京からの旅の僧が夕立に遭った。雨宿りに入った家が歌人の
「藤原定家」の今は朽ち果てた家だった。そこへ何処からか
一人の女人が現れ、その僧を葛がからみ覆われた墓に連れて行った。
その墓は後白河法皇の第三皇女の「式子(しゃくし)内親王」
のものであった。その女人が僧に言った。藤原定家は式子内親王を
強く慕っていたが内親王は49歳で身まかり、定家の内親王を想う
強い心が葛となって親王の墓に絡み付き、それで親王は苦しんでいるようだと。
僧はそれを聞き内親王の為、読経したと言う。
その女人こそ式子内内親王の霊だった。その葛は後、
定家葛と呼ばれるようになった。
この物語は「定家」と言う謡曲となり薪能で演じられるそうである。