダム宣言受諾、そして8月15日があり、それから休戦、戦闘停止となったのが9月2日までのこと、実際の国際法上の終戦になるのは1951年のサンフランシスコ講和条約だという。戦没者追悼式典が、きょうおこなわれ、正午を合図に全国で1分の黙禱がささげられる。そして天皇陛下のお言葉がある。正午前には内閣総理大臣の追悼の詞があり、広島、長崎でコピペスピーチで批判された安倍首相の言葉の一つ一つには国民から注目ならぬ、聞き耳を立てていたことになろう。 . . . 本文を読む
<さまよう日章旗>(1) 「還りたい」泣く遺品 戦後69年 中日新聞トップ記事である。20140815
きょう終戦記念日 20140815
記事には、六十九回目の終戦記念日となる十五日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれる、とある。
>天皇、皇后両陛下や安倍晋三首相をはじめ、遺族約四千七百人が参列し、先の大戦で犠牲となった約三百十万人の冥福を祈る。集団的自衛権行使を容認する憲法解釈変更の閣議決定後、初の追悼式。安倍政権が進める安全保障政策の強化に対し、平和国家路線が変質しかねないとの懸念もでている。
中段の見出しには、過去最大規模のコメ偽装 三瀧商事元社長ら逮捕 とある。20140815
記事には、三重県四日市市の米穀販売会社「三瀧(みたき)商事」(清算手続き中)によるコメ偽装事件で、三重県警は十四日、不正競争防止法違反(虚偽表示)の疑いで、名古屋市千種区千種二、同社の元社長服部洋子(78)ら四容疑者を逮捕した、とある。
. . . 本文を読む
話すことについて、言う、語る、の語義に比べ、その用例が中世以降になるため、語ると話すの意味内容の近さをとらえたことがある。つまり古代から近代にかけて、かたる が用いられる一方で、はなす が中世から近代にかけて用いられ、その用法を同じくしながら意味を分け合う現象である。それは、かたりあう かたらう かたらい であることと、はなしあう はなしあい というふうになることである。話字には、字通にあるように、効力を失わせる行為で、そのような目的でことさらにいうことを話とする意義がある。また、人をそしり呪詛するような言をいう、ともあり、善悪の二義を含む語であるらしいことを解説する。その訓義に、第一に、はなす、ほめる、そしる、をあげている。わ と音読みをすると、わ について、はなし、物語、とくに、修行する者の手本となることば、とあるので、この字義の本来の使い方が日本語にもしばらく影響をしていたでろうと思われる。それが、はなす という訓読みで用いられることから、かたらう はなしあう となって、意味内容が共通するようになる。。 . . . 本文を読む
言語は、ごんご、げんぎょ、そして、げんご となる。言上 、過言 、他言については、ごん であり、 言詞、言明、言論については、げん である。遺言、伝言、無言は、どうか。 言語、言行、言質、格言、甘言、狂言、金言、巧言、失言、方言としては、すべて、げん である。言上、言明はそれぞれともに、言うことであり、伝言、言行などは、言ったことについてである。そうすると、言には、言うことと、言ったこととの、ふたつのとらえ方がある。言を弄する、言を左右にして、というような用い方では、言うことを表わす。口から声を出して言うことそのものである。語は、語気、語調、豪語、私語のように、言うことをさすが、それには言うことのまとまり、一つ一つの言葉であるが、それを表わすようである。したがって、そのひとつと、連続して発音する言葉のまとまりをさしている。言語は、訓読みをして、言うこと、語ること、それぞれ口から発する声に、その行為そのものをさす場合と、その声をひとまとまりにしてとらえることのできる、こととがある。その、こと は、言という字をあてている。ことば の、こと
である。こと には、言 のほかに、事 を宛てて表すが、こととわざになる。ことわざしげき、古今集の仮名序に、世の中にある人、ことわざしげきものなれば、とあり、この世の中に存在する人間はこのような行為がたくさんあるものなので、と解釈する。 . . . 本文を読む
日本語の語はどういう意味であろうか、言語というと、その言と語はどう違う、そして、ことば とはなにか。
すでにふれてきていることではあるが、言語とことばとは、漢語と和語の用い方で異なることがある。
ソシュールの言語学説でランガージュとラング、そこにあるパロールの区別を説明する。
それは日本語にもあってしかるべきであるが、はたして、その概念はどうだろう。ウエブリオのサイトで、言語 を引いてみた。げんご ごんご げんぎょ その読みにしたがって意味の説明がある。言語と言葉はどう違うか、>思想・感情・意志などを互いに伝達し合うための社会的に一定した組織をもつ,音声による記号とその体系。また,それによって伝達し合う行為。音声によらない手話や文字の使用を含めていうこともある。ことば。 この、ことば という言いかえに、>人の発する音声のまとまりで,その社会に認められた意味を持っているもの。感情や思想が,音声または文字によって表現されたもの。言語。 このように説明があって、言語の説明が対応することになる。三省堂 大辞林による。それでは、言と語とはどう違うのか、口に出してものを言うこと、に対して、言った言葉が、かたる、のか、話をする、つげる、という違いになる。 . . . 本文を読む