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明暦の大火は四代将軍家綱の時代の事で有った。江戸の町は急速に発展し、城下は混雑した状態となり、加えて大名家の相次ぐ取り潰しにより武士は職を失い町に溢れた。何かを求めて浪人たちは江戸に向かい、そうした者が集まりスラムに似た町が勢い増えざるを得なかった。奇妙な事が有る。この明暦の大火の火元と言われた本妙寺は取りつぶしにはなっていないのである。それどころか同じ場所に再建が許されたのである。明暦の大火で焼けた寺はどれも江戸市中では再建が許されず、全て江戸市外への移転を強制されたのである。従って現在に到るも当時の江戸市中だった千代田区や中央区には寺が殆どない状態になっている。
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