読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

文章日本語の変化

2009-03-26 09:10:47 | 歴史

鎌倉時代、流浪の下級官人であった頼朝をかつぎ鎌倉幕府を作った社会がその幕府によって土地所有が安定し、現実化したとき現実を現実としてみる精神が一般社会に広まったとき文章日本語もまた変化したと言う。平安時代の宮廷の漢文は文章博士(もんじょうはかせ)により細かく形式を整えていた。が鎌倉時代では幕府の公式記録の「吾妻鏡」でさえ、その文章は機能的で飾り気無く、意味が通じる事だけが重要視されていた。文体は漢文に似てはいたが日本語そのものであった。
他にこの十三世紀の文章変化の最大のものに親鸞の語録「歎異抄」がある。親鸞の談話を唯円と言う農民同然の僧が文章にしたものである。私的なメモと言うべきもので平安期の文章のように形式を衒う必要は無く、信心についての素朴な疑問を親鸞に説いて貰い、唯円は自分の出身地である常陸の国に戻って同信の徒に報告しなければならない必要からあいまいさのない実用文であらねばならなかったのである。