読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

藤原正彦著「天才の栄光と挫折」から

2008-06-17 11:02:09 | Weblog

「国家の品格」でベストセラーを出した藤原正彦氏は昔、パリに旅した。ルーブル美術館近くの三ツ星のホテルに宿泊する事になったがその三ツ星には余り期待はしていなかったそうだ。と言うのは以前、ジョージ・オーエルの「パリ・ロンドン放浪記」を読み、その内容が記憶に有ったからだと言う。ジョージ・オーエルは1920年代パリの高級ホテルで一時期皿洗いをしていた。その時の経験がこの本に書かれてあった。彼はこの中でホテルの陰の部分が如何に不潔か、従業員が如何に下品かを書いている。例えば台所の床に落ちたトーストをそのまま出したり、顔の汗を料理の中に落としたり、食事時の忙しいときの従業員同士の怒鳴りあう会話がとても活字に出来ないようなものであるとかを詳述しているのである。藤原氏が何時パリを訪れたかはこの「天才の栄光と挫折」と言う著作の中には書かれておらず、ただ三月中旬とあるだけだが彼はその時もこの三ツ星のホテルでオーエルと同様の経験をしたのである。最近日本の老舗料亭「吉兆」がこの種の問題で話題になったときこの藤原氏の話を思い出した。

招魂社

2008-06-14 21:32:03 | 歴史

岩波新書「神々の明治維新」安丸良夫著より
幕末の長州藩には国事に殉じた人達を祀る招魂社が現在の郡にあたる宰判という行政区画ごとに有った。この招魂祭の思想は長州藩がリーダーシップを取った明治政府に受け継がれた。慶応四年五月ペリー来航後、国事に倒れた人達の魂を京都東山に祠を設け祀る事が決まった。同年翌月、関東、東北での内戦で殉死した人達の招魂祭が江戸城で行われた。更に諸藩に戦死者の調査をさせ、明治二年、東京九段に招魂社の仮の神殿が設けられた。東京招魂社である。同八年、嘉永六年の以来、国事に殉じた者の霊は全て同社に祀る事とされ、翌九年靖国神社と改称され、祭祀は神道式で行われた。

フンゾウキ

2008-06-13 11:05:37 | Weblog

作家池波正太郎がが、ある日、芝居見物に行った。芝居の幕間の25分になると観客は、いっせいに食堂へと向う。彼もその中に加わって食事をしていると同じその食堂で食事をしている女たちの話が聞こえて来る。旦那を残して芝居見物に来た女達が言う。
「旦那様の食事どうなさったの?」相手の女が言う。「冷蔵庫を漁って適当にやっているでしょうよ」「まあスゴイ」「じゃあ、お宅は?」「亭主と子供に千円ずつ、今晩の食費をやったらもう大よろこび、男ってたわいがないのねぇ」「そうよ、亭主なんてフンゾウキよ」「何、そのフンゾウキって?」そばで聴いていた彼にも判らなかったそうである。しばらく彼女達の話を聴き続けるとその意味が判ったフンゾウきは「糞造機」だそうだ。これを聞いて池波は魂消たと、本に書いている。

童謡「雨降りお月」の二番目の謎

2008-06-12 14:35:58 | 新聞

この「雨降りお月」と言う童謡の歌詞はお嫁入りの歌にしては、淋しそうな内容だし、月が出て雨が降ってと言う光景も普通には見かけない。この詩を作詞した野口雨情の最初の妻は栃木県の人で喜連川と言う所から茨城県の磯原へ馬に乗り、二日をかけて嫁いだと言い、その時の詩だと言う事だ。作家で歌手の会田道人氏によれば、妻は喜びを連れてくるという喜連川から来たにしては詩の内容に喜びが感じられないと言っている。氏はこの詩が発表される少し前に亡くなった雨情の娘をお月さんにお嫁に出した事をこの詩で表現し、雨は雨情の涙であると確信したと言っている。

童謡「雨降りお月」の一つ目の謎

2008-06-11 09:28:40 | 新聞

作家で歌手の会田道人は歌手で女優の賠償千恵子に尋ねられたそうだ。「雨降りお月」のメロディーは何故、一番と二番で微妙に違うの?」と。調べて見ると実はこの童謡は二つの別の作品が一つになって居た事がわかった。一番は「雨降りお月さん」で二番が「雲の蔭」と言う。それがレコーディングのとき一体化され題名も「雨降りお月」とされたと言う事で、この一体化のアイディアは作曲家の中山晋平であったそうだ。この記事を読んだとき一番と二番のメロディーが僅かに違う事を思い出した。今までに気にも止めなかったが頭の中でメロディーをなぞって見た。頭の中でなぞって見ただけでメロディーが思い出せたのも不思議だった。

ちびまる子の「0の発見」の発見

2008-06-10 12:39:53 | 新聞

まる子の友達「0はインド人が発見したんだよ。」
まる子   「ええっ、0って発見されたの? 」
別の友達  「もともと、あるのかと思っていた。」
      (私もそう思っていた。)
まる子   「どうやって、発見したんだろ。望遠鏡?発見しにくかっただろうね。」
まる子の友達「顕微鏡かも。ふつう、見つからないよね、0なんて」
       (眼で見えないからね)
後日、まる子のまた別の友達
      「0がなければ、テストで0点も取れないね、0を発見した人に感謝。」
昔、岩波新書で「零の発見」と言う本が有ったが数学についての随筆で零の発見については、僅かに数行しか書かれておらずがっかりした事が有った事をこのまる子ちゃんの四コママンガで思い出した。 

寝水に耳?

2008-06-07 13:51:28 | 新聞

以前、新聞で読んだある投稿記事について時折、思い出す事が有る。
その投稿記事の文中に「寝水に耳」と言う言葉が有った。目を凝らして何度も繰り返して読んで見たがはやり「寝水に耳」なのだ。故事ことわざ辞典を調べて見たがやはり、「寝耳に水」が正しい。新聞の編集者は漢字や送り仮名の間違いは校正して当然だが、こう言う間違いは訂正しないのだろうか。またこう言う場合はどうだろう。別の投書で原発建設に反対する内容のもので投稿者は「そう言う原発を建設すれば、また炭酸ガスがでるでしょ。」と書いている。この投稿者は原発から炭酸ガスが出ると思っているのだ。そんなものは出ないし、出ないようになっているが出るとすればもっと面倒なものが出る。こうした基本的、初歩的な事実の理解に間違いが有る場合もやはり直さないのだろうか。この場合は投稿を採用しない方が良いのではと思うが。

人は生かされている

2008-06-06 10:58:11 | Weblog

「人は生きているのではなく、生かされているのだ。」と言う話を僧侶や年輩の人から良く聞く。そんな事を感じさせる金子みすゞの詩に出会った。
 蓮と鶏
泥の中から蓮が咲く。
それをするのは蓮じゃない。
卵の中から鶏が出る。
それをするのは鶏じゃない。
それに私は気がついた。
それも私のせいじゃない。

敬遠

2008-06-05 14:22:53 | Weblog

孔子の弟子に樊遅(はんち)と言う者が居た。ある日、彼は孔子に尋ねた。「知とはどう言うものを言うのでしょうか。」子は答えた。「人のために働き、神には敬意を払いながら距離を置く。そのような姿勢が『知』と言えるだろう。」敬遠は野球用語と化した感があるが本来はこのような意味で、孔子の宗教に対する姿勢だったそうだ。敬遠の意味はそれで判るが、それが「知」だと言うのは、まだ良く解らない。

新漢字学習法

2008-06-04 11:04:09 | Weblog

NHKのテレビ番組に「漢字の新学習法」と言うものが有った。見てみると福井県教育委員会が漢字教育に新しい取り組みをしているのを紹介していた。福井県出身の白川静さんの文字学を小学校の漢字教育に取り入れたものであった。「漢字の世界へ」と言うタイトルの本が教科書として使われていた。教育委員会独自の編集によるものである。かなり大きめの本で厚みも有る。字引としても一生を通じて、座右に置いておけそうだ。番組の中で小学校の生徒が楽しそうに漢字の成り立ちを示す三千年も前の漢字の原型となる象形の線をノートに書き写し学んでいる。「世界一受けたい授業」と言う別の放送局の番組が有るが白川静さんの文字学の授業を受けて見たかったと思う。